138話 罠の正体
星の海の中を歩くことしばらく、ムーンクリスタルが輝きを増してきた。
やはり方向は合っていた。目的地に確実に近づいていると感じる。
われらの気力、体力ともに十分だ。
食糧、水、治療薬もたらふくある。
探索には申し分ない。ただ、気になるのはセオドアの動向だ。
ムーンクリスタルに近づけば近づくほど、ヤツが仕掛けてくる可能性が高くなる。
その可能性が最も高くなるのが、セオドアがムーンクリスタルを手にいれた瞬間だ。そこが一番戦力差が大きくなる。
しかし、気になるのはヤツがなぜ、迷宮の先を知っていたのか。
塔を知るにはゴルゴーン三姉妹を倒す必要がある。ヤツはとうの昔に倒していたのか?
――いや、そうは思えない。
幻影魔法を持っていたとしても倒せるような相手ではない。
あるいは姿を隠してやり過ごした?
それも考えにくい。
幻影魔法であの敵とワナを抜けられるとはどうしても思えないのだ。
なにか大事なことを見落としている。
そんな気がしてならない。
ふと、前方に何か見えた。
四角形を縦に引き延ばしたような形のものだ。
床に置かれている?
床が見えないためはっきりしないが、なんらかの建造物に思える。
なんであろうか? 注意しながら近づいてみると、すぐにその正体が判明する。
「石碑……か?」
石に似た質感で、幅はわたしが両手を広げたほどの長さだ。
高さはわたしの背の二倍ほどだろうか、先端が尖るように角を落としてある。
「なんか書いてあるぜ」
フェルパの言うように、表面になにやら文字が刻まれていた。
縦に三行、ジャンタールの文字だった。
「運命の天秤が引き合うとき、新たな道が開けるだろう。左の秤には欺瞞を右の秤には嘲りを。逃れられぬ死を乗り越えた先に希望があらんことを」
アシューテが分るように訳してくれた。
どうやら、またナゾナゾのようだ。なんともメンドクサイ。
とはいえ、解かねば先に進めなくなるのだろう。
「これで最後にしてほしいね」
「まったくだ」
フェルパと軽口を言い合う。
とはいえ、グチっていてもしかたない。
まずは文の意味を考えてみるか。
運命の天秤。
よく分からないが、はかりになにかを乗せるのだ。
そうすれば書いてある通り道が開ける。
だが、問題は釣り合うではなく、引き合う。
微妙に言葉が違う。
それに乗せるのは欺瞞と嘲りだ。
そんなものをどうやって乗せる?
しばし考えたが結論は出ない。
「まずは天秤とやらを探そうや」とのフェルパの言葉でとりあえず先に進むことにした。
「ムッ」
石碑の横を抜けて数十歩、さっそく突き出したヤリに何かが触れた。
手で確認してみたところ平らな壁のようなものがそびえたっていると分かる。
「透明の壁か」
床と同じ材質なのだろうか? 確かにそこにあるものの目には映らず、ただ無数の星々の輝きが透けて見えるだけである。
「行き止まりか。だが、天秤はどこだ?」
周りを見回してもそれらしきものはない。
「ねえな」
「ないねぇ」
誰が見ても天秤の天の字もない。
「横へは行けるか?」
前には行けない。なら、横はどうか?
みなで透明な壁をつたって歩いた。
すると壁は、左右どちらにも長く続いていることが分かった。
「大将、どっちに行くよ?」
ふむ。アシューテの持つムーンクリスタルが指すのは透明な壁の向こうだ。
右に行こうが左に行こうが、それていくのは変わらない。
「左だ」
分かれ道ではたいてい右を選択してきたが、ここはあえて左を選択した。
もし、わたしの行動がセオドアに知られているとすれば、これまでとは違う選択をすべきだろう。
そうして、左に進むことしばらく、先ほど見た建造物と同じものを見つけた。
直方体で先端は尖っている。表面には文字。
ただ、文面はだいぶ違っていた。
「古き衣は羽根より軽く、新しき衣は鉄より重い。ジャンタールの全ては私の手の中に」
む? ここもなぞなぞか?
先ほどの謎とは別の謎だろうか?
それとも、いくつかの謎が重なってひとつの答えになるのか?
「なんだいこれ? どういう意味だい?」
シャナは首をかしげていた。
たしかに、意味は分からないな。重さに関する謎だろうが、現時点ではなんともいえない。
これまでのパターンならこの後に待ちかまえているワナのヒントになっているはずだ。
現物を見なければ分かりようがない。
ただ、なんとなくだが、嫌な感じがした。これまでとは違う妙な胸騒ぎみたいなものを。
「天秤ってやつがまだ見つかってねえな。どうする大将? まだ進むか?」
そうだ、フェルパの言うように天秤がまだ見つかっていない。
さらに周囲を探索する必要がある。
しかし、この石碑、どうにも引っかかる。
石碑そのものではない。書かれている文章がやけに気になった。
『私』……か?
