あの日
ラッセルの婚約披露から救出され、1ヶ月の安静期間が終わったレディーナをアルバートはハンナ邸宅の雨乞花庭園へ誘った。
夕食を終え、迎えの馬車に二人で揺られ向かったそこは、まだ時期でない青い花の代わりに淡い電飾で装飾されていた。
「きれい…」
「こういうの、好きだろ?」
手を引かれ、レディーナがいつもの椅子に座る。
いつもの様に慣れた手付きでアルバートがお茶を淹れレディーナが口を付けた。
「あら?雨乞花のお茶と違う…。」
「あぁ、マリアに貰った。今ちょっと人気の茶葉らしい。」
「美味しい。私、これ好き。」
「だと思った。」
いつもと同じく、レディーナの対面に座ったアルバートが淡く笑う。
照らされる光と夜の陰影にレディーナの心臓がドキンッと鳴った。
「えっと、…今日、ハンナさんは?」
「王都より西のハジップと言う織物の有名な町に面白い刺繍模様があるらしくて、視察がてらビンセントとデートだそうだ。」
「そう、なんだ。」
あぁ。とアルバートが答えると、また静かな時間が訪れる。
それは決して嫌なものでは無く、安心をも感じられ、レディーナの心はようやく落ち着いた。
「それで、…話があるんだろ?」
「うん。話…って言うか、伝えたい事が、あって。」
カチャリ。とアルバートがカップを受け皿に戻し、レディーナと目を合わせる。
「あのね…」
アルバートの瞳を受け止めたレディーナの心は、不思議な程落ち着いていた。
想いを伝えたい、その心のまま素直に言葉にする。
「あのね、いっぱいのありがとうを、伝えたくて。」
「ありがとう?」
「うん。…まずは、助けてくれてありがとう。それと、面会に来てくれてありがとう。それから、今日付き合ってくれて…ありがとう。」
「ん。」
「…それだけじゃくて、えっと…。」
「焦らなくていい。ゆっくりで良いから。」
伝えたい事を言葉に出来なくて、レディーナが慌てるのを、アルバートが宥める。
受け止めてくれる優しさに、うん。と頷いてからレディーナは、すっと息を吸った。
「こういう事も、ありがとう。このお茶も、ありがとう。私の為に選んでくれたんだよね?この飾り付けも、すっごく素敵。ありがとう。…私、ようやく気付けたの。アルバートが私に、目に見えない沢山のモノをくれていた事に。」
「沢山の、物…?」
「あのね、気付いてたかもしれないけど私、ずっとアルバートの事が信じきれずにいて…。ずっとどこか心の中で疑ってて…。」
思い当る事があったのだろう、アルバートが寂しげに瞳を揺らした。
それを見たレディーナの心は罪悪感で軋む。無意識に下げたくなる瞳を意識して堪え、アルバートへ向けた。
「アルバートを信じたいって言う気持ちが確かにあるのに、疑ってしまう事が辛くて。信じきれない事を、アルバートのせいにして…でも、本当は違った。私は、私に自信が無かったから、アルバートの言葉に縋りたいだけだった。アルバートが愛してるって、私を求めてくれれば、それを私の支えに出来ると縋ったの。」
レディーナは両手を組みぎゅっと握った。
先程から対峙するアルバートの相槌が無い。それがとても怖かった。
「アルバートはあんなに伝えてくれてたのに…引いてくれる手や握る強さ、包んでくれる優しさや眼差し。全部、いつも、ずっと。アルバートは私に教えてくれてたのに。それを当たり前に受け取って、それが私の望む形じゃ無いからと、気付きもせずに、…本当に、今までごめんなさい。」
泣くつもりは無かったのに、ポロリと一粒落ちてしまった。レディーナが慌てて袖で拭う。
その後を、アルバートの指先が追った。
「レディーナ、傷が付く。」
その優しい瞳と、動作と、声に、レディーナの涙が一気に溢れ、止める間もなく落ち始める。暫し二人の間にはレディーナの謝罪の言葉と嗚咽だけが響いた。
どれ位経っただろう、ようやく嗚咽が治まったレディーナが深く息を吐いた。
「アルバート、ありがとう。」
その感謝の言葉は、今と今迄に。
アルバートはただ静かに、それでも確かに、レディーナの手をぎゅっと握ってくれた。
「それとね、あの塔で気付いた事はそれだけじゃなくてね、後悔も…、したの。」
「後悔?」
「うん。こんな事なら、気持ちを素直に伝えれば良かったって…。だから、今日は後悔しない様に、想ってる事を素直に言うね。」