その瞳の夕焼けを、知っている
前世がお姫様だと言って、誰が信じてくれるだろう。
私自身、己の中にある姫だった時の記憶が夢幻の類でないと確信していたわけではなかった。
彼に会うまでは。
「シャリク……」
旅芸人の一座に踊り子として在籍していた私は、流れ流れてやってきた国の王子を見て驚愕した。
それは前世の私の想い人。顔貌は変わっていても、魂がそうだと言っている。
取り違えるはずがない。間違いなく私の愛した男だった。
§
城から出ることを許されず自室に軟禁状態だった私は、それでもめげずに部屋を抜け出した。
人目を避けて回廊を歩いていた時のこと。
突然の強風が私を襲い、緩く髪を飾っていたリボンが飛んでいってしまった。
しかもそれが、運の悪いことに手の届かないところに引っ掛かってしまったのだ。
必死になって身を乗り出して木の方へ腕を伸ばすけれど、指先が葉っぱを掠めるだけでリボンには到底届かない。
城内で髪結いにリボンを使っているのは私だけで、誰が見ても私の物だと分かってしまう。
必然的に、私がこっそりと部屋を抜け出していたことも明るみに出てしまうだろう。
それは、困る。
「ん~~~ッ」
どんなに腕を伸ばしても、届かない。
もう諦めなくてはならないのかと思っていたところで、下から声がした。
「リボン、お取りしましょうか」
そこにいたのは商人だった。
何度か城に出入りしているところを遠くから見たことはあったが、声を聞いたのは初めてだった。
「お願いしてもいいかしら」
「もちろんです」
言うなり、彼は持っていた荷物を地面に置き、身ひとつになって木に手を伸ばした。
片足を幹に乗せてグッグッと具合を確かめると、ひょいひょいと木を登っていく。
枝の太いところに足をかけて、あっという間にリボンを手に取っていた。
彼はそのままこちらに向かって移動してこようとしたが、細い枝がミシミシと音を立てるのを聞いて慌てて止める。
「待って、私がそちらへ降りるわ。あそこに入り口があるから、その近くで待っていてくださいな」
「承知しました」
栗毛色の髪を揺らし、彼はスルスルと木から降りた。
捲られた袖口から覗く腕は筋肉質で、少しだけ、ドキドキした。
急いで下まで降りると、木陰に立つ彼の元へ駆け寄る。
彼は恭しく跪くと、くるくると綺麗に巻かれたリボンを私の前に差し出された。
「こちらを」
「ありがとう、助かったわ。あなた、お名前は?」
「マーガレット殿下に名乗るような者ではございませんので……」
私の顔は知られていたらしい。
彼の顔を見下ろしながら、目を細めて言う。
「私を知っているのなら、私がどういう立場に置かれているのかも知っているのでしょう? 名前を教えて」
彼は一瞬困ったような表情を浮かべた後、観念したとでも言うように目を伏せ、それから私を真っ直ぐに見つめる。
「シャリクと申します」
「商人よね? 何度か城内で見かけたわ」
「はい。諸国を周って買い集めた品を、納めております」
その日から、私たちは度々話すようになった。
シャリクが城へ来る頻度はそれほど多くはなかったから、会わないうちに話したいことがたくさん溜まってしまうくらいだった。
あまり長い時間話せるわけではないから、当然一回では全てを話すことなどできなくて、また旅に出たがるシャリクを必死で引き止めて滞在期間を延ばさせたりもした。
自分の話したいことはまだ、くだらない話が多いからいいのだ。
シャリクが聞かせてくれる周辺諸国の話は全てが新鮮で、刺激に満ちていて、ずっと聞いていたいくらいで。
最初は庭の木陰で立ち話程度だったものが、この頃になると誰も使っていない埃っぽい小部屋で会うようになっていた。
未婚の男女が密室に二人きりになるなど、普通であればありえないことだ。
