10.薬師たち
うひゃー。更新遅くなりました。
「そうそう聞いたわよ。夜中にアディーと病室で騒いでたんですって?」
いつ聞かれるのか叱られるのかと内心冷や冷やしてたのだけど、意外に穏やかに尋ねられたのは、アディーが定位置のベッド脇に収まった後だった。
「十分反省してるでしょうから、私からはこれ以上何も言わないわよ。」
診療開始時刻まで居座ることにしたらしい薬局長は、私のベッドの上に広げた、何処からか運んで来た布をたたみ始める。
「あのー、コールリッジ先生、呆れてますよね。日中だけじゃなくて、夜中も騒いで迷惑かけて。」
私は薬局長の無言の指示に従って、毛布の上に広がった布たたみを手伝うことにした。
大きさが三種類あり、用途に応じてたたみ方も其々違うようで、薬局長の手元を見ながら同じような形に仕上げていく。
「ふふふ、その位どうってことないわよ。老若男女、気難しい人、心配しすぎる人、逆に楽天的すぎる人、いろんな患者さんを診てきてるから、ちょっとやそっとで呆れたり見放したりしないわ。」
人間が出来てるってことですね。
自分のいたらなさに、さらに反省です。
「それより、強く叱りすぎたって後悔してたから許してあげてね。」
「そんな!叱られて当然のことをしでかしたのは私の方ですから。」
コールリッジ先生が気に病む必要なんて無いのになぁ。
「聞いたかしら、夜中に公園通りで酔っ払い同士の喧嘩があったのよ。大した怪我じゃなくてね、それは良かったのだけど、処置が終わるころマールちゃんに付けた観察輪から、急激な体温上昇と発汗の警報が来たのよ。」
観察輪は壊れてなかったようです。
その症状は、私が運動したからですね。安静にしているはずの患者にそんな症状が現れたら、何事かと思いますよね。
「何かあれば見習いと私達を呼ぶように訓練してあるアディーを付き添いに残したのに、見習いからも連絡が来ないしアディーが来る気配もない。薬局か病室ごと異変があったんじゃないかと慌てて駆け込んでみれば、アディーと仲よく”取って来い”してたから、安心した反動でつい強く叱ってしまったのだそうよ。」
直球で注意されるより、胸にグサッと刺さります。
薬師は命を預かる仕事。薬局に自力で来れない急患がいれば、其処へ往診に行くし、昼夜関係なく対応する大変なお仕事。
昨夜は私が眠るまで側についていてくれた。余計な手間をかけさせてしまった。
「そんな顔しないで。ごめんなさいね、コールリッジ先生の代わりに弁解してみただけなのよ。」
作業の止まっていた手をポンポンとたたかれ、薬局長を見やれば、ニッコリ笑顔で両頬を挟まれた。
口がタコになるので止めてください。
ほっぺ揉み揉み攻撃での強制変顔に自分でも可笑しくなって、ププッと吹き出すと、ようやく手を離してくれた。
下を向いて反省ばかりじゃ駄目ね。
早く良くなって、きちんとお礼をしなくちゃね。
「でもこのアディーがねぇ。今は、もう五歳になるから人間にしたらいい大人よ。ここ数年は子どもの頃のように、はしゃぐ事も無くなってたのに。ましてや患者さんにじゃれつくなんて、聞いたときは驚いたわ。」
気分を変えるような明るい声が、病室に響く。
私もそれに乗ることにした。
「私も犬にこんなに懐かれたの初めてです。実家でも飼っていなかったし。」
実家にいる馬形の青獣、ウルウァにはこちらが引くくらいもの凄く懐かれてるけど、それ以外の動物からの接触はごく普通だと思う。
アディーに気に入られる要素には、全く思い当たらない。
「今もご飯の後すぐに戻ってきて、このとおり、傍にべったりですもの。ふふふ。学園にまでついて行ったりしてね。」
