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二国間同盟

マークランドはガルバダード砦を出ると、直接クシュチア領グランナダへと馬を走らせた。

 確かに自分は世界の動向を把握せず、自分の幸せだけを日々貪っていたのかもしれない。

 クシュチア王女の婚約者である自分であれば、ソフィの兄であるコルドバ王子を動かして魔術師をどうにかできたかもしれない。いや、直接エルダン王に話をすることも出来たかもしれない。それなのに、事態がここまで切迫するまで全く気付けなかったとは……!

 マークランドは馬を走らせながら自分を責めていた。

 自分が政治に、世界情勢に疎かったせいで、まさに今、ソフィに危険が迫っているのだ。

 でも………だからと言って、それがソフィを失っても良い事にはならない!

 「とにかく無事でいてくれ!ソフィ!」

 マークランドは無我夢中で馬を走らせた。

 その姿は礼服である白の軍服のままであり、遠目からでも非常に目立っていた。

 グレンは周囲に気を配りながら、マークランドにピタリと併走して馬を走らせていた。

 グランナダ領に入ってから疲弊した馬を乗り換えると、再び全力で走らせた。一路、あの丘の上の屋敷を目指して───。

 

 ──5時間後、丘の上の屋敷。

 マークランドはいつものように裏口に馬を乗りいれると、すでに開け放たれていたドアから屋敷に入る。

 「ソフィ!!ソフィーッ!」

 大きな声で呼びかけながら屋敷中を探し回るが、もちろん返事をするものなどいなかった。

 マークランドは落胆しながらフラフラとリビングのベランダから庭へ向かった。

 『何かあった時は必ず迎えに行くから、安心してここで待っていてくれ。ソフィ』

 確かにそう約束した。だが、僕はその約束を守れなかった。

 『わかったわ、マーク。貴方が来るまで私、いつまでも待ち続ける。だから、その時は必ず迎えに来てね?』

 そう言って笑うソフィ。

 『もちろんだよ。ソフィ』

 僕もそう言って笑顔で答えたんだ。

 マークランドは崩れるように芝生の上に座り込む。

 あまりにも痛々しい姿に、グレンもベランダからその様子を伺うだけで、掛ける言葉も見つからなかったが、ふと町を見下ろすと、すでに戦いは終わっているようで、黒煙がくすぶっている箇所もあるようだが、町は比較的静かさを取り戻していた。