けれど私のことを探すような人間など誰もいないともう十分に分かっていたし、たとえ見つかったとしても私が糾弾されてお終いだろうと思っていた。
「ねぇ、次はどこへ行くの?」
「そうですねぇ。キールアールの方へ行ってみようかとは思っているんですが、あそこは入国審査が厳しくて……行っても無駄足になるかと思うとなかなか」
「シャリクでも行けないところがあるのね」
「当たり前じゃないですか」
私にとって、シャリクは自由な人だった。
誰にも縛られず、どこにでも行ける人だった。
城から出られない私はシャリクの話を聞いて、まるで自分も一緒に旅をしているような気持ちになった。
いつしか、それが現実になればと願う自分に気付いてしまった。
この人の隣に並びたいと、そう夢見る自分に気付いてしまった。
初めて会った日からもう四年も経っていて、けれど私はまだ、籠の中の鳥だった。
シャリクに会えない間、彼から聞いた話を好きな時に思い出せるように書き留めるようになっていた。
紙とインクは欲しいと言えば部屋に届けられたから、日がな一日ずっと記憶を頼りに話を書き起こす。
初めのうちは机の引き出しにしまっていた紙は、いつしか収まりきらないほどになっていた。
私のことを誰も気にしないとはいえ、定期的に部屋の掃除は行われる。他の部屋よりも頻度は少ないようだったが、それでも私の部屋に他人が立ち入る瞬間があるわけで。
私はシャリクの話を書き留めた紙を、倉庫から運んできた木箱に入れてクローゼットの中にいれていた。
決して多くはないけれど、木箱を隠してくれるくらいには服が掛かっていたから、クローゼットを開けただけでは気付かれない。
時折、紙を取り出してはシャリクの声を思い出し、目を閉じて、彼と一緒にその国へ行った心持ちになるのだった。
§
「メグ、お土産」
いつしかシャリクが私を愛称で呼ぶようになり、敬語が取れ、私が引き止めなくても長く一緒にいてくれるようになった頃。
私はシャリクがくれた髪飾りを身に付け、シャリクがくれた耳飾りを身に付け、シャリクがくれた紅で唇を彩っていた。
並んでこっそりと会話をする私たちの距離はどんどん近付いていって、腕と腕が、触れ合う。
「本当は、こんな想いを抱くことすら許されないと知っているんだ」
「そんなこと、ないわ」
そう答える私を、シャリクの切なげな瞳が射抜く。
「聞いたよ、婚約者が決まったんだろう?」
「誰に聞いたの。せっかく隠していたのに」
この時、私はすでに二十五歳だった。結婚適齢期をとうに過ぎ、てっきりこのまま飼い殺されるのだと思っていたところに降って沸いた婚約。
シャリクから聞いたことのある国の王が、第六夫人として私を迎えてくれるのだとか。
そんな話、シャリクには知られたくなかった。
何も知らないままのシャリクと、いつものようにお別れをして、そして彼のいない間に、さよならをしようと思っていたのに。
「城内で噂になってるんだ、嫌でも耳に入るさ」
「そう……でも、噂でしょう? 事実ではないかもしれないわ」
「君は、隠し事が下手だから」
サラリ、と、私の溢れた前髪をシャリクの骨張った指が耳に掛けてくれる。
私はその手に、自分の手をそっと重ねた。
「それなら、私が何を求めているかも分かっていて?」
「ずるいな……君は、ずるい……」
鼻の先が触れ合うくらいに顔が近付いて、互いの吐息が混ざり合う。
どちらからともなく寄せられた唇は、柔らかかった。
シャリクの空いた腕が、私の腰を抱き寄せた。何の抵抗もなくそれを受け入れた私は、両の腕で彼をきつく抱きしめる。
このまま、時が止まればいいのにと思った。
相変わらず埃っぽい小部屋の中で、私たちの周りだけ空気が浄化されたみたいだった。
ドクドクとシャリクから伝わってくる早い心臓の音が心地よくて、何度も何度も重ねた唇は甘く、切なかった。
