決断
マークランドは4名の回復を待って事件の聞き取りを行った。
そこで驚くべき事実が判明する。
何と、魔術師ロックウェルを村に招いたのはマツであるというのだ。
負傷者4人は口々にマツを恨んでいる言葉を投げかけた。
マークランドは、マツが村人を助けるために尽力した事を説明したのだが、あれだけの村人が死んだのだ。簡単には恨みが消えるはずもなかった。
しかも、助かったのは全員女であり、後継者となるべき男は全員殺されたため、事実上アサシンの村は滅びたのであった。
マークランドはアサシンの業を失うのは忍びないとし、この4人をマークランド直属の諜報員として登用する事を約束した。
4人は命を助けてもらった上に、働き口まで世話をしてくれたマークランドに対して、厚い恩義を感じて涙を流して絶対忠誠を誓った。
勿論、マークランドは「そんなに気にしなくてもいい」と言ったのだが、4人は主君マークランドのために命を捧げると言って譲らなかった。
次にマークランドは大広間にマツを呼んで事情を聴いた。
「どうして魔術師を村へ呼び入れたりしたんだい?」
マークランドは檀上の玉座に座って質問する。
赤絨毯の上で片膝を付いて畏まったまま反応しないマツ。
業を煮やして壁際に控えていたグレンが口をはさむ。
「マツよ。マークランド様が尋ねておられるのだ。すぐに答えよ」
マツはグレンの言葉にも反応せず、うつむいていた。
「マツ。黙っていては話が先に進まない。僕は事実が知りたいだけなんだ。キミが話したことで誰かを処断することも無い。だから安心して話して欲しい」
マークランドが優しい口調で説き伏せる。
マツは顔を上げると涙ながらに語り始めた。
「私は15歳の時に普通の生活に憧れてあの村を出たんだ。だけど、小娘が一人で生きて行けるほど世間は甘くは無かった。私は生きるために何でもした。殺し以外の悪い事も一通りやってきた。その甲斐あってある町の有力者に認めてもらい、商売ができるまでになった。私は働いた………一生懸命に働いた。だが、その有力者は私が稼いだ金を巻き上げると、使い捨てるように私を町から追放したのさ。私は僅かな金を握りしめて途方に暮れた。気が付いたら故郷の村に足が向いていた……」
マツは自分の生い立ちを淡々を語っていた。
「……その時、一人の黒いローブを着た男が声をかけてきた。男は懐から金貨が沢山入った袋を見せながら、仕事を依頼したいからアサシンの村に案内して欲しいと言ってきた。だが、掟では部外者を村に入れる事は禁止となっているのでそう男に伝えたが、気が付くと黒いローブを着た男は村を攻撃していた。そこで私は魔術師に催眠術を掛けられて村まで案内してしまったのだと悟った………そうだ……私があの魔術師を村に案内したんだ……村を全滅させたのは私だ!」
マツはそう言うと突っ伏して泣き出した。
マークランドは、トゥーランドの隣で小さい体を更に小さくして並んでいたルイザベートに、今の話について見解を求めた。
「はい……恐らく金貨の袋を見せられた時、マツさんは心のどこかで欲が出たのだと思います。魔術師はその心の隙を突いて催眠術を掛けて村に案内させたのだと思います」
「なるほど……」
マークランドは頷くと、泣いているマツに向かって話しかける。
「マツ……この度の惨劇は魔術師が仕掛けた陰謀だ。キミは魔術師に利用された被害者だ。気に病むことはない。だが、そう言ってもキミは自分を責め続けるだろう。だったら、僕の部下になれ。キミが背負った罪を僕も一緒に被ろうじゃないか。それでキミの心に少しでも安らぎを与えられるのなら僕も嬉しい」
「マークランド……さ……」
マツが泣きながら顔を上げてマークランドを見つめる。
マークランドは笑顔を見せながら語りかける。
「負傷した村人も全員私の部下として、これまで磨いてきた業を諜報活動という形で発揮してもらうつもりだ。キミは……そうだな。私の護衛役というのはどうだろう?これからはグレンやトゥーランドも忙しくなるから、丁度そのような人材を探していたんだ。もちろん、マツが良ければだけどね」
マツは両手両膝を床につけた状態でマークランドを見上げ、涙ながらに口を開いた。
