2-1 酒場にて
ヴァロたちが酒場に足を踏み入れると、遠くの席からトランが手を振るのが見えた。
平日の夜だというのに席は人であふれている。
ヴァロはフィアの手を引き人ごみを縫うようにして、どうにかトランの座る席までたどり着いた。
「よう」
トランとこうやって話をするのも一年ぶりだ。
もっとも今は逃亡中の身の上ではないが。
「こんばんは。トランさん」
フィアはヴァロの横からひょこっと顔を出し、笑顔で挨拶をした。
トランは数少ないフィアの人間の知り合いでもある。
「フィアちゃん、しばらく見ないうちに一段ときれいになったね」
「ありがと。トランさんもお変わりないようで」
フィアが同席したのは本人の希望によるところが大きい。
飲みの席にフィアを連れてくるつもりはなかったというのが、ヴァロの本音のところだ。
「トラン、趣味が変わったのか?」
「馬鹿ヤロ、俺は今でも年上一筋よ。女性に対して優しいのは騎士の矜持だろーが」
「そういうことにしとく」
「お前相変わらず毒舌だな」
そんなやり取りをしているうちに葡萄酒のはいったジョッキが運ばれてくる。
フィアには酒はまだ早すぎるため、ヤギのミルクである。
「とりあえず乾杯」
三人はお互いの無事を喜びあった。
「ミランダは遅れるとか、時間にうるさいあいつが…珍しいこともあったもんだ」
葡萄酒を片手にそういった。
「そうだな」
それというのも自分に原因があるのだが…。
ヴァロは説明するのが面倒だったので知らないふりを装った。
「ヴィヴィさんとはあの後も会ってるのか?」
「まあな」
「まったくうらやましいやつめ」
「どこがうらやましいんだか」
ヴィヴィの家にはほとんどフィアの様子見で通っているようなもんだ。
何しろヴィヴィの生活リズムは完全に不規則そのもので、家を訪ねてもほとんど地下室で
魔法の研究を行っている。家を訪ねてもほとんど会うことはない。
フィアの話では、最長一週間籠っていたこともあるらしい。
そのたびにヴァロをフィアが応対してくれているのだが。
騎士団の一部とこの目の前の男から異様なまでに崇拝めいたものを受けているが、
現実を知っているヴァロからすれば正気を疑いたくなるところだ。
そんなやりとりをしていると酒場のドアが乱暴に開かれる。
酒場中の視線が入ってきた女に向けられた。
甲冑を外し、騎士団の制服という恰好だが、
彼女の凛とした美しさは酒場の雰囲気を一瞬にして変えてしまった。
「やっぱりここにいたか…。
ミランダはヴァロが酒場にいることを確認するとわき目も振らずに堂々と一歩をふみだした。
静まりかえった酒場の中、ミランダの靴の音だけが酒場中に響き渡る。
周囲の視線が彼女に注がれる。
酒場では女性はめずらしいというのもあるだろうが、彼女の容姿によるところも大きいだろう。
ヴァロたちの席までくると歩みを止め、ミランダはヴァロをにらみつける。
そのまま無言で、ヴァロの正面の席に座る。
まるで尋問をこれから受ける罪人のようだとヴァロは思った。
「おじさん、テーブルに葡萄酒ジョッキで三杯たのむわ」
そのトランの一声で酒場の空気が動き出すのがわかる。
周囲から好奇の目を向けられているが、ミランダの迫力で
「たく、さすがに今回ばかりは驚かされたぞ」
ミランダは肩の力を抜いた。
「こいつソーンウルヒに入って、翌日に例の盗賊団みつけてきた」
いくらなんでも
「まじで?人違いなんじゃないのか」
「うちの団長が間違いないと言っているのだから、本物でしょうね」
目の前の急激な展開についていけず、トランは目を白黒させている。
盗賊討伐というのはその仕事の性質上時間がかかる。
それは盗賊の神出鬼没な性質のためである。
盗賊の検挙には、村や街などでの聞込みや被害者からの情報がもとになる。
一二か月という期間はざらで、潜伏された場合一二年という長い時間が必要になる場合がある。
もちろん取り逃がすことも十分あり得るし、下手をすれば既に別の場所で活動していたということもあり得る。
「そのせいでうちはてんやわんやの大騒ぎだ。
