侵攻
正式にマークランドの妻となったセーラムは、義父となるシャナードと共にソーシエンタールへ帰国の途についたが、マークランド自身はガルバダードから直接グランナダへ向かい、更に現在は軍を率いて『オデッキオ』へ向け進軍を開始していた。
それに呼応するように、フライムダルもクシュチア領内に兵を進めた。
これにより、クシュチアは西と南から同時に攻撃を受ける形となったが、フライムダルは『封印されし島』の状況がはっきりしない現状において、そちらの防備と再封印の準備も進める必要があり、クシュチア侵攻に全力を挙げることはできない状況であった。
「これでも一応、新婚なんだけどな?」
馬上で揺られながらマークランドはグレンに愚痴をこぼす。
「存じ上げております」
グレンはマークランドよりも半馬身ほど後ろに位置していた。
「普通、王子が妻を迎える場合は、国を挙げて盛大に祝うものだと思うのだが?」
「存じ上げております」
「だが、そんな行事はすっ飛ばして僕はここにいる………いくら政略結婚とはいえ、この扱いはないだろう?」
「今頃、本国では国を挙げて盛り上がっていると思われます」
「当人抜きで?」
「若くて、美しく、聡明なセーラム様がいらっしゃいます」
「話にならないな」
マークランドは不貞腐れながら行軍を続けていた。
「これは完全にゾロウ連邦の嫌がらせだ。まぁ、結婚の儀であんな事をしでかしたものだから、痛い目にあわせようと3国が口裏を合わせてこのような仕打ちをするのも仕方ないとも言えるが、自国へ戻らずに真っ直ぐ前線へ行けというのはいかがなものかね?」
「誰も『オデッキオへ攻め込め』とは言われていないと存じますが………」
「いや、まぁ、それはそうなんだけどね……」
ゾロウ連邦からの命令は『最前線に戻り、来るクシュチア戦に備えよ』だったのだが、マークランドの指示によりオデッキオへ侵攻を開始していたのだ。
「でも、考えてみてくれ。グランナダはソーシエンタール側からの防衛に特化した作りになっているから、クシュチア側からの攻撃を防ぐには難しいのだ。だから、クシュチア正規軍が到着する前にオデッキオを攻め落として、港町ミストまで攻め上がっておきたいのだ」
「お言葉ながら、オデッキオは交通の要所、ミストは物流の要所でございます。敵もそれなりの備えはしているはず。簡単に落とせるとは思えません」
「重要な町だからこそ、その二つの町は押さえておきたいんだ。グレン。僕の作戦を否定するのであれば代案を出してくれ。否定するだけであれば子供でもできるからね?」
「出過ぎたマネをいたしました。ご容赦を」
そう言いながら自らの馬を下げるグレンだったが、内心では堂々たるマークランドの姿を見て舌を巻いていた。
平和の世しか知らないマークランドにとって、これが正真正銘の初陣となる。だが、全くそれを感じさせない度量の大きさには、グレンも指南役として誇らしい気持ちだった。
今回の出陣にあたり、マークランドはゾロウ連邦の嫌がらせと言ったが、もちろんそれは本心ではなく単なる軽口だ。
実際は、二国間同盟を受け、クシュチアはすぐに対抗処置としてソーシエンタールを攻撃してくるはずであった。よって、それに備えるためにマークランドは結婚に浮かれる暇を与えられず前線に放り込まれたのであり、本人も十分それを理解した上でここにいるのだ。
しかし、実はマークランドとしては、もう一つ、ソフィーナの安否の確認も行いたかったのだ。
もし無事に脱出していれば、おそらくオデッキオかミストに行ったはずなので、何かしらの情報を得られるかもしれないという期待があった。
グレンは何気なく後ろを振り返ると、兵隊の他にも荷馬隊が延々と列をなしていた。
だが………それにしても行軍速度が遅い。
本来、グランナダからオデッキオまでは、二日ほどで到着できる距離だ。それなのに、すでに出発してから三日目の太陽が沈もうとしていた。
「よし、ここで野営を行う」