 すると、何人かの軍人がドヤドヤと屋敷に入り込んできた。

 どうやらソーシエンタールの軍人のようだが、その中の小太りでチョビ髭の男が大きな声を発した。

 「この屋敷に不審者が立ち入ったと情報が……あった……のだが……一体………!!」

 小太りの男は話しながら兵士長であるグレンと、庭には次期国王であるマークランドの姿を発見し、徐々に声のトーンが下がって行く。

 「こ、これは失礼いたしましたっ!!」

 事態を認識した小太りの軍人は、すぐに壁際に移動すると見事な最敬礼をする。

 それを見て、部下も同じように壁際へ移動して最敬礼した。

 グレンはため息を一つつくと、小太りの男の前まで行き小声で質問した。

 「この屋敷にグランナダの者……具体的には、ソフィーナ姫はおられなかったか?」

 「はっ!わが軍が到着した時にはすでにもぬけの殻でありましたっ!」

 折角、グレンが小声で質問したのに、この男はバカみたいに大きな声で返答したため、庭のマークランドまでその声が届いてしまった。

 マークランドは反射的に立ち上がると、早足で歩いて来てグレンを押しのけて小太りの前に立つ。

 「……もう一度答えてくれ。この屋敷には誰も居なかったんだな?それは間違いないな?」

 マークランドは小太りの襟首を掴んで問い詰める。

 「ぐ……ぐ……ぐるじぃ……」

 「マークランド様!」

 グレンが締め上げるマークランドの腕を掴んで制止する。

 「ああ、す、すまない……」

 正気を取り戻したマークランドはそう言いながら手を放すと、小太りの男はゼイゼイと額に汗を浮かべ息を整えながら答えた。

 「わ、私の隊が一番最初にこの屋敷に入ったのですが……はぁはぁ……裏口は開け放たれており、中には、誰もいませんでした……」

 「そ、そうか、では、ソフィは無事に脱出したはずだな……」

 マークランドは自分に言い聞かせるように呟いた。

 「??」

 小太りはマークランドの言葉を聞き取ることが出来ずきょとんとしている。

 それを見てマークランドは慌てて別の質問をする。

 「………と、ところで父上……シャナード様は今どこにおられる?」

 「は、はい………国境の門がある砦においでのはずです」

 「そうか。ご苦労だった」

 マークランドはそう言うと、小太りの軍人らをよそに早足で部屋を出る。

 グレンも一度軍人らを一瞥すると、急いでその後を追う。

 「どちらへお出でになりますか?」

 グレンがマークランドの背中に向かって質問する。

 「父上のもとへ」

 「御意」

 二人は廊下を歩きながら短い会話を終えると、裏口に繋いでいた馬に飛び乗り再び全力で走らせた。

 勝手知ったるグランナダである。マークランドは迷うことなく一直線に門を目指す。

 丘を駆け下り、町中に入るとさすがにスピードをセーブして走る必要があった。

 通りにはソーシエンタール兵が配置されており、住人の動向ならびに味方の略奪を阻止するため睨みを利かしていた。

 マークランドは町の様子を見た限り、それほど被害はなかったように思われたため、若干ではあるが安堵のため息をついた。

 だが、住人達のマークランドを見る目は冷たいものだった。

 馬を走らせるマークランドの姿を見つけた一人の若者が、指をさしながら大声で叫んだ。

 「裏切り者がいたぞ!どうして姫様を裏切った!?」

 この声をきっかけに、罵声や怒号がマークランドを襲った。

 『姫様に近づいたのは、我が国を油断させるためだったのか!?』

 『不意打ちとは卑怯千万!』

 『町を挙げて歓迎したのにこの仕打ちはなんだ!?』

 マークランドはその場から逃げるように馬を走らせた。

 自分を温かく迎え入れてくれたグランナダの住人達を結果的に裏切る形となり、マークランドは罵声を浴びせられるよりも、むしろ住人の気持ちを考えると胸が締め付けられる思いであった。

 マークランドは失意のまま国境の砦に入ると、すぐに父シャナードに謁見を申し入れたのだが、思いのほかすぐにその機会を与えられた。

 執務室と書かれたドアの前に案内されたマークランドは、ドアをノックしてからグレンをこの場に残して一人室内に入った。

 部屋は正面の壁一面が窓ガラスとなっており、室内を夕日のオレンジ色で照らしていた。

 その手前には大きな机が置かれ、一人の痩せた男が持て余し気味に大きく豪華な椅子に腰かけていた。

 「父上……」

 「来たか……もっと近くに」

 シャナードに言われ、大きな机の前まで歩くマークランド。

 「父上!この度の戦、どうして私に言ってくださらなかったのですか!?そして、フライムダルとの同盟の話もそうです!そのためにソフィとの……!」

 「言ってどうなる?」

 「え……!?」

 捲し立てるマークランドだったが、シャナードはたった一言で黙らせた。

 「言ってどうなると聞いたのだ。お前は恐らく何も決められない………つまり、お前に話しても、事態は何も進展しなかっただろう。だが時間は常に流れている。この貴重な時間を無駄に失うわけにはいかなかったのだ」

 「ですが、私はソフィーナ姫と婚約をしていたのですよ!?」

 「だからこそ言えなかったのだ。お前のことだからソフィーナ姫を逃がすために情報を漏らすだろう」

 「彼女を救うためです!」

 「だが、お前が漏らした情報のせいで、今回の作戦が成功しなかったかもしれんのだ。もしも逆にソーシエンタールが敗れていれば、我が国は存亡の危機に直面することになったのだぞ?」

 「………!」

 マークランドは黙るしかなかった。

 「マークランドよ……お前の気持ちはよくわかる。だが、セーラム姫から全てを聞いたのであろう?であれば、ここは我慢してくれ。領民のため、そして世界のために」

 そう言われると逆らえる訳がない。自分の幸せと領民の幸せを天秤に掛けるような事はできないのだ。

 しかし、簡単に割り切れないのも事実。

 マークランドは思考の波に飲まれながらも、やっとの思いで一言だけ発した。

 「この後は……どうされるのですか?」

 「まずはゾロウ連邦とフライムダル国との同盟宣言を両国で行い、同時にフライムダル王女セーラムと、ソーシエンタール次期国王マークランドの結婚を発表する。そして、このグランナダの統治が落ち着き次第、クシュチアへ攻め上がる」

