5.藤娘
今日のところはサバイバルダガーで我慢するしかない。そう考え始めていた矢先のことだ。
和物屋『風流』の店主リーズが俺に希望を与えてくれた。
「せ、扇子もおいてるのか?」
「当然だよ! 着物と扇子なしで和は語れないじゃん!! ほら、そっちの壁側にあるから見てみてよ。着物と扇子作りに関しては、アトフでも右に出るものはいないと自負しておりますゆえ……なーんてね! あはは」
小物を積んだ棚に阻まれ見えなかった場所にそれはあった。
ショーケースに囲まれた色とりどりの扇子。一つ一つ丁寧に絵画が描かれており、あまりの美しさに目を奪われる。過去に旅先で自分用のお土産として扇子を購入したことはあるが、そんなものとは比べ物にならない。
先には薄っすらと扇状に刃が連なっており、武器としての側面もしっかりあるようだ。
見つけた……。
これだ……これだよ!!
俺の求める武器はこれなんだよ!!
片手で扱える大きさだし、武器として扇子を使うなんて人も少なそうで個性もばっちりだ。
クセはありそうだが、そこも個性や特徴という言葉に置き換えれる部分だし前向きに捉えよう。
「これも戦闘で使えるんだよな? 実用性はばっちりなんだよな?」
「ばっちりばっちり!! 裂いてよし、打ってよし、突いてよし、舞ってよし!! もちろん買ってってくれてもよし!! 5段よしこさんだよ!!」
「よしこさんはどうでもよしこさんだが、扇子は本気で欲しいかもしれん。この金貨1200枚のやつとか性能的にはどうなんだ?」
「あはっ、のってくれてありがと。ちょっと待っててね、今取り出すから」
リーズはショーケースを開けると、その中から一本の扇子を手渡してくれる。俺が気になっている藤の花が描かれた扇子だ。
直接自分の目で確かめろということらしい。
【武器】
藤娘:鋼、ギガトレントの木材を主な材料とした扇子。
質:C【級】 重さ:0.7【kg】 耐久度:100 / 100 分類:扇子
製作者:リーズ
「うん、なんだか凄そうってのはわかったけど、それ以外は正直よくわからんな」
「それもそっか。陸はアトフにきたばかりだもんね? 素材や質がどうこういわれても困ったちゃんだよね」
「自慢じゃないが、アトフにきて半日も経ってないからな」
「あらら、そうなんだ。まあ、難しいことはなんにもないよ! 質ってところにC級って表示されてるでしょ? Sが一番上でGが一番下の品質、それだけ!! 生産系のスキルを持っていればもう少し詳しい情報がわかるんだけどね」
ほお。下はGまであるのか。
初期装備のサバイバルダガーがF級だったから、てっきりF級が最低だと思ってたな。
とはいっても、そこは今さほど重要ではない。
重要なのは、これを買えば3段階は武器の質を上げられるということだ。
他の武器屋でみた武器は、どれもD級で金貨1000枚~1500枚だったことを記憶している。それと比較すれば、金貨1200枚でC級というのは破格に思えてならない。
「参考までに店の入り口に展示されていた着物はなん級なんだ?」
「B級だよー」
「あれでB級なのか。もっと凄そうに感じたんだがな」
「残念ながらA級以上のアイテムは風流に限らず、どこかで売りに出されることはほとんどないんだよねー。一部の冒険者パーティーがA級以上のレア素材や装備品を手に入れたって話はちょこちょこ聞くけど、誰も手放さないからね」
「俺がその立場でも手放さないだろうしな」
自分で使うか、あるいは他のレア品との交換材料としてとっておくか。
パーティーを組んだ状態での入手だったとしても、仲間内で処理してしまうだろう。