そうだ。これまで示された文章は、迷宮を探索する者のみに主軸が置かれていた。
探索者が取るべき行動が描かれていたというか。
だが、この文面は違う。あなたではなく私。「私の手の中に」と、書いた者の存在を強く感じるのだ。
「いや、いったん引き返す」
どうにも嫌な感覚がぬぐえない。
進んでいない右側。あちらを先に探索することとした。
そして――
「古き衣は羽根より軽く、新しき衣は鉄より重い。ジャンタールの全ては私の手の中に」
反対側へ進んでみたものの、同様の石碑があり、書かれている文面もまったく同じだった。
こいつはどういうことだ?
どちらに行っても同じなのか?
しばし、みなで考えたが結論はでなかった。
先には進まず周囲の探索もしたが、とくになにも見つからなかった。
残すところは左右ともにある碑文の先だけだ。
「行くしかねえんじゃねえか?」
たしかにな。
いまさら街に戻ったところで意味はない。
フェルパの言うように進むこととした。
――――――
「フェルパは右に注意、シャナは左。適度に距離をあけろ」
なにかあったときのために、固まらないようにした。
だが、すぐ手助けできるように離れすぎてはいけない。
五感を研ぎ澄まし、違和感を見逃さないようにする。
音、匂い、温度、空気の流れにも気を配って進む。
……ワナらしきものは今のところ見つからない。
天秤とやらも見つからない。
「おい、ありゃなんだ?」
そのとき、フェルパ前方を指さした。
注意をむける。だが、なにも見えない。
「なんだ? なにが見えた?」
「火ぃ消してみろ」
フェルパはこの火を消すんだとばかりに、持っていたランタンを左右に大きく振った。それから、フゥと息を吹き込み火を消した。
われらも言われた通り火を消す。
……なにかある。
いや、あるというよりないと言った方がよいのだろうか、フェルパが指さしていた先に星の光がない場所があった。
おそらく、あそこになにかがあるのだ。
それが星の光を遮って、黒く抜けたように見えている。
「扉……か?」
その形は扉だった。
もしや、天秤はあの先にあるのか?
近づくべく一歩踏み出す。
――が、その時!
とつじょ、からだに衝撃を感じた。
全身に何かが、重くのしかかる。
相当な重さだ。
とても立っていられず膝をつく。床へ落ちたランタンがグシャリとひしゃげた。
「なんだい……こ……れ」
どうやら、わたし以外も重みを感じているようだ。
みな押しつぶされるように地面に這いつくばっている。
「息が……苦しい」
「なに、これ。なんで……」
不思議なことに皆の上にはなにも乗っていなかった。
もちろん、自身の体の上にも。
これは何かにのしかかられたんじゃない。
自分自身が重くなっているんだ!
コイツはワナだ! あの石碑に書かれている文面がこれか!!
重さはますますひどくなっていく。
わたしも膝をついた状態では耐え切れず、這いつくばってしまう。
マズイ、いまここを狙われたら避ける術がない。
――そのとき、誰かの声が聞こえてきた。
この声はまさか。
「大将……悪いな。ほんとうに悪いと思ってる」
フェルパ!!
見れば彼はまるで重さなど感じていないように平然と立っていた。
「大将、すまねぇなあ。俺は違う道を歩ませてもらう。ここでお別れするのは寂しいが、まあ、これも運命。笑顔で見送ってくれや」
そう言って白い歯を見せるフェルパ。クソッ、裏切りか!
まさかこのタイミングで!!
じつのところ誰かの裏切りは予想していた。
セオドアの動きが不自然だったからだ。あまりにもわれらの先回りをしすぎていた。
内通者がいるのではないかと疑っていた。
それが誰かまでは分らなかったが、フェルパが一番怪しいと思っていた。
だが、タイミングは読めなかった。まさか今ここで行動に移すとは!
動くならセオドアと直接対決のときだと思っていた!!
