2.お助けディズベール
ふぅ……。
落ち着いてきたか。
ベッドに横たわり、すやすやと眠る柚奈を見て、俺はひとまず安堵する。
うーむ。
しかしこれは…………。
俺と妹の身体は血で汚れている。さらに部屋の床には血痕が点々としており、残念ながら、これでは兄が妹を優しく寝かしかけている構図とは程遠いだろう。
殺人現場といわれたほうがしっくりくるかもしれない。
事の起こりは、昨日の夜――日付的には今日に当たる――に遡る。
俺は狩りの帰り道で、妹の柚奈にばったり遭遇した。なんでも、柚奈は予定より早くラフォリスに着いて街を散策していたらしい。
そこで色々とあり、成り行きで俺の部屋に妹を連れてきたまではいい。
部屋に入るなりなぜか息を荒らげだした妹の姿も、まあいいだろう。
問題はその後だ。昔話やら、互いの知らない空白の時間を埋めるような身の上話に花を咲かせ、なんとも有意義な時間を過ごしていると、柚奈が突然鼻血を出し、倒れたのだ。
『少し刺激が強すぎたようです』という謎の言葉を残して意識を失った柚奈に、俺はそれはそれは動揺した。
顔は赤く、顔に触れてみれば熱もあるようだったし、呼吸だって安定していなかったのだ。
恐らくは過労による体調不良だろう。
長旅による疲れがここにきて一気に出てしまったのかもしれない。
今はこうしてベッドで安静にしているが、先程までの柚奈の容態を知る俺はどうにも落ち着かない。
『どう? 大丈夫そう?』
『ああ、大分落ち着いてきたな』
通話機能を通して聞こえるディズの声。
倒れた柚奈をベッドに運んだ後、焦っていた俺がディズに連絡したのだ。
結果として、朝5時という常識外れな時間にディズを通話で起こしてしまったわけだが、想定もしていなかった異常事態に直面して、なりふり構っていられなかった俺の気持ちも理解していただきたい。
『そう、よかった。今、私もそっちに向かってるから』
『すまん、こんな時間に』
『いいわよ別に。それより診察の件、なんとかなりそうよ』
『お、本当か? 助かる。ただの疲れだとは思うんだが、気になっちまってな』
『そうね、用心はしておいたほうがいいわ』
『妹が鼻血を出して倒れた』と言っただけなのに、なんかもう色々と察してくれたディズ。
ディズのフレンドに頼りになりそうな人がいるということで、一度そちらのほうに連絡してもらっていたのだが、どうやら都合がついたようだ。
『……それで、どうすりゃいい? やっぱり妹は連れてった方がいいよな?』
『ええ、それがいいわ。陸の家からなら結構近いからそんなに負担はかからないと思うわ』
『そいつはありがたい……ってか、ディズも色々ありがとな』
『お礼は妹さんがよくなったらでいいわよ。美味しいものでも期待してるわ』
『ああ、楽しみにしててくれ』
そこで一旦ディズとの通話を切り、俺は身支度を始める。
顔を洗い、歯を磨く。そして、部屋着から着物に着替えれば、あら不思議。あっという間にお洒落マイスターの出来上がりである。
鏡に映るナイスガイに挨拶し、俺は気合を入れる。
――うん、大丈夫。
いつもの俺だ。
さて、こっちはどうするかな……。
ベッドに眠る柚奈を見て、俺は頭を悩ませる。
柚奈の肌に付着している血痕は拭き取ったが、服に付いたものはどうしようもない。
まさか脱がせるわけにもいかないし、仮に脱がせたとしても着替えは柚奈のインベントリの中なので俺には関与できない。
このままいくしかないよな……。
不幸中の幸いというべきか、柚奈は黒のワンピースを着ているので、酸素を十分に含み黒く変色した血痕はあまり目立っていない。
それに、やましいことをしたわけでもないし、変に隠そうとする方がおかしいだろう。
【通話】
着信:ディズベール
――おっ、丁度いいタイミングだ。
『はい、こちらお洒落マイスター』
『あら、軽口を叩ける程にはなったのね』
『おかげさまでな』
『どういたしまして……というところかしら? ――そんなことより、そろそろ降りてきて。もうすぐ着くわ』
すぐに行くと伝え、ディズとの通話を終了する。
続いて、俺は妹と向き合う。
「柚奈、少しの間我慢してくれよ」
横たわる柚奈の細い身体を背中に担ぐと、俺は宿の外を目指し歩き始めた。
可能な限り丁寧な動作を心がけてはいるが、柚奈の身体に振動が伝わってしまうのは避けられない。俺が歩くたび、柚奈の身体が僅かに揺れる。
「……ん……んん……」
――っとと、やっぱ起こしちゃったか?
