ロビンとレコード
『○月〇日
今日の営業帰りにふらりと寄った鯖江道のリサイクルショップ。堅洲に住み着いてからそこそこ立ち、比較的安全とされている五道商店街でのコレクション集めが落ち着いてきた時期だけあり、新規店舗の開拓のつもりで入ってみたのだが、早速当たりに出くわした。話だけでは聞いていたソ連製のレコードを発見したのだ。
何たるお宝! 家に直帰して、早速蓄音機にかけてみる。この手のレコードは耐久性に問題があるとは聞いていたので期待していなかったのだが、果たしてちゃんと音を奏でてくれた。
録音されていたのは何らかの歌劇。聞いた事のない戯曲だ。流石に音質には期待していなかったが、聞き取るのに苦労するほどのものではない。ノイズ塗れだというのにもかかわらず、やけに耳に残る声で台詞が朗々と紡がれている。
頭の中に染み渡るようなレコードの音に身を委ねつつこの日記を書いているわけだが、このような珍品を手に入れられただけに、早々に店を後にする事になったのはいささか残念な事だ。探せばまだまだ掘り出し物があったのかもしれないが、営業時間ギリギリに店に入ったのだから仕方がないと言えば仕方ない。
幸い明日明後日は休みだ。あの店に赴いてお宝探しと洒落込もう。鯖江道は真っ当な人間が赴くには危険と噂されているが、もう営業で何度も足を運んでいる。今のところ、皆の言うような危険に出会ったことはない。所詮は噂という事なのだろうが、何、宝探しに多少の危険はつきものである』
『○月×日
仕事の疲れが出たようだ。レコードをかけたまま寝落ちしてしまったらしく、目が覚めた時には大分日が高くなっていた。
どうにも体がだるい。硬い椅子に座りっぱなしのまま着替えもせずに寝た為だろうか。不養生が祟ったせいか、何かをしようとする気が全く起きなかった。
残念だが、例の店に赴くのはまた今度にせねばならない。まだまだ仕事は残っているのだ。体の調子が悪い以上、それを治す為に休息は取れる内に取らなくては。
今日は食事もそこそこに、もうベッドで休む事にする。子守唄代わりに音楽をかける事にしたのだが、蓄音機のレコードを取り換えるのも億劫な始末。結局、耐久性の問題からそう何度もかけるべきではないと理解しつつも昨日と同じレコードを再生する事にした』
『○月□日
体の調子おかしい。自分の内側から何かが外に這い出ようとしているかの如き奇妙な感覚に襲われている。不思議と痛みはない。ただただ強烈なだるさと不快感が肉体を支配している。
一人暮らしをしている身としては病気にかかった時ほど心細く思う時はない。いつもは勝手気ままに振舞える事に独り身の喜びを覚えているというのに、人間とはままならないものだ。
不安を消し去る為にレコードを再生した。耐久力に乏しい中古レコードは、今日も何とか音を紡いでくれた。相変わらず歌劇の内容は難解で理解できないが、台詞同士の掛け合いが自分の孤独を幾分か癒やしてくれる。
洗面所で顔を洗い、早々に寝る事にした。鏡を見た際、一瞬だが視界が緑色に染まったのは気のせいなのだろうか。これ以上体調が悪化するのならば、明日は有給をとって病院に向かうべきだろう』
手渡された日記をパタンと閉じる。
喫茶店ヴィジラント。穏やかな音楽が流れる店内にて、ロビン・リッケンバッカーは今しがた読み終えた日記の内容を反芻する。傾げる首の動きに合わせて、彼女の金の髪がゆらゆら揺れる。
隣から覗き込んでいた和装の美女、武藤要も今は目を閉じている。考え込んでいるのか、それとも店内に流れる音楽に没頭しているのか今一判断が付きかねない。ひたすら無表情を貫く彼女の印象はどことなく冷淡で氷のようだが、その実、単にマイペースなだけだという事をロビンは十分に理解していた。
「で、どう思うかな?」
ロビンの目の前に座るのは、一人の刑事だった。名は天草将貴。若々しい外見に似つかわしくない老成した雰囲気を漂わせた男である。彼は如月市警怪異担当課なる、胡散臭い肩書の部署に所属していた。
如月市警怪異担当課……通称怪担は、怪奇事件が頻発する如月市にて、それらを解決する為に置かれた特別な課である。常識では計れないような現象に対応する為であろうか。集まった人員は一癖も二癖もある人物が多い。
しかし悲しいかな。怪担はそれでも常に人員不足に悩まされていた。当然であろう。そもそも、警察というのは真っ当な事件を担当する組織である。そこの所属する人員が、オカルトにも精通しているなんて都合のいい事など、そうある訳もなく。結果として、外部のオカルティストの協力を仰ぐ事は珍しくないのであった。
ロビン達はそんな怪担の少なくない協力者である。これまでも天草に協力して、数々の怪事件の解決に貢献してきたものだ。故に、今回の呼び出しもそのようなオカルト絡みの事件かと思っていたのだが。
「こればっかりじゃあ、ロビンさんもわかんないなあ……」
呼び出された喫茶店にて挨拶もそこそこに手渡された日記を読んでの感想だった。正直、とてもオカルト絡みだとは思えない内容だ。
「そうっすよねえ……」
