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終戦協定

 メキドは王都の衛星都市と呼ばれるだけあり、かなり大きな都市であった。

 工業地区、商業地区、住宅地区が区画分けされ、それぞれの区画は発達した交通網で結ばれていた。

 上下水道についても普及率は70%にも達しており、もはや王都の衛星都市というよりも、クシュチアで一番大きな独立都市と言えるほどであった。

 調印式は、この町の中心に位置するメキド城内にある庭園で行う事になっていた。

 マークランド一行は、オデッキオから約一ヶ月もかかってやっとこの地に辿り着いた。

 途中でフライムダルのジャンデム王子と合流した時は、両軍に変な緊張が走ったが、セーラムが間を取り持ち何とかその場は収まった。

 フライムダルとしては、弱小国であるソーシエンタールを下に見る傾向があり、ソーシエンタールからすれば、大国に舐められてたまるか、という意思が働いたようだ。

 何れにせよ、両国は足並みをそろえてメキドに入城した。

 すると、まずは条約の内容について読み合わせをするために、来賓室へ通され、そこでクシュチア、フライムダル、ソーシエンタールの首脳が会談に臨んだ。

 そこでは条約の各項目の実施方法や期限等の細かい調整が行われ、適時、条約にその内容が盛り込まれた。(尚、エルダン王の死はこの時確認されたが、ミイラ化した死体には細工がされていたようで、どう見ても最近死んだように見えたという)

 また、調印式は急遽、城門を解放して誰もがその様子を見学出来るようにし、その場の全ての者が証人となれるよう、城のテラスで行う事とした。これは、クシュチア側からの突然の申し出だったが、条約を公にし、万人が証人になれるようにするという提案に、2国も拒否する理由は無く、結果的に押し切られる形となった。

 城門から城郭までの、いわゆる曲輪<くるわ>はかなり広かったが、調印式を一目見ようと住民達でごった返していた。

 これに一番苦労したのは、フライムダルとソーシエンタールの警備兵だ。こんな人の波に飲まれては警備どころではない。そこで特別に城門に上がることを許可してもらい、住民らを見下ろしながら警備に当たった。