「……兄さん……アトフでは兄妹でも…………」
むにゃむにゃとそれ以上は言葉にはならなかった。
改めて柚奈を見ても起きている様子はない。
……寝言、か。
ちょっとだけ先が気になる寝言だったが、盗み聞きしたようでいい気分ではない。
忘れるとしよう。それが俺の為にもなるような気がする。
「すまん、待たせたな」
建物の外に出た俺は、そこで壁に背中を預けていたディズに声を掛ける。
対するディズは、俺の元まで走り寄り、心配そうに柚奈の顔を覗き込む。こちら側の都合に巻き込んでしまったわけだし、嫌みの一つや二つ覚悟していたのだが、お咎めはないようだ。むしろ優しい言葉をいくつか貰ってしまった。
俺は改めて謝罪と挨拶を済ませ、ディズに案内を頼む。
ディズはそれに頷くと、ゆっくりと足を進めだした。
「それにしても、随分綺麗な子ね。柚奈……だっけ?」
俺の背中に乗る柚奈を見て、ディズが口を開く。
妹のことは何度か軽く話したことがあるので名前を覚えていたようだ。
「ああ、自慢の妹だ。若干、兄離れ出来てない感が漂ってるけどな」
「そりゃ妹さんにとって9年振りの再会なんだから仕方ないわよ」
「そこは理解してるつもりだ。別に悪いとはいってないさ」
というより嬉しいくらいだ。
世の中にはまるで他人のように冷え切った兄妹関係だってある。それに比べれば、妹の挙動がたまに理解を超えているくらい、どうと言うこともない。はず。
「でも驚いたわよ。早朝に通話がきたと思ったら『鼻血が鼻血が』なんて言うんだもの。なんの冗談かと思ったわ」
「いや、あまりに突然のことすぎてな。前触れもなく妹が鼻血を出してぶっ倒れたんだぞ? ビビるなんてもんじゃねえよ」
「まあ、なんらかの状態異常だったってことでしょうね。実際に症状が出るまで、ステータス上に表示されない状態異常なんていくらでもあるもの。疲労なんてまさにそれよ」
「――え? 疲労って状態異常なのか?」
なんという新事実。
それも凄い初歩的っぽい知識だ。
「もちろんそうよ。骨折、出血、病気、身体に一定以上の影響が出るものは、大体状態異常としてステータスに表示されるわ」
「虫歯も?」
「ええ、虫歯も――って、随分具体的な例を出すわね……。まさか痛むの?」
「少し……」
「実体験できるチャンスじゃない。それが本当に虫歯なら、もう少し進行すれば状態異常としてステータスに表示されるはずよ」
「よかったじゃない」と無慈悲なディズ。
毎日歯磨きは欠かせていないというのに、酷い話だ。
人に見られることはないにしても、ステータスに虫歯なんて表示されたら自分の事ながら恥ずかしくて、ステータス画面を今後開けなくなってしまう。
近いうち治療しにいくか……。
虫歯専用の治癒スキルなんてあるのかよと笑っていた自分が懐かしい。
……もう戻れないんだ、あの頃の自分には。
「ちなみに、仮に自爆玉とかを使って死んだらどうなるんだ? 状態異常は残るのか?」
「いや、治るわよ。魂の安息所で復活した時にはHP、MPは全快だし、状態異常も全部治ってるわ」
「まじかよ……」
ちょっとした好奇心で聞いてみたが、素晴らしいことを知ってしまった。
これは柚奈に自爆玉を飲ませれば即解決なのでは?
長く苦しむくらいなら一思いに……
――いや、でも妹が飛び散るシーンはさすがに……。
「あのねぇ……馬鹿な考えはよしなさいよ? 復活だって無料じゃないんだから。決闘での死は大幅に免除されるけど、それ以外なら死亡前一ヶ月の収入20%、問答無用で税金として持ってかれるわよ」
「あー、そういえばそんなのもあったな。すっかり忘れてた」
ディズの言葉に、俺はデスペナルティのことを思い出す。
11レベルからは復活に手数料を取られるとマニュアルに書かれていた。
金額までは知らなかったが、1ヶ月間の収入20%となると相当なものだ。
「でも、一ヶ月間の収入なんてどうやって調べるんだ? 自己申告制か?」
「システムよ。アトフの治安維持同様で、そこら辺はしっかり管理されてるみたい。具体的にどこまで管理されてるのかは知らないけどね。もし復活時に払えない金額だったとしても、復活後の収入から引かれていくわ。律儀なことにね」
まっ、当然か。
自己申告しようにも、一月分の収入なんて自分でも覚えてないよな。
システムが管理してるっていうなら誤魔化しようもないし、信用もできるか。効率的にも最強っぽいし。
「んで、システムで公平に回収された金が、国や街のお偉いさん達のとこにいくってわけか」
「そうね、税金だもの。彼等が有効活用してくれるわ」
ディズがはっきりとそう断言する。
”彼等”に対するディズの信頼は厚いようだ。
”彼等”……か。
アトフには3種類の人間がいるとは、ディズから以前聞いた話である。
一つ、俺やディズ、柚奈のように現実世界から電子世界アトフに移住してきた異界人と呼ばれる人間。
一つ、アトフで元々生活をしていた人間、及び、新しくアトフで生まれた人間。すなわち、ヒトの脳を完全に再現して作られた人工知能。
そして、もう一つ。国や街をやりくりしている連中である。
NPCと呼ばれる彼等は、職務の重要性、アトフでの必要性から、不正や寿命と遠い関係にあり、3種類の中で最も特殊な存在らしい。
知能は持っているが、感情は持っておらず、ただひたすら管轄内の住民の幸せと地域の発展に従事するという存在。
外見上は同じ人間でも、中身は機械といって差し支えはないだろう。だからこそ、不正や寿命の心配もなく、他の2種にはない権限も与えられているのだとか。
移住して間もない異界人や、子供に無料で提供されている宿『祝福』など、いい実例だろう。この国に従事するNPCが、税金を使って国を良い方向に導こうとした結果といえる。
「――着いたわ。ここよ」
ディズが立ち止まる。
その視線の先には、こじんまりとした一軒の建物。古い木造建てで、建物の周りには雑草が生い茂っている。
正直、人が住んでいるようにも思えないのだが、ディズがここだと言うのだから、ここで間違いないのだろう。
「『入ってきて』だそうよ。行きましょ」
ディズが通話機能で家主と話をつけたらしい。
扉を開け、そのまま家の中へと入っていくディズ。俺はその跡を追った。




