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聖都シリャード

 聖都シリャード。アトランティス九カ国を束ねる都市国家として宗教と政治の中心地である。その南にルードン河が流れている。時に、対岸の歓楽街を南聖都と揶揄することもある。信仰の中心地でありながら、聖都シリャード人々の生活が、酒や博打や娼婦と切り離せないことを皮肉った言葉である。

 ルミリアの神殿やアトランティス議会はシリャードの北側にある。中央の神殿から半径二ゲリア(約1.6km)の位置をぐるりと城壁に囲まれていた。聖都シリャードはその城壁の東西南北に城門があり、城兵が駐屯して不審者の出入りを制限している。南のルードン河に面する方角には入り江に桟橋があって、大小いく隻もの船が係留されていた。

 エキュネウスたちアテナイ兵の一隊がたどり着いたのは、シリャードの東門である。その門でエキュネウスたちはこの国の情勢の一端を眺めた。城門の外に面した詰め所にいる兵たちは、装備から見てこのシリャードを守るアトランティスの僧兵に違いない。不審者を排除する任務を背負った彼らは、エキュネウスたちアテナイ兵一行に憎しみや侮蔑の視線を送りながらも、通行を妨げることはなかった。門の内側にもう一つの詰め所があり、詰め所から顔を出した兵士は、エキュネウス一行に懐かしい故郷の香を感じ取って歓喜の表情を浮かべた。アテナイ軍の衛兵の詰め所である。この都市が外部にアトランティス人、内部には占領軍たるアテナイ軍の2重の支配を受けているという光景である。

 詰め所の指揮官は同胞の姿に喜びは見せたものの、視線を忙しく動かして人数を数えていた。エキュネウスは内心苦笑いをした。彼が本国から率いてきた兵は八十人ばかりである。アトランティス大陸に流れる不穏な空気は、エキュネウスの叔父でアテナイ軍司令官エウクロスによって本国に伝えられてはいたが、エウクロスが再三にわたり求める増援を、本国では拒否し続けていた。

 拒否の理由はギリシャ人たちの複雑な状況を物語るように幾つもある。まず、主力のアテナイでさえ、後世に繁栄を誇る都市国家に育つのはまだ数百年も先の話である。この時期のアテナイはギリシャに住むイオニア人の一部族がアテニス王の下で作り上げた小規模な王国に過ぎない。周辺の同盟国の軍勢を集めても、その兵士の動員力は四千人にも足らないのである。ただ、そんなアテナイのような小規模な国や部族が集まって、数万人のアトランティス軍の侵攻を防いだ。この人々の連帯感や勇敢さは比類無い。しかし、戦闘が終われば元の小規模な部族集団である。互いの思惑や小競り合いがあり、一つに纏まることがなく、アトランティスを征服するほどの兵力はない。

また、アトランティスから得られる物がないということは、アトランティスに兵力を割くよりも、隣の部族を侵したり、鉱山開発や通商に力をいれる方が、それぞれの部族の長にとってよほど魅力的に見えるのである。アトランティスからの侵攻を監視する役割の兵士たちの必要性を認めながらも、どの部族も兵を出したがらないのはそういう理由である。 エキュネウス一隊は、詰め所で案内の兵をつけてもらってシリャードの中を歩んだ。

「まだか? 」

 歩き続けてたまりかねたように、エキュネウスの副官が案内者に尋ねた。城門からずいぶん歩いたが、シリャードの中央部にあるアテナイ軍駐屯地に着かないのである。その間、景色は入れ替わったが、豪華な景色と人の多さに圧倒されて具体的な光景を記憶できない。歩く距離の長さのみ増幅されて、この案内者が道を見失って、同じ所をぐるぐると回っているのではないかと思ったのである。

「まもなく」

 案内者の言葉に自信があり、導く足取りにも迷いがない。そんな様子にエキュネウス一行は改めてこのシリャード巨大さを心に刻んだ。後にアテネという都市国家を築いて繁栄を誇る人々だが、この時期はアトランティスという国に畏怖するのみだった。やがて一行を新たに驚かせたのは、堀と言っても良い水路に架かった橋を渡った直後、大きく開けた視界に巨大な建築物が見えたことである。案内者がその建築物を指して言った。

「アレがアトランティスの神官が集うロゲルスリンの館、その後ろの巨大な神殿がアトランティスの者どもが信仰する真理の神の神殿です。ロゲルスリンの館に隣り合っているのがアトランティスの王どもが集う議会ですよ」

「それで我が軍はどこに? 」

 エキュネウスの問いに案内者は右側を指し示し、エキュネウスらはその意外さに息をのんだ。左に立ち並ぶほど壮大な建築物はないが、この広場を囲む水路の北に架かる橋の向こうがぐるりと塀で囲まれていて、塀の向こうにアテナイの軍旗が見えた。この一角からでは全容を推し量ることが出来ないほど広大な区画に、二千の軍勢が詰めているのである。彼らは北の橋を渡り、駐屯地に入った。空気が違った。アトランティスの大地でここだけは小規模なギリシャの香りが漂っていた。


