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マールの日常  作者: スイ
1/11

1.トイレ評論家

初連載です。

ご感想お待ちしています(できれば柔らかめに)。

「マール大丈夫?」

大丈夫じゃない…ちっとも。全然。気持ち悪くて心配気な友達の声に返事もできない。

下のピーがひと段落したと思ったら、今度は上がってくるものが堪えきれなくなった。


 いつもなら絶対にしないことだけど、化粧室の個室の床に座り込み、ひんやりとした壁に背を預けて

ぼんやりと床を眺める。さすが高級店だけあって個室は広めで、座り込んでいる床には精巧なアザミの花とオリーブの実がいくつもモザイクで模されている。

「飲食店は化粧室を見れば厨房の清潔さが計れる」のだと、帰省中の友人が言っていた。ならば、ここは間違いなく素晴らしい厨房をもつお店なのだろう。

 数少ないお出かけ服のまま座り込む自分の姿に、さらに気落ちしてしまう。

 こんな調子じゃせっかく楽しみにしてた高級ランチは食べられないな。この日を目標に20日におよぶ昇級試験のつらい日々を耐えてきたのに…。


 オレアという名のこの店を知ったのは、私の通うカティラナ学園内の購買で販売している情報誌でだ。残念ながらバイトをしているとはいえ入荷をいち早く確認できるというだけで、手に入れるのは誰よりも遅くなりがちではある。


 その情報誌は、朝の上月(かみつき)、昼の上月(かみつき)、夜の上月(かみつき)そして青月(せいげつ)特別号と年に4回発行の季刊誌で、グルメから服飾・ちょっと離れた首都での話題など、年頃の女の子達が気になることが載っている。

情報満載で手間がかかっているせいか雑誌にしてはちょっとお高めなため、何人かで回し読みが通例で、例にもれず私も友達とお小遣いを出し合って買っているのだ。

 オレアは数年前からグルメランキングの上位常連だったのだけど、高級店ではめずらしいランチ営業を半年前から始めていて、先月発売の朝の上月かみつき号のグルメランキング・ランチ部門では堂々第一位に輝いていた。


 美食同好会メンバー満場一致で(といっても現メンバーは私を入れて3人だが)、予約をしに行ったのは忘れもしない朝の上月最初の外出日。(全寮制のため、月4日ある休日のうち2日間のみ申請のうえ外出が認められている)

その月はいっぱいで入れず、翌月の昇級試験を乗り越えた、朝の中月なかつき最後の休日つまり本日、自分にご褒美だあ!とランチにしては大枚をはたく勢いで、ようやく…ようやく…ここにたどり着いたのに。


 むなしさと気持ち悪さで視界がにじむと同時に、またこみ上げて来た。


 どれだけの時間個室の住人でいたのか、ドアの向こうからお店の人の声も聞こえてきた。ここから出なくちゃ。これ以上迷惑はかけられない。


「ごめんなさい。今出ます。」

 体の中はからっぽになったし、学園まで我慢できれば何とかなる。二人には悪いけど先に帰ろう。

 まあ、ここに居座るよりいいか。

 壁に寄り掛かるようにして立ち上がり鍵を開けると、形の良い眉を珍しくハの字にしてこちらを見つめるヘーゼルの瞳と長い睫毛にふちどられた涙をたたえる澄んだ緑の瞳に迎えられた。



 表のお店の方に戻るのは憚られるので、そのまま従業員の休憩室と思われる小部屋の長椅子に座らせてもらう。

 横になると眩暈と吐き気が酷くなるようで、座って背もたれに寄り掛かっているほうが楽なのだ。


「ほんとに大丈夫?もうちょっと落ち着いたら、今日はもう帰りましょう。」

 涙はひっこんだようだが学園でも上位に入る可愛らしい顔を不安でいっぱいにして、今日の同行者の一人、美食同好会メンバーのクリスが右隣から告げると、左隣からも

「今、馬車を呼んでもらっているからね。」

と決定事項だと宣言された。

 私が提案しようとした一人で先に帰る案は、言い出す前に却下されたらしい。

 同好会メンバーであり寄宿舎の同室でもあるアリスンは、安易な考えなんてお見通しだとばかりに鼻をならす。

 両脇のぬくもりに、ほっとして力が抜けそうになるが、ここで倒れるわけにはいかい。すでに十分迷惑をかけているのだ。


「お客様、ご気分はいかがですか?」

 ノックの後、やさしい声音に顔をあげると、艶やかな栗色の髪を綺麗に結い上げた女性がトレーを手に部屋へ入ってくるところだった。

「オーナーのバレット夫人よ」

 クリスが紹介してくれた少しふくよかなその女性は、トレーをサイドテーブルに置くと、こちらに少し身をかがめてふんわりと笑顔を見せてくれた。

「バレット夫人申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました。」

 まだ食事前とはいえ、飲食店での体調不良なんて食中毒の疑いでもかけられたら、迷惑どころの話じゃなくなってしまう。

「なんてお詫びしたらいいか」

 それほど大柄な体じゃないけれど、もっと身を小さくしたい思いで背中も丸まってしまう。


 ふと前髪をかき上げられ、温かな布が当てられた。

「気にしないで。今、薬師を呼びましたからね。もう大丈夫ですよ。」

 具合の悪さからくる脂汗がにじむ私の額を手にしていた布でふいてくれたようだ。

 湯で絞ったらしい布からは、ほんのりミントの香りがする。

「始めより大分顔色がよくなったわね。」


 お店にたどり着いた途端、限界が来た私は席に案内されるのも待ちきれず、入り口に立っていた女性に化粧室の場所を確認して駆け込んだのだけど、よく見ればその時の女性がバレット夫人だったような気もしてきた。

「入ってきたときは真っ青だったもの。」

 青かった顔は今きっと羞恥で赤く染まっているだろう。少しは血色がよくなったように見えるといいけど、無理ですか。


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