三日間の恋の花
朝早くに咲く、アサガオは、とても短い期間しか花をつけない。だから、その短い間に願い事をすると言う。多くのアサガオが、枯れた後の事を心配をするのだが、アサガオによって願いは変わってくる。
「あっ、咲いている」
庭に咲く、たくさんのアサガオを見つめ喜んでいる、背の高い男がいた。
「卓也、今日も早起きね、この調子で夏休みの宿題も、早く終わらせてくれるといいのだけどね〜」
「はいはい」
木之下卓也は高校生である。夏休みの今、毎朝、庭のアサガオの絵を描いているのだった。
「卓也は、画家になりたいの?」
「う〜ん、そう言うわけじゃないけど、植物学を専攻しようと思っているんだ。それには、画力も必要らしい」
「そうなの? でも、アサガオの研究をする人になりたいの?」
「う〜ん、それが、まだ決めていなくて、植物全般の事を調べようかと思っているのだけど……」
「なんだかわからないけど、がんばって勉強してね」
卓也の母は、洗濯物を干すため階段をたくさんの服を持って上って行く。
一階の庭は狭い、だから、洗濯物は干せない。そのおかげで、とても花を観察するには丁度いいのだ。
卓也の家は、築四十年以上の木造の家で、畳が敷いてあり、実に田舎らしい作りになっているのだ。
「アサガオ、今日もかわいいな」
スケッチブックを持って卓也がそう言う。
だが、アサガオは、風に吹かれて揺れているだけだった。
三時間して、卓也は、サンドイッチをつまみながら描いていたのだがやめてしまっていた。
「卓也、もしかして、今日も図書館に行くのかな?」
「うん、調べたいことがあるから」
図書館へいくのも、もはや、卓也の習慣である。
「虫よけスプレーしていきなさいよ、蚊が飛んでいるから」
「はーい」
シューとスプレーを体にまんべんなくかけると、自転車をこいで図書館に出かけていった。
『朝顔、あなたは、もう二日咲きました。もうすぐ、願い事が決まったのではありませんか?』
風に揺れていたアサガオの一輪に、花の神様は、優しく話しかけていた。
「そうね……」
青色をしている、満開のアサガオは、少し悩んでいた。
『あなた達の花が枯れたとしても、二世ががんばる様にしますから、心配はいらないからね』
花の神様は、まだ、何も言っていないのに、種の心配をすると思ったのか、そう言って来た。
「あ、あの〜、どんな願いでも、いいのですか?」
『ええ、もちろん、地球を滅亡させたいとか、人の命を取りたいとか、そう言うのは、ダメなのですけどね』
花の神様は、楽しそうにそう言い、コロコロ笑っている。
「そう言う願い事ではありません」
朝顔は、少し、怒ってそう言った。
『願い事は、あなたにとっては、とても大事な事ですものね、じっくり考えたいのは分かります。でも、早く決めないと、枯れてしまいますよ』
「それじゃあ、あの、彼とお話をしてみたいんです」
『彼と?』
神様は、少し考えてから。
『ああ、この家に住んでいる、卓也さんですね、では、花が話せるようになればいいのですか?』
「違います。それでは、卓也さんに驚かれて、逃げられてしまいます」
『そうですかね〜? 卓也さんなら、むしろ喜んで、アサガオの生態でも聞くと思いますけどね〜』
神様が、面倒くさそうに髪を引っ張りながらそう言っている。
『あなたが言いたいのは、人間として話してみたいと言う事なのでしょう? それならば、あと三日間、花の咲いている時間だけ人間にしてあげましょう』
「人間!」
『それが望みではなかったのかね?』
「えっと……」
(でも、たしかに、普通にお話がしたいなんて、人間になりたいと言っている様な物だったわ)
『どうなの?』
「お願いします」
心の中で、深々とお辞儀していた。
『では、明日の朝には、人間になっていると思うので、驚いて悲鳴をあげないでくださいね』
神様はそう言っていなくなった。
(卓也さん、いつもかわいいと言ってくれる。目の輝きが素晴らしい素敵な方。私なんか、相手にしてもらえるのかしら?)
