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動乱の幕開け

「姫!早くお逃げください!」

 兵士長のディーヴが、薄いピンクのドレスに身を纏った美しい女性を前に、大理石の床に片膝を着きながら叫んだ。

 「ソーシエンタールの軍がこの屋敷に迫っております!」

 「ディーヴ。それは何かの間違いです!」

 姫はそう言いながら、小高い丘の上にある屋敷の窓から町を見下ろすと、あちらこちらから黒煙が立ち昇っているのが見え、時折ドーンという音が響いてくる。

 「……きっと、何かの……間違いなのです……きっと………」

 町を眺め小刻みに震えながら繰り返し呟く。

 そんな彼女に対して、普段は温厚であるディーヴであったが、今は主である姫の命がかかっているため、強い口調で諌めた。

 「ソフィーナ姫!敵が目前まで迫っているのです!このままでは……!」

 すると、ソフィーナ姫はキッ!とディーヴへ視線を移して口を開いた。

 「敵!?………ソーシエンタールが敵!?」

 「その通りです!今、我々の国へ攻め入っているのは、隣国のソーシエンタールでございます!」

 ディーヴの言葉にソフィーナは首を振る。

 「でも……でも!ソーシエンタールにはマークがいます!マークは私の婚約者です!───これは、これは何かの間違いです!」

 「とにかく事実関係は後ほど調査するとして、今は安全な場所までお逃げください!」

 「嫌!嫌よ!」

 ソフィーナ姫は瞳を固く閉じ、両手で耳を塞いだ。

 認めたくなかった。

 受け入れたくなかった。

 迫りくる危機───。

 朝まではとても平穏な時間が流れ、まさかこんな事になるとは夢にも思っていなかった。

 今日は婚約者のマークランドと会う約束の日。

 いつもよりも早く起き、オシャレをして、約束のお昼になるのを今や遅しと待ち焦がれていた。

 だが、一発の轟音が全てを奪い去った。

 突如ソーシエンタールの軍勢が、王国領内にある国境の町グランナダに攻め入ってきたのだ。

 ソーシエンタールとは非常に良い関係だった───少なくともソフィーナはそう思っていた。

 次期国王であるマークランドとは将来を約束しており、お互いを『ソフィ』、『マーク』と呼び合うほどの仲で、今日だって結婚式の日取りについて話をすることになっていたのに───。

 「姫!」

 ディーヴが必死に食い下がる。

 ソフィーナは両手を胸の前で組みゆっくりと目を開けると、再び町の方へ視線を移す。

 「私はここを去る事はできません。マークが……私に危険が迫った時は、必ずマークがここに来てくれるはずです……」

 ソフィーナの瞳からは涙が一滴流れ、その瞳をディーヴへ向けた。

 「……彼は私に言ったのです。『何かあった時は必ず行くから待っていてくれ』と───それなのに、私がここを去る訳には──!!」

 「失礼します!」

 ディーヴはそう言うと、凄まじいスピードでソフィーナのもとへ駆け寄るとその体を抱き上げた。

 「な……何をするのです!?」

 突然の事でソフィーナは抵抗するのを忘れていた。

 「今は非常時です!姫をお助けするにはこれしか方法がございません!」

 ディーヴはそう言うと、ソフィーナを抱いて部屋を飛び出すと裏口に回り、繋いでいた白馬に飛び乗った。

 「はっ!」

 ディーヴは掛け声と同時に馬の腹を蹴り、全力で屋敷を離れた。

 「マーク!マーク!!」

 ソフィーナはディーヴの腕の中で屋敷を振り返りながら、何度も何度も叫んだ。

 

 ───それから半日後、国境の町グランナダはソーシエンタール軍によって陥落した。

 

 

 ◆

 

 アース大陸は扇状の形をしており、東のクシュチア王国、西のフライムダル国、南のゾロウ連邦の三国で長らく覇権を争っていたが、ここ20年ほどは戦争も無く平和な時間が流れていた。

 クシュチアとフライムダルは国王を擁した君主制であるが、ゾロウ連邦は4つの国から形成された共和制であり、その内の一つがソーシエンタールで、クシュチア王国と隣接していた。

