139話 いくさおの
漆黒の扉から出てきたのは筋骨隆々の大男だった。
巨大な戦斧手に持ち、体に身につけてるのは粗末な腰ミノのみ。
しかし、男の頭部は人間のものではなかった。
牛だ。白い雄牛の頭がついていた。
コイツは……おとぎ話で聞いたミノタウルスそのものだ。
しかも、出てきたのは二体。われらを見つけると、フシュ―と荒い息を鼻から吐く。
マズイ、このままでは確実にやられる。
二体のミノタウルスはゆったりとした足取りでこちらに向かってくる。
クソ! あいつらは普通に動けてやがる。
こちらは、わたしですら立っているだけで精一杯だ。
引きつける床の力はすさまじく、戦うどころか逃げることすらできそうにない。
「ググググ」
考えろ、考えろ。なにか打開策があるはずだ。
フェルパはなんともなかった。ワナを無効化する手段がきっとあるはずだ。
フェルパの姿を考えろ。
なにかの違いを見つけるんだ。
フェルパのヨロイは革。
……もしや、金属か?
磁石が鉄を引きつけるのと同じように、床が金属を引きつけている?
――いや、それはない。革ヨロイも留め金は金属だ。金属が引きつけられるなら革ヨロイといえども引きつけられる。
それに革ヨロイならシャナもアシューテも着ている。
ヨロイが理由なら二人も地面に這いつくばっていない。
そもそも、フェルパはレイピアを持っていた。ならば、金属は関係ない。
クソ、時間がない。
ミノタウルスは着実にこちらに近づいている。
はやく答えを出さないと間に合わない。
なにか見落としはないか。
周囲を見渡す。
ふと、フェルパが踏み潰したランタンが目に映った。
金属製のランタンだ。そして、その奥、金属のクサリも見えた。
あれはフェルパの魔道具か?
なぜ、置いていった?
やはり金属が引きつけられるのか?
――いや待て、よく考えろ。
石碑の文言だ。あれには、なんと書かれていた?
『古き衣は羽根より軽く、新しき衣は鉄より重い。ジャンタールの全ては私の手の中に』
古き衣……。
まさか。
ここでアッシュとフェルパのやりとりを思い出した。
神殿の炎の床のワナで、重さに等しきジェムを捧げろと求められた時だ。
「ボロっちいヨロイ着てるからフェルパが一番安いかもしれないじゃん」
「ボロって言うな。年季が入ったと言え。前も言ったが俺はこれが気に入ってんだよ!」
『古き衣』
そうだ、考えれば不自然なのだ。
何年も前に来たはずのフェルパが、なぜ、いつまでも古いヨロイをきているのだ。
ここにある武具は品質がよいものばかりだ。迷宮の攻略を考えるなら、とうに買い替えてなきゃおかしい。
気に入っているかどうかは問題ではない。現実主義者のフェルパならそれぐらい分かっているはず。
……買い替えないのではなく、買い替えてはいけないのだとしたら?
そうだ。セオドアだ。
やつも使い込まれた革鎧に、古びたブーツだった。
金に困っていないセオドアが、なぜそんな防具をいつまでも使い続ける!?
『ジャンタールの全ては私の手の中に』
ジャンタールで手にした物が重みを増すと知っていたからだ。
だから、武器防具を買い替えなかった!
そう考えればいろいろ辻褄が合う。
ここに来た時、セオドアに荷物を奪われそうになった。
やつは多くの者をサッキュバスのいた夢の館に誘い込んで荷を奪っていた。
なぜ、地下五階を行き来できるほどの者が、不慣れな者の荷物を奪う?
必要だったからだ。
このワナを超えるためにはジャンタールで作られたもの以外で身を固める必要があった!
あわてて小手をはずす。
はずした手が途端に軽くなった。
やはりか。
続いてヨロイを脱ぐ。流体金属のヨロイは引っぱると変形、すんなり脱ぐことができた。
次はブーツ。
どんどん体は軽くなっていった。
「みな、身につけているものをすべて捨てろ! 武器、ヨロイ、下着もすべてだ!!」
そう伝えると、着ている服をすべて脱ぐ。
――軽い。
いままでの重さがまるでウソのよう。
「わわっ、ちょっと待って!」
どうやら、ミノタウルスはアッシュを狙ったようだ。
ヨロイを脱ごうとしている彼に迫りつつある。
イカンな。あれでは間に合わない。
「牛ヤロウ! こっちだ!!」
気を引くように大声をあげると、アッシュとミノタウルスの間に入る。
なんとか時間を稼がねばならない。
少なくとも、みなが身につけているものを脱ぐまでは。
だが、わたしが持っていた剣もヤリも、床に吸いついて離れなかった。
はたして武器も防具もなしで、どれだけやりあえるか。
きた!