マークランドは全軍に指示すると、すぐに天幕の設営と食事の準備が進められた。
「マークランド様……」
グレンはさすがに不安になりマークランドへ声をかける。
「急ぎオデッキオを攻略しなければ、クシュチア本隊が到着してしまいますぞ?」
「うん?もちろん承知しているが?」
マークランドは『それがどうした』と言わんばかりだ。
しかしグレンも食い下がる。
「……ではどうしてこうも行軍速度が遅いのでしょうか?遅くなればなるほど、敵に準備時間を与えてしまいます」
「ああ、それが不安だったのか……」
マークランドはなぁんだ、と言わんばかりだ。
「グレン。僕は別にのんびり行軍していた訳ではない。これは敵を窮地に立たせるための作戦行動なのさ」
「???」
グレンはピンとこない。
マークランドはそれを見て「今にわかるさ」と言って、手を振って立ち去ってしまった。
そのマークランドの態度から、それほどこちらが不安になる必要はないように思われ、グレンも野営の準備を行うのであった。
───深夜。
月明かりに照らし出された早馬が、ソーシエンタール軍に向かって土煙を巻き上げながら近づいていた。
その数はどうやら1騎だけのようで、兵士の背中にはソーシエンタールの指物が見て取れた。
見張りの者が甲高い口笛を吹くと、近づく早馬からも同じように口笛の音が返ってきた。
これを受けて見張りの者たちは早馬を受け入れる準備をしつつ、同時にマークランドへ知らせに行った。
マークランドは知らせを聞きすぐに飛び起きると、自分の天幕へ連れてくるように指示を出した。
しばらくすると、先ほどの早馬に乗っていた者がマークランドの天幕にやってきた。
「お休みのところ申し訳ございません」
早馬の男はソーシエンタールの軽装鎧を装備し、非常に小柄な30歳前後の男であった。
黒色の毛髪はかなり少なくなってきており、額がかなり広くなっていた。
「トゥーランド。ご苦労だったね」
「はっ。只今戻りました」
トゥーランドはそう言うと片膝をついて深く頭を下げた。
このトゥーランドという男は、小さい体を生かして早馬による連絡係や、時には間者のような事もやる裏方のプロであり、マークランドにとっては無くてなならない存在であった。
マークランドは天蓋付のベッドの横に木製の椅子を置き、そこに座りながらトゥーランドへ問いかけた。
「で、首尾の方は?」
「上手くいきましてございます」
そう言うと、トゥーランドはニヤリと笑う。
「よくやってくれた!……して、別動隊の方は?」
「計画通り向かっております」
「よし。わかった。トゥーランドはここでゆっくり休むがいい」
マークランドはそう言いながら勢いよく立ち上がる。
「いえいえ………私は一足先に向かって、マークランド様をお迎えする準備を整えておきます」
「そうか、トゥーランド………頼む」
「承知しました」
トゥーランドはそう言いながら頭を下げると、すぐに天幕から姿を消した。
マークランドは苦笑すると、天幕を飛び出しで大声で叫んだ。
「これよりオデッキオ攻略に向け進軍する!全軍急ぎ準備せよ!!」
マークランドの声に一斉に行動を開始するソーシエンタール軍。
支援部隊を除いた実働兵力はおよそ5千あまり。
オデッキオの人口は駐留する軍隊を合わせると3万を超える。
通常、攻城戦においては攻める側が守る側の3倍の兵力が必要と言われる中、攻める側のソーシエンタール軍は6分の1の兵力しかなかった。
それでもマークランドは勝利を確信し暗闇の中疾走した。
先ほどの野営地点からオデッキオまでは30キロ。およそ2時間で到着予定であるが、その頃はまだ夜は明けていないはずだ。
───だが、オデッキオに近づくにつれ、町の上空が明るくなっていた。
その色は赤。
よく見ると煙が立ち上っており、それが炎で赤く染まっているのであった。
「マークランド様!」
「ああ、見えている」
グレンの叫び声に落ち着いたトーンで答えたマークランドは、初めて全軍に向かって具体的な作戦指示を出した。