 そこにはバラモントとルイザベートの姿もあった。

 「お爺様……この場所……何かおかしいです……」

 異変を感じ取ったルイザベートが頭を押さえながらバラモントに訴える。

 「そうじゃな。あの魔術師、間違いなく何かを仕掛けておるわ」

 バラモントはルイザベートに同調しながら更に周囲を警戒する。

 この異変をセーラムへ伝えることが出来ればいいのだが、今はマークランドと共に調印式に臨むために準備している頃だろう。

 「ここは、3国の重臣たちが一堂に会する場所じゃ。ここを狙われたら国に与えるダメージは計り知れんわい。ルイも注意を払っておくれ」

 「わかっています、お爺様。マークランド様は必ず私がお守りします!」

 普段はあまり自分から意見を言う方ではないルイザベートだが、ことマークランドに関しては自分の意見をしっかり言う。

 バラモントは苦笑しながら「頼んだぞ」と言うと、周囲の警戒に意識を集中する。

 すると、高らかにラッパの音が鳴り響き、いよいよ調印式が始まった。

 出席者紹介、条約概要報告があり、ついで各国代表による調印と、ここまでは滞りなく式は進行している。

 最後に閉会のラッパと共に銅鑼が鳴り響く。

 その瞬間、バラモントやセーラムは上空に何らかの術式が展開されている事に気付く。

 城門にある二つの塔と、城の主塔を結ぶ、三角形を中心とした魔法陣が姿を現し始める。

 「皆さん!下がって下さい!」

 セーラムがドレス姿で3国の代表者を城の奥へ逃げるように促す。

 同時に、バラモントが3つの塔の術式を解体、ルイザベートが城内にアンチマジックシェルの術式を展開し、更にトゥーランドらが見学者たちを城外へ誘導する。

 セーラムがテラスから後ろを振り返ると、城の屋上に黒いローブを着た一人の男の姿を発見した。

 「誰!?」

 セーラムの声に、ジャンデムとマークランドも駆けつける。

 「はっはっはっ。まさかフライムダルの王宮魔術師と我が兄妹が揃い踏みとは、これは恐れ入った」

 「何だと!?」

 ジャンデムはまだ事態を把握していないが、セーラムとマークランドは予想していた事なので冷静だった。

 「これはこれは、今回の首謀者にしてクシュチアを影で操る魔術師殿………いや、ロックウェル殿と呼ぶべきでしょうか?」

 マークランドが黒ローブの男に声を掛ける。

 「ほう。ソーシエンタールの田舎者が、そこまで知っていたとはな。そして、どうやら今回の私の計画も読んでいたという事か」

 ロックウェルはそう言いながら素早く周囲に目を配る。

 「これはどういう事だ?セーラム」

 ジャンデムがセーラムに詰め寄るが、今はそれどころではない。

 セーラムはジャンデムを無視してロックウェルに向かって叫んだ。

 「ロックウェル兄様が3国の要人が集まるこの機会を狙うのは、ある程度予想がついていました。ですが、私とバラモントがこの場にいた事が運の尽きです」

 「確かに。フライムダルの王宮魔術師とお前がいるのは手強い。だが、私が勝てない相手では………ん!?」

 ロックウェルは突如、城門を凝視すると言葉を失う。

 「!?」

 セーラムもロックウェルがどうしたのかわからなかった。

 「………」

 しばらく城門を見ていたロックウェルだったが、不意にその視線を外すとニヤケながらしゃべりだした。

 「……なるほど。まさかそこにいたのか………だが今はまだ時期ではない、か……」

 ロックウェルは独り言のように呟くと大きな声で叫んだ。

 「今日の所は退くことにしよう。だが、いずれまた会うことになるだろう………バラモント!それまではしっかり守ることだな!」

 そう言うと同時に、ロックウェルの足元で術式が展開され、一瞬にしてその姿は消えてしまった。おそらく時限式で術式が展開されるよう、あらかじめ脱出の準備をしていたのだろう。

 バラモントはすぐにトレースの術式を展開し、ロックウェルの行方を追う。

 「ルイよ。お主とはここでお別れじゃ。よいか?マークランド様の御傍にいろ。あの方をしっかりお守りするのじゃ。頼んだぞ!」

 「お爺様!」

 ルイザベートの声が発せられる直前、バラモントの姿はすでに消えていた。

 「お爺様………!」

 ルイザベートはもう一度繰り返すと、その場に座り込んで泣きじゃくった。

 

 

 「どうやらアンタも我々と一緒に殺されるところだったようだな?コルドバさんよ?」

 ジャンデムが呆然と立ち尽くしているコルドバに声を掛けると、更に話を続ける。

 「まぁ、確かに俺たちが死ねば、この大陸は混沌の時代となっていただろう。マークランド、助かった。礼を言う」

 「いえいえ、大した事はしていませんから……」

 マークランドが謙遜した態度を取る。

 それを見てジャンデムはマークランドに詰め寄る。

 「それは違う。結果的には貴公の配下の者が我々の命を救ったのだ。その者たちを信じて登用したのが貴公であれば、それは貴公が礼を言われるのが筋というものだ。良いか?主君が感謝されるという事は、配下の者が行った事が正しかったという事なのだ。そして、主君の命令が正しかった事に繋がる。これは主従関係の根幹に関わる大事なことだ。皆の前で変に謙遜するのは逆効果となる事を知るがいい」

 ジャンデムの言葉はマークランドにとって目から鱗が取れる思いだった。

 たしかに、今までは主従関係なんて考えたことも無かったし、そもそも軍を率いたのだって今回の遠征が初めてだ。

 自分は『仲間』と思っていた者たちであっても、部下から見れば『主君のため』という気持ちで必死に働いているのだ。そんな部下たちの働きや気持ちを踏みにじるような態度を主君は取ってはならないのだ。

