レディーナと言う妻
品の良い食事と質の良いワイン、雰囲気の良い空間に似つかわしくない、がはははっと言う笑い声が響いて、アルバートは眉を寄せた。
古くからの友人に乞われ、ホームパーティーに出席したアルバートは、妻を連れて来なくて良かった。と心から安堵した。
「アルバート、お前も嫁さんと来ればよかったのに。」
先程下品な、がはははっ。と言う笑い声を上げた男がアルバートに声を掛けた。
敢えて連れて来なかった。と言う言葉を飲み込んで、アルバートは笑みを返した。
「妻も残念がっておりました。次の機会がありましたら…。」
「確か、アルバート君の奥さんはレディーナさんでしたか?」
頭を下げたアルバートに声を掛けたのは別の、眼鏡を掛けた男だった。
「えぇ。」
「結局、レディーナと結婚したのかー。悪いとは言わないけど、普通な子だよねー。何が良かったワケ?」
眼鏡の男性に答えたアルバートの肩をポンポンと叩き、軽い口調で話し掛けたのは、背の小さい男だった。見れば、下品と眼鏡とチビに囲まれている。アルバートはため息を口の中に隠した。
「まぁ、俺だったらアレアだな。愛人って手もあるがな。」
手を怪しく動かし、がはははっと下品な男が笑う。
「私でしたら、アンジェリカさんですね。彼女なら彼女自身も家柄も不足無い。」
眼鏡の奥を光らせて、男がニヤリと笑う。
「えぇー、リリアちゃん可愛いじゃん!あの声でおかえりなさいって言われたい!」
小さい男はその姿を想像したのか、だらしなく口元を緩めた。
「失礼、そろそろ…。妻が待っておりますので。」
グラスの中に残ったワインを一気に呷り、アルバートが退出を申し出る。
えぇー、来たばっかじゃん。と小さな男が渋るのを、アルバートがすみません。と丁寧に頭を下げると、囲いが崩れ道が出来た。
その道へ足を向けた時後ろから、おいっ。と下品な男が呼び止めた。
「で結局、何であの嫁にしたんだ?」
お前等が知る必要は無い。と思ったアルバートだったが、妻を侮辱された事に思った以上に腹が立っていた様で、アルバートは歩みを止めると、振り返って順に男達を顔を見やった。
そして、ニッコリと笑顔のお手本の様な作り笑いをして見せると、口を開いた。
「彼女は、そんな下らない物で人を判断しません。」
「なっ…!」
「失礼します。」
反発しようとする三人を制して、アルバートは優雅に頭を下げ、会場から退出した。
「アルバート!!」
玄関で馬車の準備を待っていると後ろから、久方ぶりに聞く懐かしい声に振り向く。
「アルバート、すまなかった。今日は来てくれてありがとう。」
会場から走って来たのだろう、アルバートの旧友は肩で息をしている。
「構わない。が、今度はこんな下らない用事じゃ無い時に呼んでくれ。」
「はは、申し訳ない。が、これも彼女からの希望なんでね。断れないのさ。」
旧友が薄く微笑むのを、アルバートはそうか。と少し眉を下げた。
アルバートの旧友、かつてはレディーナの婚約者候補として並んだライバルでもあるが、彼は去年大恋愛の末、どこぞの御令嬢と結婚した。
貴族同士の結婚には全て、家の思惑の他に当人達にも思惑がある。
男は女を、出世の道具として。女は男を、アクセサリーとして…。
恋愛結婚の彼等であっても、それは変わらず。彼は彼女の向こうに、将来の自分を見付け、彼女は彼の向こうに、人々に囲まれる自分を見付けた。そう言う事だ。
「アルバート、…レディーナは?」
「あぁ、…帰る頃には寝てるな。」
いつまでも変わらない少女を思い出したのか、彼が笑った。
準備が出来ました。と頭を下げた御者を視界に入れ友が、止めて悪かった。と促す。
「末永く幸せになっ!」
そう告げた彼の顔は、思った以上に晴れやかだった。
それなりに遅い時分、帰宅したアルバートは御者に扉を静かに開けさせた。
「おかえりなさいませ。若旦那様。」
心得ている執事が抑えた声でアルバートを迎える。
アルバートはそれに頷くだけで応えた。
「浴室の準備は整えてあります。それからこちらのご確認を近日中に。」
羽織っていたアルバートのコートを脱がせ、セバスチャンは胸元から封筒を何枚か取り出した。
「レディーナは?」
それを受け取り確認しつつ、アルバートが尋ねる。
「本日はディー様がお見えでしたので、もうお休みかと。随分楽しまれておりました。」
無邪気に笑う姿が浮かんで、そうか。とアルバートは笑みを零した。
「アルバート、おかえりなさい。」
その時上から声がかかり、アルバートは驚いて顔を上げた。
見ればレディーナが、速足で階段を降り、アルバート目掛けて一直線に向かって来る。