天草の隣で溜息をつくのは、彼の部下である田崎君である。彼の視線は、コーヒーと共にテーブルの上に置かれている写真に注がれている。そこには良く言えば渋い……悪く言えばくたびれた印象の中年男が映し出されていた。
今回の事件は、この写真の人物……三門久吾の失踪に関するものである。真面目に仕事をこなしていた彼が勤め先に無断欠勤した事を切欠に、同僚が彼の住屋を訪ねたところ、家は施錠もされておらず中身ももぬけの殻であったらしい。当然のこと連絡もつかず、彼の上司が警察に連絡をしてきたのである。
先程ロビンが読み込んでいた日記も、三門氏の物である。筆まめな人物であったらしく、珍しい物事があれば事細かに記していたのだが、これと言って怪奇絡みの記述が残されているわけでもなし。怪しい部分と言えば、最後の記述に記されていた「視界が緑色に染まった」と言う部分だが、それとて単に体の不調からくるものである可能性も高い訳で。
「すんません、お代わりお願いします……で、家の方は調べたのか?」
通算三個目になるショートケーキを頼みながら、全身黒尽くめの衣装のサングラス男、塔孔明が天草に問う。
「調べてみたよ。過去に自殺者が出ているが、それだけだ。自殺の理由も恋人を寝取られたって理由でね」
「じゃあ関係ないか」
孔明はあっさりと興味を運ばれてきたショートケーキの方に移す。
オカルト絡みの現象の多発する如月市において、最も怪奇事件の発生率が高い堅洲町である。住人が逃げるように去って行った結果残った空き家に怪異が住み着くなどと言った事はそう珍しくもない。最悪、住民がいるのに後から怪異が沸いてくる事もある。そんな怪異だらけの堅洲町において、現実的な因果関係がはっきりとしている事故物件など優良物件もいいところ。自殺者の霊などが出没していたとしても、問題を起こしていたのならばとっくの昔に祓われているはずであった。
「わっかんないなあ……ねえ、これって本当にロビンさん達が請け負うべき案件なの?」
どう考えてもただの失踪事件に見える。少なくとも、怪担が出張るべき事件とは思えない。
「まあ、そんな反応になるよねえ。僕としてもそう思うんだが、上の連中に念には念を入れておけと言われてね」
「念を入れるようなもの、あった?」
「うん、まあ。これだよ」
そう言って天草が取り出したのは、一枚のレコードであった。それを見て、ケーキと格闘していた孔明の手が止まる。
「……随分悪趣味だな。デスメタルでも録音されているのか?」
そんな孔明の言葉に、要もこくこくと頷く。
そのレコード盤には、はっきりとした頭蓋骨が写し出されていた。それを見て、ロビンが感心したような声を上げる。
「肋骨レコード? 随分とまあノスタルジックな……」
「これ、されこうべ……」
「あー、うん。カナちゃん、そういう事じゃなくってね」
肋骨レコードとはソ連にて秘密裏に販売されていた海賊盤レコードである。国家によって音楽が統制されていたソ連に置いた、禁じられていたジャンルの音楽を聴きたいと望む者達の間に出回った代物であった。品質は酷く、精々十回も再生できればいいところ。というのも、このレコードは使用済みのレントゲン写真を再利用して作成されており、正規品のレコードのような耐久性はとても望めなかったのだ。そのようなレコードの総称を肋骨レコードと呼ぶのだと、ロビンは要の疑問に答えた。
「これが失踪者が最後に聞いていたレコードって訳か。で、これに何の問題があったんだ?」
「レコードそのものに異変はなかったらしい。ただ、刑事課の奴らには録音されているものの内容が引っ掛かったようでね」
「何が録音されていたんだ?」
「ロビン君ならば知っていると思うがね。黄衣の王って知っているかい?」
その言葉に、当のロビンは目を丸くした。
黄衣の王。それは様々な曰くが付きまとう二部構成の戯曲である。曰く、作者が自殺した。曰く、読んだ者が破滅した。そんな数々の噂が取り沙汰されている演劇の台本。稀覯本収集家であるロビンは当然の事、その書物の名を知っていた。
「え? 日記にあった歌劇って……これ、黄衣の王が録音されてるの?」
「その通り。刑事課の連中、聞きなれない歌劇の内容を調べている内に、そのタイトルに行きついたようでね。当然の事ながら、黄衣の王にまつわる数々の噂も仕入れた訳で。それで、ひょっとしたらこの失踪事件には怪異が関わっているのではないかと疑い始めた訳だ」
「成程ね」
「とは言えだ。本当に怪異が関わっていると判明していない以上、この件が僕らの管轄にあたる仕事かは判断がつかない。本来ならば君らに頼るべきではないと分かってはいるんだがね。少し協力して欲しい事があるんだ」
「どんな?」
「失踪者がこのレコードを買った店だよ。レシートが残っていたんで話を聞きに向かってみたんだが……」
「あ、ファンのお店」
テーブルの上に置かれたレシート。戎克堂の名を見て、要が呟く。
「そういやファンちゃん、警察嫌いだっけ……」
「そうなんすよ。あの店長さん、話を聞こうにもとっとと帰れの一点張りで……」