「おおっ、エキュネウス。よぉ来た」

 アテナイ軍司令官のエウクロスは甥を抱きしめ、甥の背中を叩いて歓迎の意を表した。

「叔父上も、ご健勝の様子、安心いたしました」

 エキュネウスの本音である。しかし、彼はやや首を傾げている。肉親として叔父が元気な様子でいるのはありがたいことだが、それ以上に、エキュネウスはアトランティスに上陸後、ルードン河沿いの街道を辿る旅でこの大陸の国力に畏怖した。

 母国では先の侵略は撃退したが、次の侵略があるのではないかとまことしやかに囁かれていた。たしかに、アトランティスはその余力を持っているように思われたのである。そんな大陸の中央に僅か二千の兵で駐屯している叔父は憔悴しているはずだ。ところが、叔父の顔色は思いの外、良好だった。エキュネウスはその意外さに首を傾げる間もなく、理由を知ることになった。見慣れぬ風体の男が入ってきたのである。

 司令室に入ってきた男は見慣れないエキュネエウスを一瞥して口ごもった。男が警戒する様子に、エウクロスは男にエキュネウスを紹介した。

「よい。これはエキュネウス、我が甥だ。いずれこの者にも話さねばならぬ」

 しかし、来訪者はエキュネウスに名のらない。

男は周囲に警戒を隠そうとしないまま、エウクロスの耳の側で囁くように言った。

「例の件、日取りが決まりましたゆえ、お知らせに参りました」

「ほぉ」

「六日後の早朝、決行いたします。いささか騒がしゅうなりますが、よろしくご配慮下さいますよう」

「お任せあれ、もとより治安維持は我らの任務にて」

 そんな返答を受け取った男は一礼して部屋を去った。僅かな時間の出来事で、男が部屋から姿を消してみると、エウクロスは先ほどの会話がなかったかのように泰然とした姿勢である。

 エキュネウスは問うた。

「あれは? 」

六神司院ロゲルスリンと言うてな、アトランティスの国々を統べる神帝を支える者たちだ」

「そのような者が何故、我らと通じようとするのです? 」

「欲さ。この大地は欲でどろどろに熟しておる」

「欲?」

「奴らは己の欲望を神の神託と称して、アトランティスを操っておるのさ。そんな連中が邪魔者を排除するのに、我らを利用しようとしておる」

「それで、各国の国王や国王を統べる神帝は黙っているのですか? 」

「その辺りが奴らの巧妙でずるがしこい所よ」

「さきほどの者が言った六日後に決行するというのは何が起きるのですか? 」

 エキュネウスの質問にエウクロスはにやりと笑って直接的な回答を避けた。

「それはおいおい分かること。お前もこのアトランティスの情勢をよく学ぶことが出来るだろうよ」

 エウクロスは意味深に笑った。

着任の挨拶を終え、率いてきた兵を兵舎で休ませ、この日の日程を終える頃になると、すでに日は落ち、アテナイ軍の駐屯を闇が覆っていた。

「小気味よい光景でしょう」

 カルトレオスは前方の闇を指し示してそう言った。まだこの都市に不案内な甥のために、エウクロスがつけた新たな副官である。確かに、エキュネウスに侍る副官の言葉通り、明るく燃え上がるかがり火に背を向けて闇に眼を慣らしてみると 駐屯地の塀の上に、アトランティスを代表する壮麗な建築物が黒い空の中でより漆黒に浮かび上がって見える。この大地を支配しているという感覚を味わうことが出来る光景である。

「しかし、アトランティスの兵どもはどこに居るのだ? 」

 そんなエキュネウスの疑問に、背後から現れたエウクロスが答えた。

「ここは連中にとって聖域。軍勢が踏み入ることは許されぬ。居るのは神帝の警護の僧兵三百のみに過ぎぬ」

「では、残りの軍勢は何をしているのですか? 」

「この大陸には九つの国がるのは知っておろう。その軍は互いに他国に向けて牙を研いでおる。我らギリシャ連合軍に対する憎しみの眼が我らに向いているように見えるが、我々が居なければ奴ら野獣は口を開けたとたんにその牙で隣国の喉元を食いちぎっているだろうよ」

「僅か二千の我が軍勢に、彼らが挑まぬのはいかなる理由ですか? 」

「我らが戦えば、このシリャードは破壊される。シリャードを中心に纏まっていた奴らはばらばらになり互いに争うしかない。我らギリシャ連合軍を除けば、この大地は再び互いに争う戦乱の嵐に飲み込まれる。多少なりと知恵と欲がある者は、それを悟って我が軍勢の駐留を見て見ぬふりをしておるのよ」

 この大地の有様の複雑さに黙りこくって首を傾げたエキュネウスに、昼間出会った少女の面影が浮かんだ。この混沌とした世界で、じっと何かを見定めようとするひたむきな視線。エキュネウスは甘く切ない思いに胸を押さえた。


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