「おそらく公路を塞ぐ門は開け放たれているはずだ!全軍一気に町へ突入し、混乱に乗じて城を攻め落とすぞ!その後は順次、消火活動と町の治安回復に努めよ!全軍、突撃!!」
「「おお!!」」
鬨の声とともに凄まじい勢いでオデッキオへ迫るソーシエンタール軍。
だが、マークランドの言葉とは裏腹に、道幅も広く舗装された公路を塞ぐ巨大な門は閉ざされたままであった。
それでも誰一人疑うことなくスピードを落とさずに門へ迫るソーシエンタール軍。
すると、前方で地響きとともに巨大な門が少しずつ開き始めた。
ふと門の上を見ると、トゥーランドが小さい体を大きく使ってソーシエンタールの旗を振っていた。
通常であれば隠れ場所もない広い道を馬で接近すれば、たちどころに弓矢の雨が降ってくるはずであるが、混乱に陥っているクシュチア軍からの攻撃は一切なく、ソーシエンタール軍は完全に開け放たれた門を一気に突っ切り町中へと躍り出る。
公路の両側には様々な店が並んでおり、昼間であればかなりの賑わいが予想されたが、今ではあちこちで火の手が上がり、火の粉と黒煙から逃げ惑う人々が右往左往していた。
その光景はまさに地獄のような凄惨なもので、それが2キロほど先の城まで延々と続いていた。
マークランド達は真っ直ぐ城に雪崩れ込むと、敵の抵抗はほとんどなく簡単に制圧することが出来た。
クシュチア軍は町の消火活動に手一杯の状態で、戦争など出来る状況ではなかったのだ。
すぐにマークランドはオデッキオから30キロ離れた野営キャンプを門外まで移動させ、住民の避難と怪我人の手当を優先させた。また、延焼を食い止めるため、可燃物を移動したり建物を打ち壊したりして被害を最小限にとどめた。
その甲斐あって、夜が明けた頃にはほぼ鎮火し、住民の避難と食料や備品の支給も開始される状態であった。
マークランドは住民に対して、今までと変わらない生活を約束すると共に、この度の火災で被害を負った者にはそれ相応の保障をすることを宣言し、復興の支援を惜しまないと約束した。
トゥーランドの報告によれば、火災は3か所で同時に発生し、深夜という事もあり逃げ遅れて死んだ者は120人にも及んだ。
マークランドはその120人に対して、ソーシエンタールの名のもとに葬儀を執り行い、残された遺族には十分な補償を与えた。
これらマークランドの早急な対応によって、住民達からは不平不満の声はあがらず、暴動等も発生しなかった。
「それにしましても………」
公路上の門の上から、朝日に照らし出された町並みを見下ろしながらグレンは続けた。
「あまりにも手際が良いですな……マークランド様?」
「説明が必要かい?」
グレンの隣で同じように町並みを見ているマークランドがニヤリとする。
「よろしければご教授ください」
グレンはマークランドに向き直って頭を下げる。
「では順を追って説明しよう……」
そう言うと、マークランドはグレンに今回の作戦の全貌を簡単に説明した。
先ず、マークランド率いる本隊は『オデッキオを攻撃する』と大々的に宣伝するために、あえて堂々と、そしてゆっくりと準備をしてから進軍を開始した。だが、密かに先発した別働隊はオデッキオではなく、直接港町ミストへ向かったのだ。その目的は敵の補給物資であった。
もしクシュチアがグランナダ奪還に動いた場合、ほぼ間違いなくオデッキオを拠点とするはずで、そのためには事前にミストから大量に物資を運んでおく必要がある。
そこに目を付けたマークランドは、別働隊にオデッキオとミストの中間地点に兵を伏せ、補給物資をことごとく手中に収めたうえでミストの補給隊に成りすまし、可燃物を積んだ偽物の物資をオデッキオへ届け、マークランドが侵攻するタイミングで火を放ち、町を混乱へ導いたのだった。
ミストは途中で補給物資が奪われているとも知らずに、次々と補給物資を送ってくるので、マークランドはその補給物資を有難く利用させてもらっていた。
