4-5 決着
彼女はクラスの人間の名前をほとんど覚えていない。
その優秀さゆえに誰も彼女の近くに寄りつこうとはしなかった。
彼女は一人であることを不自然に感じていなかったし、それが当然だとも思っていた。
気が付くと周りには同世代の人間が一人もいなくなっていた。
彼女がその名前を知ったのはある授業後のことだ。
その授業は彼女にとってひどく簡単なものだったし、消化授業だと割り切って受けていた。
ある授業の後だ。一人の少女がやってきて、自身が発表した研究の間違いの指摘をした。
自分よりも年下の人間が…しかも劣等生である一人の少女が自身の間違いを指摘したのだ。
はじめはただ注目されたいだけなのだと嘲笑していたが、その指摘は的を射たものであることは次第にわかっていく。
そしてそれは次第に彼女への興味に変わっていった。
話してみて彼女はその少女が、深く広く魔法に対して理解しているということを知る。
魔法の基礎となる『原論』をほぼすべて修得していたというのもあったし、
あろうことか他の魔法、魔術においても基礎となる分野はすべて理解しているようだ。
どうしてこれだけの逸材が無名なのか、初めは訝しんだが、理由はすぐに理解する。
魔法式の構成が驚くほど下手であり、簡単な基本式ですらまともに構成することができないのだ。
それは自身がどれだけ教えても変わることはなかった。
それは魔法の力のみで序列を形成する彼女たちの社会において、それは致命的であった。
その後、ある研究室への配属が決まり、彼女はその少女と連絡が取れなくなる。
その出会いが鮮明だったため、少女の名前は記憶に残っていた。
まさかこんな形で再会することになろうとは露ほども思っていなかったが…。
ヴァロたちが駆けつけると丘の上は穴ぼこだらけになっていた。
中心にいるのは二つの人影。
フィアたちの周囲には魔法でできたクレーターが無数にできている。
二人の魔法使いの激戦の跡が見てとれた。
「ずいぶんと派手にやってるね」
他人事のようにウルヒ。
フィアの目の前ではクーナと呼ばれる魔法使いが息を切らしていた。
対峙するフィアには疲労の色はみられない。
フィアが優勢なのは一目でわかる。
ヴァロはとりあえず無傷のフィアを見て、胸をなでおろした。
「仲間か…」
魔女の表情には焦りがにじみ出ていた。
「仲間というか俺たちはギャラリーだけどなぁ」
気のない返事が、あくびと一緒にヴァロの背後から聞こえてくる。
今回手を出さない変わりに見届けるという条件を、グレコは提案してきた。
それがヴァロの要求を呑む条件だそうだ。
もっとも口約束なので本人が守るかどうかは甚だ疑問だが…。
ただ、二人がかりでも目の前の男に勝てるという保証はない。
ウルヒの言葉もあり、グレコの提案に乗ることにした。
「本当に驚いた。落ちこぼれだったあなたがこの一年でここまで腕を上げてるなんてね…。
少し懲らしめてあげようと思ったけど、思い上がっていたのは私のようね」
「もう降伏して。あなたの命までとらないことは約束する」
その言葉に黒髪の魔女は表情をピクリと動かした。
「なあに?もう勝ったつもりなのかしら?」
クーナの声には苛立ちが表れている。
目の前にいるのはあの時の落ちこぼれの少女。
少女に押されている。その事実を受け入れることはクーナのプライドが許さなかった。
「あなたの実力が飛躍的に向上したのは認めるわ。式の構成速度、精度は私以上かもしれない。
ただそれを差し引いても、この私があなた如きに後れをとるなんてありえない。
見せてあげる、私の、メルゴート深奥の領域を」
彼女はポケットから筒を取り出す。
以前ヴィヴィが持っていた魔封緘と呼ばれるものに似ていた。
魔力を貯蔵するための道具。
彼女がそれを頭上に投げると黒い霧のようなものがそれから溢れ出す。
黒い霧は魔力そのもの。ヴァロは可視できるぐらいまで濃密な魔力を見るのはこれが初めてだ。
それ故に危険なものとすぐに認識できた。
彼女が魔法式を展開するとその力の方向性が決まったのか、ゆっくりと下降していく。
黒い霧が地面にすべて吸い込まれると同時に地響きが起こり、
目の前の丘が轟音を上げ、みるみる変形していく。
一年前の巨人を彷彿とさせるが、それよりも一回り大きい。
「この質量は…ヤバいな」
グレコのつぶやきが脇から聞こえてくる。
それにはヴァロも同感だった。
その大きさはヴァロの持っている退魔の宝剣で切ったとしても、有効なダメージを与えられるかわからない。
すでに人が対応できる範囲を軽く超えている。
「同郷の魔法使いにこれを使うことになるとは思わなかった」
その言葉の中には、怒りの中にどこか哀愁のようなものがあるようにヴァロは感じた。
「この子はレルイという魔法生物。メルゴートの最秘奥の魔法の一つ。表皮はあらゆる魔法攻撃を遮断し、
その表皮についた刃は一瞬であらゆるものを切り刻む。私を殺したとしても止められるものではないわ。
私はこの一年をかけてこの魔法を完成させた。
あなたたち狩人を滅するために」
確かにこの魔法ならば狩人を倒すことはできるかもしれない。
ヴァロの知る限り狩人はどちらかというと対人用の集団である。
魔法兵器と対峙するための集団ではない。
初めに出会った時の彼女の言葉を思い出す。
彼女は待っていたのだ。狩人が彼女の前に現れるのを。
「故郷を蹂躙された人間の気持ちがわかる?
