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封印されし島

夕食を終えると、セーラムはマークランドの病室にバラモントとルイザベートを呼んだ。

 「突然隠居を宣言したと思ったら、すぐに旅に出たと聞いていましたが、まさかこのような場所で再会するとは思いもしませんでした」

 セーラムはマークランドのベッドの脇にある椅子に腰かけ、部屋に入ってすぐの場所で膝を付いているバラモントに対して話しかけた。

 バラモントの隣にはルイザベートもいたが、こちらは昼間にセーラムに対して失礼な態度をしてしまい、肩身が狭い様子だった。

 「それはワシも同じ思いです。いやはやご立派になられたようで嬉しい限りですぞ」

 「かたい挨拶は抜きにしましょう。どうぞ、そこの椅子にお掛け下さい」

 セーラムはそう言いながら、自分の目の前にある椅子を指し示す。

 「これは有難い。年寄りにはこの姿勢は厳しいのでな。ほっほっほっ」

 バラモントは言われた通り椅子に座ると、ルイザベートもそれに従った。

 「先ずは、改めてお二人にはこの場を借りてお礼を申し上げます。本当にマークランド様のお命を救っていただき感謝いたします」

 セーラムは椅子から立ち上がると、二人に深々と頭を下げた。

 「僕も二人には本当に感謝している。本当にありがとう」

 マークランドがセーラムに続いて感謝の言葉を告げる。

 「いやはや、そんなに感謝されては逆に申し訳なく感じます。もうそれくらいで……」

 バラモントは両手を振って畏まった。

 「まぁ、バラモントがそう言うなら………。でも、何かあればすぐに連絡して下さい。僕がすぐに駆けつけるから!」

 マークランドがそう言いながら自分の胸をドンと叩く。

 「ふふふっ……」

 セーラムはマークランドを見つめて微笑む。マークランドも笑顔で応える。

 そんな二人を見て、ルイザベートは嬉しくもあり、羨ましくもあり、妬ましくあって、何だか複雑な気持ちとなっていた。

 「……それはそうと、師をお呼びしたのはお聞きしたい事があるからです」

 セーラムは真面目な表情になると本題に入った。

 「師は王宮魔術師を隠居し大陸中を旅して回ったのでしたら、あの噂について聞き及びが無いでしょうか?」

 「噂?」

 バラモントが怪訝そうな顔をする。

 「そうです。あの『封印されし島』の噂です」

 「!」

 この時、老人の表情が微かに硬直したのをセーラムは見逃さなかった。

 老人はセーラムから視線を外すと、チラっと隣に座るルイを見る。そして再びセーラムへ視線を戻すと、観念したように表情を崩して語り始めた。

 「……姫が懸念されている通り、封印されし島は非常に危険な状態でな、すでに封印の意味が無くなりつつある」

 「封印の意味?」

 セーラムが首を傾げる。『封印が解ける』ではなく『意味が無くなる』という表現に引っかかったのだ。

 「そうじゃ、本来悪魔は不死であることは知っているじゃろう?殺す方法が無い………だから島ごと悪魔どもを生きたまま封印したのだ。だが、もしも悪魔を殺すことが出来たらどうじゃ?」

 「悪魔が死んでくれれば封印の必要はなくなり、悪魔の力に怯えることもなくなります」

 セーラムは当然のような表情で答えた。

 だが、バラモントは首を振る。

 「そうではない。例えば、人間はいずれ死を迎える。だが自分たちの遺伝子は子供へ受け継ぎ、更に次の子へと、人間は未来を自分たちの子供に託して生きてきた。つまり、人間はそれぞれの個体レベルでは死を迎え消滅したとしても、永続的に種は保存されるように出来ているのだ。では、悪魔はどうじゃ?不死であることを考えると、子孫を残すという生体機能は持ち合わせていないはずじゃ。であれば仮に悪魔が死んだらこの世から消滅するだけなのか?」