「あ……あなたは……自分を殺そうとした私を……そんな重要な役職に………本当に……本当に、私なんかが……いいの……?」
「勿論だとも。だが、護衛役としてはもう少し剣の修行が必要だ。本国に帰ってからは、しっかりと訓練に励み、王家の作法も学んでもらうことになるが、それで良かったらお願いするよ」
「ああっ……!」
マツはマークランドの懐の深さと人柄に涙が止まらなかった。初めて人のために尽くしたいと思った。
マツは涙でぐしゃぐしゃになった顔でマークランドを見つめると、大きな声で言った。
「マークランドさま、本当に感謝いたします………不束者ですが……何卒よろしくお願いします!」
マークランドは笑いながら大きく頷いた。
「よし。決まりだ。グレン、あの4名が完治次第、本国に戻る。それまでは、マツに護衛役の何たるかを教えてやってくれ」
「御意」
「トゥーランドは、あの4人に諜報活動について教義を頼む」
「承知いたしました」
「よし。解散!」
マークランドはオデッキオに駐留中、クシュチアに対する警備体制を強化すべく、トゥーランドと協議していた。
特にオデッキオとミストは、今後のソーシエンタールにとって、非常に重要な町となるため、設備面の強化は必須であった。
「何をするにしても、人が必要だな。本国から人を呼んで対応しよう。トゥーランドは優先事項を整理して必要となる人・工期・費用を一覧化してくれ」
「承知いたしました」
ふぅ……マークランドはトゥーランドが退出するのを確認すると、大きく息を吐いて自室の椅子にもたれ掛った。
そこにルイザベートが紅茶を入れて持って来る。
「ご苦労様です。マークランド様」
「ああ、ルイ。ありがとう」
そう言ってマークランドはカップを啜ると、もう一度大きく息を吐いた。
ルイザベートはお盆を両手で抱えながらマークランドに話しかけた。
「先ほど本国から早馬が来たようですが……」
「ん?気になるのかい?」
「いいえっ!そうではなくて、只でさえお忙しいご様子なのに、本国から早馬が来たという事は、更にマークランド様はお忙しくなられるのではと思いまして……」
「僕の体を心配してくれているんだね?ありがとう、ルイ。でも僕は大丈夫だよ……」
そう言いながら体を起こすと、紅茶を飲むマークランド。
「……この紅茶のおかげで元気が湧いてくるんだ」
マークランドの笑みを見て、自然とルイザベートも笑みがこぼれる。
「マークランド様ったら……ふふふ」
ルイザベートは「それでは失礼いたします」と言ってペコリと頭を下げると退出する。
マークランドは机の上に置いてある、先ほど本国の早馬が届けてくれた書状に目を落とす。
「一刻も早く本国に戻らなければ………」
マークランドは独り呟いた。
翌日、マークランドは大広間に全員を集めると、本国に帰還することを宣言すると共に、オデッキオの守りはトゥーランド、ミストの守りはグレンに一任すると、すぐに出立の準備を命令した。
二日後、マークランド一行はオデッキオを出発すると、一路、ソーシエンタール本国を目指し南下を開始した。
何事もなくグランナダを通過し本国に入ると、出発から一週間で王城まで残り40キロの所までやってきた。
すでに夕方となっており、マークランドは野営を命じた。予定では明日の昼には王城に到着するはずである。
天幕が設営され夕食の準備が進む。
今晩は満月のため、周囲が明るく照らし出されており、野営作業はスムーズに行う事ができた。
マークランドの天幕にマツが巡回にやって来る。
「異常は御座いませんか?」
天幕の外からマツが声を掛ける。
月明かりに照らされたマツの影が天幕に映りこむ。
「マツか?入っていいよ」
マークランドの声に、マツは「失礼いたします」と言いながら天幕の中に入ると、入口で片膝を付いて畏まる。
それを見てマークランドが声を掛ける。
「言葉使いといい、その所作といい、ちょっと前とはまるで別人のようじゃないか」
「はい。グレン様にみっちり教え込まれましたので……」
そう言いながら少し顔を赤らめるマツ。
マークランドはちょうど食事中のようで、テーブルの上には食べ物とぶどう酒が置かれており、ルイザベートが世話をしていた。
「王城は目と鼻の先だし、今晩は満月だ。僕を襲う奴なんていないだろうから、マツもゆっくりしていればいい」