つまり、マークランドは自軍に被害を出すことなく入城を果たしながら、町の支援もそのほとんどが敵の補給物資で賄っていたのだ。
「僕にとっては初陣だからね。どうしても勝ちたかったんだ」
そう言いながら笑うマークランドを、グレンは唖然とした表情で見ていた。
何という先見の明───。我が主は立派に成長なされた。
マークランドが幼いころから指南役として付き従っていたグレンにとって、非常に感慨深いことであった。
「別働隊の今後はいかがなされるのでしょうか?」
グレンがマークランドに質問する。
「ミストからはもうしばらく援助してもらわねばならない。従って、オデッキオが我らの手に落ちたという事をミストへは知られないように、使者はことごとく捕える必要がある。同じように、クシュチア本隊にも情報を渡したくはないので、そのための網を北と東に張ってもらうつもりだ」
「なるほど。何も知らないミストはここに補給物資を送り続け、我々はそれを使ってこれから現れるクシュチア軍を迎え撃つ、という事ですな」
「そうだ。戦争は補給という問題が常に付きまとう。クシュチアはオデッキオに行けば補給できると考えて行軍してくるはずで、かなり疲弊しているだろう。そこを強襲すれば、たとえ兵力が少なくとも我々にも十分勝機はある」
「お見事です。マークランド様」
グレンは片膝をついて頭を下げた。それを見て慌てるマークランド。
「おいおいグレン。まだ本番はこれからだぞ?たぶん、クシュチア正規軍は二、三日中にはここに到着するはずだ。グレンには戦場となる北側の地形調査を頼みたい」
「御意」
グレンは頭を下げるとすぐに数名を連れて北へ馬を走らせた。
一方、マークランドも多忙を極めた。
クシュチアのオデッキオ城主との面会、町の視察と復興計画立案、防衛ライン構築と自軍再編成………。クシュチア正規軍が到着する前に、ある程度の問題は解決しておきたいのだ。
その時、マークランドは期待していた情報を得ることが出来た。
住人達に状況を聞いていたときに、何とソフィーナがグランナダから脱出してこのオデッキオに立ち寄り、ミストから王都へ帰還したというのだ。
「そうか………無事だったんだな……」
マークランドは安堵とともに、ソフィーナの美しい顔を思い浮かべていた。
ソフィーナの足取りはこれまで全くわからないままであったので、最悪、死んでしまった可能性も否定できない状況だったのだ。
「生きてさえいればまた会える……」
だが、自分はすでに別の女性と結婚した身………これまでのように接する事は出来ないだろう……。
マークランドはため息を一つつくと、再び仕事に戻るのであった。
◆
「どうだね?ソーシエンタールの生活は慣れたかね?」
シャナードは朝食のテーブルに着くと、セーラムへ気遣いの言葉を掛ける。
実の息子であるマークランドには今までそのような言葉をかけた事は一度たりとも無かったが、義理とはいえ、娘が出来たことが嬉しいようだった。
「はい。もうすっかり慣れましたわ、お父様」
セーラムはそう言うとニコリと笑う。
「お、お父様……!」
シャナードはそう呼ばれるのがよほど嬉しいのか、食事を忘れ目を閉じて余韻に浸っていた。
セーラムはシャナードを無視してパンをちぎって口に放り込み、スープで流し込むと口を開いた。
「……そんなことよりも、お父様はもうお気付きでしょうか?」
「ん!?何がだ?」
腕を組み、片目を開けてセーラムを見るシャナード。
「お戯れを……」
そう言いながらセーラムは更にパンをちぎって食べ、紅茶を一口啜ると続けた。
「……ゾロウ3国の動きです」
この言葉にシャナードは両目を開き、セーラムを凝視する。
「ほう。気付いておったか」
「勿論です。マークランド様は公の席で『ゾロウの盟主になる』と明言されたのです。他の3国からすれば面白くはないでしょう。そのため必然と3国には注意を払っておりました」
「ははは!さすがはフライムダルの姫君。その才覚は兄のジャンデムをも超えると呼び声が高いだけある……」
