3‐4 下準備
ヴァロは借りてきた馬にまたがった。外はまだ暗い。
これからフゲンガルデンまで行って、ヴィヴィから特製のインクと特殊な紙を借りてこなくてはならない。
インクと紙はヴィヴィ特製のものがいいとのことだったので、ヴァロは早馬でフゲンガルデンとソーンウルヒを往復することになった。
「…ごめんなさい」
フィアは申し訳なさそうにヴァロに頭を下げた。
「なんで謝る?」
「私があの時止めていなければ、少なくとも魔女の脅威は取り除くことができた」
「それで睡眠魔術をどうにかすると自分から言い出したわけか」
「魔女を逃がしたことも、今回のことも…ひゃ」
言い切る前にヴァロはフィアの頭をぐしゃぐしゃに撫で、言葉を遮った。
「気にするな。フィアの決めたことだろう。俺の相棒はフィアだ。
フィア、次は俺たちの手で必ず捕まえような」
そういってヴァロはフィアの頭から手を放した。
『狩人』も動き出している。
今のヴァロたちには彼らの使うような情報網や実力はない。
実質次があの魔女を捕まえる最後のチャンスになるだろう。
少女の願いを叶えるためには失敗は許されない。
「ありがとう」
ヴァロは微笑むと馬に鞭を打ち、フゲンガルデンへ向かった。
フゲンガルデンの城門が開くのと同時に城の中に駆け込み、寝室にいたヴィヴィを叩き起こし、
寝起きで不機嫌な彼女をどうにか説得。
ヴィヴィからインクの入った小瓶と紙を半ば強引に渡してもらい、またフゲンガルデンから宿営地まで馬を飛ばしてきた。
戻ってこれたのはほとんど昼だった。
ヴァロはフィアにヴィヴィから奪ってきたインクの瓶と紙を手渡すと、宿営地の近くの川に行くことにした。
体は半日馬を飛ばしたせいで汗だくになっていた。
こんな状態で年頃の娘と同じテントにいるのは気が引けたのだ。
川岸で体を洗い終えると、見計らったように林の奥のほうから二人の男がやってきた。
昨日出会ったグレコとクワンという『狩人』だ。
ヴァロは平静を装いながら、内心では警戒をしていた。
「すまねえな。フゲンガルデン往復した後に」
ヴァロは動揺を顔に出すのをどうにかこらえた。
朝フゲンガルデンに向かったとは、昨日決まったことで一部の騎士団関係者しか知らない。
向かった方向、帰ってきた時間を考えればおおよその見当はつくが、
ただそれよりも見られていたという事実が、ヴァロの頭の中に警鐘を鳴らす。
「要件は?」
相手を警戒してこちらもそっけない対応になる。
「かわいいお子様抜きであんたとはしゃべりたかったんでね」
お子様扱いされるとフィアは怒る。ここにいないのは幸いなことだ。
「それで何の話です?」
ヴァロはあからさまに警戒しながらグレコと対峙する。
「これから先の打ち合わせと情報の共有だ」
「情報の共有…ですか?」
「ああ勘違いしないでくれ、こっちが一方的にしゃべるだけだ。
あんたがしゃべりたくないんであれば聞くだけ聞いて帰ってくれて構わない」
クワンが何か言いかけたが、グレコはそれを視線で制する。
ヴァロはグレコの意図が読めなかったが、とりあえず聞くだけ聞いてみることにした。
「わかった聞こう」
「調査の結果、例の盗賊団には魔女がいると考えて間違いはないと結論づけた」
「…」
心当たりはなくはなかったが、確証を持てなかったのでヴァロは口には出さなかった。
対峙して見えるものもある。
「相手の使っている術なんだが…クワン説明してやれ」
横の黒ずくめの男は不満顔でしぶしぶ説明を始めた。
「昨日の襲撃の件を聞きまわったところ、睡眠系の魔法が使われていると推測された。
その規模から推察するに、この騎士団の野営地を覆うほどの広範囲の魔法が使われたようだ。
その術の規模、精度から相手はかなりの使い手と考えられる」
フィアの推測と同じだ。
「それと襲撃の際に小規模な戦闘らしき行為が丘の上で行われたみたいだな。
破壊の痕跡から条件起動型の魔法を使用した痕跡があった」
「条件起動型?」
「ある特定の条件を満たすことによって魔法式の発動を促すものだ。
魔法使いといわれる奴らでも相当高位でなければ行使できないと言われている」
ヴァロの質問に、クワンが面倒そうな顔で答えた。
「それは…」
「別に誰がやりあったかは問題にしてねえよ。相手がかなりの手練れっつうことだ。
そんなやつが盗賊如きに黙って隷属してるなんて思えねえ。何らかの意図をもって絡んでいるんだろうよ。
それがなんであるかはわからんがな」
グレコはおおよその見当はついているように思えた。
ヴァロの背中を冷たい汗が流れ落ちるのを感じる。
「また魔法の系統から考えてメルゴートの残党である可能性が高いとも考えられる」
メルゴート一年前魔王復活を画策し、消された魔法結社。
フィアの所属していた結社でもある。
その単語を聞いてヴァロは身をこわばらせた。
「そういえばあの聖堂回境師の嬢ちゃんの出身は…」
それは一年前の関係者しか知らない情報だ。
「どうしてそ…」
一瞬グレコと目が合う。こちらを見透かすような視線。
その視線に蛇睨まれた蛙のようにヴァロの表情が凍りつく。
同時に自身の行動のうかつさを悔いた。
「この件は個別で対処しよーぜ。
そもそもうちらは連携なんぞ得意分野じゃねえからな」
そういうとグレコは踵を返してヴァロに背を向けた。
相変わらず身のこなしに隙がない。
「手を引くんなら今のうちだぜ?