盗賊の処遇についてはうちの騎士団内で意見は割れるわ、
団長は宿泊場所をソーンウルヒ近郊の野営地に移すとか言い出すわ…。
おかげで抜け出してくるのに一苦労だったんだぞ」
ミランダは嘆息交じりにその言葉を口にした。
「すまん」
ヴァロが謝る姿を見て、ミランダは苦虫をかみ殺したような表情になる。
「そこ、謝るところじゃないだろう。手柄を立てたのだから誇ればいい。
巷を騒がせてる盗賊を捕まえるなんて、昇進ものだぞ。ただ私には一声ほしかったがな」
「しっかし、どうやって捕まえたんだ?まさか、手当たり次第に声をかけて…」
「人を好色魔みたいにいうな。それにあの男は俺が捕まえたものじゃない。
捕まえた本人は匿名で、約束があっていえない。そういうことだからとりあえず俺が捕まえたことになってるだけだ。
…ただやましい約束ではないとだけ言っておく」
ヴァロは気まずそうに酒を飲んでいる。
「ヴァロはあいかわらずだな。それなら自分の手柄にしても問題はないだろ」
「そういうのは俺が好きじゃないってわかってるだろ。…それにあの男に貸しだけは作りたくないしな…」
ウルヒが自らの存在は明らかにしないでくれと約束したのもあるが、
本人に借りを作ってしまうみたいでヴァロは嫌だった。
「ミステリアスだな…。まさかまたヴィヴィさんがらみとかじゃないよな」
「残念だがそっちじゃない。例の先輩のほうだ」
「あ、なるほどね。ならこの話はここまでにしといたほうがよさげだな」
ヴァロの言葉にトランは合点がいったらしい。
今度はミランダが眉間にしわを寄せる。
目の前の二人の会話に入り込めなかったのがよほど頭にきたらしい。
「なんだ二人して。全然見えないんだが?私がのけ者扱いされるの嫌いなのわかって
やってるのなら、喧嘩を売ってるのとみなすけど?」
「いてて、耳ひっぱるな」
「…痛いって」
ヴァロは脛を小突かれている。
「全くこの男どもは…フィアちゃん、男どもはほっといて私たちは二人で飲もうか」
出会ってから二日ほどだが、どうやらフィアとミランダは打ち解けた様子だ。
初めはミランダに戸惑い表情が硬かったフィアも今では表情が柔らかくなっている。
こういうのはいい傾向だと思う。
ヴァロの顔から自然笑みがこぼれた。
「ダリスの馬鹿がそろえば同期の問題児四人組がそろうわけだ」
「俺は巻き込まれていただけなんだがな…」
ヴァロは抗議の声を上げたが、案の定無視された。
「女連れとは羨ましいね。しかも相当な別嬪さんときてる」
一息つくのを待っていたかのように酒場にいた男が声をかけてくる。
長身で人懐っこい笑顔。
「その制服、騎士団関係者かい?」
「まあな、あんたは?」
トランは声をかけてきた男に質問を返す。
風体は
「旅の行商のもんで、名はルダエという。なかなかにぎやかじゃないか」
トランの問いにその男は当然のごとく答えた。
「…にしてはガタイがいいな。元傭兵とかなんかか?」
「俺はただの商人だけどな、
そこいらのひ弱な騎士さんよりは力仕事している自身があるぜ?」
「言うねえ。さあ一杯どうだい」
そういってトランは自分のジョッキに葡萄酒をなみなみと注いで男に差し出した。
男は例を言うと立ち上がり、一息にその葡萄酒を飲み干した
周囲から歓声がわき上がる。
「兄さんいける口だねー」
「そりゃどうも」
「言っておくが、そいつだけはやめといたほうがいいぜ。
顔だけはいいかもしれんが、ドレスよりも鎧が似合う女だ」
「まったくだ」
ミランダはさも当然のように同意した。
その片手には木のジョッキが握られている。
普通の女性なら怒ってもおかしくないところだ。ミランダの思考は妙にずれているのだ。
「ははは、その心配はいらんね。俺にはもう女神がいる。ただし片思いだけどな」
「片思い…兄さん、ちゃらいかっこうして意外と硬派」
「意外とってなんだよ、ひっでーな」
そういうとトランとルダエは顔を合わせて笑いあった。
意外と通じ合うものがあるのかもしれない。
「あんたぐらいだったら、一人にこだわる必要ないんじゃないか。
