プロローグ
駆け寄る兄の姿、目前に迫るトラック。
今でもはっきりと覚えている。
私の注意不足が引き起こした、人生における最大の後悔だ。
薄れる意識の中で瞳に映るものは残酷な現実。ピクリとも動かない兄から流れ出る赤色に、私はただただ恐怖した。
私が倒れているのは自業自得だし納得はできる。
しかし、兄は、兄は違う。
私を庇おうとして巻き込まれただけだ。
せめて無関係な兄だけでも。
そう祈りながら私は意識を失った。
それが私、萩原柚奈の最後の記憶。
――そう、9年前のあの日、私は一度死んだ。
風に吹かれて髪がなびく。
長い事こうしていたせいか、心地よかった風も今では少し肌寒い。
私は自身の身体を抱きしめるようにして、羽織ったショールを握り締める。
――あっ、光。
薄暗く代わり映えのしない視界にぽつりぽつりと光の粒が灯り始めた。
暗闇の中、遠目に輝くそれは美しくもどこか儚げで、水辺で身を休める蛍のようだ。
「お、見えてきたぜ!」
「長い船旅だったなぁ」
私と同じく甲板にいた二人の男性客が光の方向を指差す。
この船の目的地、港町『ニトラン』が見えてきたのだ。
「兄さん、もうすぐです……」
ニトランにあるポータルを通れば、同じニルシャ領であるラフォリスへは一瞬で移動できる。
月ごとの利用可能回数やレベルに応じた料金といった条件はあるが、今の私には関係のない話だ。こういうときのためにポータルの使用回数は常に最低限残すようにしていたし、金貨だって何に使えばいいかわからないほどある。
リンククリスタルの『人探し』機能を通して兄から連絡があったのは20日前のことである。
あれは私の日課である1日23分の兄に捧げる時間、すなわち『兄さん時間』の最中のことだった。
コンソールに流れる文字の羅列に兄の名が表示されたとき、自然と涙が溢れだした。
アトフで目覚め、一言では語れないたくさんの出来事があったが、いつだって頭をよぎるのは兄のこと。現実世界で元気にしているのならともかく、もしも、あの時に死んでしまっていたらと考えると気が気ではなかった。
やがて船がゆっくりと速度を失っていく。
ニトランに到着したのだ。
到着のアナウンスが船内に流れ、乗客が次々に甲板に出てくる。
――いけない、私も早く並ばないと!
眺めている場合じゃない。
これではなんのために外で待機していたのかわからないではないか。
船は完全に進行を止め、階段状のタラップが陸地へと降りている最中だ。
その前には、我先にと待ち構えている乗客が並び始めている。
私も急ぎそこへ加わることにした。
「ねえ、そこの可愛いお嬢さん。これからどちらへ?」
最後尾に並んだ私を見て、一つ前に並ぶ金髪の男性が声を掛けてくる。
失礼だとは思うが、見るからに軟派という言葉が似合いそうな男だ。
「ラフォリスですけど。それがなにか?」
「お、それは丁度いい。実は僕もこれからラフォリスに行くんだ。一緒に行こうよ」
「お断りさせていただきます」
馴れ馴れしい。
なにが『丁度いい』だ。
恐らく、この船の乗客の9割方はラフォリスを目指す人々だというのに。
ラフォリスでは4日後から3日間、祭りが開催される。
アトフでは規模的に中の下くらいに位置するラフォリスでも、その『ラフォリス祭』の祭りとしての規模はアトフの中でもかなりのものである。
どうしてかと問われると私にはわからないが、とにかく毎年多くの人がラフォリスに集まるのだ。
この男もそれを見越して私に声を掛けてきたのだろう。
「え、なんでなんで? いいじゃん一緒しようよ。ご飯奢ってあげるよ?」
大袈裟な身振りで男がしつこく誘ってくる。
これが兄の言葉だったなら、私はご飯だろうが地獄だろうが二つ返事で一緒したというのに。残念だ。
「一緒する理由も、ご飯を奢ってもらう理由もありません」
「なに、もしかして恋人と待ち合わせでもしてるの?」
「そんなところです」
「なーんだ、残念。そういうことなら諦めるよ。その様子じゃ勝ち目はなさそうだ」
大して残念でもなさそうに男がそう答える。
元より、本気だったのかも怪しいところだが、どうやら諦めてもらえたようだ。
「――はい! 後ろがつかえてるから早く降りてー!!」
タラップの先で控える乗務員が私達に注意を促す。
こんなところで止まっていれば当然だ。
気が付かなかった自分が恥ずかしい。
「やべっ」と慌てて階段を駆けていく男に続き、私は港町ニトランへと降り立った。
辺りには、数軒の酒場と宿、それとポータルがある。
船を降りた人たちは、大体がその3種類のいずれかに向かっているようだ。
「それでは失礼しますね」
ここまできて休憩を挟む必要はないだろう。
実際のところ、兄とは明日の午前9時に会うという約束をしているので、そこまで急ぐ必要もないのだが、それでも気持ち的に早くラフォリスへと向かいたい。
私は最初で最後の出会いになるであろう金髪の男に別れを告げ、ポータルへと歩き出した。
「あっ、最後に一つだけ――」
男に呼び止められ、私は一度振り返る。
「――実は祭りの最終日にちょっとした出し物をする予定なんだ。よかったら、その幸せな恋人君も連れて一緒に見に来てよ! んじゃ!!」
それだけ言い残して男は酒場のほうへ歩いていってしまった。
時間も場所も言わず見に来て欲しいとは、難しい注文をするものである。
