Episode031 普通? ……やっぱり変人だった
エルマリア家の屋敷は、騎士公爵家の屋敷を見慣れているエルリアからしても、十分立派なものだった。話によると、最初に住んでいたのがエルマリアとローレンティアの二人だけだったという。そこにベルとセシリアが加わり、勝手に居候を始めた魔女フルーラ、彼女に弟子入りしたユナミルもここに住んでいるのだという。
貴族でもない人間がなぜこんな大きな家を持っているのか不思議に思ったが、なにしろセシリアを超高額で買った男だ。商業で成功したのか親の遺産か、そういう理由でお金持ちなのだろう。
──賭博場に入り浸っているくらいだからな。
問題なのは屋敷の大きさよりもその男の性格だ。メイド達の話によると、エルマリアという男は酷い女癖で、屋敷に多くの女性を侍らせているという。この屋敷にやってきたときは、さぞ多くの女性がいるのだろうと身構えてしまったものだが。
──なんだ……いないじゃないか。
ハーレムどころか女性の影すらない。女性といえばメイドのベルとローレンティアの二人だけだ。しかも二人とも意思のしっかりした大人の女性。
──いや、きっとどこかにヤツがロリコンである証拠が出てくるはずだ……。
確かに屋敷にハーレムはなく、悪趣味な寝室も淫靡な監禁室も薄暗い地下室もヘンテコな玩具もなかった(セシリア情報)。けれどまだエルマリアの印象が良くなったわけではない。
自分が奴隷市場にお披露目された日、その男はあの場にいた。セシリアを買えたのなら、エルリアをかけて騎士公爵家のバイヤーと争えたはずなのだ。なのに彼はそれをせず、その日お披露目されなかったセシリアを購入したのだ。
──そうそれは、セシリアの可愛さを一目で見抜いたということ!!
ボロボロで泥だらけだった幼いエルフの容姿を、そこに秘められた可愛さを見抜き、セシリアを買った。これでもうセシリアの写真でも撮ってアルバムに保存していれば、ヤツの有罪は確定したも同然……。
「ハッ! しまった、私はレスミー様に頼まれてここにいるのに……」
いつもの癖で、ついセシリアを中心に考えてしまう。今回の任務はあくまでも、エルマリアから四皇帝魔獣の結晶石を返してもらうこと。ただ、ヤツは金だけでは動かない男らしい。
──レスミー様すら一目置くエルマリアという男……いったどんな男なんだ?
レスミーは騎士団の総合責任者であり、元老院の最高責任者の一人でもある。気品高く、男女問わず人望が厚い。そんな彼女が、エルマリアには勝てないと言っていた。
『純粋な剣の腕だけならば、私はあの男に後れをとらない。しかし戦場に必要なのは、腕っぷしだけとは限りませんわ。ときとして口の達者さも必要になります。……あの男は、総合的観点から逸材です』
──メイドの噂とレスミー様の話が全然噛み合わない。あれから二日経っても帰ってくる気配はないし……。
と。
歩き回っていたエルリアがふと足を止めたのは、書斎の扉前だった。
セシリアの許可でこの屋敷に泊まらせてもらっているとはいえ、主人のいない屋敷内をうろうろするのは得策ではない。さらにここは、一番来てはいけない場所だろう。
「──どうしたんだい?」
なんだベルか……。
本当にこの少女は、メイドであるのによく話しかけてくれる。変な警戒心も持たず偏見の目で見てくることもない、素晴らしいメイドだ。ロリコン野郎にはもったいない。
「あぁ……ちょっと暇でな。あなたの主人が帰ってこなければ、私はこうやって時間を潰すしかないからな」
「ごめんね、もしかしたらしばらく帰ってこれないかもしれないんだ。指定危険エリアで調査しているから」
「そうなのか……。いや、こっちも急にやってきたんだ。それくらい仕方ない」
図るまでもなく顔が暗くなる。それを不憫に思ったのか、ベルは小さく笑って背中を押してきた。おそらく書斎のなかに入れという意味だろう。しかし主人のいない書斎に? メイドにしては自由奔放な行動だ。
抵抗するまでもなく中に入ってみると、その本棚の数に驚いた。
「へえ、すごいな」
「主人は冰術の研究者なんだ。親も皇都リリティエの研究所に努めていた人でね、この書斎は親が所有していたもの。この屋敷も親からの譲りもの」
「研究者だったのか。……しかし言っちゃなんだが、ご主人のご両親は相当な消費癖があったんだな……いくらなんでも、一般人が使用する屋敷の大きさじゃないだろう? こんなの貴族サイズだ」
「まぁ、金を持て余してたのはホントだろうね。そういう話は主人から聞いてる」
「そうなのか。──ところでベルは、自分の主人とでもそういう気さくな喋り方をするのか?」
「どうしてそう思うの?」
「あなたは飾らなさそうだからな」
自分のファンだと言っておきながら、驚くほどの剣術で攻撃してきた少女だ。こんな感じでエルマリアと喋っているような、そんな気がする。
「それで? 話ってなんだ?」
「まぁちょっとね。ウチのご主人が、半年間だけ騎士団に在籍してたことは知ってるかい?」
確か、騎士団長が直々にスカウトしたという話だ。人違いかと真っ先に疑った。あれだけメイドによくない噂をたてられていた男が、よもや騎士団長に認められるだけの剣の腕があった? そんなの考えられない。……いや、セシリアに剣を教えていたのはエルマリアだとベルは言っていた。あながちウソじゃない……?