シャナードはそう言うと真面目な表情に戻り話を続けた。
「ゾロウ3国は昔からソーシエンタールが邪魔だったのだよ。何故なら、グローザハラとオーニクールの二国は、ザクソンとソーシエンタールの南側と接しており、他国とは全く隣接していない。また、ゾロウ連邦で一番大きなザクソンはフライムダルと接しているが到底力では及ばない。つまり、自分たちの国力……国土と言ってもいいが、それを広げるには弱小国ソーシエンタールの方にしか手を伸ばすことが出来ないのだ」
「………」
セーラムは黙って聞いていた。
シャナードはスープを一口啜ると更に続けた。
「そこで、3国は何かと理由をつけてソーシエンタールを焚き付けてクシュチアと争わせ、疲弊させたところでソーシエンタールを3国間で割譲しようと目論んだのだ。………しかし、そう上手くはいかなかった」
「平和が訪れ、マークランド様がソフィーナ様とご婚約された……」
「その通り!」
セーラムを指さして答えるシャナード。
「ソーシエンタールとクシュチアの結び付きが強くなると、3国はソーシエンタールに手出しが出来なくなり、自国の繁栄が望めなくなる………だが、3国はここで起死回生の一手を打つ。フライムダルとの同盟だ。………マークランドを政略結婚でフライムダルへ婿入りさせ、あとは機会を見て私を殺せば世継ぎがいないソーシエンタールは簡単に手に入るっていう寸法だ」
「それが結婚の儀でマークランド様が懸念されていたことですね?」
「そうだ。そして今………マークランドが遠征中であるこのタイミングで何かを仕掛けてくる可能性は十分あり得るだろう」
「そうですか……」
セーラムは返事をしながらも、首をかしげあまり納得していない表情で続けた。
「……それにしても、どうして3国は同じ連邦国であるソーシエンタールを陥れてまで国土を広げたいのでしょうか?」
「うむ。それは気候や国土が影響している。特に南国であるグローザハラとオーニクールは領土の3分の2が岩山と砂漠なので、食料の自給率が極端に低いのだ。それを一手に賄っているのがザクソンなので、グローザハラとオーニクールはザクソンには頭が上がらない。だが、ザクソンとしても自国以外に二国の面倒までは見るのは限界がある。そこで肥沃であるが弱小国であるソーシエンタールをゾロウ連邦に組み入れ、乗っ取る隙を伺っているのだ」
「なるほど……わかりました……」
そう言うと、セーラムはナプキンで口元を拭き椅子からすっと立ち上がった。
「留守を守るは妻の務め。僭越ながら、私もソーシエンタールをお守りいたします」
「だが、そなたはまだ17歳の女子。そのような身で一体何が出来るというのか?」
シャナードはそう言うと、紅茶を一気に飲み干す。
セーラムは静かに言った。
「お父様を含め、ソーシエンタールの方にはご迷惑はおかけしません」
そのセーラムの発言に、シャナードは一瞬眉毛をピクリと動かした。
「まさか……フライムダルを動かすというのか?」
シャナードの問いに、セーラムは悪戯っぽく微笑んだ。
◆
暗闇に蠢く人影があった。その数は2。
篝火を避け、暗闇を選んで行動している。篝火の近くを通ると影が天幕に映り、発見されやすくなるのだ。
都合がいいことに、今日は月が雲に隠れていた。
クシュチア軍は、オデッキオまで50キロほどを残した地点で野営をしていた。それは篝火に照らし出された旗で判断できる。
だが、ここが本当にクシュチア軍の本陣であるのかをはっきりさせる必要がある。もしも別動隊だったら全く意味がないからだ。
足音を立てず、気配を消して、天幕を縫うように移動する二人組。黒に染められたレザーアーマーは軽くて音も出にくいのだ。
すると、ひと際厳重な警備体制がとられている天幕があった。
「あの入口に立つ騎士………間違いない、近衛兵だ」
銀色に輝く軽装鎧の背中には、近衛兵の象徴である剣と槍が交差した団旗が、旗指物として背中に指してあった。