 バラモントの問いに、セーラムとマークランドは答えることが出来なかった。

 「答えはワシにもわからん………じゃが、転生するという可能性も捨てきれないのじゃ」

 「「転生!?」」

 セーラムとマークランドが同時にハモる。

 「そうじゃ、簡単に言うと生まれ変わりという事じゃ。いつ、どのような姿で、どれほどの能力を受け継いで生まれてくるのかはわからんがな」

 バラモントの話に首を傾げながら、マークランドが率直な疑問をぶつける。

 「その生まれ変わりですが、どうしてそのような事がわかったんですか?すでに特定された人物が、悪魔の力を発揮するところを確認したのですか?」

 「……その質問に答える前に、ワシが知っている悪魔戦争のことをお教えしましょう………」

 バラモントはそう前置きすると語り始めた。

 

 ───悪魔とは元々は天使という、神にもっとも近い存在だった。

 しかし、神によって様々な理由で天界から地上へ堕とされた天使がいた………すなわちこれを堕天使と言った。

 神は己を神聖なる象徴として信仰の対象とするために、堕天使をその対極の悪しき存在として悪の魔物、『悪魔』と呼ぶようになった。

 通常は魔界に住まう悪魔であったが、人間があまりにも冗長した時に、これを懲らしめる役割を神から与えられた。

 今から約600年前、悪魔はその役割に従い、冗長した人間に対して制裁を加えるために大規模な攻撃を仕掛けた。これこそが300年もの長きに渡って続いた悪魔戦争だ。

 当初、この戦いを神々は興味を持って見守っていた。だが、悪魔が圧倒的な力を見せ、いよいよ大陸の人間が滅びるのも時間の問題となった時、神々は悪魔が地上を支配する結果を受け入れられず、偉大なる神の力を人間に与えることにした。

 その神に選ばれし者こそ、後に勇者と呼ばれるフライムダルの若き王子であった。

 王子は神から授かった剣と盾を使い、不死の存在である不浄な者どもを大陸から一掃すると、北方の小さな島に悪魔を封印した。

 その封印に用いられた神器である玉、鏡、剣こそ、神から授かった盾と剣であった。

 盾は青銅製で鏡のように磨かれており、その中央にはめ込まれた宝玉と、不死の者たちを斬った剣を以って三種の神器としたのだ。

 

 「………これがフライムダルの王家に伝承される悪魔戦争の物語じゃ」

 バラモントは「ふぅ」と、一息つく。

 「悪魔戦争の話は、勇者が現れ悪魔を島に封印した、程度しかしりませんでした。けど………」

 マークランドが歯切れの悪い回答をする。

 もちろんバラモントはそれに気づく。

 「今の話が転生の話とどう繋がるのかを知りたいのですな?」

 「はい」

 マークランドは頷く。

 バラモントもそれに応えるように頷くと、先ほどの悪魔戦争について問題提議をする。

 「先ほどの悪魔戦争の話には謎な部分があるのじゃ。それは、『どうして勇者は悪魔を全員殺さなかったか?』という点なのじゃ」

 「?」

 セーラムとマークランドはまだピンと来ていないようだった。

 バラモントは更に続けた。

 「勇者は大陸から不浄な者どもを一掃し、悪魔を小さな島に封印した………『不浄な者』とは悪魔によって召喚されし不死の怪物とすると、どうして不死の怪物は一掃───つまり殺すことが出来たのに、悪魔は殺さずに封印したのか?本当は神から与えられた力を使えば、悪魔を全員殺すことは出来たのではないか?」

 「!!!」

 セーラムとマークランドは同時にピンときたらしく、ハッとしてお互い見つめ合った。

 それを見てバラモントは満足そうに頷く。

 代表してマークランドが口を開く。

 「つまり、勇者が悪魔を封印した理由は、悪魔を殺せなかった、いや、あえて殺さなかったという事ですか?そして、それこそが転生の可能性に繋がると言いたいのですね?」

 「そうじゃ。そしてまるでそれを知っていたかのように、クシュチアの魔術師が封印されし島で行っていたのが、悪魔殺しだったのだ。そしてそれこそが『封印の意味が無くなる』という最初のキーワードに繋がるのじゃ」