──あれ? じゃあ、もしかして……噂のほうがウソなのか……?
セシリアが怖がっている様子はない。
もしかしたら自分は、とんでもない勘違いをしていたのではないか。
青ざめるエルリアにベルが気にすることはなく、近くにあった机の引き出しから二通の手紙を取り出した。
「今朝、二通の手紙が届いた。一つは騎士団、もう一通は……主人がいないから封は破けないけど、この家紋に見覚えはあるかい?」
封筒のすみに、家柄を示す家紋が示されている。貴族界にさほど詳しくないエルリアだが、この家紋は見覚えがあった。
「ロザーギミック家の家紋だな。私が買われてすぐ、ステータスを正確に測ると言って連れていかれた皇都の研究室が、この家の持ちものだった。……こんなことを聞くのはアレかもしれんが、あなたのご主人はいったい何者なんだ? 騎士団長だけでなく、ロザーギミック家にも顔が利くのか?」
「団長はともかく、ロザーギミック家に関しては主人のご両親が関係者だよ」
「親? あ、あぁ。確かご両親も冰術の研究者だったな」
両親が冰術の研究者だから、息子であるエルマリアも冰術の研究をしているのだろう。芸達者な男だ。
「騎士団のほうは要請なんだ。四日前くらいまえから、毎日この手紙が届いてる」
「要請? 緊急要請なら法具での連絡だから、時期的に余裕のある事案なのか?」
「そうだよ。七日後に行われる《冰結宮殿の定期検査》。階層の壁……いわゆる万年冰力層の視察さ、それにうちのご主人様が呼ばれてる」
「すごいな。──レスミー様が仰っていたが、ここの当主は本当に騎士団の特別顧問士官なんだな……未だに信じられんが」
「非常勤だけどね」
エルリアは騎士公爵家から勉学を教わりながら、来たる騎士団入学試験に備えているため、騎士団の階級はよく知っている。特別顧問士官は優秀な人間に与えられる称号だ。
「それで、ロザーギミック家は今回の宮殿検査の中心で動く家なんだけど、どうも不審な動きがあるって主人が怪しんでる」
「怪しんでるってどういうことだ? なぜそんなことが分かる?」
「うちの主人は人間観察が大好きでね、面白い事件を起こしてくれそうな貴族とかの情報を、よくフルーラと共有してるんだ。社会の裏情報の収集とか大好物」
……へ、変人だな……。
いや、女好き+ロリコンという噂からして変人だと覚悟していたのだが。
「ロザーギミック家には様々な噂や疑惑がある。今回の壁面調査で何かしてくるんじゃないかって主人は睨んでるんだ」
「何かしてくるって…………そんな大層なことはできないだろう。なにしろ宮殿は世界の至宝だ」
冰結宮殿はこの世界で最も大切にされるべきもの。
そのためにあるのが、騎士団が中心に行う《宮殿の定期検査》だ。視認検査、巨大法具による強度検査など、ロザーギミック家を代表とした冰術研究の強い家が行っている。
大イベントだ。
「この宮殿がなければ、人類はとっくの昔に滅んでる。宮殿を傷つけようなんて……」
「誰もロザーギミック家が万年冰力層を傷つけるなんて言ってないよ。ただ、主人の勘ってやつは意外に当たるんだ。情報だけでもエルリアに伝えておこうと思って」
「私に…………? あ!!」
七日後の壁面調査に、エルリアはレスミーの推薦で参加することになっている。エルマリアはそれを知ったうえで、ベルを介してこの情報を伝えてくれたのだろう。
「あなたのご主人は壁面調査に参加するのか?」
「うん、これに参加しないのは、せっかくもらった特別顧問士官っていう身分が剥奪されちゃうからね。この日までには屋敷に戻るって言ってたよ」
──今度こそエルマリアに会えるかもしれない。
もし彼が壁面調査までに帰ってこなければ、そこで出会う可能性が出てくる。セシリアを購入した謎の男。噂ではなく、ちゃんとこの目で確かめたい思いが、エルリアのなかに湧き起こる。
「ん……?」
そこで、エルリアの視線が机の下にいく。何かが落ちていたのだ。質感からすると写真だろうか。誰かが映っているなと思っていたら、セシリアだった。可愛い妹。満面の笑顔でピースしている。
……あの引き出しの中に、まだ写真がある???
「え、エルリア、そこは開けたらまずいって!」
引き出しのなかから、収まりきらなくなった『セシリアだけが映った写真』が飛び出した。
「──……有罪の……証拠…………。私の、私の……私の可愛いセシリアが、セシリアの貞操が、変人に狙われている…………」
エルリアの目から光が消えていく。大慌てで引き出しを閉めたベルに、エルリアが不気味な笑いを向けた。
「え、エルリア! これは、あの、一つだけ弁解を! これは別に変な意味じゃなくて、ただの成長記録として、ボクが撮っていただけで、け、け決してやましい意味は──」
「やっぱりメイドの噂は本当だったのだ……、少しでも、ほんの少しでも見直そうと思った私がバカだった……ヤツの性根が変人であることに変わりない。セシリアのためだ、お姉ちゃん頑張るよ……」
「え、ええええええ……っ!?」
──せっかく上がったと思った僕の好感度がマイナス値に!?
果たして、エルリアに正体を明かせる日は来るのだろうかと。
むしろ一生明かさない方がいいのではないかと。
ベルは密かに、頭を抱えていた。