「は、はい……」
マツは返事をするが、少し考え事をしているような様子に見えた。
「満月……襲う……マークランド……」
マツは独り言をつぶやき始める。
「どうしたんだい?具合でも悪いのか?」
マークランドがマツに声を掛けるが、マツはブツブツと何かを呟いている。
ルイザベートも何気なくマツに視線を送ると、ハッとしてマツの姿を凝視すると、マークランドに向かって叫ぶ。
「マークランド様!これは……!!」
ルイザベートが叫ぶのと同時に、マツが剣を抜いて突進してくる。
マークランドはすぐに立ち上がるが、陣中で食事中ということもあり帯剣していなかった。
マツの目を見ると焦点が合わず充血しているせいか目が赤い。通常の状態では無いことがすぐに察知できた。
そう───恐らく、魔術師が仕掛けた罠だ。
「催眠術──!!」
マークランドは全ての言葉を発する前にマツによって体を貫かれた。
「マツーーーっ!」
マークランドはマツの両肩を掴むと、その目を見て叫んだ。
ハッとしてマツは焦点を取り戻し、改めてマークランドを見ると、口から血を滴らせて自分を見つめているマークランドの顔があった。
「マークランド様……?」
マツはそう言って自分の手を見ると、両手で握りしめた剣が深くマークランドの腹部に刺さっているのが見えた。
「ひっ……!」
短く悲鳴を上げたマツは剣から両手を放して尻もちをつく。
「きゃああああ!」
ルイザベートの悲鳴と共に、マークランドの天幕に武装した兵士が入ってくる。
「マークランド様!ご無事ですか!?」
「すぐに医者の手配を!」
兵士たちが騒然とする中、マツは血みどろの自分の手を見ながら震えていた。
「貴様がやったのか!」
兵士がマツの髪の毛を鷲掴みにする。
「待て。マツは……自分の意志ではなく、催眠術によって、操られたのだ………僕は……その可能性に気付いていた………それなのに……防ぐことが出来なかった……マツ……すまない……」
マークランドはそう言うと、その場に崩れ落ちた。
「マークランド様!」
ルイザベートが兵士達を掻き分けてマークランドに近づくと、すぐに治癒の術式を展開する。
兵士がマークランドに刺さった剣を引き抜くと、その剣を見て愕然とした。
「こ、これは、フランベルジェ……」
フランベルジェとは、刀身が波打った両刃の剣で、その独特な刀身の形状から傷口はズタズタとなるため、殺傷能力が非常に高い剣であった。
「すぐにこの女を拘束せよ!」
兵士が縄で後ろ手に縛るが、マツはマークランドの名前を呼ぶだけで抵抗はしなかった。
「すぐにマークランド様を馬車で王城へお運び下さい!私一人ではお助け出来るかどうか……!」
ルイザベートが術式を展開しながら兵士に向かって叫ぶ。
「わかった。すぐに手配する」
野営地は大混乱となった。
マークランドが王城に運び込まれたのは深夜すぎであった。
ルイザベートのおかげで何とか命を繋ぎとめている状態のマークランドは、すぐに宮廷魔術師に治癒の術式を受ける。
ルイザベートも引き続き宮廷魔術師と共に魔法を行使する。
その甲斐あって、朝日が昇る頃にはマークランドの傷はほとんど癒えており、後は体力の回復を待つだけであった。
騒ぎに駆けつけたセーラムは治療にあたった宮廷魔術師や部下たちを労うと、マークランドが眠るベッドに近づく。
そこには疲れ果ててベッドに顔を伏せて眠るルイザベートの姿があった。
「ルイ……一度ならず二度までもマークランド様を助けてくれて、本当にありがとう」
そう声を掛けると、セーラムはメイドに命じてルイザベートを部屋へ運ばせる。
セーラムはドアを閉めて改めてベッドの横の椅子に座ると、マークランドの手を握ってその顔を見つめる。
「マークランド様……貴方のことだから、また誰かの為にご自分が犠牲になられたのでしょうね……」
セーラムはそう言うと、マークランドの手を、涙で濡れた自分の頬に宛がう。
「お帰りなさい………マークランド様……」
それから一週間後、マークランドの姿は玉座にあった。
その隣には、セーラムが微笑みながら並んで座っており、大広間には国の重臣が整然と並び、王子の回復を喜んでいた。