 「まさか!?悪魔を殺す力を持っているのはフライムダル王家だけのはず………どうしてクシュチアの魔術師にそのような力が!?」

 セーラムが前のめりになる。

 それをバラモントは左手を上げて制すると、静かに口を開いた。

 「転生という考えに行きつくには、ある程度の知識が必要じゃ。そして、実際に悪魔を殺す力も必要じゃ。殺さないと転生はできんからな………そこから導かれる答えは一つだけじゃ」

 「そ、そんな………あ、あり得ない……!!」

 セーラムは信じられないという表情だ。微かに震えているようにも見える。

 「そう………」

 バラモントは膝の上で両手を組み静かに続けた。

 「……クシュチアの魔術師は、フライムダル第二王子であり、姫の兄上にあたる───ロックウェル様と思われます」

 「………!」

 ───数年前、ロックウェルは長男ジャンデムと次期国王の座を争った。

 ジャンデムは武力とカリスマの両方を持ち合わせており、まさに強い国王になるだろうと考えられていた。

 一方、ロックウェルは病弱で体力があまりない代わりに魔術に長けており、当時王宮魔術師だったバラモントを凌ぐ逸材と言われた天才であった。

 だが、現国王ザックホーンは長男ジャンデムに家督を譲ると正式に宣言した。

 この結果に失望したロックウェルは、全てを投げ出して国を出たのだった。

 「ロックウェル様は悪魔が転生すると信じて悪魔を殺しをしている?………でも、悪魔を転生させて一体何になるのです!?」

 マークランドがバラモントに問うが、バラモントは首を振る。

 「わかりません………しかし、ロックウェル様の魔術師としての能力は傑出しています。もしかすると、悪魔を従えようとしているのか……」

 「本当に悪魔を僕とする事なんて出来るのですか?」

 今度はセーラムが質問する。

 「わかりませんが、転生させる代わりに力を貸せ、という契約を悪魔と結べば可能かもしれませんな」

 「うーん………」

 マークランドは考え込んだ。

 「疑問が二つあります。先ず一つ目は三種の神器を使わなくても悪魔を殺せるのか?もう一つは、封印されている悪魔の数はどれくらいいるのか?です」

 マークランドの質問にバラモントがあっさり答える。

 「まずは最初の質問ですが、弱った状態で封印された悪魔を殺すのなら神の力だけで十分、三種の神器は不要でしょうな。もちろん、通常時の上級悪魔を殺すにはやはり神器が必要となるじゃろうが……。そして二つ目の質問は……たしか、上級悪魔が3体封印されていたはずです」

 「現時点で殺されたのは?」

 「おそらく2体じゃ」

 「それでは最後に一つだけ……」

 マークランドは結局三つ目の質問をバラモントを見ながら続けた。

 「転生とは『生まれ変わり』と考えてよろしいのですね?つまり、今から人間の姿で生まれ変わるにしても、実際にこの世に生を受けるのは1年後、さらに悪魔としての力を発揮できるのは数年ほど時間が必要のはずです。ならば、今後生まれる子供はすべて国の管理下に置くことで、悪魔化した時の危機管理は可能かもしれない」