「僕らも公的機関。確信がある訳でもない以上は派手には動けない。そこで頼まれてくれないかな。店主さんが何らかの情報を握っていないかどうか、調べてきて欲しいんだ。何も関係がなければないで、それでも構わないから」
「……いいよ、引き受けたげる」
「おお、本当っすか! 助かるっす!」
「ついでにそのレコード、一晩貸してくれない? 私達本職の魔術師目線で見ても違和感がないか調べたげるから」
「んで、ロビン。そのレコード、ぱっと見で違和感とかあるか?」
戎克堂へと向かう鯖江道への道すがら、孔明がロビンに問う。孔明もまた魔術師。先程預かったレコードから何の魔力も感じない事をしかと感じ取っていた。
とは言え。魔術師はあくまでも人間である。ロビンや要のような文字通り人間を辞めている魔女でなければ感じ取れないものもあるのかもしれない。
しかし、そんな孔明の期待にロビンは首を横に振って答える。
「いや、全然。全く異変を感じない、ただのレコードっぽいよこれ」
「ん。安心安全」
「そうか。じゃあ、録音されている内容がヤバいのか? 黄衣の王だっけか。元の本は読むと破滅するとかなんとか言ってたけど」
「ん~……その線も薄いかも」
「そうなのか?」
「ヤバいヤバいって噂にされがちな黄衣の王だけどね。本当にヤバいのは一握りだけなのよ」
黄衣の王を読むと破滅する。その噂が先行して語られるが、その危険性を真に知る者はそう多くはない。真っ当な人間が読めば破滅する……その噂は紛れもなく事実であったが、それには条件があった。二幕構成の戯曲の内、第二部までに目を通した者が破滅しているのだ。
実のところ、今出回っている黄衣の王の大部分は第二部が省略された版である。ロビンもこの版の黄衣の王を所有しており、何度も目を通している。彼女の下に破滅が訪れていないのは目にも明らかだった。
「こいつを聞いた警察の連中も特に異常をきたしていないとなると、録音されてるのは省略版の可能性が高いって訳か」
「多分ね。流石に直接聞いてみないとロビンさんも分からないけどさ。コーメーって蓄音機持ってたっけ?」
「持ってないな。お前はどう……って、持っていたらこんな質問しないか」
孔明のその言葉に、要が微かな声を上げる。
「ん。ひろ、蓄音機ならうちにあるよ」
「あ~……気持ちだけ貰っとくわ。まさかレコードを聴く為だけに夜見島に行くわけにもいかねえだろ」
「むう……」
「ま、今から戎克堂に行くわけだし、ついでに手頃な蓄音機を見繕うとしましょうか……と?」
先頭を歩いていたロビンの足が止まった。彼女の視線の先には、小柄な少女の姿。まるで和人形のような無機質な美貌の持ち主だ。今時珍しい和装の少女は、どことなく要に似た容姿をしていて。
「やっほいミャー君。お散歩中かな?」
「ロビン様、孔明様、こんにちは。姉上と一緒という事はお仕事の最中でしょうか?」
鈴の音のような涼やかな声のその持ち主は、武藤雅。要の弟にして、堅洲の魔王であった。
「仕事っていうか、お使いだな。お前は日課の見回りか?」
「いえ。実は町の皆様から頼まれ事を受けまして」
「何だ? 厄介事か?」
「ええ。近頃この当たりで不審者が出没しているらしく。ですから、都の奴とガオガオ団の皆様総出で警備に当たっているのです」
「不審者?」
何でも、ここ最近奇妙な人物が住宅街を徘徊しているらしい。その不審者は、奇怪な笑みを浮かべたまま目撃者を付け回し、いつの間にか姿を消すのだそうだ。これだけならばただの不審者で済むが、この笑い男の姿はどうにも人間のものとは思えないものらしい。目撃者達は逃げるのに必死でその容姿をしかと見た訳ではなかったらしいが、それをちらと見ただけで目にしてはいけないものだと判断する位には異様な姿をしていたと口をそろえて証言していたのだ。
当然の事、被害者達は警察にも相談をしたのだが、暴力を振るわれるといったような直接的な被害を受けた訳ではない以上、不気味な外見をしているというだけでは人手を割けないと申し訳なさそうに頭を下げられたそうだ。
「それでも警察か!」等と文句を言うような気には被害者達もなれなかった。そもそも、ここは怪異渦巻く堅洲町。日に何件も怪奇現象が起こる事など珍しくもない。普通の事件に加えてそんな案件にも出張らねばならない地元の警察達の多忙さを考えれば、ただ人を付け回すだけの変人なんぞに人手を割けないのもむべなるかな。
という訳で、被害者達はやむなく怪異から町を守ると認識されている武藤の面々に相談を持ち掛けたのだった。
「変人対策にまで駆り出されるとは、町の守護者ってのも大変だな、魔王様」
「一応、怪異の可能性もありますしね。警察の皆様の手を煩わせないよう、念には念を入れませんと」
柔らかな笑みでそう答える雅を見て、姉である要がこくりと頷いた。
「ねえロビン」
「どしたのカナ?」
「レコードを調べ終わって何もなかったら、私と一緒にみゃー達を手伝ってくれない?」
要の頼み事に、ロビンと孔明は間髪入れずに首を縦に振った。
「オッケーオッケー! 個人的にも車輪党員としてもムトーには色々と借りがあるからね」
「俺も色々世話になってるからな。これくらいはお安い御用だ」