ばふんっ。
と、アルバートの胸にレディーナが飛び込む。アルバートはそれを、しっかりと受け止めた。
「レディーナ、起きてたのか。」
「うん。今日、ディーが来てたんだけど、学園時代の話をしてたらすごくアルに会いたくなっちゃって、だから、待ってたの。…アル、おかえりなさい。」
アルバートの胸元にレディーナが額を擦り付けて甘える。レディーナは結婚してから二人きりの時、アルバートをアルと呼ぶようになった。
そしてあの日の夜から、胸の内の想いを素直に打ち明ける様になった。
「レディーナ、ただいま。」
アルバートはレディーナの顔を上げさせ、いつまでも変わらない澄んだ目元にキスを落とした。
「あ!そうだ。今日ディーにまた、執事喫茶に誘われたの。そろそろ行っても良い?」
アルバートはレディーナを腕に抱き込んだままセバスチャンを見た。
アルバートに視線で問われたセバスチャンが静かに頭を横に振る。
これは、駄目だ。と言うサインでは無く、そろそろ限界だ。と言うサインである。
「じゃあ、次の休日に二人で行くか。」
「ホント?嬉しい!ありがとう、アル!」
レディーナがぎゅうっと抱き着くので、アルバートは渋々ではあったが、ツバサを許す事にした。
「レディーナ、話がある。」
先に夫婦のベッドに戻っていたレディーナに、入浴を終えたアルバートが告げた。
なぁに?と本から顔を上げたレディーナのおでこにキスをしてから、アルバートが夫婦のベッドに潜り込む。
結婚してから、いや、婚約してから口に限らず、瞼に頬に鼻に指におでこにと、どこにでもアルバートがキスを落とすので、最初恥ずかしがっていたレディーナも今では慣れた物である。
「もし俺が、王都じゃなくて田舎のハジップに住みたい、と言ったらどうする?」
アルバートの瞳が、うーん。と悩むレディーナの瞳を探る。
田舎に行く、という事は中流から下流になると言う事で、下手すれば貧乏生活をする事にもなる。
普通であれば渋るか拒否するこの言葉に、はっとレディーナが顔を上げた。
「ハジップって、前言っていた織物で有名な町ね。」
ハンナさんがビンセントさんと行った所だわ。とハンナから聞いた思い出話を次々とレディーナは口にする。織物が綺麗なのよ、とか。景色が素敵らしいの、とか。水が澄んで美味しいんだって、とか。
「良いのか?」
「え?何が?」
「行っても、良いのか?」
「え?私も連れて行ってくれるんでしょ?」
アルバートの隣がレディーナの居場所。
当たり前の様にそれを受け止め、望んでくれる。
アルバートを信じ、誰よりも味方でいてくれる。
それはなんと心強く、なんて愛しい存在だろう…。
「レディーナ。」
「え?うわ、ちょっ。んんっ!」
想いが溢れた、アルバートはレディーナに覆い被ると、口を塞いだ。
「ん、…。」
抵抗しても無駄だと経験上学んだレディーナは、深くなるそれを大人しく受け止めた。
ようやく満足したアルバートの唇が離され、ぷはぁっと息を吸い込んだレディーナは、はぁはぁ。と酸素を求めた。
「レディーナ…。」
「これ以上は駄目!!」
怪しい雰囲気を素早く察知したレディーナが、がばりっと布団で自分を隠す。
「ハジップに行くなら、これからの事話さなくちゃ。」
布団の中から籠ったレディーナの声が聞こえる。
「あ、それ、嘘だから。」
布団で隠されたレディーナの上にアルバートが肘をついて被さる。
「えー!!」
ハジップ行ったら、アレしよう、コレしようと考えていたレディーナが驚いて布団から顔を出し、しまった!と思った時には遅かった。
出た途端、がしっとレディーナの両頬をアルバートが包む。
「あ、あの…。明日も早いん、でしょ?」
レディーナは一応、抵抗してみた。
「なんとでもなる。」
勿論、それはアルバートに拒否された。
翌朝、アルバートが無事遅刻する事なく出勤できたかは、セバスチャンのみが知る。
『執事喫茶』と『ビートとマリア』のお話がありますが、一旦これにて完結とさせて頂きます。
不出来なお話に長らくお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。
本日より暫くの間、感想をコメント出来る様に致しますので、目に余る誤字、脱字他ありましたら、教えて頂けるとありがたいです。
ご指摘頂いた誤字、脱字の訂正が粗方終わりましたら、残りのお話を更新させて頂く予定です。
レディーナとアルバートを思い出して頂いた時にでも、覗きに来て頂けたらと思います。
またお会いできる日を願って。ありがとうございました。