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アトラスとエリュティア

 アトラスはそんな背景に沿って、紹介されたエリュティアに面会するという形を取っている。シュレーブ国から使わされた案内人、側近のザイラス、それから荷物持ちの下僕1人を伴っただけの軽装でシュレーブ国王の館へ歩んでいた。

「エリュティア様という方は、どのような方なのだ?」

 アトラスの質問にザイラスはアトラスの心境を察して答えた。

「エリュティア様は、オタール様がシュレーブ国王を退位されて神帝の座に就かれた後、シュレーブ国王の座に就かれたジソー王の一人娘であらせられます」

 ザイラスの見るところ、アトラスは落ち着かずこれからの出会に緊張を隠せないのである。

(王子と側近というより、まるで兄弟のようではないか)

 案内に付き添ってきたシュレーブ国の使者はこの二人を眺めてそう思いつつ、先に見えてきた館に手を差し伸べて言った。

「さあ、エリュティア様は、あの館の庭園で王子のお越しをお待ちです」


 同じ頃、エリュティアはシュレーブ国王の館の庭園のベンチに腰を掛けて、小首をかしげていた。

「アトラス王子は、本当にレトラスのごとく、アトランティスに遣わされたのでしょうか?」

 エリュティアはそう疑問を投げてはいるが、半ば幼児が物語の英雄に憧れるようにその存在を信じている。

(そんな虫のよい話が)

 侍女頭のルスララはそう思いつつ、エリュティアの思いを否定しきれずにいる。シュレーブ王の館の敷地にある離れの間に、間もなくアトラスを迎えるのである。


 シュレーブ国王ジソーは、自ら館の門にアトラスを出迎え、自ら王の執務室に招き入れた。国としての儀礼ではないという体裁を取り繕う必要がある状況では、最大限の好意の演出と言える。

「お招きいただいて、参上いたしました」 

 儀礼的な挨拶をし、贈り物を捧げるアトラスに、ジソーは機嫌良く笑いかけた。

「エリュティアは庭園で王子のお越しを待ちこがれておりますぞ」

 ジソーは傍らのドリクスに目配せをし、賓客を庭園に案内するように命じた。ただ、その視線は注意深くアトラスの左手首に移動した。あの見事な銀細工はフローイのものだろうと見当をつけたのである。ドリクスが頷いたが、案内せよとの命令に対してなのか、王の推測についてなのか、判別がつかなかった。

 ドリクスは王と賓客に軽く一礼をして、アトラスを案内するように歩き始めた。


 広い庭園の中央が小川を模して水が流れる溝で囲まれて、自然の中の庵を演出していた。庵は膝の高さほどに組んだ木枠に囲まれ、木枠には蔓草が絡んで緑の壁面になり、その壁面は随所に小さな白い花を満開に付けていた。サーフェと呼ばれる植物で、シュレーブ国北方の山岳地帯から移植した物である。

 日当たりの良い庭園には、花の蜜に引き寄せられた蝶が舞っていた。穏やかな微笑みを浮かべたエリュティアが、柔らかな曲線を持って腕を伸ばして蝶と戯れていると、明るい風景にとけ込んで、花の精か蝶の精にも見えた。アトラスはまぶしげに少女に歩み寄った。

「エリュティア様ですね。お初にお目にかかります。ルージ国のアトラスと申します。お招きに預かり、参上しました」

 アトラスの挨拶は緊張感を隠すように慎重で、それに応じるエリュティアは無邪気な戸惑いを隠していない。彼女はやや膝を曲げうつむき加減にお辞儀をして言った。

「エリュティアと申します。お目にかかれて光栄でございます」

「美しい庭だ。シュレーブ国がアーヴィラの祝福を受けているのが分かります」

 アトラスは庭園を眺め回しながら美の女神アーヴィラの名を挙げてその調和を褒めた。戸惑いを隠すためか周囲に気配を配るように視線を移動させているのは、少し首をかしげて、じっとアトラスの目を直視するエリュティアの視線を避けるためである。二人の初めての出会いは、その光景に象徴された。

 儀礼的な挨拶を交わす二人を、エリュティアの教師のドリクス、アトラスの側近のザイラスが、王女と王子から距離を置いて庭園の入り口に控えて眺めていた。ザイラスの見るところ、人の好意と偶然を装って仕組まれた出会いが白々しく、その舞台にいるアトラスとエリュティアは互いに自分の意志を持たないまま、周囲の人々の意に沿うよう演技が要求されていた。その二人が同情を誘う。二人が成長し幼い殻を脱ぎ捨てて本当の出会いを果たすのに、まだこの後、二年以上の月日を要するのである。


 ルージ国では、アトラスには女性にまつわる噂は皆無だった。父親の歓心を買うことが常に彼の頭の片隅にあり、武人として女性を遠ざけてきたばかりではなかった。彼の傍らには、蛮族の女に夫の愛を奪われたと嫉妬する母の存在があり、男女の色恋沙汰には密かに嫌悪感を抱いていたのである。

 ところが、周囲の人々の思惑で、妻に迎えることになるであろう女性と突然に引き合わされた。この種の経験の浅いアトラスには、洗練された愛の言葉など持っているはずがない。アトラスがまとった小賢しい誇りはアトラスに愛の言葉ではなくて政治の言葉を口にさせた。