「私の結婚相手は、キールアールの王様なのですって。貴方たしか入国できなかったと言っていたわよね。落ち着いたら手紙を書くわ。入国許可証を同封して」
「メグ……」
「私、ずっと苦しかった。妾の子だと冷遇するくせに、城から一歩も出してもらえなくて。でも、貴方に会えてからずっと、ずっと楽しかったわ。外の世界のことも知れたし、まるで一緒に世界旅行しているみたいだった」
「メグ……!」
「ありがとうシャリク、愛しているわ」
言葉尻を奪うように深く口付けられて、頭がクラクラとした。
どちらのものか分からない涙が頬を伝い、息継ぎのために開いた口に入り込んでくる。
甘かった口付けは塩辛くなっていて、私たちはお互いの名前を馬鹿みたいに何度も繰り返し呼んだ。
耳に、心に刻むように、何度も、何度も。
終わりを告げるように鐘の音が聞こえて、私たちは顔を見合わせる。
シャリクは胸元から、リボンの巻かれた小さな箱を取り出した。
「これを」
箱の中には、夕焼けの色をした小さな宝石のあしらわれた金の指輪が入っていた。
それはシャリクの、そして私の瞳の色だった。
「付けることは出来ないかもしれない……でも、肌身離さず持っていて、俺の、代わりに」
「もちろんよ……ふふ、薬指に、嵌めたかったわ」
箱を受け取り、別れを告げる。
指には、嵌められない。けれど、身に付けていたい。私は部屋に戻ってから小ぶりの袋を作って、指輪を入れて首から下げることにした。
§
キールアールに向かうまであと数日となった頃。私はひとつ、心残りを解消しようと思い立った。
幼い頃からずっと恐れてきた、父との対話だった。
国王である父と話したことは一度もない。キールアールに嫁ぐ話でさえ、宰相が書面を持ってきて説明されただけだった。
別に、父と話さずに国を出てもよかった。けれど、それではきっと後悔すると思った。
会ってくれなくてもいい。こちらを見てくれなくてもいい。声が聞けなくてもいい。
ただ、私から父に会ってほしいと言って、それに対して父から反応が返ってきたらそれだけでよかった。
あの時は、そう思っていた。
父に手紙を出して数日後、私は謁見の間に呼び出されていた。
どこにあったのかと思うくらいに豪華なドレスは私には少し大きくて、至るところを仮縫いして無理やり着せられた。シャリクからもらった装飾品たちは全て部屋に置いてきたまま。唯一首から下げた小さな袋だけが私を支えていた。
入室を許可され、重い扉が開く。玉座に腰掛けた父は、絵姿と同じ顔をしていた。
「これは、お前が書いたものか」
父から声を掛けられると思っておらず、顔を上げた私は驚きのあまり動けなくなった。
父の手には、私がシャリクの話を書き記した紙が握られていた。
血の気が引いて、息ができなくなる。
いつ、誰が。
前回シャリクと会ってからは、国を出るための準備に追われて新しく書けていなかった。木箱の中身も見ておらず、持ち出されたことにすら気付かなかった。
「これらの話をどこで聞いた。やけに詳細に書かれているが」
「あ……」
私を見る父の目は、ひどく冷たかった。
何か答えなくてはと思うのに、全身が震えて言葉が出ない。
誤解なのだと言いたかった。けれど、私の口からはヒューヒューと息が漏れるだけだった。
「キールアールへは入れなかったとあるな」
その言葉に、さらに動悸が激しくなる。
ああ、木箱の中はきっと空なのだ。全てに目を通されているに違いない。
シャリクの名前を書かなくてよかったと思う。
父が私の方へツカツカと歩み寄ってきたかと思えば、紙の束で頬を叩かれた。
「どんなネズミを飼っているか知らぬが、お前のような者を外に出すわけにはいかぬ。これ以上ここに置き続けることも出来ぬ。ちょうど民の不満が溜まっているようだからな、その鬱憤をお前で晴らしてもらうことにしよう」
言葉の意味が理解できなかった。
婚約が流れることまでは想定したけれど、民の、鬱憤?
