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マークランド倒れる

 聖騎士ガイの渾身の突きは凄まじく、しかも的確にマークランドの体の中心───馬上では避けるのが困難な箇所へ打ち込んできた。

 マークランドはやや上方気味に全力で剣を突き出した。

 剣は見事槍の先端にヒットすると、激しく火花が散るのと同時に衝撃波がぶつかり合い、その場で爆発した。

 マークランドは馬上から吹き飛ばされ、地面に激しく叩き付けられた。

 さらに四散した衝撃波に巻き込まれたソーシエンタール兵数名も馬ごと吹き飛ばされる。

 突撃したガイの槍も砕け、その衝撃を右腕を中心に上半身に受けたが、何とか馬にしがみ付きながら転がるマークランドの横を通り抜ける。おそらくフルプレートでなければガイも重傷を負っていただろう。

 右腕を押さえながらソーシエンタール軍の後方へ突き抜けると、ガイは味方の槍兵聖騎士団が集合するのを待った。

 「ガイ様、傷は大丈夫ですか!?」

 「ああ、何とかな……」

 衝撃をまともに受けた右手のガントレットは歪んでしまい、腕が固定されたまま動かなくなっていた。

 「……あのマークランドという姫様を謀った輩………ただのヤサ男かと思っていたが、とんでもない剣の使い手だぞ……」

 ガイは右腕以外の甲冑の稼働状況を確かめながら、先ほどの戦いを思い出していた。

 「俺は止まっている相手に突撃したのだ。それなのに、攻撃した側がこれほどのダメージを負うとは………もしも全く同じ状況下で戦っていたら………」

 そこまで言って、ガイは言葉を止めると苦笑する。

 「戦いには『もしも』などなく、相手より有利な立場で戦うのは戦術的に当然だ。今後また戦う機会があれば、同じように正面から突撃して吹き飛ばすまで」

 そう言いながら、部下から新たな槍を受け取るガイ。

 「……では、マークランドは生きていると!?」

 「ああ、生きている………だが、今はやつよりも我が本隊を救うことが先だ!全員揃ったか!?これより右へ迂回し、本隊を攻撃中の敵の背後を強襲する!我に続け!」

 ガイは叫びながら再び戦いの中へ身を投じるのだった。

 