 両国は昔から血塗られた歴史があり、少なからず遺恨を持っていたが、近年は平和な世の中となり、それを現すように両国間で婚約発表がなされた。

 ソーシエンタールの次期国王マークランドは、黒髪黒眼の持ち主で、卓越した身体能力と大らかな度量を持った好青年であり、クシュチア王国の姫君ソフィーナは、金髪碧眼で透き通るような白い肌を持った美しい女性であった。

 この二人の婚約は大陸中から祝福の声が上がるほどお似合いのカップルで、平和の象徴と言われる出来事であった。


 「───マーク………マーク?」

 「!!」

 マークランドは白いシャツに黒の革ズボンという、他国の姫君に会うにしてはいささかラフな姿でソファに寝転んでいたのだが、自分を呼ぶ声にハッとして上体を起こすと、寝ぼけ眼で声の主に視線を送る。

 「もう!マークったら。何回も呼んでいるのですよ?」

 ソファの背後で、ソフィーナがエプロン姿で頬を膨らまし両手を腰に当てて立っていた。

 ここはクシュチア王国領グランナダの丘の上にある屋敷で、最近ではこの場所がソフィーナの生活拠点となっていた。

 これも隣国の婚約者であるマークランドの傍に居たいという一心であったが、周囲からは政略結婚という噂があり、ソフィーナにとってはそれが腹立たしく、本当にマークランドの事が好きだという事を世間に示すという意味でも、このグランナダでの生活は必要であったのだ。

 「ごめん。ソフィ。ちょっと考え事をしていた」

 マークランドが片目をつぶりながら両手を合わせて謝る。

 「罰として、私が焼いたケーキはあげませんよ!?」

 「そんなぁ……」

 二人は見つめ合ってから「ぷっ!」と吹きだして笑いあう。

 ソフィーナはマークランドの背中に抱きつくと、耳元で囁いた。

 「私、本当に幸せです」

 「どうしたんだい?急に……」

 マークランドは肩越しにソフィーナの頭を撫でる。

 「ううん。別に……ただ、貴方に出会えて本当に良かったと思って……」

 「うん。僕もそうだよソフィ」

 そう言うと、マークランドはソフィーナの頭を引き寄せキスをする。

 ソフィーナもマークランドの首に手を回す。

 「姫様。はしたないですよ?」

 突然の声に飛び跳ねるように驚くソフィーナ。

 声の方を見ると、ディーヴが苦笑しながら部屋のドアを開けて立っていた。

 ディーヴはソフィーナより1歳年上の美男子で、若くして兵士長としてソフィーナの身辺警護にあたっているが、その家柄は代々近衛隊長を排出する名家で、現在の近衛隊長もディーヴの父ゾニエルがその任に就いていた。

