5話 ジャンタール
門の先は霧に覆われていた。
突き出した剣の先すらぼやけるほどの深い霧。
「エ~ン、エンエン」
子供の泣き声が聞こえた。
それは近くもあり、遠くもあるような不思議な声。
声のしたほうへと歩いてみる。しかし、進めど進めど人影はない。
不意に背後で声がした。
「クスクス」と笑う少女の声。振り返るも、誰もいない。
なんとも嫌な感覚だ。
ずっと誰かに見られているような気がする。
方位磁石を確認してみる。
針はグルグルと回転しており役に立ちそうにない。
自分の感覚を信じ、真っすぐ進む。
どれ程歩いただろうか、とつじょ霧は晴れ、左右にそびえる大きな壁に気づいた。
後ろに目を向ける。左右どうよう高くそびえる壁があった。今まで歩いて来た道などない。
壁に触れてみる。
やけにツルリとした感触だった。石ではない。おそらく金属だろうが、継ぎ目すら見当たらなかった。
どうやってこのような壁を作ったのだろうか?
壁をよじ登っての脱出はムリか。
とっかかりなどなく、高さも私の背の十倍はありそうだ。
荷物の中から、オレンジを取る。
それを空に向かって放り投げた。
ぐんぐん空へのぼっていくオレンジ。壁を越えるような軌道を描く。
だが、壁を超えるかと思われた瞬間、オレンジは透明な何かに当たり跳ね返った。
なるほど。
はしごやロープを使えばあるいはと思ったが、それもムリか。
まあ焦らずともよい。アシューテを見つけるのが先だ。
ムーンクリスタルを持ち帰ったバラルドがいる。アシューテも、なんらかの方法で手紙を流した。
アシューテを見つければ、なにかしら分かるだろう。
意識を切り替え、歩きだす。
踏みしめる地面は、巨大な石畳を組み合わせて作られており、継ぎ目からは雑草がまばらに伸びていた。
手入れする者などいないのであろう。さびれた印象をうける。
やがて前方、通路のすみに何かが見えた。――人か?
近づくにつれハッキリしてくる。それは擦り切れた衣装を身にまとう骸骨であった。
しかし、頭部はない。体のみである。
大きさや服装からして子供、それも少女のようだが……。
ふいに足元に何かが転がってきた。見ればそれは人の頭蓋骨。
大きさからいって、子供であろう。
警戒しつつ拾い上げる。
そして、前方の骸まで近づき、そっと置いた。
この頭蓋骨は、おそらくこの少女のもの。
もはや必要ないだろうが、ないよりあった方がよいだろう。
「ありがとう」
ふと、耳元で声が聞こえた。
だが、振り返っても誰もおらず、ただ吹き抜ける風が地面の砂をまきあげていた。
私は立ち上がり、彼女を一瞥すると、その場を離れようとする。
が、そのとき、わずかな違和感を覚えた。
……何だ? 何かがおかしい。さきほどと何かが違う。
――そうだ頭蓋骨だ、骸のかたわらに置いたはずの頭蓋骨がなくなっている。
そして首なしだったはずの骸の頭には、いつの間にか頭蓋骨が収まっていた。
誰かが乗せた? しかし、ここにはわたし以外誰も……。
そのとき、カタカタと音を立てて骸が動き出した。
両手を広げて、私につかみかかってくる。
なるほど。ジャンタールでは死者すら動きだすのか。
私は素早く剣を抜くと、骸の両足を切り飛ばした。
足を失い崩れ落ちる骸。
ズズ、ズズ、ズズ。
足を失った骸は、両手で這ってなおも近づいて来る。
ちゃんと死んどけ。
今度は頭部めがけて剣を突き下ろす。頭蓋骨は粉々に砕け散った。
「おのれ、もう少しで……口惜しや」
また耳元で声がした。だがその声を最後にして、声が聞こえることも骸が動き出すことも二度となかった。
コロリ。
割れた頭蓋骨の中から、青く光る宝石が出て来た。
価値があるのか分からないが、手間賃としてもらっていくことにした。
しばらく歩いていくと十字路に出た。相変わらず生きた人の姿はない。
シャナ達はどちらへ行ったであろうか? 地面を注意深く観察してみる。
足跡があった。それも複数。
だが、シャナ達のものではなさそうだ。
あまりに数が多いのだ。
この都市の住人のものだろうか? 死者の行列でないことを祈るばかりだ。
多少の不安はあれど、とりあえず足跡の続く右へと向かうことにした。
通路を歩く私には気がかりなことがあった。時間だ。ここに入ってからずいぶんと経つ。
だが、空を見上げると、いまだ星が見える。
門をくぐったのは夜明け前。すでに夜が明けてもおかしくない。だが、いっこうに夜が明ける気配がない。
さらには目に映る景色も奇妙だ。ここから通路の曲がり角が見えている。
見えすぎているのだ。
この明るさで、あの距離が見えるのは不自然だ。
普通の壁ではない。
星の光を反射しているのか、それとも壁そのものが光を放っているのか、通路はぼんやりと輝き、不気味なほど遠くをうつしている。
まあ、奇妙であるが、助かることに変わりない。ひとまず解明はあとにし、探索を優先させることとした。
しばらく進むとまた十字路に出た。右を向いても左を向いても、代り映えしない景色が続く。
ここは本当に街の中なのだろうか? まるで迷宮に迷い込んでしまったのかのようだ。
地図を作るべきなのかも知れない。今はとりあえず迷わぬよう、再び右の道を選択した。
やがて道は左へ曲がって、ふたまたに分れていた。
右と左。だが右へと続く道の先に、何かがある。
塔だ。おそらく街の外から見えていた、高い塔であろう。
私は塔目指して歩いていった。
高くそびえる塔を見上げる。
外壁は光を反射しないまさに漆黒で、周囲の壁よりさらに上へと伸びている。
不思議な光景だ。青白く光る壁と違い漆黒の塔は、空間にポッカリと穴があいているようにみえる。
入り口を探し、一回りする。しかし、それらしい物は見当たらなかった。
明かりもなければ突起もない。
どうすればこの中へと入れるのだろうか?
仕方がない。塔については後ほど考えるとしよう。
先ほどの分かれ道まで戻って左へ曲がる道を歩き始めた。
壁に沿って進んでいくと、壁に奇妙な突起を見つけた。
腰よりほんの少し高い位置にあり、細い棒の先端に握り拳ほどの球がつく。
ドアノブ?
材質は分からないが、まさにドアノブと呼ぶものがついており、またそれを証明するかのように、壁には長方形の継ぎ目があった。
『PUB』
長方形の継ぎ目には、目の高さのあたり、金属の板が張りついている。
その板に描かれた模様が『PUB』だ。
何だろう、これは文字だろうか? 見た事がない。
アシューテの使う記号に似ているような気がするが……。