 一方、衝撃をまともに食らい、地面に叩き付けられたマークランドは何とか一命は取り留めたが、瀕死の状態には変わりなく、これ以上の戦いは困難であった。

 味方に抱えられ馬車に乗せられたマークランドは、血が口から溢れながらも何とか言葉を発した。

 「か……勝ち戦を……負け戦にする訳には……いかない………ここが、潮時だ……全軍に撤退の……合図を………」

 「かしこまりました!」

 すぐに撤退の合図を知らせるラッパが鳴り響き渡り、マークランドを乗せた馬車は味方に守られながらオデッキオへ引き上げ始める。

 クシュチア本隊を挟撃していた別動隊も、速やかにソーシエンタール本隊と合流して撤退戦へと移行した。

 その時、殿<しんがり>をつとめたのがグレンであったが、敵は追撃できるほどの余裕はなく、労せずして撤退することに成功した。

 ガイが本隊に到着した時には、ほぼ戦いは終わっており、空が白くなり始めていた。

 朝の訪れにより周囲が見えるようになると、クシュチア王子コルドバは愕然とした。

 公路はクシュチア兵の死体で埋め尽くされ、大地は血で真っ赤に染まっていたのだ。

 想像以上の被害である。

 一番の原因は暗闇の中での戦闘により、同士討ちが多々あったことがあげられる。

 明らかに一般兵の練度不足であるのだが、20年以上も平和が続いた状態であったため、ほとんどの者が実戦経験がなく暗闇の中でパニックに陥ったのである。

 『比類無き剣士』ゾニエル率いる近衛兵に守られ、ただ暗闇の中で逃げ回っていたコルドバは約半数の9千もの兵力を失った。

 そこにガイが戦況報告に参上した。

 「敵はオデッキオに向けて撤退中の模様でございます」

 「オデッキオだと!?どういう事だ!?」

 コルドバは一人黄金のプレートメイルを輝かせながら問うた。

 ガイは跪きながら「はっ」と返事をして頭を下げると、更に報告を続けた。

 「ソーシエンタールどもは、我々が到着する前にオデッキオをその支配下としていたようでございます」

 「な、何と………そうとも知らずに私は………」

 コルドバは両手を力一杯握りしめると、震える手を見つめながら指示を出した。

 「直ちに追撃の準備をしろ!!ソーシエンタール軍を殲滅するのだ!!」

 「な……!!」

 ガイは驚きのあまり声が出なかったが、代わりにゾニエルが静かなトーンで口を開いた。

 「王子。どうかお待ち下さい」

 「何故だ!?敵は撤退したのだぞ!?このまま追撃戦に移行するのは戦の定石だ!」

 捲し立てるように叫ぶコルドバにゾニエルが叫ぶ。

 「王子!!」

 「………!」

 ゾニエルの声に体をビクリと震わせて黙り込むコルドバ。

 それを見てゾニエルは元の静かなトーンで話し始めた。

 「コルドバ様。我々はオデッキオで十分な補給を受ける予定でしたが、今ではそれも叶わず、僅かに残っていた備蓄も炎に焼かれてしまいました………これでは戦いようがございません」

 「だが、このままでは私は………!」

 「王子。敵はこの戦いに十分に備えていた様子………このまま追撃をすると、更なる伏兵が待ち構えている可能性もあります。ここは一旦退いて態勢を立て直すべきです。そして改めて正面から戦うのです。数で勝り、聖騎士団と我々近衛がいるクシュチア軍が正々堂々の戦いに負けるはずが御座いません」

 ゾニエルの進言にコルドバは全く言い返すことが出来ず、顔を真っ赤にするだけであった。

 「王子。戦場にはまだ負傷した者たちが大勢残されております。すぐに救助隊を組織すべきと存じます。どうか私にお命じ下さい!」

 ガイが半ば懇願するように進言する。

 コルドバはその必死な姿を見ると拒否することは出来なかった。

 「……わかった。ガイ、すぐに負傷者の救援に当たれ。そして戦死者は公路の脇に穴を掘って埋め、慰霊碑を建て丁重に供養せよ」

 「御意!」

 ガイはそう言うとすぐに飛び出して行った。

 「ゾニエル……貴公は全軍撤退の準備をしろ。態勢を立て直す」

 「御意」

 ゾニエルも早足でこの場を後にする。

 コルドバはしばらく呆然と立ち尽くすと、独り叫んだ。

 「聖騎士1名を含む被害数9千にも上る歴史的大敗………この屈辱、絶対に忘れんぞ!マークランドっ!」

 

 

 クシュチア正規軍を撃退することに成功したソーシエンタールだったが、マークランドは瀕死の重体であった。

 オデッキオに帰還したマークランドは意識を失う直前に今後の指示を出していた。

 それが───。

 「全軍突撃ーーっ!」

 グレンを先頭に港へ突撃するソーシエンタール軍は、次々と停泊中の船を押さえて行く。

 港町ミストは海の物流拠点であるため、船を取り押さえ港を封鎖することで事実上、占領したようなものだった。

 海に生きる者たちにとって、船は命より大事なものであり、それを真っ先に掌握することで、町の者たちはむちゃな行動が取れなくなるからだ。

 次いで、町の長が住んでいる邸宅を押さえ、港に町人や行商たちを集めて町長からミストはソーシエンタールに降った事を発表させた。

 続いてミストには今まで通りの生活を保障するとともに、ゾロウ連邦との交易、ひいてはフライムダル国との交易も約束した。

 そのための海洋ルートの確立を推奨し、寄付金も出すことを提案したため、ミストの住民たちは大喜びしてソーシエンタールを迎え入れた。

 「ミストを落とせば、クシュチア王都まで船で直行することが出来る。さぞコルドバ王子も肝を冷やすことだろうな……」

 グレンは高台からたくさんの船が停泊している港を見下ろしながら呟いていた。

 「……今頃トゥーランドはうまくやっているかな?」

 