 「ディーヴこそ、ノックもせずに入室するとは何事ですか!?」

 ソフィーナはマークランドとの貴重な時間を邪魔され、不貞腐れ気味にディーヴを問い詰めた。

 「まあまあ、ソフィ……」

 マークランドはソフィーナをなだめながらディーヴへ視線を移す。

 「やあ、ディーヴ。久しぶりだね。元気にしていたかい?」

 笑顔で手を振りながらディーヴに声をかけるマークランド。

 「はい。マークランド様もお元気そうで何よりです」

 そう言いながら深く頭を下げるディーヴ。

 それを見て慌てるマークランド。

 「ああ、ディーヴ。僕には気を遣わなくていい………それよりも、何か用事があったからここに来たんじゃないのかい?」

 「はい。その通りです。 姫様……」

 ディーヴは視線をソフィーナに移してから続けた。

 「……キッチンに放置されているケーキに蟻が集まり始めておりますが?」

 「きゃあ!忘れていました!」

 そう言うと、ソフィーナは急いでキッチンに向かって駆け出した。

 それを見てマークランドがケタケタと笑う。

 「ディーヴも人が悪いなぁ………どうだ?久しぶりに手合せでもするか?」

 ディーヴの真意を読み取って、マークランドが誘う。

 「はい。喜んで!」

 待ってましたとばかりに、ディーヴは嬉しそうに答えた。

 マークランドは頷くと、ベランダから庭に出た。

 ディーヴは予め用意していた2本の剣の内、1本をマークランドへ手渡した。

 マークランドはすらりと抜刀すると、両手で剣を持ち自然な状態で構えて口を開いた。

 「ディーヴと手合せするのは久しぶりじゃないか?」

 「はい。約1年ぶりでしょうか?」

 ディーヴもそう言いながら剣を構える。

 「それじゃあ、かなりの腕前になったんじゃないか?」

 「いえいえ、マークランド様には及びません」

 そう言いながらジリジリと間合いを詰めるディーヴ。

 そのディーヴの動きに対して、微動だにしないマークランド。

 「君の父上はあの『比類無き剣士』と称されたゾニエル殿だ。僕なんか……!」

 「父の名前は出さないで下さい!」

 ディーヴはそう言うと、凄まじいスピードで打ちかかってきた。

 それを半身を少しだけ動かして避けるマークランド。

 「ふっ。父とは比べられたくないか……」

 マークランドはディーヴに聞こえないように呟くと、すっとバックステップで距離を取った。

 第2撃を繰り出そうとした所に一瞬で距離を取られたため、ディーヴは仕方なくゆっくりと剣を構え直す。

 「さあ、ソフィに止められる前に、1年間の成果を僕に見せてもらうじゃないか」

 マークランドの言葉に、ディーヴは無言で頷くと、芝生を蹴って一瞬で距離を詰めてきた。

 このスピードにはさすがのマークランドも驚いた。

 更にディーヴは振りを小さくしたスピード重視の斬撃を繰り返した。

 マークランドはその攻撃を剣で受けながら反撃の機会を伺ったが、ディーヴの連撃があまりのスピードに反撃の余地は無かった。

 カン!キン!カン!

 刃は付いていない模擬戦用の剣であるが、さすがにこのスピードで切られれば大怪我となるだろう。

 マークランドはそろそろソフィが戻って来る頃だと思い、この試合を終わらせるべきと考えていた。

 「ディーヴ。そのスピードにはさすがの僕も驚いたよ。よくぞそこまで鍛えたものだね。普通の者であれば一瞬で勝負が決するだろうね」

 マークランドはディーヴの剣を捌きながら語りかけた。

 「だが……!」

 マークランドの眼光がディーヴの剣を捕えた。その瞬間、ディーヴは血が逆流するほどの恐怖を感じ取った。

 マークランドはディーヴの剣の切っ先を瞬時に薙ぎ払った。

 ガキィーン!

 激しい金属音と共に、ディーヴの剣は吹き飛ばされた。

 その衝撃でディーブも芝生の上に横倒しとなる。

 マークランドは自らの剣を鞘に納めると、ディーヴに手を差し出した。

 「大丈夫かい?ディーヴ」

 ディーヴは見上げると、いつもの優しい顔のマークランドがそこにいた。

 「やっぱりマークランド様はお強いですね」

 そう言いながらディーヴはマークランドの手を握った。

 「いやあ、ディーヴもかなり腕を上げたよ。僕を一瞬でも本気にさせたんだからね」

 マークランドはニヤリと笑ってディーヴを引き起こす。

 ディーヴはそれほど体は大きくなく、ソフィーナよりも少し背が高いくらい──ソフィーナの履く靴によっては、逆に低くなるくらいの身長だった。

 そんなディーヴは、パワーでは他の者に勝てないと悟り、スピードを重視した剣技を磨いてきたのだった。

 そしていつか、憧れのマークランドを超える事が出来たら……!