ただ、うちらの障害になるなら覚悟はしとけよ?たとえ新米だろうと狩り場ではみんな平等だ」
その言葉には意志というよりも執念のようなものを感じていた。
ヴァロを尻目に二人はその場を後にした。
二人の狩人の会話からヴァロは一つの答えにたどり着く。
条件起動型の魔法はあらかじめ用意された罠。
彼女の出身はメルゴートという滅ぼされた結社。
『狩人』を待っていたというのであれば説明がつく。
自身を餌にして『狩人』をおびき出していたのだ。
「待っていたわ」
その言葉はそういう意味だったのかと今更ながら思う。
ならば相手もしかるべき対策を練っている可能性が高い。
前回の戦いではフィアに気をとられ、自身の魔法抵抗の高さに意表をつけたが、次はそうはいかないだろう。
正攻法では勝利は厳しい。
ならば同じ魔法使いであるフィアが相手をすることが、もっともあの魔女に対して適任なのではないか。
一瞬頭を横切った思考をヴァロは振り払う。
フィアの扱う魔法に無意識に頼っているという自身に気づくいたからだ。
少女を戦力に数えるのは抵抗があった。
彼女が強いことは知っている。一年前に巨人を他の狩人たちと迎え撃った姿は鮮明に記憶に残っている。
ただどうしても割り切れないのだ。
騎士として、一人の大人として少女に負うべき責任はぎりぎりまで手放したくない。
そういうジレンマがヴァロにはあった。
目を覚ますと目の前にはフィアがこちらの顔を覗き込んでいた。
「ど、どうした」
「ヴァロの寝顔鑑賞」
そう言ってフィアは無邪気な笑みを浮かべる。
「あのな…」
ヴァロはぼやきながら上体を起こした。
どうやらいつの間にか寝てしまったらしい。外から漏れる光は夕暮れのそれだった。
「どれぐらい寝ていた?」
「大体半刻ってところ」
フィアはヴァロの背中にもたれるように抱き着いてきた。
まるで小動物がじゃれてきているようだと思いながらヴァロは周囲を見渡す。
周囲には、わけのわからない文字で埋め尽くされた札が、テントの床を覆い尽くしている。
「あまり動かないでね?文字がにじむと違う意味になる場合もあるから」
背中からフィアの声。いつの間にか手を首に回している。
「檻に入れられた動物の気分だ」
ヴァロは背後で面白がっているフィアに抗議の声を上げる。
「猛獣捕獲、完了しました」
「猛獣扱いかよ」
フィアの楽しげな声を聞いて、このままも悪くないかとも思う。
「終わったんだな」
「ええ。初めに一枚試してみたけれど問題なく機能してくれた。おそらく本番でも機能してくれる」
背中越しにフィアが答えてくる。
「すごいな」
ヴァロはただ感心していた。
「こんなのただのフゲンガルデンの結界の応用よ。
ヴァロが特製の紙とインクをフゲンガルデンから持ってきてくれなければ、何もできなかった」
「そんな特別なものには見えないが…?」
ヴァロはインクの入った小瓶を手に取って直に触れてみる。
においも感触も普通のインクと変わらない。
「このインクと紙はね、もともとはフゲンガルデンの結界の管理用にもちいられている特製品なの。
ある程度の魔力を留めておけるわ。特殊な製法で作らなきゃいけない。
それと材料が少し特殊で三本角の、それだけのインクをつくるのに金貨二十枚ぐらい必要になる」
「ば、おまえそれを先に言え」
ヴァロは誤ってインクを落としかけた。
フゲンガルデンで流通している金貨二十枚といえば自身の給料の約半年分に相当する。
「さらにそっちの紙は…」
「…もういい」
ヴァロは頭を抱えながら呻いた。これ以上聞くと金銭感覚がおかしくなりそうだ。
札には、それぞれ紋様のようなものが描かれている。
フィアによれば、なんでも魔力を吸収する札だとか。
「即席だから効果は一回だけ」
「十分だ。助かる」
ヴァロはそう言って立ち上がる。
フィアは首に回した手を放そうとしない。
「ただもうしばらく乾かさないと」
しばらくこのままでもいいが、こちらの作業が完了したことを報告しておかなくては明日の作戦に差し支える場合がある。
「サイラムさんのところへ行ってこっちの作業が終わったことを報告してくる。フィアも来るか?」
「うん」
フィアはヴァロに提案に微笑んで同意した。




