入り乱れる策謀 六神司院(ロゲル・スリン)の影
聖都シリャードの大通りを、リーミルが乗る輿を四人の屈強な担ぎ手が運んでいる。人々はその紋章でフローイ国の貴族が乗っていることを察して道を譲っている。その輿が行き止まりの路地に入った。両側はこの聖都シリャードにあるグラト国とヴェスター国の王家の館だが、高い塀に遮られて人の目が行き届きにくい。
「首尾はいかがでしたか?」
「上々よ。ちゃんとアレが私の物だって言う印は付けたから」
侍女の問いかけにリーミルは機嫌良く答えて、御簾で周りを覆われた輿を降りた。すでに昨日、アトラスと出会った時の気さくな町娘の衣類を身につけている。アトラスへの表敬訪問が終わった。ルージ国王の館を出てから、一ゲリア(約800メートル)ばかり移動し、街路の曲がり角をいくつか曲がって、もはやルージ国王の館は見えない。ここまで来れば堅苦しい儀礼を気にする必要はあるまいと思うのである。リーミルは侍女を自分の代わりに輿に乗せてその場を去らせた。輿という乗り物は移動の速度にしても、気まぐれにうろつくという点でも、彼女の性格に合わない。
突き当たりの水路に背を向けて、この行き止まりになった通りを出れば、すぐに活気のある商店が建ち並ぶ大通りである。彼女はそちらを向きながら、ふと足を止めて考えた。
(なんとまぁ、無邪気なこと)
アトラスの顔を思い出したのである。素直すぎて操るのに気が引ける。利用価値は大きいというのがリーミルがアトラスという人物を測る尺度だったはずだ。その尺度に、思い出せば微笑みたくなる素直な好感が混じり始めていた。
(でも……、フェミナと言ったかしら、)
彼女は出会ったこともない弟の婚約者の名を思い出して状況のややこしさを考えた。彼女の弟はシュレーブ王家に連なる貴族の娘を娶る。祖父のボルススはこの大陸の中央の大国シュレーブ、東の島国ルージを天秤にかけているのである。リーミルも弟のグライスもその天秤の分銅に過ぎない。
名目上の政治体制に過ぎないアトランティス議会もあと数日で閉会する。リーミルの弟のグライスは今はフローイ本国で祖父の代理人として国を治めているが、アトランティス議会の閉会の後、ボルススは帰国して、シュレーブからフェミナを迎えて孫のために盛大な結婚式を執り行う。両国の絆を見せつける盛大な式になるに違いない。
(では、私とアトラス王子は?)
考えてみれば、リーミルのアトラスに対する好意は男女の愛情かどうかは疑わしい、政略結婚をさせられるならアトラスという男で妥協しておこうということかもしれないし、アトラスという獲物を横から掻っ攫われたかのようなエリュティアに対するライバル心かもしれない。
考え事をしながら歩くリーミルは、ふと、自分に向けられた不審な視線に気づいた。周囲を見回せば、ここはシリャードの中心部である。左側にアトランティス議会の議事堂、右側に六神司院と呼ばれる、神帝に直接仕える最高神官たちが集う館がある。この辺りに参拝者以外の一般市民が姿を見せることは少なく、町娘の姿でフードで顔を隠すリーミルは町の警護の衛兵どもから不審者という視線を浴びていたのである。
「最高神官どもは、よう臭う」
謀略家のボルススが悪臭に耐えて鼻をつまむまねをして、そう称したことがある。ボルススらは国を運営するために謀略を張り巡らすが、それは政治的な駆け引きに近い。六神司院を構成する六人の最高神官は、自らの権力や富のために、陰湿な手段を用いて政敵を排除しているのである。神帝を通じて神を奉じるべき神官が、欲望にとらわれて腐り果てている。
リーミルはこんな場所には興味はなく、退散することに決めた。
(きゃっ)
くるりと身を翻したリーミルは小さく悲鳴を上げた。足早に、しかも足音も立てずにやってきた男とぶつかってしまったのである。リーミルの悲鳴と同様に、男も舌打ちに混ぜて、小さく何かの悪態らしき言葉を吐いた。リーミルはその言葉やアクセントに全く聞き覚えがなかった。
立ち去ってゆく男は、リーミルにはかまわずに六神司院の館の通用門へと姿を消した。リーミルは、あの男が漏らした僅かな言葉から、あれがアテナイ人ではないかと考えたのだが、首を横に振って疑念を打ち消した。いくらなんでも、アトランティスの議会を運営する神官どもが、異境の蛮族と通じているとは思わなかったのである。