 「悪魔は転生する、という考え自体が本当に合っているという保証は正直無いのじゃ。あくまでも、これまでの状況を分析して導き出した推測にすぎない」

 「そうですか………どちらにしても、今出来ることをやるしかないですね。先ずは、クシュチアの魔術師を止める事。次に出生届の厳格化でしょうか」

 マークランドが今後の対応に思案を巡らせる。

 「師よ。お呼び立てしてすみませんでした。今晩の事はここだけの話にしておいてください」

 セーラムが立ちあがって右手を差し出す。

 「わかってますとも、姫様」

 そう言うと、バラモントも立ち上がりセーラムと握手をする。

 「そう言えば………」

 立ち去ろうとするバラモントの背中に向けてセーラムが話しかける。

 それに気づき、バラモントはドアの前で立ち止まって振り返る。

 「……その娘は師とはどのようなご関係ですか?」

 セーラムは何気なく聞いたのだが、バラモントは少し戸惑いながら答えた。

 「えーと……この子はワシの孫娘なのじゃ。なぁ、ルイ?」

 そう言いながら、バラモントはルイザベートの頭を撫でる。

 「そう、ですか………」

 セーラムはどこか釈然としなかったが、この場でプライベートな部分を追及するのも野暮だと思い納得することにした。

 「では、これで失礼いたします。マークランド様、姫様」

 そう言いながら二人は片膝を付くと、部屋から出て行った。

 セーラムは二人が座っていた椅子を壁際に片付ける。

 それを見ながらマークランドが口を開く。

 「いやいや、あの老人は本当に食えない人だなぁ。でも、やるべきことは明確になったのだから感謝しなきゃいけないな」

 「俄かには信じられないことばかりでしたが……」

 「どちらにしても、クシュチアの魔術師は何とかしなければね。ところで、封印されし島の警備は大丈夫なのかな?すでに悪魔が2体も殺されたと言っていたけど……」

 「今は万全のはずです!お父様が島周辺の海域を封鎖したと言っていましたし、勇者の末裔の誇りにかけて最後の1体は死守いたします!」

 セーラムは少しムキになってマークランドに訴えた。

 「いや、別にザックホーン様の仕事ぶりを疑っている訳ではない。むしろ、それほど強大な魔術師であるロックウェル殿に対して僕は警戒しているんだ。なんせソーシエンタールにも宮廷魔術師はいるけど、部隊に戦略目的で編入できるほど魔術師は多くないし、軍人は魔術に対する知識もほとんど無いんだ」

 「あら………」

 セーラムは少し顔を赤らめるとマークランドのベッドの横に腰かけた。

 「では、私はマークランド様にはピッタリの妻という事になりますね?」

 目を輝かせながら、魔術の天才にして勇者の末裔であるセーラムがマークランドを見つめる。

 「そうだな………僕には勿体無いくらいの妻だよ。セーラム」

 そう言いながらマークランドはセーラムを抱き寄せる。

 「マークランド様……」

 二人は熱い口づけを交わした。

 セーラムにとっては初めての経験であり、それが愛するマークランドという事で、天にも昇るほどの気持ちだった。

 だがそれと同時に、一瞬、ソフィーナ姫の顔が浮かび、慌ててそれを自分の意識からかき消す。

 セーラムには、ソフィーナからマークランドを略奪したという罪悪感が心のどこかにあり、それは自分が幸せに感じれば感じるほど、同じくらい罪悪感を感じる事になるのだ。

 これは私が受けるべき罰───。でも、それを甘んじて受ける覚悟は最初から出来ている。

 例えこれからどんな苦難があろうと、マークランド様と同じ道を共に歩きたい!

 キスをしながら、セーラムはいつの間にか涙がこぼれていた。

 

 

 フライムダルは、王子ジャンデムが直々に軍を率いてクシュチア領内に進軍し、『サマニ平原』に部隊を展開していた。

 これに対するは、クシュチアが誇るギャモンとセイドルフという二人の聖騎士である。

 戦力的には、フライムダルが約2万3千、クシュチアが約3万1千であった。

 フライムダルは、封印されし島の警備と、ザクソンへの威嚇に兵を割かなければならず、苦しい台所事情が兵力に現れていた。

 だが、それはクシュチアも同じで、南のコルドバ王子と聖騎士二人はソーシエンタール軍に完膚なきまでに叩かれ、この部隊にも援軍を要請されていた。

 軍の指揮を任されているギャモンは「目の前に敵がいるのに援軍を出せるはずがない」と要請を断ろうとしたが、王子からの直々の要請を無下にすることも出来ないため、早く戦いを終わらせて援軍を差し向けようと考えていた。

 こうして、フライムダルとクシュチアによる『サマニ平原の戦い』が切って落とされた。

 

 兵力差はあるものの、武力には絶対的な自信を持つフライムダルと、正々堂々の戦いを信条としているクシュチア聖騎士団の戦い方は、お互いが望む小細工無しの正面からの激突であった。