 マークランドはうつむきながら頷くと、言いにくそうな表情で口を開いた。

 「父上………フライムダルとの同盟において、セーラム姫と私の結婚は必須でしょうか?」

 「勿論だ」

 シャナードは一言で切って捨てた。

 「わかりました……」

 マークランドはそう言うと顔を上げ、父へ視線を向けた。

 「その代り条件があります」

 「条件だと?……言ってみろ」

 「いいえ、今はやめておきます。結婚の儀の時に改めてお話させていただきます」

 マークランドは何かを決意したような表情でシャナードを見つめた。

 「マークランドよ。何を考えておる?」

 「ご想像にお任せします」

 マークランドはそう言いながら不敵な笑みを見せる。

 「ふん………まぁ良い。明日、公式に同盟宣言および結婚発表をした後、フライムダル領ガルバダードへ向かう。本来であればお前とは現地で合流するはずだったのだがな………今から準備をしておけ」

 「わかりました」

 そう言うと、マークランドは踵を返してさっさと部屋を後にした。

 

 夕日を眺めながら、マークランドは悟った。

 生温い平穏な日々はいつの間にか終わりを告げ、すでに新しい風が吹き始めている事を………。今はその風に乗りながら最善の手を打つことが重要なのだ。

 あわよくば、自ら新しい風を呼び起こして見せる。

 マークランドは凄まじい速さで流れ始めた『時の風』を肌で実感するのだった。

 

 ◆

 

 

 あれから二日、グランナダから脱出したソフィーナはディーヴと共に、グランナダの北東230キロにある町『オデッキオ』にいた。

 ここから王都に行くには二つの方法があった。

 ───陸路か、海路である。

 陸路の場合はクシュチア公路と呼ばれる主要幹線を行くことになるため、比較的大きな町を経由するルートとなっており、かなり遠回りをすることになる。だが、その分食料や宿には困ることはほとんどなく、治安も比較的良いため安全な旅をすることができる。

 一方、海路の場合はこの季節の南風のおかげで、一気に王都まで船を運んでくれるはずだが、天候に影響される場合が多く、海が荒れると出航もままならなくなり、仮に出航できたとしても、強烈な船酔いとの戦いが待っているのだ。

 ディーヴとしては一刻も早く王都へ帰還したかったため、宿屋で夕食を取った後も海路の準備を進めていた。

 その頃、ソフィーナは自室でマークランドの事を考えていた。

 彼は間違いなく屋敷まで迎えに来てくれたはず………なのに私は約束を破って黙って逃げ出してしまった。

 せめて書置きでも残しておけば良かったのに、そんなことも思いつかないような女だったなんて………許して、マーク!

 ソフィーナはグランナダの方向を見つめながら悲嘆に暮れていた。

 そこへドアをノックする音が聞こえた。

 「ソフィーナ姫。まだ起きておいででしょうか?」

 ノックに続いてディーヴの声がドアの向こう側から聞こえる。

 「お入りなさい」

 ソフィーナはそう言うと、部屋に設えてある木製の椅子をドアの方へ向けると腰かけた。

 「失礼いたします」

 ディーヴは入室してドアを閉めるとすぐに片膝をつき臣下の礼を取る。そして顔を上げてドキっとした。

 ソフィーナはフリルがついたピンクのネグリジェに、上着を肩から羽織った姿であったのだ。

 「……いかがしましたか?」

 ソフィーナは静かに聞いた。

 ディーヴはドキドキしながら視線をソフィーナの顔へ移動する。

 すると机上のランタンの明かりでも、目が真っ赤に充血し目元も少し腫れているのがわかる。これはつい先ほどまで泣いていたことを意味していた。

 ディーヴは心臓がぎゅーっと締め付けられるような痛みを押し殺し、なるべく平静を装いながら答えた。

 「王都への海路についてですが、四日後の早朝に『港町ミスト』を船が出航する予定です。オデッキオからミストまでは約400キロありますので、馬車では当然間に合いません。よって、馬を乗り継いで向かうことになります」