心の中で不安になる。
(そう言えば、卓也さんには、彼女がいらっしゃるのでしょうか? あんなに素敵なんですもの、いるに決まっていますわ)
少し落胆した。
(明日、訊けばいいのよ、それまで、おやすみ)
花を閉じた。
まだ日の低い薄暗い朝、目が覚めると、庭に立っていた。
(こんなに高い所に咲いていたかしら? そう言えば、人間になっているわ、足があるもの)
見たところ、青いマキシワンピを着ていて、透けるような白い肌をしている。触った感じだと、髪の毛も目も鼻もあった。
「これで、卓也さんと堂々とお話が出来るのですね」
張り切ってそう言うと。
「おはよう」
声を掛けられた。
「おはようございます。卓也さん」
「あれ? 俺、君と会った事があったかな? よく覚えていないんだけど……」
「何回か会っていますよ」
「そうか、それはすまない、忘れていた。でも、庭に遊びに来て欲しいとまで言った女の子を忘れるかな?」
「えっと、そう、迷子です」
「迷子? その年で?」
朝顔は、背格好から行くと、卓也と同じくらいの年に見える。
「今は、暗いから……」
「そうですね、昼と違って、薄暗いから、迷う方もいるかもしれませんね。麦茶でも飲んで行きな、涼しくなるから」
「はい」
縁側に二人並んで座った。
「とりあえず、冷えているうちにどうぞ」
「はい」
朝顔は、麦茶を両手でにぎって座っていた。卓也は、スケッチブックを出して、花を描き出した。
「花って、一つ一つ表情が違っておもしろいんだよ」
ジーと、花を見つめる卓也。
(ステキだわ)
朝顔はこの姿が大好きなのである。そのため、少し、興奮を抑えている。
「あっ、ゴメン、女の子はこういうの嫌だよね?」
「いいえ、とてもステキですわ、私は、花を見るのも好きですよ」
「本当? 君って変わっているね」
卓也は、嬉しそうに笑った。
朝顔の心臓は、その笑顔一つで、ドキドキと高鳴っていた。
(卓也さん……)
朝顔は、思わず、卓也の服の袖をつかんでしまった。
「どうしたの? 家に戻りたくなったのかな?」
「違います。ええっと、ええっと、質問しても良いですか? 卓也さんって学校と言う所をどう思っていますか?」
「退屈な場所かな? でも授業は割とすきだよ。さぼったりしていないからね」
「あの〜、失礼ですが、彼女とかいるのですか?」
「いないに決まっているさ、俺がモテるわけないでしょう」
卓也は、アサガオの絵を描きながら、朝顔の話を聞いてくれている。
「卓也さんは、格好いいのに……」
「そうかな、花ばかり見ているし、そんなに格好いいわけでもないだろう。なんだか、その質問だと、まるで君が俺の事を好きみたいに感じちゃうよ、変に期待させないでくれないかな?」
「私は、卓也さんが好きです」
「……本当?」
「はい」
卓也は、悩んだ後。
「そっか、それじゃあ、きっと、また会えるね?」
「ええ」
朝顔は、体が花に戻る時間になったので、庭を出た。
卓也は、冷静に送り出したように見えたが。
「母さん、父さん、どうしよう、俺、告白されちゃったよ」
「誰にだい? どうせ、アサガオに告白されたとか言うんじゃないのかい? あんたは勉強し過ぎよ」
卓也の母と父は、冷静だった。
「彼女は、花をスケッチしている俺に一目ぼれしたらしい」
「……物好きな女の子もいたものだね〜、花オタクだと思っていないんじゃないの?」
「幻覚だろう、勉強のしすぎだ。少し寝てからもう一回考えてみろ」
「俺に信用は無いのですか?」
「ないね」
「無いよ」
母と父は二人で顔を見合わせている。
「でも、もう一つあるとしたら、詐欺ね! そう言う子に限って金をむしり取るために好きでもない男を騙すって奴だわ」
「そんなわけ……」
「無いと言える?」
「わからないけど、あんな優しそうな子が、詐欺何てするのかな?」
「人は、見た目じゃないぞ、卓也、騙す奴はだます!」
