7話 奇妙な宿屋
鍵を受け取ると、すぐには客室には向かわず、いったん建物からでる。
ロバをあずけるのだ。
入るときチラリと見えた、建物の裏手にある馬小屋へと向かう。
小屋に入ると、馬房と呼ばれる一頭ずつ分けて入れるしきりがあった。奥には飼い葉も積まれていた。
入口に一番近い房にロバをつなぐと、近くにある井戸から新鮮な水を汲む。飼い葉も桶に入れておく。
桶に頭を突っ込み、むしゃむしゃと食べるロバ。その首筋を撫ぜながら表情を見る。
特に緊張した様子はない。
ある意味、わたしより肝が据わっているのか。このような状況の中、実に頼もしい。
今後のことを考える。
街を探索するにあたりロバは必要ない。ならば、ロバを預ける場所が必要となってくるだろう。
この宿がそうなってくれればいいが、さて……。
相棒のロバに一時の別れを告げると、ロビーへ戻る。相変わらず人影はなく、老婆が揺らす椅子の音だけが響いている。
鍵を持って二階へと向かう。
それにしても静かだ。
階段を踏みしめるたび聞こえるミシミシという音が、やけに大きく聞こえる。
十、十一、十二……ちょうど三十の段差をのぼりきると、廊下へ辿り着いた。
ここより上はない。二階建てなのだろう。外観から目測した高さとも一致する。
真っ直ぐ続く廊下を進む。左右の壁には、いかにも重そうな木の扉が同じ間隔で並び、それぞれに真鍮と思われるプレートが打ち付けられている。
プレートには、連続した数字が並ぶ。201、202、203……。
やがて鍵に刻まれた216と同じ数字を見つけた。
鍵穴に鍵を差し込み、左に回す。
カチリという音。
扉を押すと、やや抵抗があったが大きく開いた。
と同時に湿った空気が横を抜けていく。
部屋の中は綺麗に片付いていた。
家具は備えつけのクローゼットとベッドのみ。シ-ツは比較的清潔で寝心地も良さそうだ。
手早く部屋の中を確認する。
隠しトビラ、抜け穴、人が潜めそうな場所がないか見ていく。
とくに怪しい部分はない。
やっと一息つけそうだ。剣を立てかけ、ベッドに座る。
明日から本格的に探索するとしよう。ゴロリと横になると、すぐに眠りに落ちていった。
――――――
トントン。
ノックの音で目を覚ます。
どの程度寝ていたであろうか? 体感では、あまり時間は経っていないはずだが。
トントン。
ノックは続く。
「誰だ?」
問いかけてみるも返事はない。
宿の者か? それにしては、ずいぶんと愛想がない。
音をたてぬよう扉へと近づく。
気配はない。耳を澄ましてみても、何の音もしない。
そっと扉を開けてみる。
――誰もいなかった。
長く続く廊下を見渡してみても、それらしき姿はない。
イタズラにしては妙だ。
警戒すべきだろう。
しばらく、起きたまま様子をうかがう。
とくになにも起こらない。
面倒だな。
一度横になると、寝たふりをした。
トントン。
きた!
つぎは逃がさぬ。素早くベッドから降りる。
――が、その瞬間! 何者かに足をつかまれた!!
見るとベッドの下から青白い手が伸び、私の足をつかんでいた。
凄い力だ。私を中へグイグイと引きこもうとする。腕の太さからは考えられないほどの怪力。
フン。誰かは知らんが、キサマとイチャつくつもりはない。
すぐさま剣を振るう。
スパリと切断された腕は、奥へと引っ込んでいった。つかんだ手を残して。
ベッドの下を覗く。
誰もいない。
どうなっているんだ? 手の持ち主はどこへ消えた?
気づけば、私の足をつかんでいた手も、あとかたもなく消えていた。
奇妙な。この宿に泊まったのは失敗だったかも知れない。
私はしばらく、扉とベッドの下を注視することにした。
あれからずいぶん経った。だが、何も起こらない。
警戒すると現れず、解いた瞬間牙をむく。
こういうのは何と言ったかな。たしか戦場での格言で似たようなものがあったが。
まあよい。次出てきたら仕留めてやろう、そう思いベッドに横になった。
トントン。
きた。もう逃がさない。
かたわらに置いてあった剣に手を伸ばす……が、ない。
周りを見回すと壁ぎわに剣が立てかけてあった。
なぜあんなところに。
トントン。
何てしつこい野郎だ。
剣があるほうへ降りる……と見せかけて反対側から降りた。
が、ガシリと足をつかまれる。しかも両手で。
小癪な。
ベッドをつかみ、ひっくり返す。
姿を見せろ。
が、なんと腕の先にはなにもなかった。ただ腕のみが存在し、私の足をつかんでいたのだ。
骸骨の次は動く腕か。大道芸はそろそろ終わりにしていただきたいものだ。
懐からナイフを取り出すと、その腕に突き刺した。
そらよ。
もう一本の腕にもナイフを突きさす。
深く、深く、床に縫いつけるほど突きさす。
やがて腕はトカゲのしっぽのようにのたうちまわると、煙となって消えた。
トントン。
また、ノックの音だ。
壁ぎわの剣をとり、勢いよくドアを開ける。
……やはり誰もいない。
ドアをしっかりと施錠し、ベッドを元に戻す。
次こそは仕留められるか。剣を握りしめたままベッドに横たわる。
トントン。
またノックの音。ベッドから足を下ろす瞬間に剣を振るう。
出てきた腕が真っ二つだ。
間髪入れずベッドの下を覗き込む。やはりいな……。
――いた!!
腕をさすりながら、上目遣いでこちらを凝視する女がいた。
目は血走り、口は耳まで裂ける。
床につくほど長い舌から、ネットリとした糸を引く。
目が合うと、女は大口を開けこちらに襲い掛かってきた。
「ギャー」
眉間に剣を突き刺してやった。
耳をつんざくような悲鳴を立てた女は、ドロリと溶けていき、青い宝石だけを残した。
倒したのだろうか?
これでぐっすり眠る事が出来るか? いや、やめておこう。この宿は不可解な点が多すぎる。
荷物をまとめて部屋から出ることにした。