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142話 ロバウの実

 白みがかった透明な床にそって歩く。

 アシューテの持つムーンクリスタルも同じ方向を指し示している。

 間違いない。ムーンクリスタルはこの先だ。


 ふと前方になにかが見えた。

 長く伸びる床に色がついている。

 うすい赤と白だ。ある場所を境に白濁した透明な床が、赤と白のまだら模様に変わっているのだ。

 なんだ? あれは?

 床が色を変えたにしては違和感がある。

 でこぼこした印象だ。


 やがて、進むにつれ、正体が分かってきた。

 花だった。白と赤の花が床一面に咲き乱れていた。


「花だ! ねえ、アニキ花だよ!!」

「ああ」


 はしゃぐアッシュの肩に手を置く。

 まさか走りだしはしないだろうが、念のため。


「泉がある!! ねえ、パリト、これって!」

「そうだな……」


 花に埋もれるように泉があった。

 泉の水は澄んだ青色で、周囲の花を淡く映し出している。


 ムーンクリスタルの伝説どおりだ。

『神の涙、ムーンクリスタルは迷宮の奥底に眠る。枯れることのない泉、そのほとりに咲く花、その花のつぼみが宝石を包み込む』

 その光景が、今まさに広がっているのだ。


 ――だが。


「リン、花の色は何色だ?」


 リンに尋ねる。

 わたしの予想が正しければ、おそらく――


「え? 色? 薄い紫だけど……」


 やはりな。

 その花の色はすみれ。

 母とわたしが好きだったと、みなに伝えたすみれの花だ。※(136話参照)


 ……とんだ茶番だな。

 アシューテに目配せすると、神経を研ぎ澄まし気配を探る。


 そこか!

 スローイングナイフを投擲すると、なにもない空間にとつじょ手が生える。

 それは、わたしのナイフをいともたやすく掴み取ってしまう。


「カー、相変わらずいい勘してやがる」


 グニャリと空間が歪み現れたのは三人の男。

 フェルパ、セオドア、そして、二回りほど大きなわたしの複製体だ。

 複製体の手には、わたしが投擲したナイフがある。

 掴み取ったのはコイツか。力だけでなく反射神経も、わたし以上かもしれない。


「な、言っただろ? あれぐらいで諦めるヤロウじゃねえって」


 そう言ったのはフェルパだ。

 何をエラそうに、ウソつきヤロウが。


 まあ、ウソをついたのは、わたしも同じだがな。

 誰が裏切ってもいいようにウソの情報を教えた。

 すみれの花だ。

 その情報に引っ張られ、皆すみれの花の幻影を見たのだ。

 

 だが、わたしにとって思い出深い花はコスモス。

 母が好きだったのは、本当はコスモスだ。赤と白のコスモスの花を母はこよなく愛していた。


「チャチな幻影だな、セオドア。まだそんなものが通用すると思っていたのか?」


 セオドアが幻影に花を選んだのは偶然に過ぎない。

 だが、内情が筒抜けになっているのならば、これを選ぶ可能性が高いと踏んでのことだ。

 だが、あえて教える必要もない。幻影魔法を使いにくくするだけでいい。

 どうせ、ここで決着をつける。

 もう二度と幻影に惑わされることもない。

 

「カー、言ってくれるねぇパリトちゃん。だが、その程度で勝ち誇――」

「Eye of a storm」


 セオドアの言葉を遮るようにアシューテの詠唱が響いた。

 暴風があたりを駆け巡る。

 セオドアたちは、素早く床に伏せた。


 フン、お喋りだな。そんなもので防げるか。

 幻影を見破るだけで終わるつもりはない。わたしが求めるのは見破った先になにを仕掛けるかだ。


 フトコロからクサリを取り出す。

 フェルパが置いていった魔道具のクサリ。


「チィ!」


 セオドアは跳躍した。風を利用して距離を取るつもりだ。

 だが、遅い。

 もうクサリは投擲した。


 セオドアは風にあおられ上空に消えた。

 わたしの複製体もそれに続く。

 次にフェルパだ。飛び上がって風をその身に受ける。

 だが、彼が上空に浮かぶことはなかった。

 わたしの投擲したクサリが足に絡みついたからだ。


「うっ! クソッ!」


 そう容易く逃げられると思ったか、フェルパ?