 「ジャンデム殿。ご忠告感謝します」

 マークランドは素直に頭を下げる。

 「え!?いや、そ、そうか。うん」

 マークランドのあまりにも素直な対応に、逆に慌てるジャンデム。

 「……ところでコルドバ殿、この様な騒ぎとなったが、今回の終戦協定の内容はすぐに履行されると考えて良いのだな?」

 ジャンデムがコルドバに視線を移して問う。

 コルドバ自身も何が何だかわからない状況であったが、頼りにしていたあの黒ローブの男に騙されたことだけは判断できた。

 「ああ……勿論だ。ゾニエル……条約の内容を速やかに履行するよう手配しろ」

 「はっ!」

 近衛隊長のゾニエルが畏まって返答すると、すぐにこの場を立ち去る。

 コルドバは魂が抜けたように表情で「条約の状況連絡は追ってする………今日はこれで失礼する……」と言うと、聖騎士ギャモンに連れられて退場した。

 「おいおい、開催国が先に帰るってどういうことだよ?」

 「待って下さい、お兄様……」

 セーラムがジャンデムを制止する。

 「あの表情……もしかすると、コルドバ様は魔術を掛けられていたのかも……突然裏切られたという事実だけを突き付けられ混乱しているのでしょう」

 「ふん………」

 ジャンデムは鼻を鳴らすと身を翻して条約書類を手にし、マークランドに向かって話しかける。

 「魔術師は取り逃がしたが、一先ずこれで我が国は『封印されし島』に集中する事ができる。貴公も急ぎ国に帰り、ゾロウ連邦内の揉め事に集中するが良い」

 「そうさせていただきます」

 ジャンデムはマークランドと握手をすると、すぐに軍をまとめて帰国の途に就いた。

 マークランドもトゥーランドに命じて軍をまとめると帰国の準備をするが、そこでバラモントの姿が無いことに気付く。

 「ルイ、バラモントはどこに行ったんだい?」

 一人佇むルイザベートに声をかけるマークランド。

 「……あの黒いローブの男を追って行かれました………」

 ルイザベートが小さな声で答える。

 「……これで……また、あたしは一人ぼっち………」

 震える声で呟きうつむく。

 そこにセーラムがやって来る。

 「やはり行ってしまいましたか………師は他に何か言ってませんでしたか?」

 「マークランド様の……御傍に仕えよと………」

 後半は涙声となるルイザベート。

 それを見たマークランドはルイザベートの頭をやさしく撫でる。

 「僕が元気になるまでの間、身の回りの世話をしてくれてありがとう。そして、これからも引き続きお願いするよ。ルイ」

 「マークランド様……」

 マークランドを見つめるルイザベートの瞳からは涙がこぼれ落ちる。

 「君は一人じゃない。だって君は僕の命の恩人であり、もう家族のようなものじゃないか」

 「マークランドさまぁ───!」

 号泣しながらマークランドの胸に飛び込むルイザベート。

 こんな年端もいかない娘が、これまでどれほどの苦難に遭ってきたのかはマークランドには知る由もなかったが、少なくともこれからはキラキラした人生を送ってもらいたい───この時、マークランドは強くそう願った。

 

 ◆

 

 

 「クシュチア、フライムダル、ソーシエンタールの間で終戦協定が結ばれることになった」

 「「何だと!?」」

 シャナードが早馬によって届けられた書簡の内容を報告すると、周囲からは一斉に驚きの声が上がる。

 ここはザクソンにあるゾロウ連邦議会の会議室。この場に4国の王が一堂に会し、今後のゾロウ連邦について話し合われていたのだが、つい先ほどシャナード宛に早馬が到着しその内容が報告されたのだった。

 たった今、戦争の状況報告と今後の方針、補給計画等が話し合われたばかりなのに、終戦協定が締結されるとなると全く話が変わってくる。

 「ちょっと待て。この条約の内容は間違いでは無いのか!?」

 オーニクールの王、バランギウムが協定内容を見て、突然声を荒げる。

 「一体どうしたのだ!?」

 ザクソン王、クライトンがバランギウムが突然大声を出すので驚いた表情で問う。

 バランギウムは浅黒い肌に顔を覆うように髭を蓄えた巨漢の持ち主で、その声は雷鳴のように腹に響いたため、対照的に色白でやせ型のクライトンからすれば、いちいち鬱陶しいのだ。

 「どうしたも何も、この内容を見てくれ!」

 バランギウムはそう言いながら、円卓に広げた書簡のある個所を指さす。

 「この条約では『ゾロウ連邦』ではなく全て『ソーシエンタール』と記載されているのだ!これでは残りの3国の立場が無いではないか!?」

 「おおっ!?」

 バランギウムの指摘にクライトンが強く頷く。

 「確かに貴殿の申す通りだ。この内容を見る限り、ソーシエンタールだけが戦勝国としての扱いを受ける事になっている」

 するとグローザハラの王、サニダムも綺麗に剃り上げた頭をペチペチ叩きながら続く。

 「我々は貧しいながらもこうして集まり、先ほどまで戦争協力について話し合っていたではないか。それなのに我々には何の見返りもなく、ソーシエンタールは領土を拡大しただけでなく、多額の賠償金までも受け取ることが出来るとは、あまりにもおかしいではないか!?」