ミノタウルスが巨大な斧を振るった。速い! 後ろに飛んでなんとかかわす。
ブオンと空気を切り裂く音がする。
あの重そうな斧が、まるで小枝のようだ。
さらに、ミノタウルスは踏み込んでくる。
二度目の斬撃だ。これをなんとか避けるも、構えた腕をうすく切られた。
強い。速度も力もケタはずれ。
息つくヒマもなく、三度目の斬撃が目の前に迫っていた。
よけろ! そして、踏みこめ!
守っていては、時間稼ぎすら不可能だ!!
三度目の斬撃を飛び込んでかわした。戦斧の柄が、ゴリリと肘をえぐる。
ニブイ痛み。だが、スキができた。ミノタウルスのアゴへ掌底を叩き込む。
ガキリと石を叩いたような感触。
ミノタウルスは身じろぎもしなかった。
なんて硬さだ。
ミノタウルスは肘をたたんでコンパクトに斧を振りぬいてくる。
ミノタウルスの膝を前蹴り、後方に飛んでその斧をかわす。
ふ~、コイツは厳しい。
素手で倒すのは至難の業だ。
関節をとればあるいはだが、止まればもう一体に斬られてしまう。
そのもう一体が斧を振るってくる。
これも連続攻撃だ。辛くもさけるが、紙一重。
これではつかまるのも時間の問題だ。
チラリと目を移すと、リンもアッシュもヨロイを脱いでいた。
だが、シャナとアシューテはまだだ。
彼らのヨロイは流体金属のように伸びない。身動きが取れない状態で留め金を外していかねばならない。
厳しい戦いだ。
あと何回、斬撃をかわせるだろうか。
それに、彼らが動けるようになったとしても、武器を持てない状態では援護に期待ができない。
どうする?
最善手は逃げることだ。
とにかく時間を稼いで、みなと逃げる。
だが、荷物は全部置いていかねばならない。
武器防具はおろか、セキュリティーカードすらも。
すべてを失うこととなる。
ジャンタールを脱出するには、また一からやり直さねばならないだろう。
神殿のワナを抜け、ゴルゴーン三姉妹を倒し、セキュリティーカードを手にいれる。
ジェムすら失った状態で――また。
ミノタウルスが巨大な戦斧を振るってくる。
今度は二体同時だ。大きく飛んでかわすも交互に斧を振るってくる。
マズイ、マズイ。
これ以上かわすのは難しい。
クソ!
武器さえあれば!
あの戦斧に対抗できる武器さえあれば!?
「ブバ~」
そのときロバが鳴いた。
荷物が重いとわたしを呼んでいるのか?
そうだ。ロバも連れていかねば。
シャナ、アシューテだけじゃない。ロバの装備や荷物を下ろすまで持ちこたえねばならぬ。
かわせないじゃない、かわすんだ。
あの戦斧をどうかわすかを考えろ。
――が、ここで、ふと何かが引っかかった。
自身の思考に淀むモヤのようなものがある。
なんであろうか?
シャナ……ロバ……戦斧……。
そうか! 戦斧だ!!
やつらと戦う武器ならある!
「牛ども! ついてこい!!」
ミノタウルスに背を向けると、ロバに向かって駆けだす。
背をむけられれば追うのが捕食者の本能だ。
案の定、振り返れば、ついてくる二体のミノタウルスの姿が見える。
よし、引きつけたぞ。
だが、わたしの考えが間違っていれば、わたしとロバは助からんがな。
全力で走る。チャンスは一瞬。マゴついていれば斧の餌食だ。
ロバに駆け寄ると荷台に差した一本の戦斧に手をかける。
こいつはレオルが持っていた戦斧だ。
シャナが形見にと荷台に乗せた。
ジャンタール産じゃない。これならば――
レオルの戦斧を引き抜く。
よし! 持てた!!
振り向きざまに戦斧を振るった。
メキリと砕ける感触。
背後に迫ったミノタウルスの顔面を粉砕した。
地面へと崩れ落ちるミノタウルス。その心臓へ渾身の一撃を振り下ろす。
血は出なかった。
だが、高い声で鳴くと、ミノタウルスはそれっきり動かなくなった。
あと一体。
残ったミノタウルスとにらみ合う。
仲間がやられたことで慎重になっているのか、すぐに攻めてこない。
フン、来ないならこちらから行かせてもうらおう。
戦斧を振るうと、避けそこなったミノタウルスの右足を粉砕した。
じゃあな。さよならだ。
バランスを崩したミノタウルスは膝をつく。その脳天に斧を振り下ろすのだった。