「近衛がいるという事は、クシュチア王もしくは王子がいるという事だ」
「よし、すぐにここから離れるぞ」
二人は天幕をすり抜けるように走った。
はやる気持ちを抑えながら慎重にかつ迅速に離脱する必要がある。斥候は得た情報を味方に伝えるまでは絶対に死んではならないのだ。
二人は何とか森の中に逃げ込むと、更に暗闇の山中を進む。
30分ほど進むと川に出る。そこを上流に向かってしばらく進んでいくと、一本の巨大な木があった。
その木の根元にはカンテラと火打石セットが置いてあり、二人は急いで火を起こしてカンテラを灯す。
光が漏れないよう窓の蓋は閉めた状態でカンテラを腰に下げ、一人が大きな木に登り始め、もう一人は火打石セットを回収し周囲の警戒にあたる。
この木は枝が多く、比較的楽にてっぺん付近まで登ることができた。
すると、カンテラを南の方角に向け、カンテラの窓の蓋を開け閉めして光で何かの合図を送る。
それを根気よく何度も繰り返していると、南の方角から同じように光がチカチカと点滅しているのが見えた。
「やっとこっちに気付いてくれたか」
男は独り呟くと、カンテラの窓を開け閉めして敵の情報を光の合図で知らせる。
すると南の方角から了解の合図が送られた。
「よし、完了した。撤収する」
男は一気に木を降りると、見張りの男と合流する。
「この後は場所を移動して敵の監視を継続する」
「了解」
二人はそう言いながら暗闇の山中に消えて行った。
マークランドはオデッキオの周囲に別動隊を展開させ、敵の動向を逐一監視しつつ、敵の斥候は全て捕えてこちらの情報を渡さないようにしていた。
そして今夜、マークランドの軍は密かにオデッキオを出発し、闇夜に紛れてクシュチア正規軍に迫っていた。
マークランドにこの決断をさせたのが、別動隊の斥候からもたらされた情報だった。
『野営休息中の敵正規軍発見』である。
マークランド曰く、「大国の正規軍は正々堂々の戦いに固執している。だからこちらはその逆を行けば良いのだ」という事らしい。
そのためには、ありとあらゆる情報が必要であり、それをどのように整理して活用するのかが問われるらしい。
グレンにはマークランドの考えはよくわからなかったが、力と力でぶつかり合う戦いは過去のものとなった事だけは何となく理解していた。
暗闇とはいえ、公路は道幅が広く整備が行き届いているため、何の苦労もなく進むことが出来た。
マークランドは全軍を停止させると連絡を待った。
「全軍、突撃準備のまま待機」
暗闇の中、周囲からは味方の馬の嘶きと蹄の音だけが聞こえていた。
マークランドは馬上で目をつぶると、ただただ合図を待っていた。
すると、左の方からヒューと鏑矢の音が聞こえた。
それに呼応するように右からも鏑矢が放たれ高音が鳴り響く。
「時は来た!戦闘開始の合図を出せ!」
マークランドの指示に、グレンは一段と高音でビブラートが効いた鏑矢を放った。
ピュルルルルル
鏑矢の高音が聞こえるのと同時に、地響きが鳴り響きマークランド率いる本隊が正面から敵陣に突入を開始した。
事前の予想通り、敵は公路から外れた森の手前に陣を張っていた。
一応、柵は張り巡らされてはいるが、圧倒的に数が少ない。これでは馬のまま簡単に敵陣の奥まで突入出来るではないか。
マークランドは、あまりにも敵が夜襲に対して無防備であることに呆れていたが、逆にこれでほぼ勝ちを確信した。
クシュチア正規軍はソーシエンタール軍が目前まで迫ってからやっと夜襲に気が付いた。
『敵襲!ソーシエンタール軍が夜襲を仕掛けてきました!』
『すぐに応戦準備をしろ!』
『敵の数は!?』
怒号が行き交い、情報が錯綜して混乱に陥るクシュチア軍。
「火矢を射よ!」
マークランドの命令により一斉に発射された火矢は、天空を明るく照らしながら美しい放物線を描き敵陣へ落下して行く。
火矢は次々と天幕に突き刺さり、炎が燃え広がって行った。
炎で照らしだされたクシュチア軍は、暗闇から現れるソーシエンタール軍に為す総べなく討ち取られていった。