 ソーシエンタール以外の3国の王が「こんなものは到底認められない!」と息巻く。

 「シャナード殿。貴公はどうお考えか!?」

 クライトンが円卓の中央に書簡を放り投げ、シャナードに詰め寄る。

 「ちょっと、先ずは落ち着いてください……」

 シャナードは両手を軽く広げて全員をなだめる。

 クライトンは舌打ちをするとドカッと音を立てて着席する。

 ゾロウ連邦の最大国の王であるクライトンが着席したのを見て、他国の王たちもそれに従った。

 シャナードは小さくため息をつくと、意を決して話し始めた。

 「先ず、この度の戦争で勝ち得たオデッキオとミストですが、これは完全にマークランドの独断で行われたものです。ゾロウ連邦としてはグランナダを死守するよう指示したと思いますが、あの町は北からの守りを想定した作りにはなっていない事から、マークランドがきたるクシュチア本隊との戦いを想定してこの二つの町を陥れたのです。また、遠征による支援物資につきましても、全て現地調達しておりますので、ゾロウ連邦には一切世話になっておりません」

 シャナードははっきり言い切った。

 するとバランギウムが再び立ち上がって吠えた。

 「何だと!?今回の戦争は二国間同盟が基盤としてあるはずだ。この同盟はゾロウ連邦とフライムダル間で締結している以上、終戦協定においてもゾロウ連邦として締結する必要があるはずだ!」

 「「そうだ!そうだ!」」

 残る2国の王たちも机を叩きながら賛同する。

 「し、しかし、クシュチアとしては、二国間同盟は関係ありませんので、あくまでも戦争に携わった当事国であるソーシエンタールとしたのだと……」

 シャナードの反論はだんだん小さな声になる。

 「こんな理不尽な協定など納得できるはずがなかろう!」

 サニダムも立ち上がって抗議を唱える。

 「……ではこうしようではないか?シャナード殿……」

 クライトンは座ったまま円卓に両肘を乗せると両手を組み合わせる。

 「……新しく手に入れたオデッキオとミスト、更にはグランナダを含めてソーシエンタール領と認めようじゃないか。その代り、現在のソーシエンタール領はゾロウ連邦で召し上げ、3国で分割管理しようと思うが、どうかね?」

 クライトンはニヤニヤしながらシャナードを見る。

 「おお、それは良い考えだ」

 「さすがはクライトン殿。この案であれば、損をする国がありませんな」

 バランギウムとサニダムがわざとらしく賛同の意を唱える。

 「ちょっと待って下さい!」

 シャナードが慌てて口を開く。

 「グランナダ、オデッキオ、ミストは占領したばかりで、地ならしが終わっておりません。そんな状態で放り出されても困ります!」

 「だったら急いでその地ならしとやらをやったらどうかね?」

 クライトンが他人事のように言う。

 「……私たちだって鬼ではない。それが終わるまでは、領地を召し上げるのは待ってやっても良いのだ」

 「どれくらいの期間が必要だ?3ヶ月?半年?それとも1年か?」

 そう言いながら、サニダムがシャナードに顔を近づけて挑発する。

 「そ、そんな……! 国替えをしようというのに、そんな短時間で出来るわけがなかろう!」

 そう言いながらシャナードが机を叩く。

 「ほう………」

 クライトンはニヤリとしながら話を続けた。

 「国替えする事に関しては納得してくれたようだな。では1年半の猶予を与える。それまでに移動するが良い」

 「な……なんだと!?」

 シャナードが呆然と立ち尽くす。

 「どうした?貴公が言ったのだぞ?国替えするにはもう少し時間が必要だと。だから猶予期間を延ばしたではないか。何が不服なのだ?」

 「………!」

 クライトンの言葉にシャナードは反論できなかった。

 シャナードは完全に出し抜かれたのだ。

 このままこの場で反論しても時間の無駄と判断したシャナードは、無言のまま退室してしまった。しかし、これでは相手の意見を受け入れたと取られてしまう。

 この事をクラヴマンに指摘され、つくづく自分の交渉力の無さに肩を落とすシャナードであったが、問題はこれからどうするかである。

 本当に国替えとなると、その費用は莫大なものになるだろうし、居城の準備もたった1年半では間に合わないだろう。だが居城が無いと移動も出来ないので、八方塞の状態となる。