 公路を北上する一軍があった。

 その姿は誰もが土や炭で全身汚れ、たくさんの負傷者を囲むように隊列が組まれており遅々として進まない様子だった。

 さすがの聖騎士ガイや、近衛隊長ゾニエルにも疲労の色が伺えるが、コルドバ王子だけは一人馬車の中で休息していた。

 ここ数日、夜になるとソーシエンタール軍がドラや太鼓を鳴り響かせたり、鬨の声を上げたりして、夜襲を仕掛けてくるフリを一晩中していたため、ほとんどまともに寝ていない状態であった。

 負傷者を多く抱えているため、速度を上げて行軍することができず、補給と休息を予定している『バーナード』の町まではあと3日ほどかかる予定であった。

 深夜───。

 野営中のクシュチア軍に、いつものドラや太鼓の音が聞こえてきた。

 「どうせまたフリだけで攻めて来ないだろう」

 ほとんどのクシュチア兵はそんな考えで、警戒することもしなくなっていた。

 それこそがソーシエンタール側の狙いであったが、夜襲を仕掛ける側もやはりクシュチア兵同様、寝不足となり体力を消耗する。『肉を切らせて骨を断つ』ではないが、完全に我慢比べの様相を呈していたのは確かだった。

 それも今晩で終わる───。

 トゥーランドはこの別動隊を誇りに思う。

 敵補給部隊事前工作、オデッキオ事前工作、敵偵察隊警戒、敵陣営の監視と情報伝達………。その全てが裏方に徹したものであったが、間違いなく、マークランドが立案した作戦の中核を担う仕事であった。

 万感の思いを込めて、トゥーランドは大きな声で叫んだ。

 「全軍攻撃開始!」

 『おおーーっ!!』

 トゥーランドの声と共に、一斉に火矢を浴びせるソーシエンタール軍。途端にに周囲は昼間のように明るくなる。

 異変に気付いた聖騎士ガイは天幕の外に出ると、周囲の光景に愕然とした。

 燃えていた。

 ソーシエンタール軍は、容易に野営中のクシュチア陣内に侵入すると、油をまき次々と火矢を放っていた。

 油が焼けるイヤな臭いが鼻をつき、立ち昇る黒煙で周囲の状況が確認できない。

 「ここまで徹底して正々堂々の戦いではなく、策謀による戦いを仕掛けて来るとは………これでは聖騎士の力を発揮できん……!!」

 そこまで言ってガイはハッとした。

 「……そうか……最初からそれが狙いだったのか。弱小国が大国に勝つための手段……という訳か……!」

 すでに馬もどこに行ったのかわからず、フルプレートに槍を持ったガイは、地上では単に動きが遅い一兵士でしかなかった。

 しかも聖騎士の乳白色のフルプレートは非常に目立つ。

 「全軍撤退しろ!私が囮になる!」

 ガイは大声で叫ぶと、槍を振り回して火矢を叩き落とす。

 コルドバ王子は近衛に守られながら北を目指して落ち延びていく。

 朝を迎えると、辺り一面焼け野原となっており、延焼した炎は森まで焼いており、まだくすぶっているようで黒煙があちこちから立ち昇っていた。

 死体は累々と北へ続いており、その中に真っ黒に煤けた聖騎士ガイの姿もあった。

 この戦いでクシュチア軍は更に半数もの兵力を失い、残った者たちも傷ついた者たちばかりで、軍としての機能はほとんど持ち合わせていなかった。

 『バーナード』へ辛くも到着したコルドバは、ソーシエンタールとの徹底抗戦を宣言していたが、王都から急遽帰還命令が発せられ、「これ以上ソーシエンタール軍の侵攻を許すな」と言い残して、ゾニエルと共に王都へ戻って行った。

 

 マークランドはオデッキオの城で3日間もの間意識を失っていたが、町の医者や祈祷師などが集まり必死の対処を行った結果、4日目の朝に何とか意識を取り戻した。

 だが、内臓がかなり損傷しており、このままではいずれ命を落とすほどの重体であった。

 そのため、早急に高度な手術もしくは高度な魔法治療が必要であったが、これほどのダメージを負った者への外科手術は前例が無く、更にソーシエンタールの宮廷魔術師を呼ぶにしても到着まで時間がかかり過ぎるため、打つ手がない状況であった。