 ディーヴの胸の内には、『比類無き剣士』と称された父ではなく、他国の次期国王であるマークランドの姿があったのである。

 そこに二人を探していたソフィーナが姿を現す。

 「二人とも!そこで何をしているのですか!?」

 その口調は怒っているというよりも、呆れているような感じだった。

 「いやあ、久しぶりにディーヴと遊んでいたんだよ。ソフィ」

 頭をポリポリ掻きながらディーヴに目配せするマークランド。

 ディーブはマークランドの事を優しくて、お茶目で、物凄く強い、頼れる兄のような存在と勝手に思っていた。

 「そうですよ。男同士の遊びに姫様は口を挟まないで下さい」

 ディーヴもマークランドに口裏を合わせる。

 ソフィーナもそんな二人の姿を見て微笑む。

 「さ、二人とも、ケーキと紅茶を用意してあります。早く手を洗ってらっしゃいな」

 「「はーい!」」

 二人は先を競って手を洗いに走って行く。

 そんな姿を見ながら「なんて平和で穏やかな日々なんだろう」と、ソフィーナは今の幸せなひとときを噛みしめるのだった。

 

 グランナダの町には国境を隔てる壁に大きな門がある。

 過去から幾度となくソーシエンタールとクシュチア王国は争ってきたのだが、主に小国であるソーシエンタールが隙をついてクシュチアへちょっかいを出すのが常であった。そこでクシュチアは国境であるグランナダに大きな門を作り、簡単にこちらへ攻め込めないようにしたのだった。

 しかし、平和が訪れた現在においては常に門は開け放たれ、通行許可証を持った者であれば自由に両国を行き来することが出来た。

 だが、それは婚約者であるマークランドやソフィーナであればいざ知らず、一般人ではない軍人がおいそれと門を通過するのは無理な話だった。

 マークランドへの早馬がグランナダの丘の上の屋敷に到着したのは、ちょうどソフィーナのケーキを食べ終えた時だった。

 このクシュチア兵の話によれば、マークランドの父であるシャナードが、ソーシエンタール側の国境の町『ボーダン』まで来ているという。即刻帰国するよう達しが出たとの事だ。

 マークランドは怪訝そうな表情で「一体何なのだ、突然」と言いながらも、急ぎ出立の準備を行う。

 「何かあったのでしょうか?」

 ソフィーナが心配そうな表情でマークランドを見る。

 「さあね?父上はお人好しだからなぁ」

 マークランドは軽装鎧に身を包み、腰にはロングソードを吊るした出で立ちであった。

 本来、次期国王ともなれば、黄金色に輝くフルプレートに漆黒のマントを羽織るものと相場は決まっているのだが、マークランドは動きが鈍くなるフルプレートは好まなかった。

 「さくっと様子を見て来るよ。また一週間後に会おう」

 そう言いながらマークランドはソフィーナに軽くキスをすると、手を振りながらドアを開け外に出る。

 「いってらっしゃい。お気をつけて」

 ソフィーナも手を振り、笑顔でマークランドを送り出した。

 

 この一週間後、グランナダは戦火に包まれるのであった。



 「この度、ソーシエンタールが国王シャナードに代わりまして、嫡子であるこのマークランドが貴国との友好の使者として参りました」

 マークランドの凛とした声が広間に響き渡った。

 ここはフライムダル国の南東、ゾロウ連邦のザクソン国との国境近くにある、フライムダル領『ガルバダード砦』である。このガルバダード地方は、南はザクソンと接し、東はクシュチアのグランナダと接する重要拠点であった。

 マークランドは、このガルバダード砦の大広間のレッドカーペットの上で跪いていた。

 あの日、父シャナードに急遽呼び戻され、その日の内にこのガルバダードへ送り出されたのである。

 檀上には、宝飾された豪華な椅子に座る一人の少女の姿があった。

 フライムダル王ザックホーンの娘であるセーラム姫である。

 明るい茶色の髪はアップにされ、そこに光り輝くティアラが乗り、美しいがまだ幼さが残る顔とは裏腹に、その体はドレスの上からでもわかるほど豊満な体であり、見る者に妙にアンバランスな印象を与えていた。

 「マークランド殿、遠路ご苦労さまでした」

 セーラムが軽く頭を下げる。

 「いえ、セーラム姫が南方の視察に参られたついでに、我が国ソーシエンタールとの友好を兼ねて、私の婚約のお祝いをしたいとお聞きしましたので、急ぎ参上いたしました」

 マークランドは強大国の美しき姫を見上げながらさらに続けた。

 「お初にお目にかかります。マークランドと申します」

 そう言いながら、マークランドは頭を下げる。

 「いいえ、初めてではありません。10年以上前、我が父上の王位30周年記念式典においでになられていたはずです。その時、クシュチアのソフィーナ姫とご一緒に庭園で遊ばれていたのを拝見しております」