あの夜、友達の断末魔の叫び声を聞きながら、
逃げることしか選択できなかった私の気持ちがわかる?
育ての親…レイア、ポロン、みんな私の大切な…大切な友達だったのに
尊敬する人も…みんな…殺された…お前たち狩人に!」
その言葉はまるで呪詛そのものだ。
フィアはそれを受け止めるように彼女の前に立つ。
裏切られたのはフィアのほうだ。
一年前の当事者であるヴァロはその全容を知っている。
ヴァロは抗議の言葉を上げようとするが、その言葉を飲み込む。
目の前に展開していく異様な光景にヴァロは眩暈を覚えたからだ。
形をもったそれはヒト型ではなく、巨大なムカデを連想させる。
髑髏のような顔を持ち、それはあまりに醜悪でいびつだった。
まるで憎悪や怨念の塊である。
「フィア」
ヴァロの声にそれと対峙する少女はヴァロを手で制し、再びその異形と向かい合う。
そして魔法式を編み始める。
「無駄よ、物理的な攻撃魔法は装甲すら傷つけられない。仮に傷つけたとしてもすぐに復元する」
魔女は優位を疑わない。
「…まだそちらにつく気なら容赦はしない。同郷の魔女としての最後の情けよ」
フィアはその言葉にかぶりを振った。
「…いいわぼろ雑巾のように切り刻まれるがいい。この狩人どもが!」
ありったけの呪詛を込めて、魔女はその言葉を吐き出すと、
魔法生物が雄たけびのようなものを上げ、ゆっくりと動き出す。
その速さを次第に上げていく。
「…ごめん」
どこかさびしげにフィアがつぶやくと、目の前の怪物が一瞬にして視界から消える。
何か大きなものに踏みつけられたように、怪物のいた地面が円状に怪物ごと陥没したのだ。
それはまるで虫が人の足に踏みつけられたかのように、地面に破片をまき散らしてつぶされていた。
かつて一年前、大魔女ラフェミナがフィアに教えた重力魔法。
フィアの使うその構成の精度、規模、速度のどれもが、一年前とはくらべものにならないほどに跳ねあがっていた。
「な」
フィアと対峙している魔女ですら、何が起きたのが理解できなかったようだ。
ヴァロですらあまりの突然の出来事に唖然として言葉を失う。
「やるねぇ」
つぶやきはヴァロの脇にいるグレコのものだ。
「…重力魔法…?…嘘でしょ…こんな規模の…ありえない」
状況を把握できているが、彼女自身呑み込めていない様子だ。
丘一つを魔法生物にしたのならば、その質量は甚大なものになる。
それならその質量を幾倍にも高めたのなら?
この魔法の天敵ともなる魔法は質量そのものを武器にする魔法、
つまりはフィアのもっとも得意とする重力魔法なのだ。
いくら表面の硬度を高めようと、いくら魔法防御を高めようと、内側の重さは変わらない。
ただそれを差し引いたとしても、フィアの扱う魔法の規模の大きさは明らかに常軌を逸していた。
「…化け物…」
絞り出すかのようにクーナは言葉を吐いた。
先ほどとはうって変わって、顔からは血の気が引いている。
「…許してくれとは言わない。けれど私も今いる場所を奪われるわけにはいかない」
「それでも私は…」
フィアに再び向き合おうとする。
「はい、それまで」
どこからともなくウルヒが魔女の背後に現れ、クーナと呼ばれる魔女の首元に手刀を浴びせる。
意識を失い力なく倒れこむ魔女。
まるで何かの作業を行うかのようにウルヒはその魔女を戦闘不能にした。
「さすが、フィアさん。鮮やかな手並みだったよ」
ウルヒはその魔女を抱きかかえた。
「ウルヒ…」
「大丈夫。気絶させただけさ。グレコはこれからどうする?」
ウルヒは視線をグレコに送る。
「魔女の脅威も取り除いたの確認したわけだし、後のことはおまえらに任せるわ。
後処理に付き合うのも面倒だしな」
「しかし、それでは…」
いつの間にか駆けつけてきたクワンが不満げに声を漏らす。
「…」
「そうしけた顔すんなって、魔女の一人二人大した手柄になんねって」
そう言ってクワンの肩をたたきく。
「今回それなりに楽しめた。
あんたとはまたどこかで会いそうな気がするぜ。そん時までの貸しにしとく」
グレコはヴァロに向けて笑みを放った。
「それとひとつだけ。
思い出したかのようにグレコは振り返る。
「馬鹿げた全能感は早めに捨てろよ。さもないと早々にこの舞台から退場することになるぜ」
あっけにとられた表情のヴァロを尻目に、グレコはその場から立ち去った。