 「それは構いません。私とて王家の生まれ。馬の扱いは心得ています。それよりも……」

 「何でございましょう?」

 「一度出航すると、悪天候にならない限り王都まで約4日間、寄港することはないと思いますが大丈夫でしょうか?」

 「水や食料はどうしても制限が御座いますので、不便をお掛けすることになりますが、最速で王都に到着することが出来ますのでご容赦を」

 「それは覚悟していますが、船酔いが心配です」

 「こればかりは私にはどうすることもできません。慣れていただくしか……」

 「そうですね……」

 ソフィーナはそう言うと視線を真っ暗な窓へ向けた。

 「明日の出立は?」

 「夜明けには……」

 「わかりました。もう今日は休みます」

 「承知いたしました。お休みなさいませ」

 ディーヴは一礼してから退室した。

 ソフィーナをそれを確認すると、再び真っ暗な窓の外を眺める。

 そう言えば、屋敷で働いていた人たちは無事に脱出できたのだろうか?

 町の人たちは無事だろうか?

 ソーシエンタールとは戦争になるのだろうか?

 そして、マークランドとは………。

 今後の事を考えると胸が押しつぶされそうになる。

 ソフィーナは首を振って気持ちを切り替えると、勢いよく立ち上がってそのままベッドに滑り込んだ。

 幸せだった日々が懐かしく感じられ、涙を浮かべながら眠りについた。

 「せめて、夢の中だけは───」

 

 ◆

 

 

 フライムダル領ガルバダード砦には、ゾロウ連邦とフライムダル国の要人が参集し、二国間同盟の調印式が執り行われ、ここに正式に同盟が成立した。

 更にこの後、セーラム姫とマークランド次期国王の結婚の儀が始まった。

 檀上にはフライムダル国王ザックホーンと、ソーシエンタール国王シャナードが椅子に座り、その眼下に司祭が剣を持って立っていた。

 司祭の前にはセーラム姫が純白のドレスを身にまとい、頭上には宝石が埋め込まれたティアラにベールで顔を隠した装いだ。

 マークランドは礼装である白の軍服姿で、共に司祭の前で跪いていた。

 儀式の様子を檀上で見ていたシャナードは、表情には出さなかったが不安な気持ちでいっぱいであった。

 それはマークランドが言っていた、例の『条件』とやらが引っかかっていたからだ。

 マークランドが結婚の儀で何かを企んでいるのは確かだ。

 今のところは滞りなく進行しているが、シャナードにしてみれば二国の要人が参列している状況で、何をしでかすのか気が気ではなかったのだ。

 

 「……この宝剣にかけて、互いに愛し、いたわり、添い遂げると誓うか?」

 司祭がマークランドに対して、両手で持っていた剣を前に出して宣誓を促す。

 マークランドは剣を前に頭を下げ「誓います!」と高らかに言った。

 それを聞いてシャナードはほっと安堵したが、次の瞬間───。

 「───が、その前に、はっきりさせていただきます」

 そう言いながら、すっとマークランドは立ち上がった。

 場内は参列者がざわつき始め、隣ではセーラムがベールの奥で驚いた表情をしながらマークランドを見上げた。

 マークランドはそれらを振り払うように、檀上のザックホーンを見ながら言葉を続けた。

 「私、マークランドは結婚後、フライムダル国へ婿として入る事になっておりますが、これはつまり体のいい人質という事であります」

 場内は更にざわざわし始める。

 ザックホーンも表情が険しくなり、マークランドを見つめる眼光は鋭さを増した。

 一方、シャナードは冷や汗を流しながら、不遜な息子の様子を見守るしかなかった。

 「……私もそれが政略結婚というものであることは十分承知しております。ですが、考えていただきたい。ゾロウ連邦の中でも一番の弱小国であるソーシエンタールの王子を人質にしたところで、フライムダルとしてはそれほど利点はありません。何故なら、ゾロウ連邦としては、最弱の国の王子の命がどうなろうとそれほど影響がないからです」