父が手を叩くと、兵士たちが私を取り囲んだ。何も言えないまま両手を後ろに拘束され、連行される。
どこへ連れて行かれるのだろうか。私はどうなるのだろうか。
簡素な扉を開けると、地下へ続く階段が姿を現した。何段降りたかも分からぬ地下に、牢屋があった。
ドンと背中を押され、よろめきながら牢に入る。
「気の毒に」
牢に鍵を掛けた兵士が、ポツリとそう呟くのを聞いた。
出して、開けてと叫んでも、全ては土の壁に吸い込まれて消えていく。
ようやく誰かがやってきたと思ったら、兵士は私の顔を見ようともせずに牢屋へと入ってきた。その手に、手枷と足枷を持ちながら。
§
ジャラリ、鎖が地面に擦れる度に、重たい金属の音がする。
力任せに手枷を引っ張られ、階段を上った。
回廊を歩く最中、周囲から向けられる視線が痛い。
今までずっと無視してきたのだから、最後まで私のことなど見えないままでいてくれればいいのに。
初めて歩く場所ばかりだった。今までは城の裏手で目立たぬように過ごしてばかりだったから、手足に枷さえ付いていなければ、もっと周囲を見回しただろう。
ほとんど引きずられるようにして、城から出た。
初めて見る外の世界は思ったよりも薄汚れていて、シャリクから聞いた話とだいぶ違うのだなと思った。
世界はもっと明るく、輝いていると思っていた。
大勢の民衆が、私を見ていた。その目には憎悪ばかりが浮かんでいて、私はひどく悲しくなった。
ガツッ。
顔や身体に何かが当たる。地面に転がったソレは石だった。
舗装されていない地面に転がる石を、みなが拾っては私に投げ付けているのだった。
私を引きずる兵士にも、石が当たっている。
鎧が、兜が、カンカンと音を立てている。
開けたところにある台の上には小さな檻があって、私はそこに閉じ込められた。
「マーガレット第三王女は王族としての勤めを忘れて遊び暮らし、お前たちの収めた税金を無駄に使った悪女である! 明日の昼、この場所で断首刑に処す! その時まではお前たちの自由にするといい」
それだけ言うと、兵士は去っていってしまった。
取り残された私は戸惑い、兵士の背中を追うように檻に縋りついた。
その手を、正面にいた男の持つ木の棒が叩いた。
「きゃあっ!」
「お前が! お前のせいだ!」
次々と、老若男女関係なく私を詰り、叩き、唾を吐きかける。
私は檻の中で丸くなり、ひたすらに耐え続けた。
檻の隙間から差し入れられた棒が背中を、腹を突いても、ただ、耐えた。
「出ろ」
いつの間にか気を失っていたらしい私は、兵士の声に起こされた。
台の上には断頭台があって、巨大な刃が鈍く光っている。
昨日は薄暗く感じた世界が、今日はひどく晴れ渡っていて。
せめて太陽の下で死ねるのなら悪くはないかと思った。
それに、顔も知らない男の第六夫人になるよりは遥かにマシだろう。
シャリクを想い、清らかな身体のまま死ねるのだから。
「言い残すことはないか」
(シャリク)
愛しい人の名は、もう口には出せない。
私は無言のまま、首を横に振った。
(愛してる)
見咎められずに持っていた指輪の袋を、服の上から強く握りしめる。
もしも生まれ変わることが出来たなら、またシャリクと出会えますように。
願わくば、結ばれますように。
断頭台に横たわり、頭と身体を固定される。
私の死を心待ちにする民衆の中に、見慣れた栗毛色の髪があった気が、した。
§
首を切られた瞬間のことは、あまりよく覚えていない。
気付けば平民の子として生を受け、大勢の子どもを抱えて生活することが出来なくなった両親に売られた。
奴隷になんてなりたくなかったから、隙を付いて荷馬車から逃げ出し、旅芸人の一座に拾われて今に至る。
前世の記憶は、多少なりとも役に立った。
王族であったという記憶は、苦しい日々を乗り越えるために自分が勝手に作り出したものかとも思ったが、それにしては前世からあまりに不遇だなと思った。
