8.我が家
俺は困った問題に直面していた。
金がない……。
さすがにこれじゃ宿には泊まれんよなぁ。
何度インベントリを確認しても金貨は11枚から増えることはない。
あれだけあった金貨も、武器とスキルの購入でご覧の有様だ。
なにも、考えなしに散財したわけじゃないんだがなぁ。
正直、ここまでは考慮してなかったぞ。
いやー、参った参った。
予定としては、狩りで得た戦利品を仲介依頼所で売り払うことで、宿代を確保するはずだった。
はずだったのだが。
『本日の営業を終了しました』
現実は非情。
入り口の張り紙が世の中の厳しさを俺に教えてくれた。
結果的に、俺のインベントリには金貨になり損ねたグリーンゴブリンの骨が28本残っている。
ラフォリス南にあった案内に従い、とりあえず宿屋『祝福』の前まできてみたはいいが、ここからの足取りは重たい。
『祝福』は周囲の建物に比べ、一回りも二回りも大きく、外装はもちろん窓から窺える中の様子も高級感が漂っている。とても金貨11枚で泊まれそうな宿ではない。
といっても、入ってみないと始まらないよな。
わざわざ案内を使ってまで、アトフにきたばかりの異界人に大々的に勧めるくらいだ。連泊の後払いとか、料金制度が充実してるって可能性もあるだろ。
駄目なら野宿するだけだ。
俺は『祝福』の扉を開いた。
清潔感溢れる空間。広間の中央は、複数の食事用のテーブルと椅子が大きく幅を取り、正面奥には受付カウンターと厨房への入り口が見える。そのカウンター左横には上りと下りの階段が延びており、逆側にはカウンター席が設けられている。
全体的にゆとりをもった配置がされており、内装だけを見れば高級感が漂っているという第一印象は変わらない。しかし、そこで思い思いの時間を過ごしている客の姿はどれも平凡なもので、ざわつく宿内の雰囲気も合わせ、俺にどこか安心感を与える。
飲み食いしながら談笑する3人組に、コーヒーっぽい飲み物片手に読書してるメガネ。
あっちの隅っこの奴はなにしてるんだ? ヨガ……か? さすがに自由すぎんだろ。
建物は確かに豪華な造りだけど、なんかあれだな。客層とギャップがありすぎなんだよ。
……なんだか、すっかり力が抜けちまったな。
さっさと聞くだけ聞いて玉砕しよ。
「失礼、一泊いくらか教えてくれ」
カウンター内にいる従業員の一人に声を掛ける。
『畏まった喋り方は流行らない』というリーズの言葉を真に受けるわけではないが、冒険者らしき人物が敬語を使う姿を見たことないのは事実だ。
俺自身、好き好んで敬語を使いたいわけでもないので、これからは敬語は必要最低限でいこう。
「いらっしゃい!! あんたアトフにきたのは最近かい?」
質問に質問で返してくる従業員のおばちゃん。
アトフにきた時期によって宿の料金が変化するということだろうか。
いまいち意図はつかめないが、嘘をつく理由もない。
「今日きたばかりだな」
「まあ、そうだろうねぇ、そんなこと聞いてくるくらいだし。ここは、アトフにきて3ヶ月以内の異界人と、12歳以下の子供なら全部無料なのよ」
「は? ただで泊まれるのか!?」
「ええ、だからそういってるじゃない。あんたの場合は今日アトフにきたってことだから、3ヶ月間、一部屋を自由に使えるわね。朝昼晩3食込みで全部無料よ」
なにそれすごい。
……って、いやいや、3ヶ月って半端ないぞ。
こんなおいしい話あるのか?