マークランドは全員に向かって礼を述べ、完全回復を宣言すると共に、今後はソーシエンタールの繁栄のために尽力することを誓った。
重臣たちは、少し前まではフラフラして政治には全く興味を持たなかったマークランドから、そのような言葉を聞くことが出来て、涙を流して喜んだ。
そして、改めてオデッキオとミストの従属化とクシュチア戦争の勝利について、お祝いの言葉が飛び交った。
尚、マツには宮廷魔術師による全ての催眠術を無効化する術式を受けさせ、本人には催眠術にも負けない精神力と更なる剣技の鍛練を命じただけで、罪には問う事をしなかった。
マツはマークランドの対応に心を打たれ、今では一心不乱に修行に打ち込んでいた。
また、ルイザベートは宮廷魔術師より正式に魔術師として認められ、ソーシエンタールの宮廷魔術師として証明書を発行された。
そして、いよいよゾロウ3国に対して、決断をする時が来た。
この一週間、マークランドは療養中にセーラムがまとめた資料に目を通し、各方面から広く意見を聞いていた。これを踏まえて、今、自分の思いを口にするのだった。
「我が国はゾロウ4国の中では一番脆弱な国であった。その原因は脆弱であることを理由に向上心を持たず、ただ連邦に組していれば安泰であると考えていたためである。だが、今はグランナダ、オデッキオ、ミストを支配下とし、他3国にも引けを取らないほどまでに我が国は成長した。これも皆の献身的な協力があってこそだと私は考えている。改めて礼を言わせてもらう」
大広間には歓声と拍手が鳴り響いた。
マークランドは檀上で右手を軽く上げてそれに応えると、スッと右手を降ろした。それに合わせて歓声や拍手も鎮まる。
再びマークランドはしゃべり始める。
「そんな我が国に対して、ゾロウ3国はあと1年ほどの間に国替えをするよう要求してきた。私はこんな理不尽な要求は断固として突っぱねるつもりだが、3国は我が国と戦争をしたくてうずうずしている。だが、フライムダルの動きが気になるため、自分たちからは戦争を仕掛けることができないのだ。そこでこのような無茶な要求をすることで、ソーシエンタールから戦争を仕掛けてくれれば、彼らは自国防衛という大義名分によって堂々と戦争をすることができるのだ」
マークランドは一度全員を見渡すと続けた。
「しかし、我々は以前の脆弱な国ではい!ここ数十年の中で、ゾロウ連邦としては、唯一、我が国だけが何度も戦争を経験しており、あの強国であるクシュチアとも互角以上に渡り合った実績がある!そんな我らが、どうして今なおゾロウ連邦の中で虐げられなければならないのか!?我らは脆弱か!?」
『否!』
クラヴマンら数名が声を上げて応える。
マークランドは再度大きな声で問う。
「我らは脆弱かっ!?」
『否っ!』
全体の半数ほどから声が上がる。
マークランドは立ち上がると、握り拳を作って全員を見渡しながら口を開く。
「もう一度聞く。我らは脆弱か!?」
『否 っ っ ! ! !』
大広間に割れんばかりの声が響いた。
マークランドは満足そうに大きく頷くと、声高らかに宣言した。
「我がソーシエンタールは、ゾロウ連邦から離脱するとともに、3国に対して宣戦を布告する!もう我々は以前とは違う!自分たちの未来は自分たちの力で勝ち取るのだ!!」
『お お っ ! ! 』
マークランドは味方のモチベーションを最高まで引き上げ、戦争に突入するのだった。
ソーシエンタール軍はすぐに部隊をザクソンとの国境付近に集中して展開した。
ザクソンは資源が豊富で緑豊かな国であったが、オーニクールとグローザハラの二国は大陸の南に位置した貧しい国であり、食料・資源はザクソンに依存していた。従って、ザクソンを手中にすることで、南の2国は戦うまでもなく手中にできるのだ。
しかし、それは敵も十分承知している。
すでに3国の兵力はザクソンに集結済で、ソーシエンタールとの決戦を今や遅しと待ち構えていたのである。
マークランドはクラヴマンを連れて、自陣から最前線まで進むと、敵の布陣を眺めていた。
「敵の数は?」
「およそ10万ほどかと」
マークランドの問いにクラヴマンが答える。
ソーシエンタール軍は約2万なので、敵は約5倍もの兵力である。
「それにしても、見渡す限り敵ばかりだな……」