誰にも前世の話など出来るはずもなく、よく分からないままに使える知識を総動員して生きた。
前世からそれほど経っていないようで、シャリクから聞いたことのある国を訪れる機会も何度かあった。
話に聞いた通りの街並みや文化に触れ、隣にシャリクがいないことを悲しく思った。
今なら、どこへだって一緒に行けるのに。
シャリクのことだけは、前世のことと割り切れなかった。
あまりにも生々しくて、強烈な記憶。
もしかしたら年老いたシャリクとどこかで会えるかもしれないと、そんなことを思ったりもした。
初めは雑用係だった私も、周囲の真似をして柔軟に励み、訓練を経て、軽業を絡めた踊り子として興行に参加できるまでになった。
そしてもうすぐ二十歳になろうという頃、彼を見付けたのだった。
まさか、シャリクまでもが生まれ変わっていたなんて。
王子の二十歳の生誕祝いの一環として、王城での公演を許された私たちは、当日芸を披露する全員で王へと謁見をしていた。
その場には王の他にも何人かおり、その中に祝われる当人である王子もいた。
「私のためにありがとう。楽しみにしている」
この国の作法なのか、女は全員ヴェールを付けなくてはならず、向こうからこちらの顔は見えない。
だから、私が今こんなにも驚いていることは誰にも分からないはずだ。
ヴェールを取ったら、私の顔を見たら、シャリクは私に気付いてくれるだろうか。
(もし、気付いてくれなかったら)
気付いてくれたとしても、相手は王族。
前世とはまるきり逆転してしまった身分が、私を落ち込ませた。
シャリクはもう、シャリクではないのだ。
シャルル王子と、そう呼ばれていた。
「メグ、なんか元気ない?」
「あはは、大丈夫よ」
メグ、と。一座に拾われた時から私は自分のことをそう名乗っていた。
親に付けられた名前は別にあるのだけれど、どこかでメグの名を聞いて、シャリクが私を見付けてくれることを願ったのだ。
それももう、終わりなのだけれど。
せめて、彼の前で最高の演技をしよう。
彼の心に残るような、そんな踊りをしよう。
私は気合いを入れ直し、稽古に励んだ。
§
生誕祭当日、城の中庭に作られた特設会場には多くの人が詰めかけていた。
多くの人といっても全員貴族だったし、王族の座る区画はしっかりと区切られていたから混乱はない。
「まさか本番でもヴェール付きとはね」
「そうね、トチらないようにしなきゃ」
謁見の時より薄いヴェールとはいえ、当然視界はいつもより悪い。
女性陣はみんな、緊張していた。
お互いに肩を叩き、背中を撫で、緊張を解し合う。
私は仲のいいリイナと共に軽く柔軟をして、励まし合った。
全員で円陣を組み、公演が始まる。
歓声の中、次々と演目が進んでいった。
そんな中、高い位置に設置されたロープからロープへと飛び移るリイナを見て、私は違和感を覚えた。
(なんか……いつもより揺れ幅が大きいような……)
普段より飛び移る間隔が長くなっているように思えて、様子を窺う。
失敗しないように慎重になっているのか、普段より勢いをつけようとしているように感じた。
(気のせいじゃない……このままだと、掴み損ねる……!)
思うより早く、私は駆け出していた。
支柱に飛び付き、スルスルと登っていく。
「…………ッ!」
移動先のロープが思っているよりも早く離れていってしまったリイナが、目を見開く。
その身体はすでに宙空にあって、このままでは落ちると、それを悟った顔だった。
「リイナ!」
私は支柱からリイナの掴み損ねたロープに向かって跳んだ。勢いのままリイナに手を伸ばす。
届け。届け……!
「メグ!」
リイナが私の手を掴み、二人分の体重を受けてロープが大きく揺れた。
その頃には事態に気付いた他の仲間たちがフォローに来てくれていて、私たちは失敗を悟られないまま演技を続けた。
全ての演技を終え、大きな拍手を浴びながら、私はシャルル王子の方を見た。
(え……?)