詐欺かと疑ってしまうレベルだ。
「なにか代わりに義務とか課せられたりするのか? それとも出世払いとか?」
起きたら奴隷の首輪とかいう怪しいものが俺の首に!? とかその時点でゲームオーバーです。
「あっはっは!! そんなのあるわけないじゃない! 安心しな!」
「それじゃあ、この宿はどうやって経営してるんだ?」
まさかボランティアというわけでもないだろう。
宿の提供だけでも破格どころではないのに、食事付きなどと宿側に負担が大きすぎる。
なにかのサービス期間中というわけでもなさそうだし、これでは大赤字間違いなしだろう。
「なかなか面白いこと聞く子だね!! あんたの質問ももっともだよ! ただ、そんなに難しく考えることはないよ。祝福は国から出資を受けてるのさ。だから、あんたの質問に答えるなら『税金』ってことになるのかねぇ」
あー、そういうことか。
どうりで同じ名前の宿が街内にいっぱいあるわけだ。
国が新規の異界人と子供を保護してるってことか。
俺のような異界人が大多数を占める世界だし、おかしな話でもないか。
動物や植物に加えて、モンスターという生き物が絶えずあふれている世界だ。さぞかし食糧や資源などの事情に明るいことだろう。
国の財政にしたって同じだ。購買欲の塊である冒険者がこれだけいる世界で財政難など、逆に難しいはずだ。
スキル販売所や仲介依頼所は国の経営だろうしな。
この二つだけでどんだけ金を回収してることだか。
「杞憂だったようだな。そういうことなら、しばらく世話になりたい」
「はいよ! なら先に登録済ませちゃうから、あんたのクリスタルバンドをこれに繋げてもらっていいかい?」
クリスタルバンドってのはリストクリスタルバンドの略称だよな、きっと。
繋げるって使い方も初めて聞いたけど、ようは俺のリストクリスタルバンドと受付カウンターのクリスタルを反応させろってことだろ。
念じるだけの簡単作業だな。
ほいっと。
「302年の6月10日移民、名前は萩原陸……っよし! これで登録は終わりだよ。あんたの部屋は、んーっと……305号室だね。3階の一番奥にある部屋だからすぐにわかると思うよ。食事が欲しいときは、6時、12時、19時からそれぞれ2時間までこのカウンターで受け付けてるよ。あと、そっちのカウンター席にあるリンククリスタルはいつでも自由に使っていいからね」
「リンククリスタルってのは?」
初めて聞く言葉だ。
マニュアルにもなかった。
「ああ、知らないのも当然だね。コンソールはわかるかい? ステータスとかインベントリを表示させる時に出てくるもののことだけど」
「念じれば出てくるやつだろ? 半透明状の自分にしか見えないやつ。コンソールって呼び方は初めて知ったけどな」
「そうそう! リンククリスタルに繋げると、あんな感じでコンソールが表示されるんだけど、それを使って電子掲示板とかチャットみたいなことができるのよ。色々便利だから、あとでやってみな」
「……は? 電子掲示板? チャット?」
え? 俺の聞き間違えじゃないよな?
今このおばちゃん電子掲示板とか言ったよな?
なんでそんな言葉がアトフで出てくるんだ。
「あら? あんた知らないのかい、電子掲示板とチャット。あたしゃわからないんだけど、異界人相手なら大体それで通じるんだけどねぇ。リンククリスタルを説明するにはこれが手っ取り早いってのは、よく聞く話だよ」
「いや、知ってるんだけどな」
アトフでそんな言葉を聞くとは思っていなかった。
説明としては、これ以上ないくらいにわかりやすいんだけどさ。
名前が違うとはいえ、そんなものがあるとは思わねえよ。
「なんだい、やっぱり知ってるんじゃない。それなら私から説明することはないよ」
「ああ、それで問題ない。細かいことはあとで自分で確認してみるさ」
「それがいいよ。正直あたしも口じゃなんて言っていいものかわからないからねぇ」
そりゃそうだ。
前知識もない人間にインターネットを説明するようなもんだしな。
「あんたが知っててよかったよ」と安堵しながら話すおばちゃんを見ていると、その苦労が窺える。
「……っさ、他になにか聞きたいことはあるかい?」
もう説明することはないようで、おばちゃんが締めに入る。
おばちゃんがもう少し若くて美人だったら、『ご趣味は?』とでもいきたかったところだが、生憎おばちゃんはおばちゃんだ。俺の趣味ではない。
「今のところは大丈夫そうだ。短い間かもしれないが、よろしく頼む」
「はいよ、こちらこそよろしく。受付には常に誰かいるから、なにかあったら遠慮せずに言うんだよ」
リストクリスタルバンドの万能性から、特別、部屋に行ってなにかするということもないが、3ヶ月世話になるかもしれない部屋だ。どんなものか確認くらいはしておきたい。
俺は階段を上り自室である305号室へと向かった。
「おお!!」
思わず声が出てしまう。
それほどまでに305号室は素晴らしかった。
10畳以上あるんじゃないのか? これは。
家具どころが小物まで一通り揃ってそうだし、風呂トイレも備え付きか!
うぉ! ベッドとか大の字で横になれるし、ふっかふかじゃねえか!!
あー、最高すぎるんじゃー。
個人的には、特にトイレと風呂の存在が大きい。
電気や水回りの技術が発達している世界には思えなかったが、ファンタジー世界恒例のマジックアイテム的なもので解決しているらしい。ラフォリスの街にきてからというもの、ちょこちょこそれらしいものを見ている。
マジックアイテムといえばリンククリスタルとやらもそうだよな。
まるでネットカフェのオープン席に並ぶパソコンのように、リンククリスタルと呼ばれるものが各席に設置されていた。それも電子掲示板やチャットと同じ働きをするというのだからなおさらだ。
さっそく触ってくるかなー。
他にすることもないし。
引越し初日だというのに、整理するような荷物がないので荷物整理もくそもない。
本当はシャワーくらい浴びたかったのだが、着替えがないため全裸で寝ることを前提に就寝前に浴びることにした。
今、身体を綺麗にしたところで、フロントに全裸で行くわけにもいかないし、こんな汚れた服を着直さなければならない。
汚れた服ってのは着る瞬間が一番嫌なんだよな。
それも、こんなゴブリンの血やらなんやらで汚れた服だからな。
寝る前に洗って干しとけば朝には乾くだろうし、もう少しの辛抱だ。
明日買う物リストに下着と部屋着を追加し、俺は305号室をあとにした。