 さすがにどちらも精鋭だけあり、2時間経っても戦況は互角であった。

 しかし、ここにきて兵力差が効いてくる。

 ジリジリとクシュチア聖騎士団が押し始めたのだ。

 ジャンデム王子が陣頭に立って味方を鼓舞するが、さすがに兵士たちは疲労のため体力の限界が来ているようだった。

 「兵力差を考えれば、敵と正面から激突してよく持ちこたえたと言うべきか……」

 ジャンデムは自ら槍を振るいながら呟くと、大きな声で指示を出した。

 「魔術師による敵後方への攻撃を準備せよ!」

 「御意!」

 フライムダルは大陸で唯一、戦略的攻撃要員として魔術師数名を部隊編入していた。

 しばらくすると、フライムダル軍の後方が光に包まれ始める。

 やがて無数の光の柱が天へ昇って行き、天空に光りが集まり巨大な一つの球体が形成される。

 これは魔術師の詠唱によって展開された術式で、光の球は更に大きくなると、幾重もの魔法陣が空に浮かび上がる。

 「何だ?あれは?」

 聖騎士ギャモンもその異変に気付く。

 すると聖騎士セイドルフが叫ぶ。

 「あれはおそらく魔術師による術式展開だ!すぐに退避命令を!」

 「!!!」

 セイドルフの言葉とほぼ同時に空が光に覆われると、それに呼応するように巨大な魔法陣が出現し、光の球体が魔法陣へ吸い込まれてて行く。

 すべての光が魔法陣に吸収された瞬間、一気に魔法陣から解放され光の巨大な光の束が天空から地上へ伸びていく。

 その先にあるものは───。

 地上は光に包まれ、それに触れた者は瞬時に蒸発し消えて無くなった。

 大地は激しく焼かれ黒煙が立ち昇る。

 光が照射された時間は僅か数秒。

 光の束はすーっと消えて無くなった。

 後に残ったのは、超高温で焼かれた大地であった。

 それはドス黒い巨大な円形に焼かれ、あちこちから煙が上がっており、そこに存在していたであろう動植物は跡形もなくなっていた。

 クシュチア軍は3分の1もの兵士が一瞬にして地上からその姿を消した。

 光の直撃を免れた者も、熱波によって大やけどを負う者が大勢おり、クシュチア軍は総崩れとなった。、

 「あ……あ……」

 ギャモンはあまりの地獄絵図に次の指示を出すのが遅れてしまう。

 フライムダル軍はこの好機を見逃さず、全軍で突撃を開始している。

 「退却!退却だ!『ケーリッツ渓谷』へ向かえ!」

 セイドルフが指示を出す。

 騎士同士の戦いを想定して広い『サマニ平原』で戦っていたのだが、いざ撤退するとなると広すぎて敵を防ぐことが出来ない。そこで道が狭く一気に軍を進めることが出来ない『ケーリッツ渓谷』へ向かうクシュチア軍。

 そこは深い渓谷の崖を削って造られた道であり、約10キロほどの長さしかないが、非常に険しい道であるため、抜けるには半日以上もかかる難所であった。

 この渓谷の入口に聖騎士団が殿としてフライムダル軍を迎え撃つ。

 フライムダルのジャンデム王子は、ここに3分の1程度を残して聖騎士団を釘付けにし、残る兵力は渓谷を迂回して公路を進むルートを取る。

 整備された公路は進軍しやすく、凄まじい速度で東進するフライムダル軍。

 銀色に輝くフルプレートに、兜<ヘルム>は被らずに精悍な素顔をさらすジャンデム王子は、軍の先頭に立ち指揮をしていた。

 「目指すはクシュチア王都。このまま公路上の町を併呑しつつ東進せよ!」

 もはや、フライムダルの進撃を防ぐものはなかった。

 

 

 王都に呼び戻されたコルドバ王子は、謁見の間に通された。

 そこにはエルダン王が座していた。

 コルドバは久しぶりに父の姿を拝見することとなり、「父上!」と言いながら嬉しそうに近寄ろうすると、エルダン王の隣に黒いローブ姿の男が姿を現した。

 その右手には木製の杖が握られており、それを振りかざしながら男は口を開いた。

 「止まられよ。コルドバ王子」

 「何!?」

 コルドバは歩みを止めローブの男を睨む。

 だが、ローブの男はそれを全く気にせずに話を進めた。

 「先ほど早馬があり、我が軍を破ったフライムダル軍が東進を続け、このままでは王都に到達するのも時間の問題と連絡がありました。また、南ではオデッキオとミストがソーシエンタールに占領され、ミストから直接王都へ乗り込まれる危険も出てきました」