 「何故こんな事になってしまったのだ……なぜ……どうして………」

 帰国の途に就くシャナードは、完全に思考が停止した状態となっていた。

 

 

 ソフィーナはフライムダルへ向け、出立の準備を行っていた。

 コルドバからは「すまない」とだけ言われていたが、女として生まれた以上、政治に利用されることは仕方ないと半ば諦めていた。

 「クシュチア王女としての誇りを忘れず、立派に務めて参ります」

 ソフィーナはそう言って気丈に振る舞ったが、実際はボロボロな精神状態だった。

 マークランドとの別れ、戦争勃発と敗戦、父の死、フライムダルへの人質───幸せの絶頂から一気に地獄に叩き落とされたような気持ちだった。

 愛する人も、頼れる人もなく、濁流を下る木の葉のように、この激動の時代に身を任せるのみ。

 もう流す涙も枯れ、ただ毎日を人形のように自分の意志を持たずに生きているだけだった。今更、フライムダルへ送られたって、今の自分の生活にどれほどの影響があるというのか。

 ソフィーナは荷馬車一杯に自分の荷物を詰め込むと、コルドバに最後の挨拶をして王都を出発した。

 聖騎士セイドルフ率いる、聖騎士団に守られながらソフィーナを乗せた馬車は公路を進む。

 馬車のすぐ横を併走するのはディーヴである。

 これがソフィーナにお供できるのは最後と思うと、悲しくて胸が引き裂かれんばかりであった。

 このまま時間が止まればいいのに、と何度も考えたディーヴであったが、王都を出発して数週間が経過し、遂にフライムダルとの国境となる『サマニ平原』に到着した。

 そこには新たに国境を監視するためにフライムダルの城塞が建築中であり、この城塞の門を抜ければもうそこはフライムダル領であった。

 「ソフィーナ王女がお通りだ!城門を開けよ!」

 セイドルフが隊列の先頭で大声を出す。

 すると、巨大な城門がゆっくりと開き始める。

 まだ全てが完成するまではあと数年はかかると思われるが、門としての機能はすでに十分果たしていた。

 地響きのような音とともに開門すると、そこには親衛隊に囲まれたジャンデム王子の姿があった。

 「遠路はるばるご苦労であった。御付きの者はここで引き返されよ。これ以降は我らが引き受ける」

 ジャンデムが馬上から声高らかに言うと、更に続ける。

 「ソフィーナ姫はどこにおられるか!?」

 これにディーヴが答える。

 「姫はこの馬車におられる!」

 「わかった。ではその馬車を先に通せ!」

 ジャンデムが叫ぶ。

 これを受けてセイドルフが左手を高く上げる。

 すると、聖騎士団がさっと左右に分かれ、ソフィーナが乗る馬車の道を開ける。

 「ほう。さすがはクシュチアが誇る聖騎士団。馬上にありながら一糸乱れぬ動きは見事……」

 ジャンデムは独り呟く。

 聖騎士団が頭を下げる中、ソフィーナの馬車はゆっくりと前に進む。その後ろをディーヴが寄り添うように付き従う。

 やがて馬車は門の手前で止まると、馬車からエメラルド色のドレスを着たソフィーナが姿を現す。

 ジャンデムも馬を門まで進める。

 ソフィーナはジャンデムの前で跪くと「クシュチアのソフィーナでございます」と言った。

 ジャンデムは無言で頷くと、右手を軽く上げる。

 すると、ジャンデムの後ろから5名ほどのメイドが葛籠<つづら>のような箱を持って現れると、ソフィーナの前に横一列に並んだ。

 それを見届けたジャンデムは馬上から跪くソフィーナを見下ろながら口を開いた。

 「ソフィーナ姫よ!今着ている服を脱いでもらおう!」

 「!?」

 ソフィーナが困惑の表情を浮かべる。

 聖騎士セイドルフと兵士長ディーヴも言葉の意味がわからず固まっている。

 ジャンデムは馬上から槍をソフィーナに向けると、もう一度繰り返した。

 「聞こえなかったのか!?その服を脱げと言ったのだ!」

