3.診療所
ここか……。
ディズに案内されるまま、一軒の建物に足を踏み入れる。老朽化の進んだ木造の家だ。
ディズの話では、ここに柚奈を診察してくれる人物がいるらしい。
「もう少しの辛抱だからな」
背中で寝息を立てる柚奈に俺は囁く。
先程、俺の部屋で突如として倒れた柚奈。
顔色はすっかり良くなったようだが、心配なことには変わりない。
「……必ず……幸せにしますから……んふふ……」
…………。
いや、これ心配する必要なんてないのでは……?
緩みきった表情で寝言を言う柚奈を見ていると、部屋で起きた血の惨劇は俺の勘違いだったのではと疑いたくなってくる。
今の柚奈は体調不良で苦しむというより、なにもかも満たされ幸せの絶頂にいるような顔をしている。実のところ柚奈は鼻血を出してから寝るという極めて特殊な性癖の持ち主だった、などという馬鹿げた話でも今の俺なら信じてしまいそうなくらいに。
「……さあ兄さん……早く……早く……」
はいはい、早く診てもらいましょうねー。
緩みきった表情から一変、なにかに追い詰められたかのように必死な表情で柚奈がブツブツと漏らす。身体が時折ビクンと跳ねることも合わさり、ちょっと怖い。
「……早く……早く……ッ!!」
訂正、かなり怖い。
俺のためにも早く柚奈の診察を済ませたほうがいいだろう。
「り、陸、その子大丈夫……?」
さすがのディズも動揺しているようだ。
寝言もここまでくると、悪魔の存在を認めなくてはならないかもしれない。
「……どうだろ、もしかしたらエクソシストを探さないと駄目かもしれん」
「そんなのいるわけないじゃない。エクソシストなん――ひゃっ!?」
一際激しく揺れた柚奈の身体にディズが小さな悲鳴をあげる。
「とりあえず、さっさと診てもらおう」
「そ、そうね……」
互いに頷き、俺とディズは歩き出した。
入り口の先は、建物の規模に合わせられた廊下が真っ直ぐと続いており、通路の左側に二つ、右奥に一つのドアが備え付けられている。他にこれといったものもなく、あえていうならば右奥のドアだけは装飾が施され、他の二つより豪華な作りになっているということくらいか。
「中は案外綺麗なものね」
あちこちと見回し、意外そうにディズが言う。
「ディズも初めて来るのか?」
「ええ、実は彼女、最近ラフォリスに引っ越してきたばかりなのよ。以前住んでた街では何度もお世話になったんだけど、こっちで会うのは初めて」
嬉しげに話すディズが、見えない尻尾をパタパタと振りながら奥へと進んでいく。
なんとも微笑ましい光景だ。
よかった。ちゃんとしたフレンドがいたんだな、ディズ。
お父さん嬉しいぞ……。
ディズは名を広く知られているようなベテランプレイヤーだというのに、フレンドらしきものの影すらみせないので、実はぼっちなのではと勝手に心配していたのだ。
俺のあげたストラップ・スライム君をフレンド代わりに、夜な夜な部屋での話し相手にしていたらどうしようかと考えていた。
『ねえ、スライム君。どうしたら友達が出来るかな?』
『…………』
『ふふ、そうね。私にはあなたがいるものね』
『…………』
『もう、やだ、スライム君ったら……』
…………。
いかん、想像したら涙が……。
ったく、年をとると涙腺が緩んでいけねぇ。
「――陸、なにしてるの? さっさと行くわよ」
「す、すまん! 今行く!」
考えを払いのけるように頭を振り、俺は急ぎディズに追いつく。
建物の中は外装と反して小奇麗なものだ。所々に改修された跡はあっても、一見して目立った汚れはない。ギシギシと音のする床板も、歩いた感じ耐久度に問題はなさそうである。
……それにこの匂い。
なんだろうな、いい香りだ。
微かに漂う植物のような香りが鼻孔をくすぐる。
やがて右奥にある装飾の施されたドアの前に立った時、匂いは一層強くなった。ここから隙間風と一緒に流れ出てきているようだ。
『よし、いつでもいいぞ。扉を開けるんだ』
『――ちょっと驚かせないで。なんでわざわざ通話で言うのよ』
そんなこと言いながら通話で返してくるあたり、ディズも付き合いがいい。
『いや、そうした方がいい気がしたんだよ。俺は空気を読める男なんだ』
『なら直接口で言いなさいよ、まったく。なに、緊張してるの?』
『ばっか、そんなんじゃねえよ。部屋に入る前から戦いは始まってるんだよ』
『はぁ……。また意味のわかんないことを……。とにかく入るからね』
それを最後に通話を切り、ディズがドアをノックする。
「クレア、入るわね」
「はいはーい、どうぞー」
――おお?