戎克堂。この店は、無数のオカルティスト達が住み着く鯖江道の店舗の中で異彩を放っていた。鯖江道では無数の古物商が店舗を出しているのだが、その殆どは民族品やアンティーク、古書や絵画と言った骨董品を扱っている。これらは魔術師由来の品物が大半を占めており、お宝を求めて日々、店舗を周るオカルティストも少なくない。
そんな中にあって、戎克堂が扱っているのは家電製品の類であった。当然の事、これら近代の製品は魔術とは無関係の品々。真っ当な製品を扱う店は基本的に五道商店街に店舗を構えている事を考えると、オカルトの街にポツンと佇むこのリサイクルショップは、どこか場違いに思える事だろう。
とは言え、鯖江道の住人には有難がられていた。なんせ、食料店や書店と言った真っ当な商売を営む者は、オカルティスト溢れる鯖江道に店を出したがらない。この店以外には、精々コンビニが一つある程度である。そこで買える物に限界がある以上、鯖江道のオカルティスト達は奇異の視線が突き刺さるのを承知の上で鯖江道の外で買い物をしなければならないのである。自分達の住処のすぐ側で、こうした家電を安く仕入れる事ができるこのリサイクルショップは、店長の裏の顔を抜きにしても鯖江道にはなくてはならないものとなっていた。
さて、ロビン達が戎克堂の前まで来てみると。
「ちくしょ~ッ!」
「うわ~ん! もう来ねえよッ!」
そんな捨て台詞を残しながら、数人の男達が店から走り去って行った。それだけで判断できないとはいえ、服装から魔術とは関わりのないごく普通の一般人に見える。
入れ違いに店に入ると、非常に小柄な一人の少女がほくそ笑んでいた。
「な~に、ファンちゃん。またお客さんを泣かせたの?」
「おやおやいらっしゃい、ロビン嬢に孔明殿。武藤の姉姫様もお元気そうで」
きししと笑い声をあげながら、少女がロビン達に応対する。
彼女の名は張番攤。戎克堂の店主であった。
「この店から泣いて出ていく連中を見るのは珍しくはないが……今度は何をやらかしたんだ?」
「いや何。売りつけた商品の性能がよろしくないと難癖付けられてね。困ったものだよ、まったく」
聞いてみると、安くて性能の良いとの謳い文句で売り出した無線機が購入者のお気に召さなかったらしい。あの男達は、わざわざ鯖江道に赴いてまで状態の良い無線機を探していたらしいのだが、この店にて最終的に二つに絞り込んだのだそうだ。
そこで、こちらの方が安くて音質がいいとの番攤のアドバイスを受けて購入していった訳なのだが。
「買った後で後で調べてみたんだろうねえ。もう片方の無線機の方が、値段と音質以外の全ての面で上だったと知って、騙されたって乗り込んできたのさ」
「相変わらず詐欺紛いのセールストークしているのか」
「詐欺だなんて人聞きの悪い。何も嘘は言っていないさ。私の売った無線機、音質だけは本当に良いんだ。ただ、安値を付けざるを得ない程に操作性がクソってだけの話で」
「ま~たそういう事をする」
「いやはや、彼らは買う前に熟慮するべきだったねえ。全体的な性能面で勝てないのならば、唯一勝てる要素だけを取り出してゴリ押しする……そんなやり方、実力の伴わない商人がよく使う手だっていうのに」
「ん。ファン。やっぱりそういうのよくないと思う」
「カナの言う通りだ。商売ってのは価格以上に信頼が物を言うんだろう? そんな真似すれば、悪評が広がるばかりだぞ?」
「だからだよ、孔明殿。彼らは無線に熱心なあまりに、魔術に関わりのない身でありながらこの鯖江道にまで足を運んできたんだ。鯖江道の連中が堅洲の掟に淘汰されなかった気のいい連中だとは言えだ、扱っている物が危険である事に変わりないだろう? 世界の裏側に触れないようにする為にも、一般人が鯖江道に深く関わるようになるのは、できる限り避けた方がいいと思わないかい?」
「ったく。ああ言えばそう言う」
「何時か閑古鳥が鳴いても知らないよ~?」
「それも結構。私が商いをしているのは所詮道楽でしかないからね」
不景気な世の中だ。買う側の財布に余裕がなければ商売で真っ当に稼ぐなんて難しい。客も無い袖は振れぬと分かってはいても、生きる糧として商売を行う以上は売れる方法を模索せねばならない。その点、売り上げなどに拘らず、ただの趣味で商売をしている番攤は企業の悩みとは無縁であった。
「で、御一行。今日はどんな用件で?」
「怪担の刑事さんのお使い。ファンちゃん、ショーキ達の話も聞かずに追い払ったっていうじゃない?」
「あ~……そりゃねえ……」
苦笑いしながら目を泳がせる番攤。警察嫌いもあるのだろうが、それはそれとしてどことなく後ろめたさも感じている。そんな様子だ。
「田崎ならともかく、天草は多分お前の裏の顔も知っていると思うぞ?」
「それはそうだけどさ……警察はどうしても信用できなくってね。理屈じゃないからこればっかりはどうしようもなくて」
裏の顔。それは、番攤が裏社会に流している品物に関してであった。