「ちょ、どういうことだい。なんでアンタだけ平気なんだい!? それに、アンタまさか裏切る気かい!」
「裏切るってのはちょっと違えなあ。俺ぁ最初からセオドアと組んでいたのさ。元んとこに返るだけだ。まあ、ことと次第によっちゃあ、こちらに付いてもよかったが、俺の天秤は結局セオドアに傾いたってこった」
シャナの叫びも何処吹く風。フェルパは自身の落としたランタンをグシャリと踏み潰す。
――ランタン。そうか、あのランタンを左右に大きく振る動きは合図だったか。
我々の位置をセオドアに教え、セオドアが動き、ワナが発動した。
「大将、アンタずっと俺を警戒していたよなぁ。伝わってたぜ」
警戒して当たり前だ。
フェルパ、おまえの行動にはずっと疑問があった。
伝えるべき情報を伝えず、われらの進路を操作しようとしているのではないかと。
地下五階への階段のときなどがそうだ、あえて階段を教えずわれらを坑道へと導いた。
また、その先の治療施設へと入るカギを持っていることもギリギリまで教えなかった。
さらにはセキュリティーカードを手に入れたときだ。
行き止まりかとフェルパは憤慨していたが、セキュリティーカードを手に入れたとたん落ち着いた。
おかしいではないか。それではまるで、最初からセキュリティーカードが目的だったみたいだ。
その後、街に帰ろうと提案したのもフェルパだ。もうこれ以上ここにはなにもないと分かっていたみたいだ。
フェルパは塔の入口を知っていたのだ。そこでセキュリティーカードを使うことも。
だから、わたしに街を散策するように提案した。怪しまれぬよう私自身が塔の入口を見つけるようにも仕向けた。
そうだ、これでセオドアが塔で待ちかまえていた説明もつく。
塔へはセキュリティーカードがなければ入れない。
だからフェルパは自身のカードを渡したのだ、セオドアに。
みながセキュリティーカードについて調べようとバラバラに行動した時を狙って。その時ならば、誰も不審に思わない。
そうか、セオドアが絶妙なタイミングでアジトを畳んだのも、フェルパが教えたからだ。
われらの行動はフェルパによって筒抜けだったわけか。
「そうニラむなって。俺だってつれえんだぜ。でもこうしなきゃ出られねえんだ。ジャンタールってのはそう出来てる」
「ほざくんじゃないよ! このクズやろうが!!」
シャナは怒り心頭だ。
彼女にとっては裏切りは三度目。怒りもその分、激しいだろう。
「いいさ、べつにクズでも。俺ぁジャンタールを抜けれらればそれでいい。たとえ誰を犠牲にしようともな」
「な!!」
フェルパのやつ、すがすがしいほどの割り切りだ。
いいだろう。ならば、わたしも割り切らせてもらう。
キサマは今から完全なる敵だ。
「フェルパ、ひとつ聞きたい」
「なんだ?」
確かめておかねば。
なぜすぐにわれらを殺そうとしないのか、なぜフェルパだけなんともないのか、フェルパはどこへ行こうとしているのか、なぜセオドアを選んだのか、そのセオドアはどこにいるのかなど疑問は山ほどあったが、おそらく聞いても答えまい。
聞くのなら別の質問だ。
「セオドアはなぜ迷宮の先を知っていた? どうやって塔の仕掛けを知り得た?」
ずっと気になっていた。
これだけは聞きださねば。
フェルパは一瞬考える素振りを見せたが、すぐに口を開いた。
「違うんだよ、大将。そいつは順番が違うんだ」
「順番が違う?」
「知っていたのは俺さ。俺の名前はフェルパ・カー・ドレモス。バラルド一世の子孫さ」
ドレモス!
ドレモス子爵家か!
初代皇帝の血を引く一族はいくつもあるが、ドレモス家はその中のひとつだ。
「陛下はな回顧録を残していた。ジャンタールの足跡が記されている回顧録だ。俺ぁ子供のころから散々それを聞かされて育ったのさ」
そうか!
バラルドはジャンタールを攻略した唯一の人間。
だからジャンタールのこと、塔のこと、すべて知っている。
その回顧録を読んだフェルパも当然、知っているわけか。
……まてよ。
その情報をセオドアに教えたのがフェルパだとすると、仲間に引き入れたのはフェルパの方か?
セオドアに利用されたのではなく、むしろフェルパがセオドアを利用しているのか?
――もしや、すべての企みはフェルパの仕業か?
シャナを廃坑に置き、わたしの複製体を手にいれるべく画策したのもフェルパ。
セオドアは単なる実行者。
「なあ、大将。世の中ってやつは不公平にできているよな」
「フェルパ! おまえが!!」
襲いかかりたいところだが、体を起こすので精一杯だった。
とても剣など振れそうもない。
「スゲーな、動けるのかよ。そんなやつぁいま殺しちまいたいところだが、そうもいかなくてな。アンタが死んだら扉が閉まっちまう。追ってくるなよ。まあ無理だとは思うがね」
フェルパはそう言うと来た道を引き返していった。我らを残して。
反対方向?
扉の先ではないのか?
なぜ?
その瞬間、石版に刻まれた言葉を思い出した。
『運命の天秤が押し合うとき、新たな道が開けるだろう。左の秤には欺瞞を右の秤には嘲りを。逃れられぬ死を乗り越えた先に希望があらんことを』
天秤……そうか天秤か!
意味が今、分かった。
今いる場所が天秤なのだ。真ん中の石碑を支点として左右に天秤の腕が伸びる。
その先、すなわち左右にある石碑の先が天秤の皿。
一つの皿にはわれわれ、もう一つの皿にはセオドアがのる。
そして、どちらもワナが作動し、地面に引かれ合って扉が開く。
欺瞞と嘲りはこれか。
仲間を二つに分けろとの意味か。
――そのとき、ギギギと何かが開く音がした。
見れば星を遮る黒い扉が開き、中から巨大な斧を持った巨大な人影がヌルリと現れた。