 このマークランドの発言に、ゾロウ連邦の3人の当主達が怒りの目を向けた。

 だが、マークランドは3人には一切目を向けず、ザックホーンだけを見つめながら話を続けた。

 「そこで提案させていただきます。私、マークランドは、セーラム姫をソーシエンタールへ迎えたいと考えております」

 『な、なんだと!?』

 『強き者が弱き者へ人質を出すなど聞いたことがない!』

 『これではフライムダルが一方的に不利益ではないか!?』

 様々な声が響き渡る中、マークランドは黙ったままザックホーンを見つめた。

 ザックホーンは立ち上がると、マークランドを指さして言った。

 「私が本気を出せば簡単に蹂躙できる弱小国へ、愛する娘を嫁に出すなどと、本気で考えると思っているのか?」

 「思います」

 マークランドが間髪入れず答える。

 だが、ザックホーンは更に怒気を込める。

 「どうしてむざむざ弱みを握らせるために嫁がせるものか!」

 「ですが、先ほども申した通り、私がフライムダルへ婿入りしたとしましても、フライムダルとしては利点はございません。ですが、セーラム姫がソーシエンタールへ嫁入りしていただければ、フライムダルとしても利点が生まれます」

 「ほう。話してみよ」

 そう言いながらザックホーンは椅子に座り直す。

 「はっ。では順を追ってご説明いたします。先ず、私はソーシエンタールの次期国王であります。私がフライムダルへ婿入りすると、ソーシエンタールの跡継ぎが途絶え将来的には滅亡、少なくとも内乱となることが確定いたします。そうなりますと現当主であるわが父、シャナードの命さえ奪えばソーシエンタールは滅亡し、自動的に国が無くなった私は人質としての価値もなくなり、二国間同盟の維持は困難となりましょう」

 つまり、二国間同盟が疎ましいと思ったのなら、シャナードの命を奪えば同盟を崩壊させるのは容易いということだ。

 これは国内外問わず、常にシャナードは命を狙われるという事を意味する。

 もしも、早い段階で同盟が崩壊に追い込まれれば、フライムダルは最悪の場合、悪魔戦争を戦いながら後方の憂いにも備える必要があるため、これは避けたいところだった。

 「しかし、セーラム姫がソーシエンタールに来ることで、その状況を回避することが可能であり、更にフライムダルとしても利点が生まれます。その利点とは、もしもソーシエンタールがゾロウ連邦を取り仕切るほど大きく成長した場合、娘がそこへ嫁いでいるという点が大きく作用することでしょう」

 娘が嫁いだ先の国が発展すれば、フライムダルとしても実益が増えると言っているのだ。

 マークランドの言葉にザックホーンは一瞬考えると、座ったまま口を開いた。

 「マークランドよ。そなたの考えはわかった。だが、その案には一つ重大な問題がある」

 「ご教授いただけますでしょうか?」

 「そなたの案は、ソーシエンタールが大国となることを前提としているようだが、現状を鑑みると、申し訳ないがとても大国になるとは考えにくい。つまり、そなたの案は、前提条件の段階ですでに破綻しているのだ」

 「確かにおっしゃる通りです。しかし、まさか愛娘が嫁いだ国が苦境の時に、フライムダルがただ傍観しているだけという事はないでしょうね?」

 「な……に……!?」

 ザックホーンは眉を跳ね上げ、マークランドを睨み付けるが、当人は素知らぬ顔で続けた。

 「ソーシエンタールが大国になれば、フライムダルとしてもその見返りは十分期待できる………であれば、ソーシエンタールを支援していただきたいのです。もちろんソーシエンタールもフライムダルのご期待に応えるべく全力を尽くしましょう」

 ここまでの大言壮語を結婚の儀という場で言ってのけ、なお毅然とした態度でザックホーンと対峙する姿は、ある種神々しくさえ見えた。

 そして、その姿を見て完全に心を射ち抜かれたのがセーラムであった。

 形式的には確かに政略結婚かもしれない。だが、セーラムとしては初恋の相手であり、長年想い続けた人でもあるのだ。

 その愛する未来の夫が公の場でここまで言っているのだ。それを応援せずして本当の妻と言えるだろうか?