番攤は元々、中国のカルト組織「双天会」の所属である。異形の神々を信仰する双天会の面々は、武器と麻薬の密売にて生計を立てていた。第二次世界大戦後、日本への復員船に紛れて来日した彼らは、早速自分達の信仰と商売の縄張りを広げる為に日本各地に散っていった。
この堅洲町に流れ着いたのは、双天会創設者の一族である張一族であった。会の幹部も務める張広攤がわざわざこの地に直々に足を運んだのも、現に堅洲地に漂う尋常ではない魔力量に惹かれての事であった。
堅洲を裏から支配し、双身天王降臨の為の足掛かりにする……そんな彼の目論見は、いともあっさりと破れる事となる。この地において、既に幅を利かせていた武藤家の一族。武力で彼らを排して堅洲を支配する事は早々に不可能だと悟った彼は、何時もの手を使う事にした。裏社会への武器と麻薬の流通を支配する事で、武藤家を一強から引きずり下ろし、この地をその手に収めようとしたのだが。
何の因果であろうか。麻薬の材料となる黒い蓮が表社会に漏れた挙句、品種改良の上無害化。堅洲名物「広攤蓮根」として出回ってしまったのだ。広攤は町に特産品をもたらしてくれた恩人として堅洲で顔を広く知られるようになった。その結果、裏でコソコソと行動する事が難しくなってしまったのだ。
この事を会に問題視された広攤は気落ちしたまま堅洲を後にしたのだが、堅洲での生活を気に入って幾人かの会員達がこの地に住み着く事となった。その内の一人が番攤であった。
尊厳破壊を受けた黒い蓮の事もあり、麻薬の密売こそ行わなくなった番攤であったが、武器の密売に関しては今も変わらずに行っている。その一番のお得意様というのがかつて排除しようとしていた武藤家というのは何と言う皮肉であろうか。
立ち話もなんだからと、番攤はロビン達を店のバックヤードにある休憩室へと招いた。
双天会の信仰対象である、牙の生えた人型の象を模した大双天像が鎮座するその部屋で、紅茶と月餅をテーブルに並べながら、番攤は質問を受ける態勢を整える。
「で、お巡りさんは何を聞いて来いって?」
「このレコードの事なんだけど……何か情報持ってない?」
差し出されたレコードを目にした番攤は、しかし渋い顔。
「あ~……これかあ……ごめん、大した事は分かんない。これを買っていった客の事は覚えてるよ。肋骨レコードなんて今時珍しいからね。記憶に残ったんだ。ただ、私自身こんな物を仕入れた記憶はなくて。多分、段ボールで買い取った中古レコードの中に紛れ込んでいたんだろうけど。五百円均一コーナーの補充としてまとめて仕入れた物だから、中身までは確認していなかったんだよね」
「変な感じはしなかった?」
「特段」
「そっかあ……となると、直接このレコードを再生してみないと分かんないか。ファンちゃん。これを聞くのにちょうどいい蓄音機って店に置いてる?」
「聞くだけならば、その場で貸したげるけど?」
「いや、いい。何でもこのレコード、迂闊に聞いてしまうとヤバい事になる可能性があるんでな。この店で聞いちまえば面倒をかけるかもしれん」
「そういう訳でさ。お勧め品、紹介してくれる? なるたけ安い奴」
「了解了解。いい奴あるよ。お得意様にはサービスしたげる。後、姉姫様? 最近、双天会の皆が中国で日本軍の置き土産を見つけてさ。状態のいい満鉄刀が大量に手に入ったんだよね。安くしとくから買っていかない?」
「おお……! どのくらい見つかった?」
「沢山よ、沢山。今の世の中、銃が幅を利かせているからね~。こういった刀剣を大量に買ってくれるの、武藤のお姫様達くらいだから本当に助かってるよ」
目を輝かせる要の姿を見て、番攤は満足げに頷くのであった。
かさばる蓄音機を孔明に持たせ、ロビンは居候先である佐藤心霊クリニックへと向かっていた。あそこならばレコードの内容を確認するのに最適であろう。防音がしっかりしているし、何より院長の佐藤司は今でこそオカルトに傾倒しているとはいえ、元々は様々な医学に精通する稀代の才媛とまで呼ばれた魔女である。レコードが原因で心身に何らかの悪影響があっても、先に理由を説明しておけばすぐに対応してくれるはずだ。
それにしても、である。黒手袋に包まれた孔明の腕にすっぽり収まった小型の蓄音機。アンティーク調で中々に気品あふれる外観の品物であったが、番攤は随分と格安で譲ってくれた。曰く、高値を付けすぎて売れなかったとの話であったが、それをほぼ捨て値でロビンに売ってくれたあたり、彼女にとっては商売が文字通りの道楽でしかない事がうかがえる。
ロビンと共に歩く要は、いつも通りの無表情ながら器用に鼻歌を奏でている。彼女も軍刀を良い値段で買えたらしい。
武藤の姉姫様の紡ぐメロディーを背景に進む一同。その足が鼻歌と共に急に止まる。
ロビン達の前に一人の男が立ちはだかっていた。
黄色いローブを目深に被った奇妙な男。それ自体は別段不思議ではない。何せここは鯖江道。世界中からはみ出し者の魔術師やオカルティストが住み着く魔境である。組織の制服だからとの理由でけったいなローブ姿で往来を闊歩する者など、珍しいものではなかった。普段ならば。