 「ああ、そうでしたか。これは申し訳ありません」

 マークランドは少し恥ずかしそうに再び頭を下げた。

 セーラムはにこやかな表情で口を開いた。

 「その時からお二人はとても仲睦まじいご様子でした………私の姿が目に入らないくらいに………」

 後半は独り言のように呟くセーラム。

 「?」

 マークランドは少し首をかしげたが、すぐに姿勢を正す。

 「お近づきのしるしに、隣の部屋でささやかではありますが、昼食の準備をしておりますので、よろしければそちらでお話しさせていただきたいと存じます」

 「はい。喜んで」

 マークランドはそう言うとスッと立ち上がる。

 セーラムも立ち上がると、薄青のドレスをなびかせて階段の手前まで進む。すると、脇に控えていた下仕えがセーラムの手を取ろうとしたその時、マークランドがレッドカーペットの階段をさっと上り、セーラムへ手を差し伸べた。

 白い軍服に長靴姿のマークランドが右手に手袋を握り、颯爽と左手を差し伸べるその姿を見たセーラムは、頬を赤らめながらその手を取りマークランドにエスコートされながら階段を下り、隣の部屋へ向かった。

 部屋に入ると、20人はゆったりと座れるほどの長テーブルが部屋の中央に設えてあり、大皿に盛られた食事が所狭しと並べられていた。

 だが、ナプキンやナイフ、フォークといったものは二人分しか用意されておらず、この食事会はセーラムとマークランドの二人だけのものだとすぐに理解できた。そのテーブルを挟んで両端にメイド達がずらりと頭を下げたまま整列していた。

 ここからは二人だけのゆったりとした時間を過ごした。

 マークランドとしては、弱小国であるソーシエンタールのため、大陸一の強国であるフライムダルとはしっかりとした友好を結ぶ必要があった。

 これはゾロウ連邦としても重要なミッションであり、特にフライムダルと隣接するザクソンの期待は非常に大きなものであった。

 一方、セーラムにとっては、この食事会は夢のようなひと時であった。

 幼いころに一目惚れした相手と二人きりで食事が出来るなんて、こんなに嬉しいことはないと思えたほどだ。王都からはるばるこんな場所まで来た甲斐があったというものだ。

 それと同時に、この宴の真の目的を達成することに迷いはきれいに払拭できた。

 最初は抵抗があった。罪悪感があった。だが、今ではむしろ積極的に目的を達成したかった。

 このマークランドと同じ時間を過ごせるのであれば、自分はどんな罰をも甘んじる覚悟があった。


 その時、部屋の外から何やら言い争いをしている声が響いてきた。

 セーラムはこの幸せなひとときを邪魔されたくはなかったため、すぐに止むだろうとの思いから無視していたのだが、言い争いの声は止むどころか次第に大きくなってきて、いよいよ看過できないほどとなっていた。

 「一体何事ですか!?騒々しい」

 セーラムの声に入口の警備兵が焦った表情で答える。

 「セーラム姫、申し訳ございません。ソーシエンタールの者がマークランド様に取り次げと言ってきかないのです」

 「ソーシエンタールがどうしたのですか?」

 マークランドが少し緊張した表情で警備兵に言葉を発した。

 「何でも『自分は兵士長のグレンだ!マークランド様に会わせろ!』の一点張りでして……」

 「セーラム姫。グレンは私の信頼する部下です」

 マークランドが真剣な眼差しでセーラムへ視線を送る。

 グレンはマークランドが幼いころからの指南役であり、実戦経験も豊富な忠臣であった。頭髪は元々は黒色だったが、今では眉毛まで真っ白となり、おでこや目じりには深いシワが刻まれていた。そんなグレンが取り乱すとは只事ではないはずだった。

 「わかりました。ここへ通して下さい」

 セーラムの言葉が終わらないうちに軽装鎧で武装したグレンが部屋に雪崩れ込み、両ひざと両手を床に着けた状態で顔を上げると、マークランドに向かって震える声を抑えながら報告する。