自分が話題になっていることが分かるのか、アディーが小さくウォッと声を上げて、ベッドの上に顔を出した。
「あら、今の返事は肯定かしら?」
ほんとに連れて行ってもいいですか?連れて行けたら今度こそ一緒のベッドで眠れるのにな。
手を伸ばして頭を撫でれば、耳を倒して気持ちよさ気に目も瞑る。
「これからの予定だけど、このあと、コールリッジ先生の診察をもう一度受けてね。」
「はい。ちゃんとお礼します。」
合わせる顔が無いな、と思ってたけど、きちんとお礼を言うという目標が出来たせいか、薬局長の目を見て頷くことが出来た。
「あと、言い忘れてたけど、昨日の早い段階でマールちゃんの様態が落ち着いたから、ダルトン先生のお迎えは今日に変更になっていたのよ。お昼前には到着されると思うから、それまでにお薬は用意しておくわね。」
ついでのように付け足されたセリフを最後に、仕上がった布を籠に積み上げ、私を寝かせて、薬局長は病室から去って行った。
そうしてアディーと共に軽く放置されたまま時間が過ぎてゆく。
はあ、忘れてましたよダルトン女史。
カティラナ学園に住込みの薬師の一人で、調薬の腕も良いし、知識も豊富な美人、サバサバとした言動にファンも多い。年齢不詳だけど。
ダルトン女史には入園当初からお世話になっているので、事情を聞いたらどんなに怒られるかと想像だけで肝が冷える。
心なしか、胃痛もぶり返してきたような。
こう見えて私、昔は病弱だったのよね。
食も細くて、今でも親に『小さいころは膝の上に抱っこすると、お尻の骨が当たって痛かった。』と言われるほどガリガリだったのだ。
一年を通じてほぼ温暖なこの地、メディリカポルスのカティラナ学園に九歳で入園したのも、療養を兼ねてのこと。
そもそもカティラナ学園は王制が敷かれていた頃、ある貴族の病弱なお嬢様のための離宮で、その子のために薬の開発を進めた領主の下、今の創薬院の前身である薬園も設立されたのだ。
その領主はその子が亡くなった後も薬の研究開発を続け、離宮は貴族の子女のための療養施設となっていった。
療養中とはいえ滞在期間が長くなれば、体調の良い時の暇つぶしに手習いが始まるのも尤もなことで、だんだんと療養施設を備えた子女のための学校という体を成していくのも当然の成り行きだったのだろう。
王制がとかれた今では、旧貴族だけでなく一般に広く門戸は開かれているが、そういう経緯もあって入学試験はもちろんあるが、病がちで学校等に通えなかった子女で、かつ、この地での療養が必要だと判断された場合は、別枠で入学が許可されている。
実のところ、私はその別枠入学組なのだ。
もちろん費用が免除されることもないし、別枠組には卒業後二年の学園への奉仕活動が義務化されているのだけど、親にしてみれば子どもの健康には代えられないということなのだろう。
なので入園当初は相部屋ではなく、医務室隣の療養部屋に居ることが多くて、しかも担当薬師がダルトン女史だったことから、お尻の骨の在処が分からなくなった今でも顔を見せに医務室に寄ることも多い。
顔を見せに行かないと、ダルトン女史が寮ではなくて教室にわざとやってくるという事態を避たいが為でもあるのだけどね。
ただの担当薬師だと分かっているはずなのに、ファンの女の子達はいつも厳しい視線を浴びせてくるのだ。
不意にアディーが立ち上がり橙色のカーテンをくぐって行った。
おトイレかしら?
カッカッカッカと床を爪が蹴る音と前後して別の足音がする。
「アディー。今日は真面目に仕事しているようだね。」
コールリジ先生だ。
「マール・アンバーさん。起きてますか?」
カーテンの向こうから声がかかる。
「はい、起きてます。」
返事を返すと、カーテンが開きコールリッジ先生が顔を見せた。