1 奇人変人住まう森
鬱蒼と繁る、樹の海。まさしくその名の通りだと、中に分け入った今は痛感させられる。
北辺の国境に広大な面積を有するこの場所は、樹海。正式名称も各国共通でそれだ。
ただの森とは――いいがたい。
繫茂する植物種は万を超えると言われ、人が分け入るにも磁場が狂っており、星を読んで進もうにも高木の樹木たちがそれを阻む。
猛獣も多く、植物の中には、寄生型や食虫を通り越してその猛獣も絡めとって食らう植物までいる始末。
人間など推して知るべし、だ。
ただでさえ重くなっている足取りをさらに重くしてくれる。
「アル、ティルダ。付いてきてるか」
馬上から少し首をめぐらせて聞く。返事は
「「はい、団長」」
と混声でのものだ。
アルと呼ばれた方がアールト=ヴェストゥーラ。まだ若い騎士だ。
もう一人はティルダ=スオメラ。こちらも若い。
騎馬とはいえ、たった3名でこの樹海への道行きとは面倒なことを押し付けてくれたものだと上司に胸中で毒づく。
まぁ、仕方ない。大戦の傷は大きかった。人員の不足は否めない。
若い騎士達に実地の経験を早く積ませる必要もある。これも仕事のうちだ。
「こんな場所に人が住めるものなのでしょうか?」
と、後ろからまだ少年の色を残した若い声が上がる。
「住むには便が良いとは言いがたいですが、できないという証明にはならないでしょう」
とティルダ。
「――いや、まぁ、その通りだけど…。方向すら歪むは、猛獣ももちろんいるはで厄介すぎるだろ?」
さくっと返された返事が不服のようだ。ぶつぶつ言い返している。
「しかし、その猛獣も気配は感じましたが、近寄ってはこないままでしたね。正直意外でした。」
「言えてる。野生の獣の領域に踏み込んでいるのに素通りできるとは思わなかったよ」
たしかにこの場所では無理のない意見だ。
そもそも、前人未踏に近いこの場所に居を構えるというのが尋常ではない。
それにも関わらず、道先案内になると上司から渡されたのは鈍色の指輪のみ。
貴石がはめ込まれているわけでもない。一見、味気ない程の作りのもの。
しかし、指輪の裏にはびっしりと紋様が刻み込まれている。
素人目には何を意味するものなのかは分からないが。
曰く、探し人が対となる腕輪を持っていると。
その指輪を持った者が害意なくば、自然と引き寄せられるように腕輪の持ち主の場に導かれるというお達しだ。
改めて考えるほど、阿呆らしくなる。眉唾にも程があるだろう。
あっさり言ってくれた相手には食って掛かりたかったが、仕える主より貸し頂いたものではある。
不平不満は堪え、少人数での派遣と相成ったわけだ。
まぁ、真偽の程は不明だったが、愛馬はこの樹海の中、導かれるように進んでいく。
どうやら真実であると言わざるを得ない。
「しかし、実際に奇跡の術師と謳われた方にお会いできることになるとは思ってもみませんでした。」
ティルダの声が心なし弾んでいるな…表情筋は連動していないが。
彼女は顔に表情は浮かばない。基本、無表情だ。
もし動く日があるのならば天変地異の前触れとまことしやかに囁かれている。性格も冷静沈着そのもの。
唯一、声にだけはほんの少しだが感情がのる。
「確かに。私達はお会いしたことはありませんが、団長は大戦時に拝見されているのですか?」
アルからの疑問には苦笑を返すしかない。
「俺とて大戦末期に投入された身だ。身近で見た訳ではないさ。陛下と盟友の仲だったそうだ。あとは常に濃緑の外套をされていたぐらいしか存じ上げないな。拝謁したこともなかった。ただ、高名な騎士が腕を切断するしかないと告げられたその怪我を治してしまったというのは聞いたな。」