 「マ、マークランド様………只今、ソーシエンタール軍がグランナダに対して攻撃を開始しました」

 「何だと!?」

 普段は温厚で怒鳴ることなどほとんど無かったマークランドだが、この時はばかりは勢いよく立ち上がると、グレンの元に急ぎ足で近づいた。

 マークランドは跪くとグレンの左肩に右手を置いた。

 「グレン。もう少し詳しく説明してくれ。いつ、誰が、どうしてグランナダに攻め込んだのだ?」

 「く、詳しくはわかりません!」

 グレンはマークランドの腕にしがみ付きながら話した。

 「ですが、国王シャナード様が、自ら先頭に立ちグランナダへ攻め込んだ模様です」

 「ち、父上が!?……一体、どうして!?」

 「それは私からご説明いたします」

 マークランドとグレンは一斉に声の主に振り返った。

 そこにはセーラム姫が毅然とした態度で立っていた。

 「マークランド様。まずはご着席下さい。グレン殿もお座り下さい」

 マークランドとグレンはセーラムに促されるままに着席した。

 それを確認してからセーラムも着席すると、淡々と語り始めた。

 「ここ20年ほどアース大陸では大きな侵略戦争は発生せず、比較的平穏な日々が続いておりました。しかし、数ヶ月前からクシュチア王国が不穏な動きを見せており、我がフライムダル領内に幾度となく兵を進めておりました」

 「それは私もソフィ………ソフィーナ姫から聞いております。何でも、大陸の北にある『封印されし島』に対する防衛処置とか」

 「はい。クシュチア王国はそれを建前にして我が領内へ何度も不法侵入を繰り返しておりました。ですが、どうして『封印されし島』をむしろ挑発するような行為をする必要があるのでしょうか? 現在はまだ封印の効力は衰える時期ではなく、あと100年はその効果は続くとされていますので、すぐに封印されし悪魔が活動する訳ではないはずです。もちろん来る日に備え、古の封印の術に対する知識と業の継承も行われており、何も心配することはないのですが……」

 セーラムは困惑の表情を浮かべていた。


 かつてこのアース大陸では、悪魔と人間の戦いが300年もの長きに渡って繰り広げられていた。

 悪魔はアンデッドを使って昼夜を問わず攻撃を繰り返したため、人間は次第に疲弊していった。

 それを見かねた神は、神器である鏡、玉、剣を人間に授けたため、人間は辛くもフライムダル国の北方にある小さな島に悪魔を島ごと封印したのだった。

 それから更に300年もの年月が経ち、一般的にはほとんど過去の作り話のような扱いとなっていたが、悪魔を封印した勇者がフライムダル王家の人間であり、封印した島もフライムダルのすぐ近くの島であることから、フライムダル王家だけが封印の方法を代々受け継いでいた。

 

 「確かにクシュチアが国境を侵してまで『封印の島』に拘るのは不自然だと思います。しかし、それと今回のソーシエンタールの進軍がどう関係するのですか!?」

 マークランドは回りくどいセーラム姫の説明に対して、早く本題に入るように促す。

 だが、セーラム姫は表情を変えず、視線だけをマークランドへ向けて静かに口を開いた。

 「マークランド様、急ぐ気持ちはご理解できますが、今、貴方がいるのはグランナダではなく、フライムダル領のガルバダードです。そして、今、貴方がしなければならない事は、戦う事ではなく現状を理解することのはずです」

 まだ齢17ほどのセーラムが、22歳のマークランドに諭すように語る。

 マークランドはつい狼狽えてしまった事が恥ずかしくなり、一つ息を吐いて自分を落ち着かせた。

 「申し訳ありません。姫の仰る通りです。まずは話を聞きましょう」

 そう言いながら頭を下げるマークランド。

 セーラムは軽く頷くと話を続けた。

 「マークランド様は最近クシュチアのエルダン王にお会いになられましたか?」

 このセーラムからの思いもしない質問にマークランドは戸惑いながら答えた。

 「は、はい。いや、い、いいえ、ここしばらくは会っていません」

 「クシュチアの姫であるソフィーナ様とご婚約されたというのに、父であり一国の王であるエルダン様には会っていないのは何故ですか?」

 「何でも、ここ最近は体調がすぐれず、近親者以外とは面会していないと聞きました。従って、政治はもっぱら最近力をつけてきた側近の魔術師が行っているとか……」

 「そこです!」

 セーラムが突然鋭い声を発した。

 「その魔術師が台頭し始めた頃からクシュチアは『封印されし島』にちょっかいを出すようになったのです。つまり、現在のクシュチアの実質的な支配者はその魔術師なのです!」