「私はルージ国の代表として、エリュティア王女をお迎えに参りました。」

 アトラスの言葉にもかかわらず、エリュティアの興味は無邪気で、目の前の男性が本当にアトランティスの救世主かどうかと言うことである。

「それがアトランティスを救うことになるのですか?」

「アトランティスを救うですって? いいえ。まずこの大地に覇を唱え、自らの意志を意志を行き渡らせるのです。この剣にかけて」

「ならば、貴方はすでに剣をお持ちだわ。私は必要とはされていません」

「お分かりですか。私の国ルージと、あなたの国シュレーブが手を携えれば、このアトランティスの覇権を握れるのですよ」

 アトラスはそう言った。子どもの頃から父の歓心を買うために大人びた武人の姿をまとってきた。しかし、昨日、リーミルによって子供じみた一面を露呈して、アトラスの薄っぺらな誇りが傷ついていた。その反動かもしれない。アトラスはエリュティアにそんな大人びた言葉を投げかけたのである。ただ、その内容はリーミルの言葉の受け売りでしかない。

 エリュティアは素朴な疑問を口にした。

「アトランティナ(アトランティス人)は、幸せになれるのですか?」

 アトラスは口ごもった。最初に発した言葉自体、いわばリーミルからの借り物で、アトラス自身は自分の考えを持たなかった。エリュティアの問いは素朴だが、アトランティスという規模の視野にあり、アトラスの小さな思考をゆったり包み込んでしまっていた。そのことが、アトラスに自己の矮小さを自覚させて彼の小さなブライドを傷つけた。彼は心の整理が着かぬまま、頭の中から武人の言葉だけを選び出して口にした。

「アトランティナの幸福ですって? 私の意志は私の剣にのみあります。必要なら剣を血で浸し、私の全身に敵の返り血を浴びようと、必要な物は戦い取ります」

「多くの人々が死にます」

「幼いことを! 人の死など当然のこと。勇者の死の上に幾多の国が築かれてきたのではないですか」

「幸福が死の上に築かれるなんて。それが真理の女神(ルミリア)の意志とは思えません」

 そう答えた次の瞬間、エリュティアは小さく悲鳴を上げた。アトラスが彼女の腕をとり、かき抱くように顔を近づけたのである。王族の姫に対する行為としては、強引で無礼な態度に違いなかった。エリュティアは予想もしないアトラスの態度に怯えを見せた。

「エリュティア様。私の妻となって、この大地を真理の女神(ルミリア)の名の下に治めればいいのです」

「審判のジメスに誓って。真理の女神(ルミリア)から遣わされたレトラスなら、そんな思い上がったことは口にはしないでしょう」

 そう言ったエリュティアはぎごちなく身を交わしてアトラスと距離を置こうとし、アトラスはそれを止めて、エリュティアの手を引いて言った。

「審判のジメス? 私は誰かの審判を受ける気はありません。人の運命は人が切り開くのです」

 この時、二人から距離を置いて控えていたザイラスが、見かねるように王子に歩み寄ろうとしたのだが、ドリクスはその腕を取って、首を横に振り、ささやくように言った。

「運命のニクススの御心のままに」

 ザイラスの位置からアトラスとエリュティアの会話は聞き取れないが、アトラスの行為がやや乱暴なのがわかる。他国の姫に礼儀を失しているのではないかというザイラスに、エリュティアの教師ドリクスは、二人の関係を運命のまま任せるようにと言うのである。ドリクスの言葉にザイラスは無言で頷いたが、納得したわけではなくアトラスの軽率さを注意するような視線を注いでいた。そんなザイラスとドリクスの様子に気づかないまま庭園の中央ではアトラスとエリュティアの会話が続いていた。

 エリュティアはアトラスに腕を捕らえたまま言った。

「死を見るのは嫌です。ルミリアが死を喜ぶとは思えません」

「人の命など、羽毛も同然の軽さ。人が成し遂げたものにこそ、神が喜ぶ価値があるのではないですか」

 話が同じ所を巡って、二人の意志は噛み合わず会話がとぎれかけた時、ドリクスがにこやかに手を叩いて二人に歩み寄った。ザイラスは人の呼吸を読むようなドリクスの絶妙のタイミングに感心した。たしかに、面会を終わらせるには絶好のタイミングに違いない。

「時には距離と時間をおく方が、愛する男女を結びつけるとされています」

 ドリクスはさりげなくアトラスの手をエリュティアから振りほどいて言った。

「近々、本日のご訪問の返礼に参る所存です。お二人のお話は機会を改めて」

 今日のアトラスの訪問と贈り物の返礼に、時を変えてエリュティア側からもアトラスを訪問するというのである。エリュティアはドリクスに促されるまま、アトラスに別れの一礼をして静かに背を向けた。ドリクスは手を叩いて合図をし、侍従を呼び寄せてアトラス主従に言った。

「では、この者に館の外まで案内させましょう」

 アトラスとザイラスはドリクスの言葉に頷いた。エリュティアとアトラスの初めての出会いはこうして終わりを告げたのである。



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