 そこへ一人のローブを着た老人と、12、3歳ほどの少女が城を訪ねてきた。

 聞けば、自分は修行のため大陸を旅して歩く賢者であり、今日オデッキオに到着したばかりなのだが、宿にあった緊急募集のビラを見て、もしかすると力になる事が出来るかもしれないと参上したと言うのだった。

 あまりにも胡散臭かったため、門番の者は城に入れるのを躊躇ったが、マークランドは喜んで頼みたいと言って病床へ通した。

 老人はマークランドがしゃべれる状態であれば、まだ大したことはないと勝手に考えていたが、案内されて絶句した。

 マークランドの腹は妊婦のように大きく膨張し、その腹には数本の管が刺さっており、そこから腹にたまった血を外に出していた。

 肌の色は青白く、血液が不足しているのが一目瞭然であり、体のあちこちがうっ血していた。

 目の下には真っ黒なクマを作り、微かに震えながら老人に視線を向けるマークランド。

 「やあ……よく……来て……くれました……」

 絶え絶えにやっとの思いでしゃべるマークランド。

 それを見て、老人は慌てて制止する。

 「わかりましたから、もうしゃべるのは止めて下さい。体力を消耗します」

 老人はそう言いながらマークランドのベッドの横に座ると、再びその顔を覗き込む。

 もう何日も食事を取っていないせいか、頬はゲッソリとしたミイラのようだった。

 だが、その目の輝きはまだ失われておらず、生きることを信じて疑わないように見えた。

 老人は察した。

 このマークランドという男は、この老人に命を預けたと言っている。そして、再び元気を取り戻せると固く信じている。

 通りすがりの老人をそこまで信じるマークランドを目の当たりにして、意を決した老人は目を閉じると、精神を統一するように深く、ゆったりと呼吸をする。隣の少女も同じように目を閉じている。

 マークランドの側近や、オデッキオの医師たちはその様子をただ見守り続けた。

 魔術を行使する時は、周囲の者は一切の音を立てることや、動くことは禁じられている。何故なら、ちょっとした事で術者の精神集中が乱れると、魔術が暴走し大変な事故に繋がるからである。

 ちなみに、魔術師は証明書を携行することが義務付けられており、各国の宮廷魔術師がその力を認めた者だけに証明書を発行する仕組みになっていた。

 そしてその証明書が無いものが勝手に術式を展開する事は、大陸全土で禁止されていた。そのため本来、マークランドはその証明書を確認しなければならなかったのだが、老人に全てを委ねる決意を示し、老人もそれに応えたため、マークランドは証明書を見る必要はないと判断し、まるで全ての結果を受け入れるような穏やかな表情で瞳を閉じていた。