マークランドが呑気に言う。
敵は小高い丘に布陣しているが、丘のてっぺんからすそ野まで、敵の旗指物でビッシリと埋まっていた。
「あちらさんは、我々が先に攻撃してくるのを待っているんだ。大義名分のためにね。だからこっちとしては、この時間を有効に使わせてもらうだけさ」
「はっ」
クラヴマンが答える。
マークランドは敵に背中を向けて自陣へと帰る。
「とりあえず、気長に待ちますか……」
ザクソンにあるゾロウ連邦議会には、ソーシエンタールを除いた3国の王が集まっていた。
「ソーシエンタールはまだ攻撃をして来ないようだな」
「今日で一週間も対峙したまま睨み合っているだけの状況が続いている」
「もう、こちらから攻撃を仕掛けてもいいのではないか?ソーシエンタールが軍を動かしたのだから大義名分は十分だろう」
「確かにな。ただ軍を待機させているだけでも、大量の物資を消費するのだからな」
「フライムダルのガルバダード砦に動きは無いのだな?」
「心配するな。フライムダルとの国境にも兵は配置している」
「それにしても腰抜けのシャナードがよく軍を動かせたものだな」
「シャナードじゃない。今回はマークランドが全軍の指揮をとっているらしいぞ?」
「最近奴は調子に乗っているからな。懲らしめるには丁度いい機会だ」
3人の王は好き勝手にしゃべっており、会議とはほど遠い内容であった。
「何れにしても、この状態が長く続くのは好ましくは無いな……」
ザクソン王クライトンが円卓に両肘をつけて両手を組む。
「そうだな。少し探りを入れるのも良いだろう」
グローザハラ王サニダムがそれに続く。
「では、我が国の兵に少し遊んでやるように命令しよう!」
オーニクール王バランギウムがニヤリと笑う。
その時、ドアがノックされ「緊急!緊急!」と声が聞こえた。
「入れ」
クライトンが面倒臭そうに短く言うと、伝令の者はドアを開けて跪くと息を切らせながら報告した。
「只今、オーニクールの王都がソーシエンタール軍によって攻撃を受けております……」
「何だと!?」
バランギウムが雷のような声で吠える。
「……敵は海上からオーニクールへ侵入したため、これに対応するために兵を移動したところ、ソーシエンタール領からも兵が侵入し、王都が挟撃される形となった模様」
「う、海だと!?」
バランギウムが驚きの表情を浮かべる。
「そうか。ソーシエンタールにはミストという大陸随一の港があったな」
サニダムが静かに口を開く。
「国境守備を意識し過ぎて海を忘れておったわ……おのれ、マークランド……!」
そう言うとクライトンが机を叩く。
「今更そんな事はどうでもいい!」
バランギウムが大きな声を張り上げる。
「私は兵と共に国に帰らせてもらう!」
バランギウムは席を立つと巨漢を揺らしながら歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待て!バランギウム殿!」
クライトンが慌ててバランギウムを呼び止める。
「今敵と対峙しているというのに、兵を動かすというのか!?」
「当たり前だ!我が国の戦力のほとんどはザクソンにある。このままでは空っぽの王都が陥落するかもしれんのだぞ!?」
バランギウムがクライトンに向かって叫ぶ。
しかし、クライトンとしても敵と対峙している兵力を動かされたくはない。
「今兵を動かしてはソーシエンタールを利するだけだ!先ずは目の前の敵を討つ事に集中しようではないか!?」
「それでは遅いのだ!目の前の敵を滅ぼした頃には、我が国も滅んでおるわ!ところで、サニダム殿!」
バランギウムは突然サニダムを呼びながら視線を向ける。
「……我が国の次はサニダム殿のグローザハラだと思われるが、防衛体制は大丈夫ですかな?」
「!」
そう言われるとサニダムも心穏やかではなくなる。
「我がグローザハラも、兵力の大部分をザクソンに集中させている……もしや……これがマークランドの狙いだったのか?」
「ザクソンに10万もの兵を釘付けにしておき、その隙を狙って別の場所を強襲する………弱小国の考えそうな卑怯な作戦だ」
サニダムの問いに、クライトンが吐き捨てると、バランギウムに向かって口を開く。