ロビン達はすぐさま異変に気が付く。周囲の音が消え去っていた。まだまだ日が高いというのに、先程まで道中を賑やかしていた周囲の人影は一人もいない。
人除けの結界だ。町中でこのようなものを展開するなど、これから良からぬ事をしようとしていると宣言しているようなものである。
自然と戦闘態勢へと移るロビン達を前に、黄色いローブの男はニタニタとした不気味な笑みを向けていた。そして……。
「これが肋骨レコード、ですか……本当だ、骸骨が写ってますよ先生!」
「どれどれ~? お~写ってる写ってる。レントゲン写真を利用したレコードかあ……世の中にはこんなもんもあるんだねえ……」
珍しい物を見たといわんばかりに燥ぐのは、佐藤心霊クリニックの院長である佐藤司と、その押しかけ弟子である堅洲高校の女子高生、岡野瞳の二人組。
まじまじとレコードを眺める二人に対し、ロビン達は気の抜けたような顔をしてスプーンを動かしていた。テーブルの上には薫り高いカレーライス。心霊医療にたどり着くまで、様々な医療方法を試してきた佐藤医師が薬膳の知識を生かして作り上げた、絶品の一皿だ。
「しっかしだ。結局怪しいところはなかったな、そのレコード」
何杯目かになるラッシーに砂糖をドバドバ入れながら、孔明が呟いた。
古ぼけた洋館である佐藤心霊クリニック。その床が抜けそうなほどの数の書物に支配されたロビンの部屋にて、件のレコードを聴いてみた一同だったのだが。ロビンが予想していた通り、録音されていた黄衣の王は第一部の実の簡略版。三門氏が中古で買ってから通算五回目となるであろう再生にも耐えてくれた肋骨レコードであったが、少なくとも、録音されていたのは魔術的な問題を引き起こすような内容の物ではなかった。
「はあ……今度こそカルコサの地に赴けると思ったのに……あ、すみません。カレーのお替り、貰っていいですか?」
「いいよいいよ~。いっぱい作ったから沢山食べてってね~」
「じゃあ、お言葉に甘えて遠慮なく」
「君も中々豪胆だね……」
いそいそとご飯をよそり、心持ち肉多めにカレーをかけている黄色いローブのこの男。黄衣の王なる神話的な存在をあがめるカルト組織の一員らしい。何でも、聖地であるカルコサを訪れる為に戯曲を探し回っているのだそうだ。彼らカルトが求めているのは勿論、黄衣の王の完全な版である。それが曰く付きの書物であるが故に、世界中の黄衣の王絡みの事件に首を突っ込んで回っているとの事だった。
今回の事件を如何にして嗅ぎ付けたのか。黄色いローブの彼が言うには、怪事件の中に情報がある可能性を考慮して、警察内に協力者を持っているとの事であった。黄衣の王がらみの事件で失踪者が出た事から、今回こそ当たりだと見なしてロビン達の前に現れたらしい。
最も、その対応がまずかった。彼はロビン達からレコードを強引に奪おうと襲い掛かってきたのである。魔術師である自分ならば、説明して譲り受けるよりも、その方が手っ取り早いと判断したのだろう。何より、今回の黄衣の王が当たりだった場合、ロビン達が真っ当な感性の持ち主だったならば、レコードを処分してしまいかねない恐れがあった。完全な形の黄衣の王が裏社会でも稀にしか見られない代物なのは、その危険性を認めた者達によって焼き捨てられるなどして、そのほとんどが現存していないからである。故に、組織の悲願成就を目の前にした彼が、レコードを破棄されまいと焦ったのも当然といえば当然であろう。
彼の最大の誤算は、ロビン達が彼と同じ裏社会側の人間、それも彼らのような魔術師を鎮圧するのを生業としている者達であった事だった。ただ魔術が使えるだけの男では、実戦慣れしたロビン達には全く歯が立たず。魔術すら使われずに体術だけで鎮圧されてしまったのである。
ロビン達にボコボコにされた男はクリニックへと連れ込まれ事情聴取を受けた。彼はロビン達が自分達と同じ側の人間だと理解すると大人しくなり、佐藤医師の治療を受けた後、ロビン達に頼み込んで先程まで共にレコードを聴いていたのである。
「何か、ことごとく空回りしたって感じかなあ……」
肩透かしもいいところであったが、それでも仕事は仕事。あとはレコードを天草に帰せば依頼は達成だと、件の円盤に視線を移すと。佐藤医師が眼鏡の奥から食い入るように、レコードを見つめている。
「どしたのツカサ? 何か違和感でもあった?」
「ねえロビン? これって、普通のレントゲン写真なんだよね?」
「そのはずだけど?」
肋骨レコードに用いられたレントゲン写真は、当時、ソ連が国民に義務付けていた定期的なレントゲン撮影による産物だ。政府はこの使用済みフィルムをきちんと処分するように通達を出していたのだが、肋骨レコードの製造者達は病院や診療所から密かに売ってもらったり、或いはゴミとして廃棄されていたものを拾い集めて素材としていたのである。
つまり、レコードに写っている頭蓋骨は当時のソ連人民のものであるはずなのだが。
「ねえ瞳ちゃん。何かこの骨、変じゃない?」
「……私には分からないです」
「ほら、ここ。角の跡みたいなのが見えない? それに頭蓋骨全体のバランスも微妙に変っていうか……」
「バランス……ですか?」
