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プロローグ

 白で統一された小部屋。

 あるものといえば目の前で書類に目を通している担当員のおっちゃんと俺が座る2脚の椅子、加えてその二つに挟まれる形で配置されているテーブルが1脚。書類や筆記具といった小物を除けばそれ以外にはなにもない。

 用途と使用する人数を考えれば手狭とはいえない一室だが、相手の服の擦れる音が耳に届いてしまう程度には近い、互いの距離と静けさにどうにも居心地がよくない。

 ただでさえ今日は待ちに待った”移住”の日である。居心地の悪さと逸る気持ちが重なり、足を何度も組みなおしたり、視線があちらこちらへと泳いだりと、我ながらひどく落ち着きのない挙動となってしまっている。

 せめて時計でもあれば、動き続ける秒針を眺めることで、いくらか気を紛らわすこともできたかもしれない。そんなくだらない考えが頭をよぎるほど気持ちが不安定だ。


「それではこちらの契約書にも目を通して下さい。間違いないようでしたらフルネームでサインをお願いします」

 

 やれやれ……またか。

 これで何回目だよ。

 

 この1週間で契約書の類は再三再四繰り返してきた。

 『一度入れば戻れない』『生身の肉体を失うことになる』などと、同じようなことを何度も何度も突き付けてくる。必要なことだとは認めるが、わかっていてもうんざりしてしまうのも仕方がないことだろう。

 唯一の心残りであった父親も他界し、もはやこの世界に未練はない。

 さっさと移住したいものである。

 スキル、モンスター、ダンジョン。夢とロマンが溢れる新天地。


 ――電子世界『アトフ』へと。



萩原陸はぎわらりくさん、最後の確認をいくつかさせていただきます」


 契約書に書かれたサインを確認したおっちゃんが俺を見る。

 いよいよ、大詰めといったところだろうか。

 適合試験、身辺調査、マニュアル熟読、そして契約書類。数々の段階を経て、ようやくここまできた。

 今日でこの世界ともお別れだ。そうなると、焦る気持ちや、おっちゃんのつまらない話の一つでも、感慨深く感じるから不思議である。


「アトフへと移動すれば、もうこの世界には戻ることはできません。よろしいですね?」

「はい」


「移住する際に、あなたの身体を電子化します。萩原さん自身――心とでも言うべきでしょうか、それをアトフでも保つため、脳の一部は残されますが、その他は全て契約書にある通り処理させていただきます。よろしいですね?」

「はい」


「移住時の親族へのメッセージ送信サービスは、不必要ということで間違いありませんね? メッセージ送信サービスをご利用にならないということは、あなたがアトフに移住しても妹の萩原柚奈はぎわらゆずなさんにはそのことが知らされないということになりますが」

「はい、それで構いません」


 俺の妹――柚奈ゆずなと俺は、3年前、事故で生死の境を彷徨った過去がある。

 結果として、互いに命を落とすことはなかったのだが、柚奈は電子世界アトフで、俺はこの世界で目を覚ますことになった。

 それはつまり、アトフで目を覚ました柚奈は俺がこうして無事でいること自体知らないことになる。アトフからこちらの世界のことを知る術はないのだ。


 どうせなら直接対面して無事だったことを伝えたいしな。

 システムメッセージ任せってのも、なんか味気ないし。


「そうですか、わかりました。アトフでは、寿命を除けば病気や事故といった死の危険はありませんから、ゆっくり自分の足で探すというのも面白いかもしれませんね。アトフ内には人探しに役立つアイテムや施設がありますので、必要であれば探してみて下さい」

「はい、ありがとうございます」


 「それでは」と担当員が気を引き締めるように姿勢を正し、上着のポケットから小さなカプセル状の薬のようなものが入った半透明な袋を取り出す。

 適度な緊張感が再度、室内を包み込んだ。 


「最後の確認です。この薬を飲めばあなたは深い眠りにつき、目を覚ましたときにはアトフに存在する中立国ニルシャ領土内のいずれかのフィールドにいます。この世界でやり残したことがないか、よく思い返し、覚悟ができたならこの薬を飲んでください」


 ようやくだ。考えるまでもない。 

 覚悟ならとうにできている。

 未練といえば、最後にこの世界で会話した人間が目の前の冴えないおっちゃんだということくらいなものだ。

 こんな最後だからこそ、せめて言葉くらいは格好良く締めたい。

 

「ありがとう」


 俺は小さくそう呟いて薬を飲み込んだ。

 なにも、出会って間もない担当員のおっさんにだけ言ったわけではない。

 他界した両親、仲良くしてくれた友人、近所のおばちゃん、とにかく思いつく限りのものに感謝を告げる言葉だ。

 

 少し中二病っぽい気もするが、俺の本心だ。

 最後くらいはいいだろ。



 そうして、俺は意識を手放した。

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