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エキュネウスとの出会い

「明日、聖都シリャードを発って帰国する。舘の者どもにそう伝えよ」

 リダルは帰宅途上、帰宅の時も待たずに部下にそう命じて、舘へ走らせた。蛮族の兵と刃を交えると宣言した以上、母国に戻り、兵を整えて聖都シリャードに戻る必要がある。それは蛮族に悟られるより早いほうがよい。

「申し訳ございませぬ」

 忙しく周囲に指示を飛ばす父親に、アトラスはそんな短い言葉をかけた。議会で分別を失った自分が余計なことを言ってしまったと後悔している。父親は息子の謝罪の言葉の意味を解しかねたように首を傾げかけたが、その意図を察して答えた。

「かまわぬ。どうせ、蛮族どもとは一戦交える腹づもりであった。お前は、ただその先駆けとなっただけのこと。誰か王子の馬を曳け」

 リダルは従者にアトラスの馬を曳かせることで、アトラスが馬を下りるのを促したのである。意味も分からないまま馬を下りたアトラスにリダル王は語りかけた。

「まだ日は高い。聖都シリャードの見納めに、町を見回ってくるがよい」

 リダルは息子の気分転換に散歩を薦めたのである。路地が多いこの町では、町の雰囲気に染まりつつ散歩をしようとすれば、馬ではなく徒歩の方が都合が良い。アトラスが王族の生活の中で、心に深い悩みを抱えているらしい。希代の戦術家のリダルは、その観察力で息子が悩んでいることにも気づいていて、わずかな時間だが、息子の心を堅苦しい身分から解放してやろうと考えたのである。ただ、外見にはその優しさは見せず、息子の決意を促すように言い放った。

「次に聖都シリャードに戻るのは、我らがアトランティスの解放者として凱旋するときである」


 リダル一行の後ろ姿を見送ったアトラスは、一人の女性の記憶をたどるように彼女の口調までまねて一人呟いた。

「道を辿ってもダメよ、迷うだけ。水路の幅が広くなる方に向かいなさい」

 言うまでもなく、フローイ国王女リーミルと初めて出会ったときに、彼女から教えられたことである。彼女の教えを守っていれば、狭い路地が入り組んだ町を歩き回っても道に迷う事はあるまい。父の配慮か、リーミルの記憶か、どちらが原因かは分からないが、この時のアトラスは、濁りのない純朴な田舎青年の姿を取り戻していた。道に迷ったという焦りや後悔に乱されずに眺めたこの町の雰囲気は、アトラスが生まれたルージ国のどの町とも違う活気に満ちていた。このシリャードは、都市国家という体裁を取っているが、その領地といえるのは、城壁で囲まれた地域のみである。その中に、人口は一万人を超えるという、この時代、信じられないほどの人々を抱え込んだ大都市でもある。神帝や六神司院に仕える者どもを除けば、領民は素性の知れない他国からの流れ者も多い。塩や穀物などの物資を販売する者たちの市、鍛冶屋や機織り、洗濯屋など以外に、娼婦がたむろする宿屋や、ばくち場に隣接する酒場など、雑多な店と雑多な人々であふれかえっていた。


 アトラスはそんな混沌とした雰囲気の中を、半ば好奇心、半ば驚きの心地で人々の波をかき分けて泳ぐように歩いていた。突然に、町の雰囲気が凍り付くように女の悲鳴が響いたかと思うと、売春宿から娼婦らしい女が転がり出してきた。続いて拳を振り上げて男が出てきたために、女はこの男に殴られて、宿の外に放り出された事がしれた。別の娼婦が地面に転がった仲間をかばうように身を挺して先の女に覆い被さった。女に拳を振り上げている男と、続いて出てきた男がわめき散らす罵声は、アトランティス人と異なる蛮族タレヴォーの言葉である。続いて出てきた三人目の男を追うように、一人の女が怒りを露わにして出てきた。脣に血を滲ませ頬に殴られたような痣がついているが、女は怯む様子がなかった。

「ゲスの蛮族タレヴォー野郎どもは、女の扱いも知らないのかい?」

 女が罵声を浴びせた男たちの服装はシリャードに駐留するアテナイ軍の兵士に間違いない。兵士たちは民衆に理解できない異国の言葉を怒鳴り散らした。娼婦たちは兵士に侮蔑の言葉を返し続けた。

「女を買って、払う金も無いってのかい? 」

 そんな娼婦の言葉で、アトラスにも状況が飲み込めた。アテナイ軍の兵士が女を求めて売春宿にやって来て、行為に及んだものの、女の体の代価の支払いの時にトラブルが起きたということである。腕力で兵士にかなうはずのない娼婦たちは、救いを求めて周囲の人々を見回した。街路を行き交う人々は、その状況に興味を示しながらも距離を置いて関わり合いになるのを避けていた。

 このシリャードの治安は三百名の僧兵とその配下の役人が取り仕切っているが、占領軍としてのアテナイ兵が引き起こす犯罪について、後難を恐れて目をつむり耳をふさいでいた。この場合、アテナイ兵とトラブルになった女たちを救う警察組織は無いに等しいのである。この時に、アトラスが哀れな女たちの目にとまった。人々の輪に混じりながら、アトラスの目は他の人々と違って、アテナイ兵に対して恐れを感じさせないのである。

 

 同じ頃、シリャード中央のアテナイの砦から、エキュネウスが十人ばかりの兵士を率いて駆けだした。城壁に近い一角の売春宿で、兵士が町の人間相手にトラブルを起こしていると聞きつけたのである。戦勝国の占領軍とはいえ、このアトランティスの大地で侮蔑や反感を買っている。その中心のシリャードで暴動でも起きれば、アテナイの二千の兵士では対処できなくなるかもしれない。アテナイ軍が密かに恐れる状況である。そのため、砦以外の場所での酒や女遊びを固く禁じてはいるが、時に今回のように羽目を外してトラブルを起こす者どもがおり、軍律に照らして厳しく罰せねばならないのである。

 

 エキュネウスと部下が現場に到着したとき、アテナイ軍の兵士三人は、血まみれで地面に転がっていて、その傍らに血に染まった抜き身の長剣を持ったまま一人の青年が立っていた。二人の兵士の剣をたたき落として戦闘不能にし、最後に残った兵士に止めを刺そうとしている姿である。もちろん、その青年はアトラスだが、この時、二人は互いに相手の名も身分も知らない。アトラスの足下に転がっているのは、一般の兵士とはいえ、実戦を切り抜けてきた猛者揃いである。その三人を相手に切り結んで負傷している様子がないというのは、この青年アトラスが剣に練達している様子が伺いしれた。

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