「整いすぎてるんだよ。何ていうのかな、この頭蓋骨からは人間としての個性が感じられないっていうか。几帳面な職人が黄金比率をきっかり図って作り上げた標本みたいなバランスなんだ」
そう力説する佐藤医師であるが、生憎とこの場にいるのは医学には疎いものばかり。ロビン達の目から見ても、写し出された頭蓋骨から違和感は感じられない。レコードそのものから異常が感じられない事もあり、佐藤医師の発見は夕食時の雑談の一つとして流されるのであった。
月の明るい夜だった。
静まり返った住宅街を、ロビン達は注意深く見まわす。
笑い男。雅から報告のあった不審者は、果たして今宵も姿を現すのであろうか。
黄色のローブの男とは、この仕事に向かう際にクリニックの玄関で別れていた。
ニタニタ笑いながらロビン達の前に姿を現した事もあり、当初は彼が笑い男なのではないかという疑いもあったのだが、彼はそれを否定。そもそも、彼が堅洲に足を踏み入れたのは今日が初めてらしく、住宅街には赴いていないとの事であった。
人通りがほとんど絶えた住宅街を散策する三人の耳に、けたたましい悲鳴が飛び込んでくる。
絶叫の主を求めて駆け出したロビン達は、顔を青ざめながら真正面から走ってくる二人組の女子高生を確認した。
「何アレ何アレ何アレエエエッ! ユキッ! ユキッ! 何なのアレは!」
「分かんないわよ! それよりマミ! 声をあげないで! アイツに気付かれたらどうすんの!」
「ユキだっておっきい声出してんじゃああん!」
どことなく狸と狐を思わせる顔立ちの二人組は、ロビン達に目もくれず彼女らの後方へと走り去って行く。
話を聞くために彼女達を呼び止めようと、ロビンが振り向こうとしたその時であった。ソレがゆっくりと姿を現した。
奇怪なヒトガタだった。頭部に角らしきものが生えている以外は人間を思わせる特徴を兼ね備えていたのだが。
三メートル程の巨大な骨格に対して、身に纏う皮膚のサイズが合っていない。まるで一回りも二回りも小さい服を無理やり着ているように、体の内側から引き延ばされてパツパツになった皮膚。限界まで引き延ばされ引きつったままの口元は、まるで笑っているかのような印象を植え付けてくる。
そして、その服……そう、この奇怪な怪物は服を着ていた。恐らくはパジャマであろうか。これもまた、巨躯に押し出されて窮屈そうだ。そこかしこが弾けており、血管が見えそうなほどに薄く引き延ばされた肌の色が覗いていた。
ロビン達は目を見張っていた。怪物の不気味さ、奇怪さにではない。引き延ばされた皮膚を持つ巨体が、とある人物の特徴を色濃く備えている事に気が付いたのだ。
「ねえ。あれ、もしかして……」
「間違いない。三門久吾……怪異に憑かれたのか!」
失踪していた三門氏の変わり果てた姿。ロビンがさりげなく意識があるかと問いかけるも、目の前の巨躯は何ら反応を示さない。
互いに距離を取っての睨みあい。その均衡は突如崩れ去った。
ロビンは背後から凄まじい怖気を感じ取った。一体何が、と考えるまでもなかった。一瞬前まで対峙していたはずの三門氏が消え去っている。文字通り突然、ロビンの背後に移動していたのだ。
不意を突かれたロビンの反応は完全に遅れていた。巨躯がゆっくりと彼女に覆い被さろうとした次の瞬間。孔明が笑い男を羽交い絞めにする。
笑い男の動きを止められたのはほんの一瞬だった。まるで服に張り付いた雑がみを引っぺがすが如く、三門氏はあっさりと孔明の拘束を振り解く。地面を転がる孔明。黒手袋に包まれた左腕だけが、引きちぎられたかのように三門氏のパジャマの残骸にしがみついている。僅かと言えば僅かな隙であったが、ロビンが三門氏から距離を取るには十分な時間であった。
身体を強かに地面に打ち付けられたのが効いたのか。孔明から呻くような声が聞こえてくるが、ロビン達には安否を確認している暇はない。
「相棒君!」
ロビンの声に反応したのは、孔明の左腕であった。黒手袋の拘束を破り、煌めく触手が笑い男を絡め捕る。姿を現したのは、まるで枯れた切り株のような怪植物だった。孔明の義手に擬態していた妖樹に繋がる黄金の気根が、ギシギシと悲鳴を上げている。
ギョロリ、と切り株に巨大な単眼が開かれた。ロビンと妖樹の視線が交差する。彼女達は即座にこの異形の意を汲み取った。『力が強すぎる。そう長くは持たない』と訴えかけているのだ。
「カナ、お願い!」
その言葉と共に、ロビンは掌を開いて笑い男に突き出した。まるで虚空を握り潰すかのように掌が閉じる。瞬間、笑い男の周囲を見えない力が取り巻いた。不可視の巨大な触腕が妖樹もろとも笑い男を握りしめる。
何という反発力か。妖樹と力を合わせての拘束だというのに、奥歯が砕ける程の力を込めて尚、容易く振り解かれそうになる。ロビンの額に冷や汗が伝う。果たして要が行動を起こすまでに自分の魔力は持つのだろうか。
助けは急に現れた。ロビンが生成した不可視の触腕に重ねるように、もう一つの触腕が笑い男を取り巻く。全く同じ魔術だ。ロビンの視界の端に、笑い男に右拳を突き付けている黒衣の男が映る。どうやら孔明は、蹲りながらも呪文を詠唱していたらしい。