 「そんな大事な時にどうして私を呼び戻したのだ?少なくともソーシエンタールは撃破出来たかもしれんのだぞ?」

 「あの状況で?はっはっはっ。コルドバ様もご冗談がお好きのようで」

 黒ローブの男が大げさに笑って見せる。

 「……ほう。貴様、この私に向かって何だその態度は?」

 明らかにコルドバから殺意が感じられる。

 「父上!もう、このような得体のしれない者を御傍に置くことは止めて下さい!父上には私がいるではありませんか!?」

 コルドバの言葉に全く反応しないエルダン王は、ただ前だけを黙って見つめていた。

 「父上!!」

 更にコルドバは叫ぶ。

 「無駄です。コルドバ王!」

 黒ロープの男の声が響く。

 「!!………い、今何と言った……!?」

 コルドバは小脇に抱えていたヘルムを床に落とす。

 謁見の間に金属音が響き渡った。だが、コルドバの耳には届いていなかった。

 「何と言ったのだ!?」

 再度大きな声で問うコルドバ。

 黒ローブの男は深めに被ったフードから、ニタァと笑うように口がコルドバからでも見て取れた。

 「もうエルダン王は崩御されております………従いまして、次期クシュチア王はあなたでございます。コルドバ王」

 「ちっ!」

 短く舌打ちをすると、コルドバは金属音を響かせながらエルダンへ近づき、その顔を覗き込んだ。

 「!!!!」

 コルドバはミイラ化した父の顔を見て、明らかにその命が尽きていることを悟った。たが、同時に疑問も湧いてくる。

 「魔術師よ。父上はいつ亡くなったのだ?」

 「もうかれこれ2、3ヶ月は経っているかと」

 黒ローブの男は悪びれもせずに言った。

 「どうして何も言わなかった?どうしてそのまま放置した!?」

 コルドバは黒ローブの男をキッと睨む。

 「仕方なかったのです。もしもエルダン王が崩御したことを公表すれば、士気にも影響を及ぼします。我が国は二国から攻められているのですぞ?」

 「!!!」

 コルドバはハッとした表情となるが、黒ローブの男は話を続けた。

 「そこで、私の一存で王が崩御なされた事は隠しておいたのです。ですが、西も南も戦いに敗れた今………これからどうやってこの戦いに幕を引くべきかを考える必要があります。そこで私は具申いたします。現王にこれまでの全ての責任を引き受けてもらい、新たにコルドバ様が王になられ、クシュチアの存続を図っていただきたいのです」

 「死んだ父に全てを押し付けるだと!?私に親不孝者になれと申すか!?」

 「では、どうやってこの危機を乗り越えると言うのですか!?」

 コルドバに負けず劣らずの大きな声で叫ぶ黒ローブの男。

 すると、黒ローブの男はゆっくりとコルドバの傍まで歩いて来る。

 コルドバはただ見つめることしかできなかった。

 黒ローブの男はフードを取ると大きな目をコルドバに向ける。

 「このままではクシュチアは滅亡してしまいます。コルドバ様には、亡き父君に代わってクシュチアを統治する責任がございます。ここは私にお任せを」

 その大きな目に引き込まれるような感覚がコルドバを襲う───意識が遠のく。

 「お前に任せる。魔術師よ」

 コルドバは無意識にうちに口を開く。

 「御意」

 黒ローブの男はそう言いながらニンマリと笑うのだった。

 

 ◆

 

 

 それから数日後、マークランドの元にクシュチアの使者が現れた。

 何と、クシュチア王国は正式に終戦協定を結びたいと申し出てきたのだ。

 「どうなさるのですか?マークランド様!?」

 すっかり体が良くなったマークランドは、オデッキオ城の大広間の玉座に座っていた。 その隣にはもう一つ同じ椅子がありセーラムが座っていたが、マークランドに向き直り今後の対応について質問していた。

 「どうって言われても、行くしかないだろう?」

 