 老人もここまで信頼されては全身全霊で応えるしかないと、気を最大まで高めて行った。

 老人と少女から発せられたオーラが、徐々にマークランドを包み込んで行く。

 マークランドの体はやがて光に包まれ神々しく光を放つ。

 老人と少女はカッと目を開けると、両手をマークランドの上にかざしパワーを送り込む。

 展開された術式が魔法陣となって、ベッドとマークランドの間に出現するすると、いくつもの光の筋が、マークランドの体から絶え間なく天井に向かって伸びては消えていく。

 やがてマークランドから発せられる光のシャワーは七色に輝き始める。

 ふと見ると、魔法陣はそれぞれ違った形で3層にまで成長しており、その光の力を制御するかのように、老人と少女が広げた両手で魔法陣から発せられる光を抑え込む。

 この制御する力こそ魔術師で一番必要な力であり、常人では不可能な領域なのだ。

 老人と少女は必至の形相で光のパワーをコントロールする。

 そして、魔法陣が4層になった瞬間───。

 光は突然失われ、周囲に鮮やかな色が戻った。

 少女は持てる力を出し尽くし、その場に崩れるように倒れこむと、老人もドサっと椅子にへたり込み、ぜいぜいと肩で息をしていた。

 すぐに少女と老人はその場にいた側近と祈祷師が体を支え、医師らはマークランドの診察を行う。

 マークランドは見た目はやせ細ってはいたが若干血色は良くなっており、膨らんでいた腹は萎んで筋肉が浮かび上がり、うっ血していた箇所も綺麗に無くなっていた。

 「栄養失調で体力は無く血液も不足していますが、命に別状はございません。今後は少しずつ量を増やしながら栄養があるものを食せば、いずれ元通りとなるでしょう」

 『おおっ!』

 部屋中が歓喜の声に包まれ、すぐにこの報はオデッキオから全てのソーシエンタール軍に知らされた。

 オデッキオの町では、ソーシエンタールから(と言っても、元はミストからの輸送物資なのだが)無料で酒が振る舞われ、町をあげてマークランドの無事を祝った。

 しばらくしてマークランドは目覚めると、すぐに老人と少女を呼び、その手を握って何度も頭を下げながら礼を言った。

 このマークランドの対応に老人と少女は非常に驚いた。

 今まで見てきた国々の王家や貴族たちは、頭を下げて礼を言うことなど、一度たりとも無かったからだ。どんなに命を救おうともその後は姿を見せず、側近から「ご苦労であった。褒美を与えるので感謝せよ」と言われるのが関の山であった。

 それが、まだ目覚めたばかりだというのに、一番にベッドに呼ばれて頭を下げて礼を言われるなど、考えもしなかったのだ。

 「先ずは目覚めた私の姿を、一番にあなた達にお見せするのが筋だと思い、急ぎお呼びしました。この度は本当にお世話になりました。ありがとうございました」

 「いえいえ、何と勿体ないお言葉。ワシ……私もお元気になられたマークランド様とご対面でき、本当に嬉しく思っております。なぁ、ルイ?」

 老人はそう言いながら隣の少女を見る。

 「はい。お爺様」

 少女は少し照れた様子でうつむきながら答えた。

 「そう言えば、まだお二人のお名前を伺っておりませんでした。危うく命の恩人の名前を知らぬまま送り出す所でした」

 「恩人などとそんな御大層な。私は元フライムダル国の王宮魔術師、バラモントと申します。そして、この娘は孫のルイザベートです」

 バラモントから紹介されて、ルイザベートが頭を下げる。

 「おお、フライムダルの元王宮魔術師殿でしたか。私は先ごろ、フライムダルの王女セーラムと結婚させていただきました」

 「聞き及んでおります。王宮にいた頃、セーラム姫には何度も魔術をお教えいたしましたので、これも何かの縁と思い立ち寄らせていただきました」

 「そうでしたか……」

 マークランドは嬉しそうに微笑むと、再び二人の手を握り口を開いた。

 「バラモント、そしてルイザベート。本当にあなた達にはお世話になりました。今後何か困った事がありましたら、いつでも連絡して下さい。私が直々に出向いてこのご恩に報いましょう。ただし………」

 そう言うとマークランドは二人に目配せをしてから続けた。

 「……もう少し元気になるまで待ってからにして下さい」

 このマークランドの言葉に三人は声を上げて笑った。

 バラモントはこの時思った。

 本当に仕えるべき主君にやっと巡り合うことが出来たと。そして、マークランド様であれば、このルイを───。

 バラモントは静かに一人、決意を固めるのであった。

 

 

 セーラムは遠くソーシエンタール本国で見えない敵に対して奮戦していた。

 ゾロウ3国───まだ、表立った動きは見せて無いが、動き出してからではもう遅い。マークランドが留守である今、3国を牽制して動けないようにするのがセーラムの仕事である、と本人は考えていた。

 「お父様………」

 シャナードの年代物のデスクの前で、白の刺繍が豪華な薄い青色のワンピースに、明るめの茶色の髪はまとめられて左肩から胸の前に流し、ワンピースと同色のブーツを履いたセーラムが立っていた。

 「お、お父様………」

 シャナードは相変わらずセーラムに『お父様』と呼ばれるのが嬉しいようで、顔の筋肉が緩んでいるのが傍目からでもはっきりわかった。

 セーラムはそんなシャナードを気に留めることなく続けた。

 「先ほど、フライムダル国の使者より、ガルバダード砦からザクソンとの国境付近へ兵を進め、ソーシエンタールに何かあった場合は、ザクソン国内へ兵を進めると、警告を発したそうです」