なんにせよ、A級以上の装備のことは今のところ考えなくてよさそうだな。
A級以上がそこまでレアだというのなら、大抵の冒険者はよくてB級装備でかためてる程度のはず。
C級の装備だとしても、アトフ移住半日の新米が使うには贅沢すぎるくらいだ。
扇子『藤娘』が俺の中で少しずつ大きな存在になっていく。
とにかく見た目がいいからな。
剣や槍とはまた違う魅力があるんだよなぁ。
……ああ、やばっ。やばいわ、これ。
これを持って戦う自分の姿を想像するだけで色々とやばい。
具体的には口元が緩んでやばい。
いかんいかん。
「っよし!! 質問ばかりで申し訳ないが、あと二つほど聞かせてくれ」
「お? いいよいいよ! お姉さんがなんでも答えてあげましょう!! あ、どうせならお茶でもいれるね。砂糖はいくつ?」
そう言いながら、ぼたぼたと自分の緑茶に角砂糖をいくつも投入するリーズ。
俺と同じ元日本人とは思えない所業だ。
「いや、俺はそのままもらおうかな」
「ブラック? 大人だねー」
緑茶のどこにブラックの要素があるのだろうか。
つっこみたい衝動に駆られるが、俺はそれを緑茶と一緒に内へと流し込む。
「んじゃ、さっそく一つ目の質問をさせてもらうぞ。仮に俺が今後、A級、S級素材を手に入れたとして、それをここに持ってくれば――」
「え!? 陸が取ってきてくれるの!?」
「人の話をちゃんと聞け、仮定の話だ。で、レアな素材をここに持ってくればA級、S級の扇子を作ることってのは可能なのか?」
扇子を今後使っていくとしても、武器の更新がまともにできないようではさすがにつらい。
これほどの扇子を作るリーズが、もうこれ以上の質の扇子を作ることができないというのなら、素直に扇子を使うこと自体諦めたほうがいいかもしれない。
「もっちろん!! 扱いが難しい素材でも私にかかればイチコロだよ! 一撃必殺!!」
してどうする……。
「それは作れるってことでいいんだよな……?」
「うんうん! だからレアっぽい素材を見つけたら絶対私のとこまで持ってきてね!!」
「俺にも都合はあるから確約はできんがな。まあ、十中八九持ってくることになるとは思うから、その時はよろしく頼む」
「おっけー、任されたよ!」
満面の笑みを浮かべるリーズ。
商売のためというよりは、純粋にA級以上という未知な素材で和物作りを楽しみたいという気持ちが大きいのではないか。交渉しだいでは、無料を通り越して金を払わせた上で製作依頼するという鬼畜ですら、まかり通ってしまいそうな雰囲気だ。
ただ、そんなリーズだからこそ、鼻歌交じりにさくっと期待以上のものを作ってくれそうだという不思議な安心感がある。実際になにかを作っているところを見たというわけではないのにだ。
こうなったら意地でもレア素材を見つけてこないとな。
強くなれるし、リーズの反応も楽しめるしで最高じゃないか。
とにかく、これで武器更新に関しての不安は解消された。
念のために聞いておきたい疑問がもう一点あるが、扇子購入はこの時点で確定である。
さっさと疑問を解決して扇子を購入してしまおう。
「次、二つ目の質問な。これは、どっちかというと確認みたいなもんだ。扇子でモンスターを切ったら、そりゃ返り血とかどばどばーっとかかるよな」
「かかるだろうねー、もうどばどばだよ」
「気をつけるつもりではあるけど、結構すぐに汚しちゃうと思うんだよ。それで、もし血で扇子の藤の絵が潰れたりしたら修復することはできるのか?」
「…………」
数秒の沈黙。
リーズの無表情が俺を不安にさせる。
まさか一度汚れたら元には戻せないのか?
