卒業発表会―正午―
ビートを追い出し、一人控室に残されたアルバートが深く大きな息を吐いた。
思い出すのは約2ヶ月程前のやりとり。
「私、この演目がやりたい」
久しぶりに強請られたレディーナの我儘を可愛さに負け、アルバートは何も考えずに賛成した。
「アルバートは英雄役ね。」
それなら、聖女役はレディーナだろう。と勝手に思い込み、アルバートは疑いもせず頷いた。
「ふふ。楽しみね。」
一緒に立つ舞台を自分と同じく楽しみにしているのだろう。とアルバートは嬉しく思った。
それが、今やどうだ。
目の前の鏡に視線を戻すと、着なれない衣装を来た情けない顔のアルバートが映っていた。
『コンコン』と控室のドアが叩かれ、アルバートが顔を整えた。
ビートならば叩く前に扉が開くだろうから来客だ、と理解し扉の方へ体を向け、どうぞ。と一言声を掛ける。
「失礼します。」
「あれ?アレア嬢、どうしたの?」
匂い立つ様な色香を漂わせ入室してきた女性はアレア・フィンクス。アルバートの同級生だ。
肉付きの良い身体にとろんと垂れた目、緩く弧を描く赤く熟れた唇。
男であれば、誰もが振り返ってその姿を追うだろうその美貌を武器に、下流でありながら数多くの縁談の話が舞い込んできていると言う貴族の一人だ。
己の魅力を充分理解している彼女は、今日も胸元が大きく開いた服を着ており、頭を下げると覗く谷間の黒子は更に目を引き付けた。
「まぁ、つれない事を…。」
そう言うと、アレアはすすっと衣擦れの音をさせて近付き指先ですぅっと優しくアルバートのうなじを撫で上げた。
「アレア嬢、僕にはレディーナがいるよ。」
「もちろん。知ってますわ。」
ふふ、と薄く笑みを零したアレアはその撫で上げた指先を真っ赤な舌先でぺろりと舐めた。
「良いのです。わたくしは、他の女性とは違いますの。1番で無くても、良いのです。レディーナ様を想っている貴方ごと、受け入れ、愛し、癒して差し上げたいだけですわ。」
その場で床に膝を付き、座っているアルバートの膝に両手を乗せ、アレアは妖艶に笑んだ。
「どうぞ、お側に置いて下さいませ。」
潤んで見上げる瞳の奥をアルバートの瞳が探る。
「何とも、魅惑的なお誘いだね。」
アルバートは膝に乗せられた両手を掬い上げ立ち上がる様促すと、アレアに勝るとも劣らない笑みを浮かべてから扉へと視線を送った。
いつでもお呼び下さい。と一言残して、アレアが去って数分後、知らせも無く扉が開く。
「何だこの匂いっ!!」
くさい、くさい。と文句を言いながらビートは遠慮も無くズカズカ入り込み、窓を全開にした。
途端、流れ込んだ冷えた風が甘ったるい残り香を薄めた。
「ほんと、悪臭だな。」
ポツリと落とされたアルバートの呟きに、ビートは顔を顰めたまま大きく頷いた。
廊下に控室立ち入り禁止の看板が立つのは、それから数分後の事だった。