9 人間、忍耐は必要だ
からりと晴れた空を仰ぎ見る。
いい天気になりそうだ。
サーラ殿との約束通り、白の仔馬亭に迎えに行く。
目抜き通りの石畳を歩いていけば、それはすぐに見つかった。
街宿の例に漏れず、この宿も一階は居酒屋を兼ねた食堂になっているようだ。
建て構えは古いが、中は掃除が行き届いてこざっぱりした印象の宿だ。
「ぃらっしゃい!」
入ればすぐに、恰幅のよい店の親爺が声をかけてくる。
「朝食なら、チーズ入り焼き卵の温野菜添えか、燻製肉入りのポトフがオススメだ。」
あの少女が言っていたとおり、料理に自信のある宿だ。
朝飯からずいぶん凝ったものを出している。
こんなことなら自分もここで食べればよかったか。
軽く済ませて来てしまったことを、少々悔いつつ、手を上げる。
「すまんな、飯は食べてきたんだ。ここに宿を取ってる客人を迎えに来た。」
なんでぇ、そうかいと、肩を竦める相手に笑いかけ、テーブルにかける。
奥の階段を見れば、昨日と同様、外套をまとった姿のサーラ殿が降りてくるところだった。
「おはよう、親爺さん。」
「おう!よく眠れたかい?」
「うん。美味いもん一杯食べて寝たから、いい夢見れた。」
「はっは!昨日は、すかっとさせてもらったからなあ。その御礼ってなもんさ。」
「朝飯も、親爺さんお奨めのをちょうだい。」
「あいよ、待ってな!」
すっかり馴染みの客のようになっている。
そんな事を思いつつ、こちらに彼が向いたのを見計らい、声をかけた。
「サーラ殿、おはようございます。」
「おはよ。早いね、団長。」
「すみません、朝食がまだでしたか。」
「あぁ悪い、食べてからでいいかな?」
「勿論。」
向かいに腰掛けてきた彼と、そんなやりとりをする。
「あれ?そういやアールトやティルダはどうしたの?」
「ああ、奴らは先に上司へ報告にやりました。少々、準備しておくこともありましたので。」
「そっか。」
「今日の段取りとしては、私の上司に取次いでから身支度をさせていただいた上で、という形になります。少々窮屈な思いをさせてしまうかもしれませんが、ご了承願えますか。」
「ん、分かった。宮廷作法とかは詳しくないから、何かしでかしそうになったら言って。」
あっさり承諾してもらえ、安堵する。
病人が待っているからとすぐに発ってくれたサーラ殿だからこそ、嫌がられるかとも思っていたのだ。
そこに湯気を立てる深皿を持って、親爺がやって来た。
その皿を置いて、厨房に引き返し、さらにお盆を器用に片手に一つずつ持ち、戻ってくる。
それには、青々とした野菜盛りに果物、簡単な肉料理に、炒り卵が添えてある。
他にも籠一杯のパンまであった。
――――待て、一人前にしては多すぎないか、それ。
「おら、熱々だぞ。」
「ありがと。」
サーラ殿はそんな量は気にもかけず受け取り、匙を持ってさっそく食べ始めている。
若干、量に戦きながら、なんとなしに、彼の前で手持ち無沙汰にしていれば親爺が話しかけてきた。
「騎士さんよ、この坊主の迎えだったのか。」
「ああ…というか随分親しげだな。彼は昨日はじめて皇都に来たはずなんだが。」
顔見知り、な訳ないしなと思いつつ尋ねれば、呵呵と笑って答えがあった。
「そりゃな昨日まで知らなかったさ。ていうのも娘みたいに可愛がってる近所のマーヤって子が連れてきたんだが。その子とその姉ちゃんを貴族のバカ―おっといけねぇ―お坊ちゃんから、助けてくれたって言うじゃねぇか。しかも大通りで大立ち回りまでやらかしたって他の客からも聞いてよ。」
はふはふ言いつつ、ポトフを流れるように口に運んでいるサーラ殿の前に、親爺はお冷を注ぎ置く。
「こんな細っこいのに、気持ちいいくらいの啖呵と腕っ節だったってな。そりゃこちとらも腕を振るって飯を作ってやろうと思った訳さ。」