 「そうか。これで3国も迂闊に攻め込むことが出来ないはずだな」

 「はい」

 セーラムはそう言うと頭を軽く下げた。

 「これも、そなたとフライムダルの尽力によるものだ。改めて礼を言う。そして兵を動かしてくれた父上にもお礼を伝えてくれ」

 「かしこまりました」

 セーラムは一礼するとシャナードの私室から退出しようとする。

 その時、ドアがいつもより強めにノックされ「緊急!緊急!」と声がする。おそらくこの声の主は軍団長のクラヴマンだ。

 これほどの者が直々に緊急で報告をしに来るとは、何か特別なことがあったことは察しがついた。

 セーラムは一気に不安が押し寄せ胸が苦しくなる。

 「入れ!」

 シャナードの声が響くと、ドアが勢いよく開けられ室内に一歩入るとドアを閉め、すぐに片膝をつくクラヴマン。

 流れるような所作が軍服姿と相まって見ていて気持ちがいい。

 だが、クラヴマンから発せられた言葉はその逆だった。

 「報告します。マークランド様がクシュチア正規軍との戦いで負傷。意識不明の重体との事です」

 「……!!!」

 セーラムとシャナードは絶句した。

 クラヴマンはその後、簡単に経緯報告を行った。

 「……つまり、宮廷魔術師の力が必要だというのだな!?わかった、急ぎ出立させよう!」

 「いいえ、私が参ります」

 セーラムが毅然とした態度でシャナードを見つめながら続けた。

 「私はフライムダム王家だけに伝わる秘儀を伝承された身。そして、王宮魔術師より正式に魔術行使の許可もいただいております。そして、何より……」

 セーラムは両手を胸の前で組むとはっきり言った。

 「私はマークランド王子の妻です!」


 シャナードはセーラムの決意は揺るぎ無いものと悟り出立を許可した。

 護衛としてクラヴマン率いる3千の兵も同行する事となり、その日の内に出発した。

 ───今からではもう間に合わないかも知れない。

 そんな事はセーラムも理解している………だが、黙って待っているなんて出来やしなかった。

 黄金の軽装鎧に身を包み、ハーフマントをなびかせて全力で馬を走らせるセーラム。

 「マークランド様……どうかご無事で……!」

 

 ◆

 

 