「……すでにオーニクールの王都が攻撃されているのであれば、今から戻ったところで間に合うまい。であれば、目の前のソーシエンタールの主力を叩いた後に、オーニクールの王都を奪還しても同じであろう?」
「ぐぬぬぬ……」
バランギウムは言い返すことができずに奥歯を噛む。
そこにサニダムが割って入る。
「オーニクールはともかく、グローザハラは今から戻れば間に合うはずだ。私は帰国させてもらおう」
「待たれよ。サニダム殿……」
歩き出そうとするサニダムをクライトンが引き止めようとする。
するとサニダムが大きな声で叫んだ。
「1万だけでいい!敵だって別動隊にそれほど兵力を割いているとは考えられん。だから、1万だけ、それだけで十分だから帰らせてくれないか!?もう少し出してくれるのならオーニクールの王都を奪還してやっても良い!」
このサニダムの発言にバランギウムは円卓を激しく叩いて怒鳴った。
「バカな事を言うな!貴殿に我が王都が奪還されるという事は、グローザハラ領になるという事ではないか!」
「バカとは何だ!人が親切心で言ってやってるのがわからんのか!?」
「誰も頼んでおらんわ!」
クライトンは二人のやり取りを見ながら、マークランドは内部分裂まで見越してこの作戦を立てたのだろうか?などと考えていた。
連邦政府など、一枚岩のようには行かない事は最初からわかっていた事だが、こうも脆いとはな………。
まだ言い合っている二人を見ながら、クライトンはいつの間にか苦笑いを浮かべていた。
「お二方!………座られよ」
クライトンはそう言いながら、自らも着席する。
バランギウムとサニダムは舌打ちをすると、お互い睨み合いながら着席した。
クライトンは意を決したように口を開く。
「私は今からソーシエンタールと対峙している戦場に赴き、自らマークランド軍に真っ向勝負を挑もうと考えている……」
クライトンは静かな口調で話し、二人もそれに引き込まれるように耳を傾ける。
「こうなっては、引き返すことは出来ん。であれば前に進むまでだ。マークランドを討ち、ソーシエンタールを滅ぼすまで」
クライトンはそう言うと立ち上がってドアへ向かって歩き出す。
「クライトン殿、我々は……」
サニダムがクライトンの背中に話しかける。
「好きにするがいい。私と共に戦うもよし。自国へ帰るのもよし……ただし、一つだけ言わせてもらえるならば……」
クライトンは立ち止まると、振り返って続けた。
「……我々の共通する敵はマークランドだ。それを忘れないで欲しい」
そう言うと、再び歩き出すクライトン。
「そうだな………わかった……私も共に行こう」
サニダムは立ち上がるとクライトンの後を追った。
一人残されたバランギウムは大きな背中を丸めてテーブルを睨んでいた。
「私は……私はどうすれば………」
10万の敵兵に動きがあった。
どうやら陣形を入れ替えているように見えるが、兵力が明らかに減っている。
同時に、斥候からバランギウムが自国に向けて兵力を引き上げたと連絡が入った。
「なるほど、バランギウムはやはり自国民が心配と見えるな………」
マークランドが他人事のようにつぶやく。
「だが、まあ、それが本来普通の姿だと僕は思うのだ。そう考えると、バランギウムはまだまともな思考を持ち合わせているようだな……」
「そ、そういうものなのでしょうか……」
クラヴマンは答えにくいようだった。
「そろそろ敵は動いてくるな。宮廷魔術師にいつでも術式を起動できるように言ってくれ。それを確認後、事前に打ち合わせた通りに行動するよう、再度徹底して欲しい」
「御意」
クラヴマンは返答するとすぐに馬を走らせた。
「マツ!」
マークランドは敵陣を見たまま声をかけた。
「はっ!」
マツはすぐにマークランドの横に馬を並べる。
するとマークランドはマツを見て静かに口を開いた。
「これからはキミの同郷のあの4人が活躍してくれるはずだ。キミも負けずに頑張って欲しい」
「勿論でございます。マークランド様の命令であれば、命に代えても必ず遂行してみせます!」
「ははは。あまり肩ひじを張らない程度に頑張ってくれ」
「御意」
マツは再び下がってマークランドの警備の任に戻る。
マークランドは敵の陣替えを見ながらつぶやいた。
「さあて、では、始めようか」