彼と、視線が交わる。
こちらの顔が見えているわけではないはずなのに、目が合っている気が、した。
観客が出ていった後、静かな会場内で片付けをしていると、リイナが慌ててこちらへやってきた。
「メグ! 王子様が呼んでる!」
「えっ?」
「どうしよう、失敗がバレたのかな。でもあたしは呼ばれてないんだけど……」
真っ青な顔で震えるリイナを落ち着かせ、にこりと笑う。
なぜ呼び出されたのかは分からないが、罰を受けるにしても自分一人でいい。
「行ってくるね」
「気を付けて……!」
会場の外に出ると、シャルル王子が立っていた。
近くで見るとシャリクよりも少し背が高く、目鼻立ちがハッキリしているけれど、栗毛色の髪と夕焼け色の瞳は全く同じだった。
「突然すまない」
「いえ、何の御用でしょう」
私は彼の前に跪き、言葉を待った。
「君は、隠し事が下手だな」
「?!」
思わず顔を上げた私の目の前に、泣きそうな顔をして笑う王子がいた。
「メグ。俺のこと、分かってるんだろ」
「あぁ……シャリク……あなたも記憶が……?」
王子に手を取られ、立ち上がった勢いのまま抱きしめられる。
痛いくらいに力のこもった両の腕が、かすかに震えていた。
「メグ! あぁ、メグ! ずっと会いたかった!」
「そんなの、私もよ! 貴方、なんで王子なんかになってるのよ!」
「君こそ、なんで踊り子なんだ。せっかく王子になれたと思ったのに、どこの王族に会っても見付けられないから生まれ変わったのは俺だけかと思ってた」
あまりにもしょんぼりした顔につい笑ってしまうと、恨みがましい目で睨まれる。
「そもそも、なんで君が処刑なんてされなきゃならなかったんだ。広場にいったけど間に合わなくて、君の死体を前に大暴れして殺されたんだよ俺は」
「そ、そうだったの……」
確かにシャリクの髪を見たような気はしていたけれど、まさかそんなことになっていたとは知らなかった。
「さっき、演技の最中にヴェールが煽られて顔が見えたんだ。その瞬間解ったよ。顔と体型は少し違うけど、あれはメグだって。相手の子もメグって呼んでいたし……」
「気付いてくれてありがとう。私も、謁見した時に気付いたのよ。言い出せなかったけれど」
王子の手が私の顎をクイと持ち上げ、至近距離で見つめられる。
燃えるような瞳の中には、私だけが映っていた。
「メグ、結婚しよう。俺は第二王子だから、何も気にしないでいい」
「…………少しは気にした方がいいと思うわ? 私、流れの踊り子よ? せめて愛妾ではなくて?」
「絶対に嫌だ。メグ以外の女性に興味が湧かない。両親は俺を同性愛者だと勘繰っているくらいなんだ」
「わぁ」
色々、大丈夫なのだろうか。
不安になったが、やっと出会えたのだ。
そう言ってくれるなら、私だって彼の唯一の相手になりたいに決まっている。
「もう一度、指輪を贈ってくれる?」
「もちろん。君の全てを、俺に飾らせてくれ」
「一緒に旅もしたいわ」
「どこへでも」
私は嬉しくなって、彼にぎゅうと抱きついた。
「ところで、なんて呼んだらいいの?」
「シャル、かな。その方が昔の名に近いだろ? 二人きりの時はシャリクでいい」
彼の首の後ろに両手を回し、引き寄せて口付ける。
「愛しているわ、シャリク」
「愛してるよ、メグ」
こうして私は踊り子を辞め、シャルル王子の妻になった。
王様もお妃様も泣いて喜んでくれて、第一王子は「お前、女にそんな顔できたんだな」と驚いていた。
民衆たちもシャルル王子の女嫌いを噂していたようで、私の身分なんか気にならないくらいに歓迎されている。
「あの国も、こうであればよかったのに」
前世の私が暮らした国は、地図からその名を消していた。どうやら私の処刑をきっかけにして革命が起こったらしい。
今はいい国だよという話を聞いて、自分の命は無駄にはならなかったのだと思った。
「何か言った?」
「いいえ、なんでも。あっ、見てお腹を蹴ったわ!」
大きくなってきたお腹を撫でる私の薬指には、夕焼け色の宝石が美しく輝いていた。
-FIN-




