入り乱れる策謀 エリュティア
同じ時、シュレーブ国王の館では、エリュティアがルミリア神殿で神帝への謁見を済ませて帰宅し、出迎えた教師ドリクスがエリュティアの手を導いて館のテラスに誘った。
「いかがでありましたか?」
「お元気であられましたが……」
エリュティアが表情を曇らせた。エリュティアの優しい伯父は、生気を失いように元気が無く、懐かしい姪に向ける笑顔に明るさがなかった。
ドリクスはその事情が分かる。国内の情勢が思わしくない。複雑に入り組んでから見合った情勢が重く神帝にのしかかっている。
ドリクスはエリュティアの傍らで、エリュティアにつき添う侍女に手を振ってみせ、人払いをせよと命じた。エリュティアは振り返って侍女に笑いかけ、指示どうりにせよと指示した。
(あらっ)
エリュティアはドリクスが豊かに蓄えたあご髭に、幾本もの白髪を見つけたのである。頭髪も白髪の方が多いのではあるまいか。年齢を考えれば、彼女の教師は間もなく四十五歳に達する。人々の平均寿命が五十歳を僅かに越えるこの社会では、もう老境に達していると考えても良い。ドリクスは年相応に落ち着いた口調でいつかエリュティアに語って聞かせたことを繰り返した。
「アトランティスの存亡の危機に際して、神々が神帝のもとに、裁きの英雄を差し向けます。それがレトラスです」
「それがルージ国と関わりがあるのですか」
「レトラスとアトラス。いかがです。音の響きが似ておりましょう?」
「では、ルージの王子がルミリアのお使いだというのですか?」
「それは誰にも分かりません、おそらく本人にすら」
「ご本人も?」
「その通り、地に降りたレトラスは、自分の使命を知りません」
「どうして?」
「神々の意図は我々には図り知れません。ひょっとすれば、神々は、我々が鍛えられた剣を研ぐように、レトラスが大地で試練を乗り越えつつ研ぎ澄まされるのを待っているのやも知れません」
「神々のご意志……」
「そして、今ひとつ、大事なことがございます」
「なんですか?」
「剣が己を研ぐ人を必要とするように、研ぎ澄まされた切っ先が無用に誰かを傷つけぬように、危険な刃のレトラスを迎える無垢な乙女が鞘として一体の剣になる必要となりましょう」
ドリクスが語る内容は偽りではない。確かに彼らが信じる神話体系にその内容がある。ただ、体の良い洗脳とも言える。この時、この場で、この話をすれば、利発でありつつ素直なエリュティアは自分の役割を理解するだろう。彼女は心の中にアトラスの居場所を作り上げ、彼女自身の役割を果たそうとするに違いない。
しかし、そんな素直さが痛々しく、ドリクスは罪悪感を覚えている。彼ら大人はエリュティアの素直さにつけ込んで彼女を保身の道具に変えようとしていた。
「先生、一人になりたいんです」
エリュティアは遠慮がちにそう要求したために、ドリクスは月が照らし出すテラスを離れ奥の間に引っ込んだ。
生まれてこの方、不自由したことが無く、与えられたものを受け続けるだけの少女が、はじめて誰かに何かを要求したのである。