ロビン、孔明、妖樹の三重の戒め。しかし、それでも尚十分とは言えなかった。掌に感じる振り解かれそうになるほどの反発。長く拘束しておく事はできない。だがそれでも、一時的にではあるが笑い男の動きを完全に止める事ができた。
その瞬間を要は見逃さなかった。一足飛びに笑い男の下に駆け寄ると、魔力を込めて突き出された角を掴み、力尽くで三門氏に取り憑いていたソレを引き剥がす。
勢い余って地面を転がる要と、音を立てて散乱する無数の骨。三門氏の中から引き剥がされたソレは、まるで意思を持つかのように組みあがっていき、巨大な骨格を形作る。バサリ、と音を立ててローブを身に纏う餓者髑髏。それは鍵爪のような両手をカタカタ慣らしながら、ロビン達を見下ろしていた。
一難去ってまた一難。ロビンと孔明が何とか戦闘態勢を整えようとしたその刹那。餓者髑髏の眼窩に緑色の炎が瞬いたような気がした。次の瞬間、緑色に光る蜘蛛の巣のようなものがロビン達の動きを封じ込める。
ねばつく魔力の拘束をどうにか解こうとあがくロビン達。襲われてしまえば最早反抗する事などできはしないだろう。しかし、夜空の一点を見つめたまま餓者髑髏は動かない。
それは唐突にやってきた。月明りを反射しながら飛来するのは、ロビン達が見覚えのある円盤。件の肋骨レコードだった。餓者髑髏の真上で停止したそれは、初めはゆっくりと、しかし徐々に速度を上げて回転を始める。その動きに巻き取られるかの如く、餓者髑髏の姿はレコードへと吸い込まれていく。完全に消え去る前の最後の瞬間、ロビンは餓者髑髏が自分達に向かってニタリと笑ったような感じを覚えた。
異形の骨格を吸い尽くしたレコード。その表面に写し出された頭蓋骨が淡く緑色に輝くと、音も立てずに夜空の彼方へと消えていった。
「……助かった?」
ロビンは呆気にとられた調子で呟く。レコードが虚空へと姿を消すのと同時に、緑の戒めも消え去っていた。
周囲を見渡すと、全員満身創痍の様子であった。
ロビンと孔明は魔術の過剰行使でとうに魔力が底をついている。要もふらついていた。僅か一時。三門氏からあの怪物を引き剥がしただけで、魔力のほとんどを持っていかれたらしい。
人間から魔女へと変じたロビンとは異なり、要は生まれついての魔女である。生まれた年代も異なり、二十世紀後半に生まれたロビンに対し、要が生を受けたのは日本の戦国時代だ。元々の魔力のキャパシティも、重ねられた月日もロビンと要とでは大きく差がある。そんな彼女が魔力切れ寸前に陥っているのを、ロビンは初めて目にしたのである。
それだけで、あの餓者髑髏は規格外の存在であると察する事ができた。何が目的だったのかは分からないが、少なくとも、ロビン達との交戦は戯れに過ぎなかったのだろう。もし、あの餓者髑髏が本気で向かってきていたのなら……そう考えると、ゾッとしないロビンであった。
倒れそうになっているロビンを金色の触手で必死に支えている妖樹も大分しんどそうであった。普段は活動後すぐに孔明の義手へと姿を変えるのだが、未だに本来の姿のままという事は、変化する余力もないという事なのだろう。
「姉上! 何があったのですか?」
夜道に突如響き渡る、凛とした声。いつの間の現れたのだろうか、雅がそこにいた。相も変わらず無意識のうちに気配を消して行動してしまうらしい。月明りに映える無機質な美貌は、呪われた生人形の如く。何も知らない人間が遭遇すれば、笑い男とは別のベクトルで腰を抜かしかねない。
ふらつく要の姿は、雅にとっても珍しいものだったのだろう。どことなく心配した様子ながら音もなく駆け寄ってくる。
「ははは……ミャー君一足遅かったね。笑い男の問題は多分解決できたと思うよ」
「そうですか……それは良かったでわぷっ」
ロビンに返す雅の言葉を遮る形で、要が雅に抱き着いた。まるで愛猫を愛でるかのように、彼の豊かな濡羽に顔を埋めて悦に浸っている。それに続く形で、妖樹も雅に気根を巻き付ける形で引っ付く。気持ちよさそうに蕩ける単眼。魔王の放つ魔力を取り入れ、消耗した力を取り戻そうとしているのだ。
冬場の炬燵を占拠する家猫の如く、雅から魔力の補給を受けている二人の人外を他所に、ロビンと孔明は妖樹の触手から解放された事件の被害者に駆け寄った。怪しい怪物から解放された三門氏は、本来の姿を取り戻していた。目を回しているだけで外傷などは見られない。パジャマこそボロボロであったが、不思議な事に伸び切っていたはずの皮膚は元の状態に戻っていた。
「……結局アイツは何だったんだろ?」
「さあな? まあ、終わった事は一々気にするな。この町でそんな事を考えていれば、砂糖がいくらあっても足りゃしない」
孔明の言う通りなのだろう。目的も正体も何もわからなかったが、事が終わった今となってはアレもまた堅洲を襲った怪異の一つに過ぎない。
とは言え、ロビンは気になった。星空へと消え去ったあの肋骨レコード、あの怪物を乗せたままどこへ行ったのだろうか。願わくば、見知らぬ店舗のレコードの中などに紛れていなければいいのだが。