そんなんじゃ、すぐに血を吸って真っ赤になっちゃうぞ。
せっかく藤の花の絵がいい味を出しているのに。
血で汚れないように、先端の金属部分を使って素早く斬るようにしたとしても時間の問題だ。毎度毎度上手くいくとも思えないし、戦うモンスターの種類によっては無理がある。
「っぷ!!」
そんな俺の心配をよそにリーズが突如吹き出した。
「あっははははは!! 面白すぎるよ陸! 98点!!」
満点に近い高得点。100点満点だという前提だが。
嬉しくなさすぎる。
どうやら俺は爆笑されるような、変なことを聞いてしまったようだ。
「いやいや、だって藤の花が描かれてるこの部分は紙だろ?」
藤娘が鋼とギガトレントとやらの木材を主な材料としていることは確認済みだ。
確認のため、もう一度詳細を表示させてみてもやはり間違いない。
鋼は扇子先端の刃の部分に使われているとして、残りの大部分は木材を元に製作されているのだろう。
扇面を飾る藤の絵が描かれている部分もその例に漏れず木材――すなわち紙で製作されていることは想像に難しくない。
そんなデリケートな部位に血が染み付いたらどうしろというのか。クリーニングに出せとでもいうつもりなのだろうか。
「うんうん、確かに紙でできてるよ。だからといって……ねぇ? あははは!!」
ぐぬぬ。
無知な己が憎い……。
目を潤ませながら笑い転げるリーズを前に、俺は唇をかみしめる。
なにがおかしいのかと問いかけようにも、リーズがこのありさまではそれすらままならない。
今の俺にできることといえば、転げ回るリーズのはだけた着物姿を眺めることくらいだ。目を凝らし、しっかりと脳裏に焼き付ける。乱れた髪、はだけた襟から姿をのぞかせる鎖骨、袖から見え隠れする肘から二の腕のライン。恥じらいという要素も捨てがたいが、無自覚な色気というのもこうして見るとなかなか。
うーん、90点は手堅いな。
このありがたい光景を忘れないようにと、脳内スケッチ帳にせっせと書き写していたところで、モデルの女性が起き上がってしまった。
どうやら楽しい写生の時間は終わりのようだ。
「ふぅ、笑った笑ったー。ごめんね? でも陸があまりにも真面目な顔で言うんだもの。なんだかおかしくなっちゃった」
「謝ることはないさ。むしろ、もう少しで描き終わるから延長を要求したいところだ」
「ん? 書き終わる?」
「いや、失言だ。忘れてくれ」
「えー、気になっちゃうなぁ……」
納得いかないといった顔で、俺の顔をジト目で下から覗き込むリーズ。
そんなに睨まれると困っちまうな。
主に目のやり場に。
着崩れした着物で前かがみの姿勢をとるリーズの胸元がやばい。ゴールデンで放送すればお茶の間が凍りつくこと間違いなしだ。
余裕の表情で取り繕っているが、内心はいかに視点をリーズの顔に固定したまま周辺視野で胸元を鮮明に映し出すかで焦燥としている。
「あ! そうそう、質問の答え!!」
そういえば、そんな話もあったな。
リーズの言葉で俺も思い出す。
自分から振っておいてさっぱり忘れていた。
扇子に描かれる藤の花が返り血で潰れてしまった場合、修復することはできるのかという質問をリーズにしていたのだ。
「結論から言わせて貰うとYESなんだけど、実際に見てもらうのが早いかな。ちょっと藤娘返してね」
そう言ってリーズが俺の手から扇子をひょいと奪い取ると、あろうことか手に持った湯呑みを逆さまにして緑茶を扇子にぶちまけた。
「なっ!? なにして――」
扇面に降り注ぐ緑茶の雨。
しかし、鮮やかな紫が濁った緑に侵食されることはなかった。
リーズが扇子を軽く傾けただけで、緑茶は残らず綺麗さっぱり畳へと零れ落ちてしまったのだ。
扇子には染みどころが水滴一つ残っておらず、まるで熱したフライパンを滑る水を見ていたかのようだ。
「むふふ……ナイス反応だね!! 畳を汚した甲斐があるってもんだよ!」
「ちょっと方法や場所を変えるだけで畳はどうとでもなっただろ……。まあ、おかげでリーズが伝えたいこともわかった気がするし、さっき笑われた理由も見当がついたがね。あれだろ、元々そういう紙質なんだろ?」
「お? 正解だよ!! なかなか飲み込みが早いね! 紙だから燃えるとか、紙だから水を吸うだなんて思わないことだよ!! 紙に限らず、むこうの世界にも色んな例外的な性質の物はあったけど、アトフじゃそういうのが特に顕著だからね。鉄や鋼より硬い紙なんてのもあるよ!」
「藤娘に使われてる紙とかか?」
「またまた正解!! 師が優秀だと弟子も優秀だね! あ、師っていうのは私のことね?」
「それは驚くべき新事実だな。アトフでは客が店員にものを尋ねるだけで師弟関係が結ばれるのか」
「あはは、冗談。乙女チックジョークってやつだよ」
どこに乙女チックな要素があったのだろうか。
いくつかつっこみたいところはあるが、全てにつっこんでいたら日が暮れてしまう。
「さてっと……細かいところはさておき、知りたいことも一通り教えてもらったし、藤娘を買わせてもらおうかな」
ここまで情報が出揃ったのならば、後は実際に使ってみるだけだ。
なにか不都合があったとしても勉強代だと受け入れよう。
まっ、勉強代っていっても、どうせ湧いてきたようなお金だけどな。