 「お父様……」

 セーラムはそう言いながらゆっくり立ち上がると、マークランドに寄り添うように近づき、彼の右手を両手で包むように握った。

 「………私はマークランド様の妻として、ソーシエンタールに参ります」

 「セーラム姫……」

 マークランドはセーラムを見つめながらその手を両手で握り返す。

 ザックホーンはよろよろと立ち上がるとセーラムに問いかける。

 「セーラムよ。こ、この者は……自国のためにお前を利用しようとしているのだぞ!?それでも行くというのか?」

 「お父様……!」

 そう言いながらセーラムは勢いよく自らのベールを剥ぎ取ると続けた。

 「もとより政略結婚とは謀略の一環。お互いに利用し利用されるのが世の常と存じます」

 17歳の小娘とは思えぬ我が子の迫力に、ザックホーンはぐぅの根も出ないのであった。

 「セーラム姫、本当によろしいのですか?もしかすると我が国は他国に疎まれ、滅亡に追い込まれる可能性もあるのですよ?」

 そう言いながらマークランドはセーラムを心配そうに見つめた。

 「であれば、尚更行かねばなりません。私は死ぬ直前まで愛する夫の傍にいたいのですから」

 セーラムも瞳を潤しながらも力強くマークランドを見つめ返す。

 その様子を見たザックホーンはため息をつくと椅子に座り直した。

 「司祭殿。………儀式を続けられよ」

 「お父様……!」

 セーラムは輝く瞳をザックホーンへ向ける。

 「セーラムよ。まだ儀式は終わっておらぬぞ?」

 「はい……!」

 マークランドとセーラムは赤い絨毯に膝をつけ頭を軽く下げる。

 司祭は戸惑いながらも姿勢を正し、剣を両手で持って口を開いた。

 「………それでは改めまして……お二人はこの宝剣にかけて、互いに愛し、いたわり、添い遂げると誓うか?」

 「「誓います!」」

 同時に発した二人の声はホールに響き渡った。

 今、ここに、マークランドとセーラムは正式に夫婦となった。

 

 これでいいんだ。これで………!

 マークランドはセーラムの天使のような笑顔を見ながら、何度も何度も自分に言い聞かせていた。


 ◆



 ソフィーナは王都の外れにそびえ立つエルダン城の大広間にいた。

 現国王の名前がそのまま城の名前となった、クシュチア王国自慢の城である。

 三方を海に囲まれ、唯一陸上からの出入りが可能である西側にも大きな堀が作れられており、まさに難攻不落というに相応しい城だろう。

 ソフィーナは帰還してすぐに父との面会を申請したが、体調が悪いという理由ですぐに却下され、仕方なく兄コルドバへ面会を申請していた。

 ほどなくして、コルドバが黄金のプレートメイルに裏地が真紅のマントをなびかせてやってきた。左腕には同じく黄金のヘルムを抱えている。

 コルドバはガチャガチャと金属音を響かせながら檀上に上がると玉座に腰かける。

 「ソフィーナよ。この度は災難だったな。無事で何よりだ。私はこれから出陣せなばらないので急ぎ済ませねばならん………で、グランナダはどのような状況だったのだ?」

 「はい………何の前触れもなくソーシエンタールが我がグランナダに攻撃を仕掛けてまりました。グランナダはソーシエンタールの手に落ち、私は兵士長ディーヴと共に辛くも脱出いたしました」

 「なるほど………して、敵軍の中にマークランドの姿はあったか?」

 ソフィーナはマークランドという言葉に内心ドキっとしたが、なるべく平静を装って答える。

 「いいえ、姿は見かけませんでした」

 「ふふふ、だろうな」

 口髭を右手で整えながらセーラムを見下ろすその目は、何かを隠しているように見えた。

 「お兄様、どういう意味ですか?」

 「お前には辛いだろうが言わねばなるまい………まず、フライムダルとゾロウが同盟を結んだ。これでわがクシュチアは西と南の双方から挟撃される形となった」

 「な、なぜその二国が同盟を………?」

 「そしてもう一つ………マークランドとフライムダルの王女セーラムが結婚する事となった」

 「!!!!!」

 ソフィーナはあまりの事に体が石のようになり動けなくなっていた。

 コルドバは、そんなソフィーナの姿を見て薄ら笑いを浮かべつつ話を続けた。

 「マークランドはどうやら二国間同盟を締結するにあたり、政略結婚をさせられることになったのだろうな。いやはや、私の義理の弟となるはずだった男が、まさか敵となるとは思いもよらなかったな。くっくっくっ………」

 「そ………そんな………!」

 ソフィーナは震えながら両手を見つめた。

 この手で何度も抱きしめ合った愛するマークが……他の女と……結婚した………?私を残して……?