 裏切りの代償はそんなに安くない。


 わたしが狙ったのはセオドアじゃない。

 お前だ、フェルパ。まずお前という戦力をそがせてもらう。


「ぐっ!」


 クサリを強く手繰り寄せると、フェルパはズドンと床に落ちた。

 それを、さらに手繰り寄せていく。

 フェルパは這いつくばり、爪を立てるように抵抗するも、そんなことでは止められない。

 着実に一巻き一巻き、クサリを巻いて引き寄せていく。


「ククッ!」


 因果応報だなフェルパ。

 クサリと我ら。お前が捨てたものによってお前は命を落とすのだ!


 スラリと剣を抜く。

 もう逃げられない。逃がしはしない。


「フェルパ! よくも裏切ってくれたわね!」

「アンタにゃ(むく)いを受けてもらうよ」


 リンとシャナがフェルパに詰め寄る。

 フェルパは足に絡みついたクサリを必死で外そうとしている。


「フェルパ、ねえ、どうして?」


 アッシュが悲痛な表情で語りかけた。

 その瞬間、フェルパの表情も変わった。どこか後ろめたい表情へと。


「どうしてなの? なんでセオドアについたの? アニキとならここを脱出できるよ。なんで、セオドアとじゃなきゃいけなかったの?」


 アッシュが尋ねたのはセオドアを選んだ理由。

 たしかに、そこは気になる。まだ我らが知らぬ謎がジャンタールには残っているのだ。


「フー、どうしてか……」


 フェルパはそう呟くと、(ほど)こうとしていたクサリから手を離した。

 観念したのか?

 彼はそれから言葉をつなぐ。


「仕方がねえのさ、ジャンタールってやつは誰かの犠牲で成り立ってる。回顧録にはこう記されていた。地平線より昇った太陽が我らを照らす。されど地表へと撒いた種はその――」


 ゲブリという声と共にフェルパは言葉を切った。

 原因はナイフだ。わたしが投げたナイフがノドに突き刺さったからだ。


 恐れ入ったよフェルパ。最後の最後まで我らを(あざむ)こうとするとは。

 だが、その手は通用しない。神殿ですでに学習済みだ。


 詠唱の続きはセオドアに聞かせてやってくれ。

 すぐに、後を追わせてやるから。


「セオドアによろしくな」


 フェルパのもとへ歩み寄ると、その心臓に剣をつき立てた。


 みな、言葉を発さない。

 呆然(あぜん)とした表情で、わたしを見るのみだ。


 すまんな。だが、立ち止まっているヒマはない。

 周囲を見ればセオドアの姿はない。わたしの複製体の姿も。


 どうやったか分からぬが、あの暴風の渦から逃れたようだ。

 じきにやつらが来る。それまでに準備を整えておくのだ。


 動かなくなったフェルパの懐をさぐる。

 わたしの勘が正しければ、おそらく、こいつは何かを隠し持っている。切り札になるような何かを。

 気まぐれなセオドアに全てを託すほど、この男はお人よしではない。


 そうして探すうち、小手の内側に隠されたビンを見つけた。

 小さい小さいビン。

 注ぎ口はコルクで栓がされている。


 コルクをひねって栓を抜く。

 ロバウの実の香りがした。


「見つけた」


 ロバウの実は煮詰めると強力な毒となる。おそらくジャンタールに入る前から持っていたのだろう。


 以前のフェルパの言葉を思い出す。


「大将、毒の心配はいらねえぜ。なんたってジャンタールの水は毒を中和するんだ。セオドアだってよく分かってる」(88話参照)


 毒を否定しておいて、毒を隠し持つ。なかなかどうして、やるではないか。

 中和できるとて、戦いの最中、水を飲むのは難しい。

 この戦いでは、十分なアドバンテージになる。


 毒を剣に垂らすと、布でうすく塗り広げる。


「アッシュ!」


 アッシュにビンを手わたす。

 もちろん矢じりに塗れとの意味だ。


 さあて、これで五分の戦いにもっていけるか?

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殺人鬼がパンデミックの謎にせまる物語です 殺人鬼アダムと狂人都市
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