 「そ、それは、一体……!?」

 ソフィーナがそう言いながら立ち上がった瞬間、ジャンデムの槍が一閃した。

 縦に振り下ろされた槍の風圧を受け、ソフィーナは一歩後ろに下がる。

 すると、その身に纏っていた美しいエメラルドグリーンのドレスは引き裂かれ、一瞬にして下着姿となるソフィーナ。

 「きゃあああぁ!」

 ソフィーナは悲鳴を上げながらその場に座り込んだ。

 「貴様!我が姫様に何をするかっ!?」

 ディーヴは叫びながら腰の剣に右手を掛ける。

 「抜くのか?」

 ジャンデムが静かにディーヴに問う。

 「……その手に掛けた剣を抜くのかと聞いている」

 「な、何だと!?」

 ディーヴは今にも抜刀しそうな勢いだ。

 「やめなさい!ディーヴ!」

 ソフィーナが両手で胸を隠しながらゆっくりと立ち上がる。

 「ひ、姫さま……!?」

 ディーヴはソフィーナを見つめる。

 ソフィーナは震えながら振り返ると、ディーヴに視線を向ける。

 「剣を抜いてはなりません。門よりこちらに入ってはなりません。無礼は物言いはしてはなりません」

 ソフィーナの鋭い視線に凍りつくディーヴ。

 「やれ」

 ジャンデムが短く命令すると、待機していたメイド達がソフィーナを取り囲み、葛籠から新しい服や靴を取りだして着せ始めた。

 5人のメイドはあっという間に着せ替えを済ませると、葛籠を持ってさっとジャンデムの後方へ下がる。

 そこには、一切の装飾品を剥ぎ取られ、白のノースリーブのワンピースに茶色の革靴だけとなったソフィーナの姿があった。

 ジャンデムは満足そうに頷くと、大きな荷馬車があることに気付く。

 「あの荷馬車は何だ?」

 ジャンデムがソフィーナに問いかける。

 「あれは私の荷物でございます。クシュチアから持参いたしました」

 ソフィーナが答えると、ジャンデムは首を横に振りながら口を開く。

 「どうもまだわかっておらぬようだ………燃やせ」

 ジャンデムの命令で城門の上にいたフライムダル兵が荷馬車に火矢を放つ。

 積荷が燃え出し、驚いた馬は暴れながら道を外れて、燃え上がる積荷を引きながら平原を走って行く。

 「姫様!よろしいのですか!?このような扱い、到底許されるものではありません!」

 ディーヴが再び剣に手を掛けながら馬を進めようとする。

 「控えなさい!ディーヴ!」

 ソフィーナは叫ぶと、その場に跪きジャンデムに頭を下げる。

 「私の兵がとんだ粗相をいたしました。この通り、どうかご容赦下さい。ジャンデム様」

 ソフィーナの姿を見て、ディーヴはやっと悟った。自分のやっている事が姫様を追い詰めている事を。

 「さすがはソフィーナ姫。ご自分の立場を理解されておられる」

 ジャンデムはそういうと、今度は全員に対して大きな声で叫んだ。

 「はっきり言っておく!ソフィーナ姫は人質として我が国に送られてきたのだ!人質となる者がどうして装飾品や煌びやかな服が必要だというのか!?だが、もちろん、人質である以上、生きていく上で不自由のない生活は保障する!クシュチアの兵士諸君には安心してお帰りいただこう!門を閉めよ!」

 ジャンデムの命令で再び門が動き始める。

 「姫様ーっ!」

 ディーヴは閉じ行く門の向こう側に見えるソフィーナに向かって声を掛ける。

 その声に気付いたソフィーナは、ディーヴを見つめると、そのまま目を伏せた。

 「姫……」

 城門は大きな音と元に閉ざされた。

 「うおおおおぉぉぉ!」

 ディーヴは何もできない自分の無力さに叫ばずにはいられなかった。

 馬の腹を蹴り聖騎士団の間を全力で駆け抜ける。

 その瞳には涙が溢れていた。

 

 

 


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