卓也は、困って、書きかけのスケッチブックを開いたときには、アサガオはしぼんでいた。
「残念描けなかった」
次の日の朝も、薄暗い朝だった。卓也は、スケッチブックを持って縁側に座っていた。
「いたいた、卓也さん」
親しげに近づいて行くと、卓也は照れくさそうに。
「おはよう」
顔を赤くしてそう言った。
「えっと、お姉さんは、名前は、何ていうのかな?」
「朝顔と言います」
「あさがお? それが名前?」
「はい」
「卓也さんは、アサガオってどう思う?」
「あなたの事ですか?」
「いいえ、花の方です」
「う〜んと、アサガオは、雌花や雄花に分かれた花ではないので、受粉は自分でするタイプじゃないですか?」
「そうね」
「だから、アサガオは、大体の花が未来を約束されていると思うんだ」
「そうね、確かにそれなら大体確実に種を残すわね」
「頭が良い花だと思わない?」
「確かにそうね」
「アサガオの花の形は、風流でステキですよね」
「ええ」
朝顔は、少し恥ずかしそうに頷いた。
「まるで、私がほめられているみたいで恥ずかしいわね」
「そういえば、あなたの名前は、朝顔さんでしたね」
「はい」
二人ですこしだけ、気まずい雰囲気になってしまった。
「「あ、あの!」」
二人で同時に声を掛けてしまった。
「朝顔さんからどうぞ」
「あの、アサガオは夏しか咲きませんよね? アサガオが咲いていない時、どんな花を描いているのですか?」
「河原のタンポポとかかな? 秋はコスモスとかきれいだよ」
「そうですか」
朝顔は、心の中で、少し、タンポポとコスモスに嫉妬してしまった。
(他の花でも、いいのですね)
「でも、やっぱり、アサガオは一番きれいだと思うよ」
「そう」
朝顔は、目を輝かせて、卓也を見た。すると、卓也は恥ずかしそうだった。
二人で座っていると、後ろから、卓也の父と母が現れた。
「これが、告白してきた女の子かな?」
卓也の父は、そう言って朝顔の顔をじーと見た。
「偉い美人さんだぞ、母さん」
「まあ〜、本当! これは、詐欺だわ! 私の息子にこんなかわいい彼女が出来るわけない物」
卓也の母は、朝顔を何度も見て、「詐欺だわ」「詐欺だわ」と繰り返していた。
「母さん、父さん、今、その……二人きりでお話しているんだ。その……邪魔しないでくれないかな?」
「そうだな」
「詐欺なのよ、気を付けなさい」
「そう言って、陰で見ているのも知っているからね」
卓也が怒っているのをはじめて見た。
(でも、なんだか楽しそう)
朝顔は心の中でそう思いクスッと小さく笑った。
「ごめんね、朝顔さん、本当に、騒がしい家族でさ〜デリカシーのかけらもないよね」
「いえいえ、楽しい家族なのね」
「田舎では割とこうだけどな〜」
「……田舎?」
「もしかして、都会では、田舎って言葉自体死語だったりする? 朝顔さんって都会の人?」
「いいえ、ここが田舎という実感がなかったものですから、驚いてしまって」
「まあ、スーパーやコンビニもあるし、昔よりは田舎じゃなくなったからね。昔から、この村にいなかったと言う事は、朝顔さんは転校生だったりする?」
「そうかもね」
「どっちですか?」
「ふふふふふ」
二人で、なぜだかおかしくなって笑っていた。
「それでは、帰らなくては」
「もう、そんな時間か、さようなら、朝顔さん」
「はい」
去ろうとした時。
「俺も朝顔さんの事好きだと思う、飾らないあなたが好きなんだと思う」
「ありがとう」
そのまま、花に戻った。
「神様、私、人間と両想いになってしまったのです」
『それは、大変だな』
「初めは、お話しするだけで幸せだった。でも、今は、欲張りで、卓也さんと一緒にいたい」
『残念だけど、それだけは、どうにもしてあげられない。明日で、あんたの花の命は尽きるのだから』
「そうでしたね」
『しっかりお別れしてきなさいね』
――お別れ!