 「………」

 マークランドとグレンは言葉が出なかった。

 セーラムは水を一口含み、のどを潤すと静かな口調で語り出した。

 「封印されし島に異変があった場合、直接的な被害を被るのはほとんど離れていない我が国であり、最悪の場合は第二次悪魔戦争に発展する可能性もあります。それを防ぐには、クシュチアの行いを止める必要があります。そこで秘密裏にフライムダルとゾロウ間で協議した結果、二国間同盟を結ぶことで合意するところまで話が進みました。ですが、一つ問題がありました………」

 そう言うとセーラムはマークランドに視線を送る。

 マークランドはそれだけで全てを察した。

 「つまり………私とソフィの婚約が障害になるというのですね?」

 セーラムは目を伏せるとコクリと頷いた。

 「マークランド様とソフィーナ様のご婚約は、両国の絆が固く結ばれるということになります。これでは、我がフライムダル国とゾロウ連邦の同盟は困難となるでしょう………」

 「………!」

 マークランドはガタンと音を立てて立ち上がると、震える声でセーラムへ問いかけた。

 「ま、まさか………私の婚約を強制的に破棄させるために、ソーシエンタールはグランナダへ攻め込んだとでもいうのですか!?」

 「はい……その通りです……」

 セーラムはそう言いながらゆっくり立ち上がると、マークランドを真っ直ぐに見つめながら続けた。

 「そして、グランナダ陥落と同時に、フライムダル国とゾロウ連邦の同盟締結を正式に宣言する手筈となっています。その象徴として、マークランド様のご婚約を解消し、新たに………」

 セーラム姫は一瞬躊躇ったが、意を決して口を開いた。

 「新たに、マークランド様をフライムダル国の王女、セーラムの夫として迎え入れることになります!」

 「な、何だって!?」

 マークランドは驚きのあまり、それ以上の言葉が見つからなかった。

 セーラムは顔を赤くしながらも、マークランドを必死に見つめていた。

 「同盟とは、結ぶ相手国と信頼関係を築く必要があります。そこで一番手っ取り早く効果的なのが政略結婚なのです」

 「セーラム姫、言いたいことはわかります。だが、そのためにグランナダの町を攻撃することはないはずです。私はあの町にとてもお世話になっていたのですよ?」

 「だからこそです。ゾロウ連邦としてはクシュチアは敵対国であるという姿勢を明確に示す必要がありましたし、障害となっていた婚約破棄もソフィーナ様がおられるあの町を攻撃することではっきりと意思を示すことが出来ます。つまり、グランナダを攻撃することは必要なことだったのです」

 「そ、そこまでする必要が……」

 「あります!」

 セーラムははっきりと答えた。

 「クシュチアは理由は不明ですがほぼ間違いなく『封印されし島』の封印を解こうとしています。このままでは第二次悪魔戦争となり、大陸全土が戦場と化すことでしょう。その前に何としてもクシュチアの行いを止める必要があります。そのための二国間同盟なのです」

 「わかっています!わかっていますが……」

 マークランドはテーブルに両手をつくとテーブルクロスを強く握りしめた。

 しばらく沈黙した時間が流れたが、マークランドが呟くように話し始めた。

 「………同盟の話は進めてください……でも……だからと言って、ソフィを諦めることは僕にはできない!」

 マークランドは踵を返すと「失礼します」と言って早足で歩き出した。グレンも慌ててその後を追う。

 「行ってはなりません!」

 セーラムの声が部屋に響いたが、マークランドは「すみません」とだけ言い残して部屋を出て行った。

 「マークランド様……」

 一人残されたセーラムは視線を落とし、しばらくの間その場に佇んでいた。




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