 いや、違う───。私が約束を破ってマークを待つことが出来なかったから……なの……?

 「我が国としては、ソーシエンタールを味方にすることで、ゾロウとの緩衝地帯となることを期待していたのだが、上手くはいかないものだな?だが、こうなったからには仕方ない。こちらとしてもすぐに二国間同盟に対抗する必要がある………」

 コルドバはほとんどソフィーナの耳には届いていないと知りながら話を続けた。

 「私は南のソーシエンタールを攻撃するため、すぐに出立する。お前はこの城でゆっくり休んでいろ」

 コルドバはそう言うと立ち上がり、金属音を鳴らしながら大広間を出て行こうとする。

 出入り口には近衛隊長である『比類なき剣士』ゾニエルが待機しており、コルドバを迎え入れた。

 ソフィーナはショックのあまり、その場に立ち尽くしていたが、すぐに何かを思いついたように兄の後を追った。

 「お兄様、お待ちください!お兄様!」

 コルドバとゾニエルは同時に振り返ると、ソフィーナがコルドバの腕を掴んで息を切らせながら声を上げた。

 「お兄様、お願いです!私も、私も連れて行って下さい!」

 ソフィーナが髪を振り乱して懇願するが、コルドバは呆れ顔で答えた。

 「それは無理な話だ。お前の気持ちもわかるが、今は黙ってこの城で待っていろ」

 そう言うと歩き出そうとするコルドバ。

 それをコルドバの腕を掴んで行かせないように抵抗するソフィーナ。

 「お願いします!お兄様!私はもう一度マークに会って話さなければならないのです!」

 コルドバは舌打ちをすると掴まれた腕を振り払う。

 支えを失ったソフィーナはよろよろと床に転がった。

 「そんなひ弱なお前が戦場に赴いて何になるというのか!?もしもお前が敵の手に落ちてしまったら………どんなことになるかお前にもわかるだろう!?」

 コルドバは床に伏せて泣くソフィーナを見下ろしながら言い放った。

 「良いか!?お前は大人しくここで待て。これ以上、状況を悪化させるようなマネはしないようにな!?」

 そう言うと、コルドバは金属音を響かせながら廊下を歩いて行った。

 一人残されたソフィーナは床に伏せたまま動かなかった。

 わかっている───。

 ソフィーナは心の中で呟いた。

 戦争が始まれば、姫などという立場は単なる飾りであり、せいぜい戦争の邪魔をしないように兵士達を励ますくらいしかできないのだ。

 勝手に行動して、もし敵の手に落ちれば、その身柄と引き換えに何を要求されるかわかったものではない。

 だからこそ一番安全な城の一番奥でおとなしくしているべきなのだ。

 そんな事はわかっている───。

 ソフィーナは一人床に伏せて咽び泣いていた。

 そこへ姫が心配でこっそりついてきたディーヴがソフィーナへ駆け寄った。

 「姫様。大丈夫ですか?」

 「ディーヴ……」

 ディーヴを見上げたその顔は涙でぐしゃぐしゃとなっていた。

 心臓がズキンと痛むディーヴ。

 姫の一番近くにいながら、姫の力になることが出来ないくさしさ。

 身分の違いから、力いっぱい抱きしめてあげることも出来ないもどかしさ。

 幼いころから姫だけを見守り続けてきたディーヴにとって、今のソフィーナの痛々しい姿は見るに堪えなかった。

 ディーヴを見つめるソフィーナがささやくように口を開いた。

 「ディーヴ………あなた………」

 その時、ディーヴから流れ落ちた滴が床を濡らした。

 そこでディーヴ自身も初めて気が付いた。

 「私は……私は……」

 ディーヴはそれ以上、言葉にならなかった。

 ソフィーナはディーヴの顔に手を置くと続けてささやいた。

 「あなた………泣いているのね………」

 

 秘めたる想いを胸に、しばらくの間、二人は大広間へと続く廊下に座り込んでいた───。



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