悲しいと思った。
花が咲いた後、見えるのは、卓也の家族と家だけだった。つまり、卓也だけが朝顔の世界だった。
(もう会えないのね……)
『生まれ変わったら、卓也の側に居させてあげるからね』
「神様、お願いします」
三日目の朝、卓也は落ち着かない様子で座っていた。
「おはよう」
「朝顔さん、おはようございます。今日もステキですね」
「ありがとうございます。でも。卓也さんの方がステキですよ」
そう言われた卓也は、Tシャツに短パンだ。
「そうかな〜? 絶対朝顔さんの方がステキだよ」
「……あまりほめないでください」
朝顔は、頬が熱くなり、恥ずかしくなった。その様子を見た卓也も赤くなって照れている様だった。
「ゴメン、ただ、朝顔さんが好きだから」
「ありがとう」
ニコリと笑った。
二人で麦茶を飲んで、縁側でアサガオをながめた。
「アサガオってきれいだよな」
「そう思ってもらえるとうれしい」
「本当にアサガオって良いよな」
「うん」
卓也が、朝顔をほめているのかアサガオをほめているのかわからなかった。ただ、ただ、卓也は優しい人だと思った。
(しっかり、お別れしなくちゃ)
「あの、卓也さん」
「ん?」
「私、いなくなったらさみしいですか?」
「もちろん、寂しいよ」
「そうですよね……」
言い出しにくかった。
(卓也さんが、せっかく大切に思ってくださっているのに、お別れしなくちゃいけなんて、悲しい)
心の中では、そう思っていた。
「朝顔さんは、明日も来れる?」
「う、ううん」
「? 明日は、無理か?」
「違うの、私、明日には、この町からいなくなっているの」
「!」
「私、実は、転校することになっていたんだけど、卓也さんと一度でいいからお話をしてみたかったの」
「……」
卓也は、黙った。
「手紙とか、メールとか連絡してもいいかな?」
「だめよ」
「そっか」
卓也は、妙に落ち着いていた。
「最後に素敵な思い出が出来ました。これから、私は、探しても一生見つからないと思います。だから、忘れて、幸せになってください」
「忘れる? 幸せになる?」
「そう、私の事は忘れるの」
朝顔は天を仰いでそう言った。
「卓也さん、大好きでした」
「待ってくれよ、俺、毎年アサガオを植えるから、だから、目印にして、何十年後でもいい、見に来てくれ」
「うん、わかったよ」
そう言った瞬間に、朝顔は、卓也の目の前で姿を消した。
「神様、幸せな時間をありがとう」
『楽しかったのなら、よかった』
神様は、微笑み、朝顔の手を取った。お迎えの時だったのだ。
(さようなら)
「卓也、どうした抜け殻みたいになっちゃって」
父さんが話しかけてくる。
「消えたんだよ、朝顔さんが……」
「夢じゃないのか?」
「本当だよ、あれは、人間じゃなかったのかな?」
「そんなことあるわけないだろ」
「そうだよね」
「卓也、どうしたの?」
今度は、母さんが話しかけてきた。
「フラれたんだよ」
「やっぱり、卓也は金が無いと思って見限ったのね」
母さんは、ふざけたようにそう言った。
「卓也に恋は、早かったかな〜」
「早くないよ……」
「ちょっと、図書館まで行ってくる」
「気を付けてね」
いつの間にか昼になっていた。どよ〜んと落ち込んでいると、アサガオの花が一つ落ちていた。
「こいつも枯れちゃったか」
青色のアサガオ、朝顔さんのワンピースみたいだ。
(朝顔さんきれいな人だったな〜)
いつも通り図書館の植物コーナーから本を取り出して読んでいた。
(ふむふむ)
ちょくちょくメモを取る。
(おっ、ここも大事だな)
ページをめくると『アサガオ』と書いてあった。
(だめだ〜、やっぱり、朝顔さんが浮かんでくる)
卓也は、片っ端から植物の本を山のように積んだ。
(いっそのこと、朝顔について調べる事にしよう)
色々な図鑑があった。
(朝顔さん、朝顔さん……)
そんな時に、目に入ったのは、花言葉辞典だった。
『アサガオ』 短い恋
(短い恋……)
実は、うすうす気が付いていた。朝顔と言う名前、そして、青いワンピース、朝しか会えないところ。怪しい所はいっぱいあったのだ。
(彼女は、花の妖精だったのかな?)
彼女は、俺に短い恋をくれた。まさに、アサガオの恋だったのだと改めておもったのだった。
(了)