だが、さすがは敵の聖騎士団と近衛隊はすぐに現状を把握すると、あっさり自陣を捨てて公路へ脱出し、態勢の立て直しを試みようとする。
マークランドも敵陣を放棄して公路へ転進し、正面からクシュチア軍とぶつかった。
敵の先鋒は聖騎士団が務めている。
全身白と金で装飾された煌びやかなフルプレートは、暗闇の中でもひと際目立っていた。
この度の遠征には4人の聖騎士の内、ガイとアライ=ダマンの二名が参戦していた。
ガイ率いる槍兵聖騎士団は馬上で槍を前方に構えると、躊躇することなくソーシエンタール軍へ突撃を開始した。
その強烈な突撃にソーシエンタール軍の動きが止まる。
ガイの槍兵聖騎士団は、ソーシエンタール軍に突入し、そのまま深く切り込むと、左右に分かれて脱出して行った。
その見事なまでの戦い方に、マークランドさえも惚れ惚れしていた。
「わが軍深くまで侵入し、防御を固めようとしたその刹那、左右に分かれていとも簡単に離脱を図る………この暗闇の中で完璧なまでの阿吽の呼吸。さすがはクシュチアが誇る聖騎士団だけはある」
「関心している場合ではありませんぞ!?」
グレンの言葉に、マークランドは前を見るともう一人の聖騎士、アライ=ダマンが切り込んでくるのが見えた。
アライ=ダマン率いる聖騎士団は歩兵部隊であり、ガイが敵を撹乱してアライ=ダマンが殲滅するのが必勝パターンのようだった。
「ここが踏ん張りどころだ。グレン、支えられるか?」
「やってご覧にいれます!」
グレンはそう言うと、周囲の敵には目もくれずアライ=ダマンへ馬を走らせると、鞍を蹴って高くジャンプして猛然と切りかかった。
アライ=ダマンは咄嗟に肩当でグレンの斬撃をいなすと、グレンは勢いがついたまま頭から地面へ激突する………その直前に前方に転がりながら激突の力を分散させ受け身を取る。
アライ=ダマンは改めてグレンを正面に見据えた。
「我はクシュチア聖騎士が一人、アライ=ダマン。そなたの名を聞こう」
「私はソーシエンタール軍兵士長グレン。見ての通りただの初老のおっさんだ」
「ふん……」
アライ=ダマンは鼻であざ笑うと、予備動作なくバトルアックスを振り下ろす。
「速い……!」
グレンはぎりぎりで剣で受け流すと、凄まじい音と共にアックスが地面に突き刺さった。
グレンはその衝撃で吹き飛ばされ地面に転がった。
陥没した地面からアックスを引き抜くと、アライ=ダマンはのそりとグレンの前に立ちはだかる。
「こ、こやつ、本当に人間か!?」
グレンは跳ね起きるとすぐに剣を構える。だがグレンは知っていた。聖騎士のフルプレートの装甲が相手では、こんな片手剣では対抗できない事を。
そして、アライ=ダマンもそれは十分承知しており、防御の姿勢もせずにグレンに近寄ってくる。
「これは完全に勇み足だったか……」
グレンは装備も整えずに戦いを挑んだことを後悔し、剣を構えながらジリジリと後退する。そんなグレンの頭から一筋の鮮血が左コメカミから頬にかけて流れてきた。先ほどの攻撃で頭のどこかを切ったようだ。
アライ=ダマンは勝利を確信すると、アックスを振り上げて猛然とダッシュしながらグレン目がけて振り下ろした。
グレンは前方に転がってそれを掻い潜ると、その勢いのままアライ=ダマンの軸足に剣を叩き付けた。
火花と共に耳をつんざく金属音が鳴り響いたが、アライ=ダマンの態勢を崩すことは出来ず、むしろグレンの方が体ごと弾かれて仰向けで地面に転がった。
フルプレートの甲冑を装備した者は一度倒してしまえば、その重量から自分で起き上がることは困難であるため、後はプレートのつなぎ目に剣を差し込んでダメージを与えることは可能なのだが、さすがに簡単にはいかない。
むしろ、アライ=ダマンはフルプレートを装備しているとは思えないスピードで動いている。
グレンは地面の砂を握るとすぐに起き上がり、正面から打ちかかる。
アライ=ダマンはそれを薙ぎ払うようにアックスを水平に振り回す。
