神帝とエリュティア
エリュティアが神帝のもとを訪れたのは、明くる日の早朝のことである。
(柔和でいいお顔をなさる)
神帝の傍らで表情を眺めた側近は喜びとともにそう思った。もともと、オタールという名があるが、いまはその名で呼ぶ者はなく、神帝と呼ばれる。華やかな文化に恵まれたシュレーブ国生まれで、王を継ぐべき者として慈しまれながら育てられた人物である。表面の文化的素養のみではなく、その人格も高潔で、平和な世なら民衆から敬愛を集める王となったに違いない。しかし、この大陸の政治情勢はそれを許さず、真理の女神は、彼が妻をめとる前に、シュレーブ国第一王位継承者の座を弟のジソーに譲り、アトランティスの王どもを統べる神帝という、いわば宗教的な名誉職に据えた。
各国の調整に気苦労が多く、表情は苦悩が浮かび額に深いしわが刻まれている。ただ、今は彼の元を訪れたエリュティアの傍らでその表情が和らいでいた。彼自身が神の代理人として神格化された存在であるために、姪と呼ぶことはできないが、血のつながりで言えば間違いなく弟の娘である。国家が醜く利害を争う情勢の中で、この少女の純潔さが神帝を癒すのである。
「残念なことだ。それでは、帰国するというのかね」
「はい。父の命であさっての朝、シリャードを発つことになりました。今日はお別れのご挨拶に」
「そうか。では、アトラス王子との婚礼の儀はいかがした」
「父や教師のドリクスは、アトラス様が救国の主レトラスではなかったと申されます」
「それは気が早い。あの者ならこれからレトラスに育つかも知れないものを」
「私はアトラス様ではなく、これから現れるレトラスに嫁ぐ運命なのだと」
エリュティアの言葉に神帝は口を閉ざして、哀れみがこもった優しい視線を彼女に注いだ。
(なんと、周囲の者どもの受け売りではないか。この無垢な少女は周囲から言われるまま自分の運命をゆだねようとし、そんな自分に疑問を感じても居ない)
神帝はそんな心の内を出さずに、優しくささやきかけた。
「そなたに愛の神の輝きが訪れるように。」
一礼して、部屋から下がるエリュティアを神帝は見守り続けていた。ただ、エリュティア自身の心情を明かせば、シュレーブ国の王宮で慈しまれながら育った境遇が、突然に目の前の扉が開くように遠く離れた他国に嫁ぐ、突然に開けた新たな境遇に不安ばかりを感じていた。その扉が再び閉ざされて、ぬくぬくとした生暖かい子宮に戻った。彼女はまだその幼い殻を脱ぎ捨てて、新たな運命と向き合う決意は持ってはいなかった。