女のほうからよってきそうだけどな」
「あいにくそんな器用な人間じゃねえでな」
「一応聞いておくがどういう女なんだ?」
「気は強くて、口は悪い。おまけに仲間の男どもで敵うやつはいない」
「世の中広いなぁ、なあヴァロ」
「いちいち俺まで巻き込むな」
ミランダからのとばっちりを受けるのはトランだけではない。
「けどな惚れた弱みってやつだ。
口説いてはいるんだが、これがなかなかなぁ。何かうまい方法はないものか
女性側からの意見をもらえればと悩んでいたら
酒場に花が舞い込んできたじゃねえか。これはと思ったのよ」
「あの…プレゼントとかはどうでしょう」
フィアが恐る恐る声をかけてきた。
「プレゼント…ミランダ何かアドバイスとかないか?」
ヴァロは横で黙々と葡萄酒を飲んでいるミランダに話を振ってみる。
「…男からもらってうれしいと感じたものは決闘の申し込みぐらいだ」
「だよなー」
ヴァロとトランはひきつった笑みを浮かべた。
長いこと一緒にいるが、ミランダの乙女らしい行動など見たことがない。
というかプレゼントをもらって喜ぶところを想像できない。
ある意味この中で最もこういった話題からはかけはなれているのかもしれない。
「装飾品、花…考え付く限りのものは渡してはいるのだけどなぁ。どうもいい顔されない」
「変わった女もいるもんだな。俺が今までつきあって来た女には
プレゼントを渡されて悪い顔をする女はいなかったぜ?」
ヴァロは聞き役に徹していた。あいにくその手の話題はさっぱりだ。
「その人の望むことってわかりますか?」
ヴァロの横に座っているフィアが声をかけてきた。
「んー…フゲンガルデンに行ってみたいって言ってたな。
実はマールス騎士団領まで来たのもその女のたっての希望でな」
「…本当に大切にされているんですね」
「…どうかな」
フィアの言葉に気恥ずかしそうに頬をかくさまには妙に愛嬌があった。
「おい、大丈夫か、いくらなんでも」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
そういってミランダは部屋の中へ入っていった。
相変わらずとんでもなく酒に強かったが、飲んだ量もとんでもなかった。
三人の男をつぶして、
あの酒場では語り継がれることになるだろう。
ここまで連れてくるのに一度道端で吐いている。
「フィア。少し見ててもらえるか?本当はこんなに飲むやつじゃないんだが…」
フィアとミランダは同室をあてがわれている。
「きっと浮かれてたんじゃない。昔の仲間に会えて」
彼女にはもはや故郷がない。
同期はおろか、彼女の過去を知っているものすらいない。
そのことを今更ながら思い出す。
「すまない」
「変なの、なんでヴァロが謝るの」
「…明日起きたら移動の準備な。どうやら宿営地に移動するらしい
サイラスさんが何を考えているかはわからないが、
できるだけ動ける準備だけはしといたほうがいい」
「わかった」
「じゃ、また明日な。おやすみ」
「ヴァロ」
部屋の扉から遠ざかると背後からフィアが声をかけてくる。
「ヴァロ、さっきの盗賊を捕えたって話…ひょっとして…『狩人』」
彼女は同じ立場にいる。ならば隠し事は不要だろう。
ヴァロは少し考えた後、首肯した。
「…フィアはウルヒって覚えているか?」
「ウルヒ…ソーンウルヒの魔女襲撃の時にヴァロの師と一緒にいた」
フィアの表情がこわばるのがわかる。
聖堂回境師という立場は同じ教会側の人間ということだが、
フィアにとっても今でもその響きは特別なのだろう。
「ただ今回は『狩人』としてじゃなく私的に動いているといってた。
名前はトーゴ詩集第四編という本を探しているとか。
俺たちが追っている盗賊団が持っているらしい
その取引条件として、盗賊の身柄を自分に渡してきた」
「それで…しかし詩集が条件とうのはずいぶん変わってるわね」
フィアは何か考えるようなそぶりを見せた。
「どうした?」
「…なんでもない」
いろいろあって投稿が遅れました。
酒場の段はめんどいのひとことです。