9.優しい夜と懲りない朝
アディーと一緒に叱られました。雷が落ちました。ついでにデコピンも貰いました。
うぅ地味に痛い…。
ちなみにアディーとは、叱られ仲間・昨日の敵は今日の友・心の友・同志と言っても過言ではない、一緒に遊んだ灰色の女の子のことよ。
叱られ途中だったから確認できたのは名前だけ。
今は私に大きな体をピタリと寄せて、心配気にこちらを見上げている。
『怒られちゃったね。でも楽しかったね。私は大丈夫よ。』という気持ちを込めて頭を撫でてあげると尻尾で応えてくれる。
可愛いわぁ。最初の恐怖感が嘘のようよ。
「さあ、まだ真夜中だよ。もう一度ベッドに入って。」
まるで子ども扱いだ。
でも、もふもふの魅力に負けて自制が効かなかったなんて、子供そのものよね。
反省反省。全く今日は何度目の反省だろう。
コールリッジ先生は、毛布に潜り込んだ私の体温や脈を診て問題ないと判断した後も、引っ張り出した椅子に座ったままで、私が眠るまで見張ることにしたらしい。
「アディーはどうする?いい子に出来ないなら、外に出すよ。」
アディーも子ども扱いだ。ふふふ。お揃い。
アディーはそれに返事でもするように『クゥゥ、ウォゥウォゥー。』と、もごもご鳴くとベッドの脇に寝そべったようだ。
ベッドに入った私には死角になって見えないのだけど、雰囲気とコールリッジ先生のため息でそう判断してみた。
アディーの優先順位が私に傾いたみたいで、なんか嬉しい。
毛布を引っ張って口元を隠してみたけど、ニヤニヤが止まらない。
でもこれ以上叱られたくないから、誤魔化すようにギュッと目を瞑ってみるが、一向に睡魔は訪れなかった。
そのまま三百数えて薄目を開けると、月明かりの中、窓の外を眺めるコールリッジ先生の姿が見えた。
真夜中と言っていたが、先生は薬衣のままだ。まだ仕事中だったのかな。
さっき病室に入ってきた感じだと、外から帰って来たかのようだったし、どこかに行ってたのかも。
「先生。」
「なんだい?眠れないなら子守唄でも歌おうか?」
子ども扱いパワーアップ。でももう怒ってはいないようだ。
「…大丈夫です。」
先生の子守唄か。怒ると更に低くなる声は、今は昼と同じように柔らかく落ち着く声音。
そんな声で歌ったら、どんな風に聞こえるんだろう。
かなり魅力的な提案だけど、本気で言っているわけでもなさそうだし、それよりも今は聞きたいことがあるから、是非、別の機会でお願いしたいな。
「あの、アディーは何故病室にいたんですか?」
普通、病室に動物って禁止だと思うのよね。
なのにアディーに対して遊んでいたことを叱っても、ここに居る事は認めている様で、良く分からなかったの。
「あぁゴメン、説明してなかったね。今日はオレも不手際が多いね。」
コールリッジ先生は、たった今気付いたという表情の後、目を瞑って米神を指先で押しながら、そう呟いた。
先生って自分のこと”オレ”って言うのね。”僕”って言いそうな雰囲気なのに。
「アディーは介助犬としての訓練を受けていてね、患者さんによってはアディーと一緒に居てもらうこともあるんだ。」
『なかなか優秀なんだよ。』と、ちょっと誇らしげに続ける。先生の視線の先に居るはずのアディーは今、どんな表情をしているんだろう。
「一刻前に緊急連絡があってね。昨日は通いの薬師ばかりだったから、その時間に直行できるのがオレとグレイス先生だけだったんだ。言い訳になっちゃうけど、状態も安定して良く眠っていたから、オレたちの代わりに見守りとして置いて行ったんだ。だけど目が覚めた時に大きな犬がいたら、そりゃ驚くよね。」
驚いたし、ベロベロ攻撃にあって大変だったと伝えれば、『患者さんにじゃれ付いた事なんて、今まで一度もないよ。』と驚いたように返される。
「どうして遊んじゃったんだい?アディー?」
先生が優しく声をかけるが、返事はなかった。一足早く眠ったのかもしれない。
「先生、急患の方は?」
「ああ、大丈夫だよ。公園通りの飲み屋でひと騒ぎあっただけでね。こちらに連れて来るほどでもなかったし、グレイス先生も間もなく帰ってくるよ。」
薬局長はまだお留守でしたか。
「さあ、もうお休み。続きの質問は明日にね。」
質問の強制終了により、もう一度目を瞑って、今度は七百数えたあたりで記憶があいまいになった。
意識を手放す間際に、コールリッチ先生の呟くような掠れるような声が子守唄を紡いでいる様な気がしたけど、願望が招いた幻聴だったかも。
翌朝は、アディーに話しかける薬局長の声で目が覚めた。
アディーにご飯の時間だと知らせに来たようだ。
昨夜の優先順位は私が上だったはずなのに、今朝はご飯以下に下がったようでカカカカと床に爪音を響かせてあっという間に出て行った。
「おはようございます。」
洗面器に水差しから水を注いでいる薬局長の後ろ姿に声をかける。
「おはよう。顔色は良いわね。お腹の調子はどう?」
薬局長はワゴンでの作業を中断して、振り向きつつ聞いてくる。
今日は薬衣を着こんでいるから、仕事体勢は万全なようだ。
夜中から今朝までは、お陰様で不調で目が覚めることは無くて、そう伝えれば
「今、お腹が空っぽだからよ。調整水だって飲みすぎれば途端に昨日の二の舞だからね。まだ治ったわけじゃないのよ。」
と説明される。
実は結構お腹が空いてるんですけどね…。
洗面器で絞りなおした布を渡されて、顔を拭く。
もちろん夕べの布はコールリッジ先生に回収されてるので、今使ってるのは新しい布ですよ。
「顔を拭いたらこれね。朝食代わり。」
そう言って渡されたのは、ちょっとだけ味が濃くなった調整水。
がぶ飲み禁止令が出てるから、ちびちび飲む。
空腹には結構堪えるよ。早く形あるものが食べたい。
「次はこれ。」
そ、その色は!その色は何ですか?
赤黒い色の液体。口の端から垂れたら、血でも滴らせているように見えるかもしれない。
「今朝のお薬は、また昨日と一味違うわよ。」
一味違うとか、そんな風に味を変えて頂かなくて結構なんですけど。
無味、苦みときたら次は辛みかなぁ。刺激物って胃に悪いんじゃないかしら。
「ほら、量は大したことないんだからググッといって。」
女は度胸。マール飲みます!
………っん!?
塩水!!しょっぱいにも程がある!!
辛いか苦いかだと思って構えていたら、もの凄くしょっぱくて、咽そうになったけど、吹き出すなんて無様な真似はできないと女の意地で飲み干した。
「塩分濃度は高くないんだけど、何故かしょっぱいのよね。」
そういうことは、早めに教えてください。
水かなんかで薄めてくれればいいのに。と思ったら
「薄めるとね、量が多くなるから胃腸に負担がかかるのよ。」
と質問する前に返された。
「ふふ、じゃあ口直しに。」
薬衣のポケットから飴のようなものを取り出してくれたのだけど、ほんとに飴かしら。
「ただの喉飴よ。」
薬局長すごいです。全て私の表情だけで会話が成立してますよ。
そうしている内に夜間以外は基本的に全開にしておくらしい病室の入り口から、カカカカという音と共にアディーが戻って来た。
アディー、朝食を終えたのね。
美味しいもの食べたのね。