ディズの後について俺は部屋に入ると、俺はその光景に目を見開く。
窓際に並ぶベッド、乱雑に書類が散らばっているデスク。入り口側の壁には、俺の背丈より高い棚がずらりと列を成し、薬品らしきものや、謎の植物、本が大量に並べられている。なにより存在感を放っているのは部屋の中央に位置する診察台だろう。
客間を予想していたため驚かされたが、部屋の角に立て掛けられている『クレア先生の診療所』という看板を見て俺はすぐに納得する。
ここが診療所だというのなら、柚奈を診てくれるというのも頷ける話だ。
「久し振り、クレア」
「ふふ、久し振りね、ディズ」
「急にごめんなさい。本当はそっちが落ち着いてから顔を出そうかと思ってたんだけど」
「いいのよ、そんなこと。……で、そっちの二人がそうなのね?」
「ええ、私のフレンドの――」
「陸だ。こっちは妹の柚奈」
「よろしく頼む」と俺は頭を下げる。
俺が頭を下げることで、俺の肩に乗った柚奈の頭も一緒に下がり、なんか一石二鳥な気分だ。
「陸ちゃんと柚奈ちゃんね。私はクレア、ここで薬師をやってるの。まあ、営業は明後日からだから、”予定”って言ったほうがいいかしら、うふふ」
「なるほど、どうりで……。突然押しかけてすまんな」
「あらあら、気にしないで? こうして噂の陸ちゃんを近くで見られるんだもの、悪くないわ。ディズが固定パーティーを組んだって言うから、どんな人なのか気になってたの」
クレアと呼ばれる女性が俺の周りをくるくると回り、品定めでもするかのようにじっくりと見てくる。
「なるほどなるほど」と舌なめずりする姿に、俺は若干引き気味である。なんというかリーズとはまた違うタイプの変人臭がする。
髪はディズより僅かに薄い赤。その長さは腰の辺りまで伸びている。
そんな彼女の雰囲気を一言で表すならば、妖艶という言葉がいいのではないだろうか。
肌の露出面積的には、ショートパンツにへそ出しシャツのディズも負けてはいないと思うのだが、クレアと呼ばれる女性にはわがままボディという強い味方がいる。
本人に自覚があるかは別として、顔、身体、服装、立ち振る舞い、その全てがとにかくエロい。
まあ、俺の好みではないけどな。
俺としては、どちらかというと右手の刻印の方に関心がある。
いずれかのスキルを20レベルまで上げた証である刻印。それが彼女の右手にはあった。
最近ではラフォリス祭の影響のため、20持ちがラフォリスに増えていると噂話で聞いていたが、実際に目にしたのは初めてだ。
薬師というからには、調合だとかそういった生産系スキルが20レベルを越えているのかもしれない。
「ふふ、二人とも可愛い顔してるわぁ。まとめて食べちゃいたいくらい……」
「はいはい、馬鹿なこと言ってないで早く診てあげて」
俺が反応に困っているとディズが助け舟を出してくれる。
発言の内容からして、十中八九、ただの冗談だとはわかっているのだが、クレアの顔には笑みが一切なく、軽く流していいものなのかと躊躇ってしまった。
「わかってるわよ、冗談よ冗談。さて、それじゃあ陸ちゃん、柚奈ちゃんをベッドの上に寝かせてあげて」
「診察台じゃなくてベッドでいいのか?」
「ええ、そこは私の食卓だから」
言っている意味がいまいちわからないが、ベッドに降ろせというのだからそうしよう。
クレアの指示に従い、俺は背中に担いでいた柚奈をベッドに降ろす。
これだけ騒がしくしているというのに、柚奈は一向に目を覚ます気配がない。寝言もなくなり、静かにベッドの上で眠っている。
ベッドに横たわる柚奈の側にやってきたクレアは、指をポキポキと鳴らし臨戦態勢に入ったようだ。
きりりと真剣な表情は仕事の出来る女を思わせる。
「じゃ、さっそく失礼して」
クレアが眠っている柚奈の胸に手を置き、揉みしだく。
え、なにをさっそく失礼してくれちゃってるんだ?
「――んっ……ッ」
それに反応し柚奈が怪しげな声を発するが、これに何の意味があるのだろうか。
とても診察に必要な手順とは思えない。
「感度良好……なんちゃって! ふふふ」
「真面目にやりなさいよ……」
やはり診察としての意味はなかったようだ。
ディズが俺の気持ちを代弁してくれたので、俺から言うことはなにもあるまい。
「だって柚奈ちゃん可愛いんだもの。ふふ、一体誰の夢を見てるのかしらねー?」
クレアが柚奈の前髪をかきあげるようにして、顔を覗き込む。
「……兄さん……もっと……」
…………。
妹の恐ろしい寝言に、俺とディズ、クレアが一瞬顔を見合わせる。
場が凍りつくとは、こういうことをいうのだろう。
俺の聞き間違えならよかったのだが、二人の反応からしてそれはなさそうだ。
「……り、陸、この子はあなたの妹なのよね?」
「ああ、俺の記憶が何者かに改竄されてない限りは間違いないな」
「そう……。ま、まあ見る夢は選べないしね! 変な夢を見ることくらいあるわよ、うん」
ディズが不器用ながら俺を励ましてくれる。
そもそもタイミングがちょっとあれだっただけで、ディズの言うような変な夢を見ているとも限らないのだが、そこのところは考慮されていないらしい。
「はい、静粛に!」
コホン、とクレアが咳払いを一つ。
緊迫した空気をつくろうとしているようだが、頬の緩みを隠しきれていないクレア。内心、面白いことになったと、ほくそ笑んでいるに違いない。
「――診察結果です。これは禁断の恋ね」