そう言って親爺は鉄鍋をふるって太くなった自分の腕を叩いて見せた。気のいい主人に思わず笑ったら、「ん、ご馳走さん。」との声が耳に入り、驚くと既に彼の前の皿達は全て空だった。山盛りあったはずのパンも姿がない。
ほぁーっと親爺が呆れつつも嬉しそうに皿を見ながら、声を出す。
「見かけと違って、ほんとよく食うなぁ坊主。」
「親爺さんの料理が美味いからだよ。正直、飯ってこんなに美味かったのかとおもってる。」
お師匠のは壊滅的だったし自分も我流だったしな…などと呟いている。
そうだったのか。
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。けど、次からはタダ食いはさせねぇぞ?」
なんと、奢りだったらしい。気前のいい親爺だ。
こんなに食べるとは思っていなかったからだろうが。
「分かってるって。しばらく皇都で仕事あるし、金持って食べにくるよ。」
おう、待ってるぜと親爺から挨拶を受ける彼と一緒に、宿を出た。
自分はサーラ殿について、かなりの大食漢という追加事項を脳裏に書き込んでおいた。滞在期間中の費用の内、食費に関しては上方修正が不可欠だとも。
「ここ?待ち合わせ場所?」
「ええ、そうなんですが…」
内郭門の手前、騎士団の練兵場近くで落ち合うことにしておいたのだが、あいつらはまだいない。時間は既に過ぎているにも関わらず、だ。
訝しくおもっていると、馴染みの顔が近づいてきた。
「--シュルヴィ団長。」
「…サウル。アルとティルダを行かせたが、会わなかったか?」
副官であるサウルに、上司へ非公式であるが拝謁の許可とその場所を確保して欲しかったのだが。二人にもその旨は伝えてある。
「いえ、確かに両名とも参りました。えー、ですが。その報告を受ける、その、相手が、ですね。例によって、姿を晦ましてくれまして…」
表情筋の一部が引き攣った音が聞こえた。
「…つまり。」
「……目下、捜索中です。」
培ってきた騎士としての自制と忍耐をここで使わずしていつ使う?
脳裏を騎士の心得で埋めてから、あさっての方向を向いている副官に話しかける。
声がおもったよりも低くでたのは、修行が足りないせいということにしておこう。
「何か、伝言か、書置きはなかったか?」
「見張り、いえ、その時警備にあたっていた者の証言によりますと、『むさ苦しい顔ばかりで死にそうだっ!物静かな美女を拝んで目の保養をしてくる、邪魔すんなっ!!』だそうです。」
声色まで使って忠実に再現せんでいい。
捨て台詞から察するにあそこか。
「分かった。直接、お連れする。」
サーラ殿に、このまま移動し、自分の上司に会わせることを伝える。特に困惑した様子もなく、「ふぅん、わかった。」との返事があった。そのことにほっとしつつも、サウルにこう告げるのも忘れなかった。
「その時の担当の者は、後で練兵場に連れて来い。傷をつけずに捕縛する方法の数々を俺が直伝してやると伝えておけ。」
せっかくの天気で一日が始まったばかりだというのに。
あの人に合わせる過程だけで樹海往復以上の疲労をした気分になる。素性の確かでない者をそう易々と皇宮に通せないのは理屈として分かるが、だったらなぜ、大人しく待っていて下さらないのか…!!
今回は行き先が分かるだけマシだが。
むさ苦しい顔ばっかりが嫌って、そもそも無骨な者しかおらん騎士団の詰所で何を世迷言を。それこそ見目麗しい美女ばかりの綺羅綺羅しい騎士団なぞ、この国にはない。余所の国ではあるらしいが…。いかん、そんなことを考えていたら新しく騎士団を作ろうとか言い出しかねん。
(人が嫌がることはとびきりの笑顔で率先してやる、それがあの方だ…)
まだ何も知らないサーラ殿と連れ立って歩きながら、本気で転職したいと黄昏た、騎士の花形、皇帝直属軍・第一師団師団長、シュルヴェステル=マンティサリ、29歳であった。