まあ、見に行くつもりもなかったので、だからなんだという話だが。
ついに私はラフォリスへとやってきた。
自分の足で歩くのは初めてだが、リンククリスタルを通して情報は集めていたので不安はない。
ここから兄の家まで最短ルートで移動することだって可能なくらいだ。
0時10分……。
約束の時間まで9時間近くありますね。
10分、15分ならともかく9時間も前倒しで押しかけたりするのは、迷惑以外のなにものでもないだろう。
私の勝手な都合でそんなことをするわけにはいかない。
私は目的もなくラフォリスの大通りを歩き始めた。
普通であれば宿を探すところかもしれないが、高鳴る鼓動が邪魔をして寝付けるとは到底思えない。昨日からずっと寝ていないというのに、眠気なんてまったく感じられないのだ。
むしろ、こうして歩いているだけでどんどん興奮してきてしまう。兄の見ていたものを自分も見ているかもしれないという感覚。
これだけでご飯3杯はいけますね……。
あぁ、いけない涎が。
しばらく歩いていると一つの露店が目に留まる。
宿や酒場は別として、まだ営業している店が珍しいということもあったが、店頭に並べられたとある商品が気になった。
「元祖自爆玉……? 元祖、とはなんでしょう……」
山積みされた自爆玉から一つを手に取り、まじまじと観察する。
詳細表示を見ても普通の自爆玉との違いはわからない。
そもそも自爆玉は製作アイテムではなく、モンスターからのドロップアイテムだったはずだ。
ならば元祖とはどういう意味なのだろうか。
ただの売り文句だとしても意味がわからない。
「お、偉く綺麗な嬢ちゃんだな! ここへ来たのはラフォリス祭目当てかい?」
店の内側でしゃがみながらごそごそと作業していた露店の店主が顔を出す。
「いえ、タイミングが重なってしまいましたが、お祭り目当てというわけではありません。大事な人に会いに来ました」
「ほぉ、なるほどねぇ」
うんうんと私の言葉に頷く店主。
もっと深く聞かれるかと思ったが、それもないようだ。
「ところで、どうしてこの自爆玉は元祖なんですか?」
「ん? ああ、実はこの前それを使って20持ちとの決闘で勝ったすげえ奴がいるんだよ。そんでラフォリスでは、ちょいと自爆玉が流行りだしたんだけど、そいつが自爆玉を買ったのがこの店だったってわけだ」
その話は知っている。
ルベルクという20持ちの人と兄さんが戦ったというものだ。
リンククリスタルで何度も聞いたから間違いない。
兄さんはその決闘でルベルクという人を自爆玉で爆殺したらしい。
アトフにきたばかりだというのに、20持ち相手に勝利するなんて兄さんは本当に凄い。
なぜあの時私はラフォリスにいなかったのかと、当時、悔しい思いをしたものだ。
兄さんはこの店で購入した自爆玉を使って勝利したんですね……。
「そういうことなら、私にも売ってくれませんか?」
「お、もちろん構わないぜ? 一つ金貨100枚だ」
「わかりました、では全部下さい」
「はいはい、全部ね。じゃあ全部で……全部!?」
「ええ、他に在庫があるならそれも含めて全部売ってください」
「いやいや、嬢さん買占めは困るぜ。転売ならお断りだ」
露骨に嫌そうな顔をする店主。
冷静に考えれば、自爆玉などいくつも必要になる場面もないだろうし、転売だと思われるのも当たり前かもしれない。
私としては、転売などありえない行為なのだが、それを言葉にしたところで信じてはもらえないだろう。
「それなら一つ金貨200枚で売ってください。金貨200枚なら転売なんてできないはずです」
自爆玉の相場は金貨80~120枚。
これはどこの地域でもそこまで変わらないはずだ。
「…………」
僅かな沈黙の後、店主の表情が緩んだ。
「んー、事情はよくわからんが、嬢ちゃんが本気だってことはよくわかった。一つ金貨100枚で売るよ。疑って悪かった」
「ありがとうございます」
よかった、わかってもらえたようだ。
他にも売ってもらう方法はいくつも考えていたが、どれも手間がかかる方法だったので、それを使わずに済んで助かった。
私は店主から自爆玉を47個売ってもらった。
時刻は午前1時。
私は宿を探していた。
相変わらず眠くはないが、兄さんと会う前に、お風呂に入って身嗜みを整えておきたい。
兄さんと同じ宿を借りられればよかったのですが……。
生憎、兄さんは、アトフにきたばかりの異界人や幼い子供に無料で提供される宿屋『祝福』を利用している。
私が努力したからといって泊まれるような宿ではない。
せめて、少しでも近くにある宿にしようと辺りを歩いていたところで二つの声が聞こえてきた。
その声に私は思わず立ち止まる。
「じゃあね陸。また明日――っと、明日は忙しいんだったわね」
「ああ、妹との感動の再会があるからな」
「陸にとっては3年ぶりでも妹さんにとっては9年ぶりなんだからね。たっぷり甘えさせてあげなさいよ」
「わかってるわかってる、俺はその道のプロだぞ」
「はぁ……心配だわ。まあ、明日か明後日にでも落ち着いたら一度連絡ちょうだい」
「おう、じゃあな」
「ええ、またね」
こ、この声……。
それに『陸』って…………。
私の中で結論が導き出された。
足が震え、心臓がドクドクとこれ以上ないほどに高鳴る。
曲がり角から現れた一人の男。
その姿を見て、私の頬を一筋の涙が流れた。
「に……にいさん…………」