 終戦条件は大まかに下記の通りだ。

 ・全責任を現王エルダンの死を以って償うものとし、現コルドバ王子を新クシュチア王として王位に就くものとする

 ・新クシュチア王国は、西はサマニ平原、南はオデッキオ、ミストの領有権を放棄することとし、現在実質支配しているフライムダル、ソーシエンタールにそれぞれ領有権があることを認める

 ・フライムダル、ソーシエンタール両国がこの度の戦争にかかった費用は、全て新クシュチア王国が支払う

 ・新クシュチア王国は、『封印されし島』には今後一切の関与をしないことを誓う

 ・本協定の不履行時の人質として、ソフィーナ王女をフライムダル国へ差し出す

 ・本協定はフライムダル、ソーシエンタール、クシュチアの代表が署名することで正式に締結、即時効力が発揮されるものとする

 ・調印式はクシュチア領メキドで執り行う

 

 「衛星都市メキドはクシュチア王都の南西の公路上にある大きな町で、ソーシエンタールからはかなり遠い位置にあります。往復には2ヶ月ほどの時間を要すると思いますが……」

 セーラムはソーシエンタール本国をそんなに長い間離れるのは少し不安であった。

 もちろん、セーラムもこの協定締結が非常に重要な事は十分承知していたのだが、本国に対してもマークランドの注意を向けさせるために、あえて進言したのだ。

 すぐにマークランドはセーラムの意図を察知する。

 「わかった。ここに駐留しているクラヴマンをすぐに本国に戻し、ゾロウ3国の動きに備えるようにしよう。頼むぞクラヴマン」

 「承知いたしました」

 グラブマンはそう言うと、すぐにこの場を退場し出立の準備に入る。

 セーラムは(さすがはマークランド様。すぐにこちらの意図を察して下さる)と心の中で感心する。

 「さて。それでは、メキドに出立しようと思う。随伴するのはトゥーランドと別動隊の精鋭300とする。選抜はトゥーランドに一任する」

 「御意」

 トゥーランドが膝を折って頭を垂れる。

 「待ってください!」

 セーラムが声を上げる。

 「今度はなんだい?」

 マークランドが苦笑しながら答える。

 「私も一緒に参ります」

 「ダメだ。君はここで待っていてくれ」

 マークランドが即答する。

 だが、セーラムは一歩も引かない。

 「聞いて下さい。その条約には『全責任はエルダン王にあり死を以って償う』とあります。つまり、すでにエルダン王は殺されていると考えるべきでしょう。しかし、私たちが最も恐れているのは、王を影で操っていた魔術師のはずです。その魔術師はおそらく次の王であるコルドバ殿にも取り入っていることでしょう」

 「……それで?」

 マークランドは考え込みながら聞き返した。

 「はい。敵が魔術師である以上、魔術に詳しい者が随行しなければ危険です。しかし、この場で魔術に詳しい者は私とバラモント以外におりません。そこで、私とバラモントを随行者に加えていただきたいと存じます」

 「ワ、ワシもか!?」

 突然自分の名前が出て驚くバラモント。

 セーラムはバラモントへ視線を移すと、悪戯っぽく答える。

 「どうせ師のことですから、独自でメキドに行こうと思っていたのでしょう?だったら私達と共に行った方が何かと都合が良いはずですが?」

 バラモントは元自分の教え子で、フライムダル第二王子であるロックウェルが魔術師の正体と考えている。であれば、ロックウェルを止めるのは自分の責務と考えているだろうと、セーラムは読んだのであった。

 全てを見透かされていると気づき、観念した様子で頭を垂れるバラモント。

 「わかりました。姫さ………セーラム様。ただし、条件があります」

 「ルイザベートも一緒に来るがいい」

 バラモントが条件を言う前にマークランドが答える。

 「いやはや、お二人にはかないませんな」

 バラモントは苦笑しながら言った。

 「よし、ではすぐに出立の準備に入れ。明日早朝に出発する。留守中はグレン、頼んだぞ!」

 「はっ。お任せを」

 グレンが返答する。

 「クシュチアの使者に返答の書状を渡し、急ぎコルドバ王へ届けるように伝えよ」

 「御意」

 「それではこれで解散」

 

 翌日、マークランド率いるソーシエンタールの精鋭300は一路、メキドに向かって公路を進むのであった。

 

 

 

 

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