7.一難去ってまた一難?
喉が渇いて目が覚めた。
昼間聞こえていた生活音は静まり、私ひとりきりの病室は静寂で満たされている。
ベッドを囲むカーテンは、病室内にあるトイレへの行き来がし易いように足元側は開かれていて、今は閉められている明り取りの窓から差し込む月明かりで、床へ映る窓枠の影が見える。
まだ夜か。
枕元に置かれた呼び鈴の仄かな明りを頼りに身を起こし、ベッド脇のワゴン上の発光石に触れると、右手首につけられた観察輪が淡く発光してワゴンの山盛り一式を照らし出す。
発光石、洗面器が大小一つずつ(小さい方には絞った布が入ってる)、蓋とストロー付のカップ(どういう仕掛けか倒してもこぼれません)、それに此処から見えないけど、ワゴンの下段には水差しと薄緑の大判の布と着替えが置いてあることは昼間説明されたので知ってる。
その中からカップを手にとり、調整水を一口すする。
薄いけど、甘酸っぱくて意外と美味しいんだよね。これ。
『一度にたくさん飲むと、トイレに直行だからね。』っと適応薬が見つかってないとかで苦いままの粉薬を飲んだ後に渡されたのを思い出す。
口直しに勢いが付きそうだったのを、止められたのですよ。はい。
そんなこんなをしている時にクリスとアリスンがやって来たのだけど、私の一晩薬局泊まりを言い渡され、私のために呼んだ馬車でしぶしぶ帰って行った。
私も帰りたかった…。
仕事に戻ったコールリッジ先生の代わりに、恐れ多くも薬局長自ら薬が効いて私が横になれるまで付き添っていてくれた。
『夜の上月号を借りるのだから、これくらい何てことないわよ。それに非番なのよ私。』と言っていたけど、時々見習いと思しき人が呼びに来ていたから暇ということではないと思う。
調整水を飲むと胃腸が動き始めるらしく、吐き気が止まった後も満ち引きする海のごとくトイレに行き来する私が落ち着いたのは、夕飯時だった。
細く開いた窓から、いい匂いがしてきたから間違いない。
当然のように、私は夕飯抜き。
いつもなら空腹を訴える胃も鳴りを潜め、その代り体力の限界だった体が悲鳴を上げていたから、ようやく横になれるのを幸いと様子を見に来たコールリッジ先生と付き添ってくれていた薬局長にお礼を言って見送って眠ったのだ。
あれからどれ位時間がたったんだろう。
『体調に異変があれば観察輪で分かるから直ぐに来るけど、そうじゃなくても呼び鈴を鳴らしてくれて良いからね。』と言われたけど、時間を知る為だけに鳴らしたくないな。
窓の外を見たら何か分かるかも。
他の家に灯りが灯っていたら未だ夜中前、真っ暗なら真夜中、空全体が仄明るいなら間もなく明け方だ。
そうと決まれば、っともう一口飲んだ後ベッドから降りようとしたのだけど。
裸足のつま先に柔らかい感触。
何だろこれ、ふわふわ。
寝てる間に予備の毛布でも持って来てくれたのかな。
足の指先をもう少し突っ込んで、むにょむにょさせてみる。
指の間を通る毛足はけっこう長い。
春と言っても初夏も近いこの時期に、この毛布はやり過ぎじゃないかな。
もしかして、私、これから高熱でも出ちゃうのかしら。
着替えも絞った布も発熱対策?
ああ、でもこの感触気持ちいいわ。
寝なおす時に抱きしめて眠ったら、幸せな夢を見れそう!
学園に居る猫形の精霊、青獣の黒い滑らかな短毛も好きだけど、なかなか触らせてくれないし。
すれ違いざまに尻尾で不意にシュルッと触ってくれるのも嬉しいんだけど、一定の距離からめったに近づいてきてくれないのは、いつか抱きしめたいという野望を危機感として感じてるからなのかも。
その野望代わりにフカフカ毛布を抱きしめて眠るのは、我ながら良い案だね。
よーし。とりあえず、ベッドの上に用意しよう。
っと、足元を覗き込んだら目が合いました…。
毛布には目が付いていました。
耳も鼻も手足も尻尾も付いていました。
ベッドの縁についた右手の観察輪の光に浮かび上がったのは、灰色のとても大きな犬。
私の足先は、寝そべった大きな犬の背中から脇腹辺りをこちょこちょしていたみたい。
目も離せず、固まっていると先に動いたのは犬の方だった。
寝そべったまま半身を起こすと、私の裸足のつま先に鼻先を近づけチロリと舐める。
うひゃー。
慌てて足をベッドの上に引き上げると、それはのっそりと起き上がった。
ついでに前足をベッドに乗せて、体と同じくらい大きな顔を固まったままの私に寄せて匂いを嗅きまわり、確認終了とばかりに私の頬をペロリと舐めた。
驚きの連続で突発的な出来事に対する耐性が出来てるかと思ったけど、そうそう成長はしないらしい。
怖い…。
ぎゅっと目を閉じると、今度は勢いよく顔中を舐めまわされる。
どんなに顔を背けても、腕で顔を覆ってもベロベロ攻撃は一向に収まる気配がない。
くっ食われる!!
ちょっと多めにお肉はついてるけど、脂肪分多めで美味しくないと思います!
しかも、現在薬漬けですよ。
あなたには絶対毒ですよ。
呼び鈴が…微妙に遠い!手が届きそうで届かない!
いやーん。誰か、お助けを。