これには、アルとティルダも瞠目する。…ティルダは少しだけだったが。
「そんなことが可能なのですか!?」
「さすが奇跡の術師と二つ名が付くわけですね…宮廷医師でも不可能でしょうに」
「確か本人は、緑術師と名乗られていたな。宮廷に伺候されていたこともあったそうだが。職を自身で辞され、各地方を巡り、貴賎に関わらない治療を施されていたそうだ。」
「素晴らしいお人柄なのですね。陛下が招聘を再度請われるのも頷けます」
「確かに。でなけりゃ団長を樹海にまで行かせないさ!」
そんな部下達の反応に苦笑しつつ、馬は常足で進む。すると、その先に細くたなびく煙が見える。
どうやら無事たどり着けたようだ。
騎乗のままでは失礼に当たるだろうと思い至り、部下にも下馬を促す。
手綱を引きゆっくりと今回の目的地へ近づいていく。視界に入ってきたのは、木材を利用した比較的大きな家だった。隣には厩舎らしきものもある。
今回伝えるべきことを頭で攫いながら、近づこうとしたところで声がかかった。
「―誰?」
高くもなく、低くもない声。
気配がしなかった事に驚き、反射的に柄に手がいった。
眼に入ったのは濃緑の外套――を着た人物だった。
現れた人物は十五、六の年に見えた。アルとティルダも驚いたようだが気を立て直して自分の背中に視線を送っているのを感じる。
少年か、少女か。
分厚い外套を着て、フードも被っているため判別しがたい。
確かにこちらが訪ねにきているのは、かつて“濃緑の外套”を羽織り、大戦で数多の人命を救った奇跡の術師。
アイリア=テュール=イルーアだ。
しかし、大戦の起こりは今からは二十年前。この子供では多く見積もっても二十歳は超えてはいまい。だが、導かれた場所にいるこの者は明らかにかの人ではない。やはりこの指輪、眉唾ものだったか?
知らず、眉間に皺を寄せていると、もう一度問いがあった。
「聞こえていないの。誰?」
「こ、これは失礼致した。私はアンドール皇国皇帝直属軍に名を連ねる者。第一師団師団長の任を拝命しているシュルヴェステル=マンティサリと申します。」
「そう。俺はサーラ。こちらの名だとサーラ=イルーア」
これには驚く。家名がかの方と同じ。縁者であるのだろうか?
「不躾の訪い、大変申し訳ないが、もしやあなたはアイリア=テュール=イルーア様をご存知でいらっしゃるだろうか?仕事のご依頼で伺ったのだが。」
「お師匠さまのこと?知ってるけど。来るには一足遅かったね。」
肩を竦めるような仕草をする。
「もう、二週間になるかなぁ。お師匠さまはもういないよ。この世には。」
「「「なっ!?」」」
「殺しても死にそうにない。というか絶対殺せないような人だったけど。事故に遭って、あっさり。」
「き、奇跡の術師と謂われた方が!?」
「何、そのご大層な名前。お師匠さま、そういうのは言わねぇんだから。まぁ、確かに術師であったし、お師匠さまなら他人のちぎれた足でも治癒できただろうけど。自分の場合だとそういう訳にはいかないんだよ。師匠は、事故で頭を強打してたしね。術の構成を上手く結べる状態じゃなかった。俺にも言わないであっさり逝っちゃったよ。」
それこそあっさりした口調だが、置いていかれた者の悲哀と諦観がほんの少し滲んでいた。
「まぁ、立ち話もなんだし、中にどうぞ。」
そう言って、さっさと自宅に向かう。残された自分達は顔を見合わせるしかない。
「だ、団長。どうします!?」
「お師匠さま、と呼んでいるということはあの人はお弟子さんなのでしょうか?」
「…話はして頂けるようだ。アル、ティルダ。馬は繋いで来い」
そう命じ、自分は先に行った背中を追うことにした。