グレンはジャンプでそれをかわすと、握っていた砂を敵のヘルムのわずかに空いたのぞき穴目がけて投げつけた。
砂が目に入り動きが硬直するアライ=ダマン。
グレンは剣を両手で握ると、思い切り振りかぶってアライ=ダマンの頭に振り下ろした。
凄まじい金属音が周囲に鳴り響き、同時にグレンは弾き飛ばされた。だが、ヘルムの中は音が反響して衝撃波となり、アライ=ダマンの頭を襲っていた。
アライ=ダマンは耳が全く聞こえない状態となり、三半規管も麻痺した状態だった。
「うおおぉぉ、聖騎士を相手に何と卑怯な手を……!」
ふらふらになりながらアライ=ダマンはアックスを振り回そうとする。だが、その勢いで自らのバランスを崩し、ついにその場に倒れこんだ。
グレンは起き上がると、聖騎士に近づいて馬乗りになる。
「こうも密着されると自慢のアックスは使い物にならないな?」
グレンはそう言いながら首の装甲の隙間に剣を突き立てた。
外側からはわからないが、頸動脈と気管を切断されたアライ=ダマンは、ヘルムと甲冑の内側は血で溢れかえっていた。
グレンは一度剣を引き抜くと、今度はヘルムののぞき穴に剣を突き立てた。
剣は右目から後頭部を突き抜けヘルムの内側に当たって止まった。
グレンはその剣を引き抜くと、天に向かって突き上げて大きな声で叫んだ。
「ソーシエンタールの兵士長、グレンが聖騎士アライ=ダマンを討ち取ったぞぉー!!!」
『おおーー!!』
ソーシエンタール軍の士気は一気に高まると、クシュチア軍を押し返し始めた。
そこへ、態勢が整ったガイ率いる槍兵聖騎士団が再びソーシエンタールの正面から突撃を開始する。
「よくもアライ=ダマンをっ!!」
ガイは槍を構えながら一直線に突っ込んでくる。
「無理に正面から受ける必要はない!道を開けて敵をやり過ごせ!」
マークランドの指示で、ソーシエンタール軍が左右に分かれて槍兵聖騎士団の強烈な突撃をいなす。
「今だ!!」
マークランドが叫んだのと同時に、伏せていた両翼のソーシエンタール軍が一斉にクシュチア本隊へ突撃を開始した。
『おおおおーーー』
鬨の声と共に挟撃されるクシュチア本隊。
兵力としてはそれほど多くはなかったのだが、暗闇で乱戦中という事もあり、クシュチア軍の態勢を崩すには十分な効果があった。
「ガイ様!本隊が挟撃されておりますぞ!」
「何だと!?我が槍兵聖騎士団が突撃するタイミングを狙っていたというのか!?」
ガイはソーシエンタール軍に深く切り込んでいたため、本隊の救援には時間がかかる。だったら────。
「敵将を討ち取るまで!」
ガイは闇夜の中でも目立つ、より華やかなソーシエンタールの旗を目がけて突き進んだ。あの先に間違いなく敵将がいると確信して。
そして、その読みは正しかった。
マークランドは当初から自分が狙われる可能性が高いと考えていたため、特に慌てることもなく剣を抜いた。
だが、一つだけマークランドは読み違えていた。
それはガイという聖騎士が、想像以上に強かったことだ。
一撃に全てをかけて振りかぶるガイ。
マークランドは危険を察知して大声で叫んだ。
「全員、私の傍からはなれろ!散開!」
だがすでに目前に迫っていたガイは、マークランド目がけて槍を突き出した。
マークランドほどの剣の技術をもってすれば、ガイの一撃を受け流すことは可能であっただろう。しかし、ここは自軍の真っただ中であるため、受け流したガイの槍の威力は後方の味方に襲いかかることになる。
つまり、犠牲を最小限に抑えるには、ガイの攻撃を受け切る必要があるのだ。
(それも難しいだろう……)
馬に乗って加速してきた相手が、止まっている者に渾身の一撃を放ってくるのだ。それを剣だけで受け切るのは無理な話だ。
ガイの槍の一撃は強烈で、凄まじい爆発音と共に繰り出された。
大気を切り裂くガイの槍は立ち尽くすマークランドに襲いかかった。
マークランドは目の前が真っ白になり、そして───。