 ベッドの上で食事を終えたマークランドは、外が騒がしい事に気付いた。

 「町中で何か騒ぎがあったのかな?」

 そう言いながら、マークランドはベッドから降りようとする。

 「ダメです、マークランド様。安静にしていて下さい」

 ルイザベートが食べ終わった食器が載ったお盆を両手で持ちながらマークランドをたしなめる。

 「わかってるよ、ルイ。それよりも、僕の身の回りの世話まで頼んでしまって申し訳ないな」

 「大丈夫です。まだしばらくはこのオデッキオに滞在する予定ですので」

 「いやいや、僕が言いたいのはそういう事ではなくて………」

 マークランドが改めて説明しようとした瞬間、ドアが激しく開け放たれた。

 ルイが驚きのあまり、食器ごとお盆を落としそうになる。

 「マークランド様っ!!」

 突然現れた軽装鎧を着たセーラムは、一目散に体ごとマークランドにぶつかって行った。

 「ごふっ!」

 マークランドは息が詰まり、引き離そうとその肩を掴むと、涙を流してマークランドの胸に顔をうずめるセーラムがそこにいた。

 「……ご無事で……本当にご無事でよかった……」

 そう言いながらセーラムは咽び泣いた。

 マークランドはそんなセーラムの頭を撫でながらやさしい口調で話した。

 「ありがとう。わざわざ僕のために急いで来てくれたんだね」

 マークランドはドアの方を見ると、そこにはクラヴマンが片膝を付いて頭を下げている姿があった。

 それである程度の事情を察したマークランドは、クラヴマンに微笑みながら頷いた。

 それを見てクラヴマンはもう一度頭を下げると部屋から退出して行った。

 するとセーラムは顔を上げて、潤んだ瞳でマークランドを上目づかいで見る。

 「命に別状はないと、オデッキオの門番にお聞きしましたが、お怪我の具合はどうなのでしょうか?」

 ああ、先ほど外が騒がしかったのはそのためか、とマークランドは内心で納得した。

 「貴女が来るまでは順調にご回復されておりました」

 突然ルイがセーラムに少し怒ったような口調で言った。

 ピクっとセーラムの肩が跳ね上がるのがマークランドには感じられた。

 「それはどういう意味かしら?」

 セーラムが上体を起こしてルイを見る。

 「お言葉の通りです。どなたかは存じませんが、まだ傷が十分に癒えていないマークランド様に、そのような汚れた鎧姿で抱き着くとは、非常識だと思います」

 「!!!」

 セーラムはハッとして自らの姿を改めて見てみると、全身埃まみれで、鎧には砂塵が付着しブーツは泥まみれで、床にはセーラムの足跡が残っていた。

 それも無理はない。本国からマークランドが心配で、急いで馬を飛ばしてきたのだから。

 しかしセーラムは途端に恥ずかしくなり、顔を赤らめながら立ち上がった。

 「ルイや……その辺にしておきなさい。その御方はマークランド様の奥方、セーラム様なのだぞ?」

 バラモント老人が部屋に入りながら声をかける。

 「セ、セーラム様!?」

 今度はルイがハッとしてお盆をテーブルの上に置くと、「と、とんだご無礼を、申し訳ございません!」と言いながらその場に平伏する。

 「あなたは……もしかして、バラモントですか?」

 セーラムが驚いた表情でローブ姿の老人を見つめる。

 「お久しぶりでございます。セーラム姫」

 バラモントはそう言いながら片膝を付き頭を下げる。

 「何故ここにいるのですか?」

 「えーと、積もる話もあるだろうが……」

 マークランドがセーラムに声を掛けるとセーラムが振り向く。

 「……その前に、先ずはその身をきれいにしてからにしないか?」

 セーラムは再び顔を赤らめると「失礼いたしました」と言いながら、バラモントの脇をすり抜けて部屋を飛び出して行った。

 

 セーラムは体を清めてからドレスに着替え、再びマークランドの病室を訪れると、改めてその無事を喜んだ。

 その後、オデッキオの門の上に姿を現すと、オデッキオの住人を集めて、妻としてマークランドを助けるために尽力してくれたことに謝意の言葉を発し、深く頭を下げ感謝を表した。

 その若く美しく毅然とした態度でありながら、優しさが溢れるセーラムの姿は、オデッキオの住民から『女神さま』と呼ばれ、マークランドよりも崇められることになった。

 さらに、帰還したグレンとトゥーランドを呼び、その活躍を称えるとともに、今後もマークランドを支えてくれるよう、その手を取って頼んだ。

 グレンとトゥーランドは感激して、更にマークランドとセーラムのために働くことを誓った。

 それから軍を視察しながら激励の言葉をかけて回ったため、兵士たちの士気は俄然高まった。

 マークランドが不在という、いわば不安定な状況でありながら、セーラムはたった一日で軍、民ともに掌握することに成功したのである。

 これは持って生まれた美しさもさることながら、まさに『王者の才』と呼ぶに相応しい能力によるところが大きかった。

 ザックホーン王もセーラムが女である事を本当に悔やんだと言ったらしいが、こうして目の当たりにすると確かに納得できた。


 セーラムはマークランドの病室で一緒に夕食を取り、夫婦となって初めて夫と楽しい時間を過ごした。

 マークランドの優しい笑顔を見ると、本当に幸せな気持ちになり、またその胸に飛び込みたくなる衝動に駆られた。

 「……そちらに行ってもよろしいですか?」

 セーラムはモジモジしながらマークランドを見る。

 「もちろんだよ。おいで」

 マークランドは上半身を起こしたベッドの上で両手を広げる。

 「ああ、マークランド様……」

 今度はマークランドにそっと寄り添うように体を預けるセーラム。

 まだあどけなさが残る17歳の少女が、自分のためにこれほどまでに身を粉にして働いているのだ。


 報いなければならない───自分を助けてくれた全ての人に。

 報いなければならない───この愛しい妻に。

 マークランドはセーラムを抱きしめながらそう心に誓った。

 

 

 


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