第38話「森の贈り物」
グリーンヴェイル村を取り巻く森には、秋の気配が色濃く漂っていた。木々の葉は黄金色や赤褐色に染まり始め、朝露は草の葉を宝石のように輝かせる。この季節、森の中では様々なキノコが顔を出し始める。
リリィは、窓から森を眺めながら、キノコに思いを馳せていた。村では毎年この時期になると、キノコ狩りが行われる。しかし、リリィはまだ一度も参加したことがなかった。
「ねえ、パパ、ママ。今年はキノコ狩りに行きたいな」
リリィの目は、好奇心で輝いていた。テラとフローラは顔を見合わせ、少し心配そうな表情を浮かべる。
「キノコ狩りは楽しいけれど、危険なキノコもあるのよ。食べられるものと、そうでないものをしっかり見分けなくてはいけないわ」
フローラが優しく諭す。リリィは真剣な表情でうなずいた。
「分かったよ。じゃあ、まずはキノコの見分け方を教えてもらおうかな」
その日から、リリィのキノコ学習が始まった。テラとフローラは、自分たちの知識を娘に伝授する。さらに、村の長老であるアルドゥスからも話を聞くことにした。
アルドゥスの家を訪れたリリィは、長老の語る昔話に耳を傾けた。
「昔々、この村にキノコの精霊がいたそうじゃ。良いキノコには金色の光を、毒キノコには赤い光を灯したという」
リリィは目を丸くして聞き入る。想像力豊かな彼女の頭の中では、すでに小さな妖精が森の中を飛び回る姿が浮かんでいた。
「もちろん、それは昔話じゃ。でも、キノコにはそれぞれ特徴があって、よく観察すれば見分けられるんじゃよ」
アルドゥスは、実物のキノコを使って丁寧に解説してくれた。傘の形、柄の模様、におい、生えている場所。全てが見分けるための重要な手がかりだった。
リリィは、一つ一つのキノコを注意深く観察する。その真剣な眼差しに、アルドゥスは満足げにうなずいた。
「よく覚えておくんじゃぞ。キノコは森の贈り物じゃ。でも、その贈り物を正しく受け取れる人だけが、恩恵を受けられるんじゃ」
リリィは、アルドゥスの言葉を心に刻んだ。
学習を重ねるうちに、リリィは次第にキノコに対する理解を深めていった。ある日、彼女は自信を持って両親に宣言した。
「もう大丈夫! キノコ狩りに行けるよ」
テラとフローラは、娘の成長を嬉しく思いながらも、まだ少し心配そうだった。
「そうねリリィ。でも、初めての時は大人と一緒に行くのが良いわ」
フローラの提案に、リリィは少し不満そうな表情を見せたが、すぐに納得した。
「分かったよ。でも、友達も誘っていい?」
両親は承諾し、リリィは早速エマとジャックを誘うことにした。二人も興味津々で、喜んで参加することになった。
キノコ狩りの当日、朝もやの中、一行は森へと足を踏み入れた。木々の間から漏れる朝日が、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「わあ、森の中って本当に神秘的……」
エマがため息をつく。ジャックも、普段見慣れているはずの森の景色に、新鮮な驚きを感じているようだった。
リリィは、学んだことを思い出しながら、慎重に周囲を観察する。湿った落ち葉の下、朽ちた木の根元、そして苔むした岩の陰。キノコは様々な場所に姿を現す。
「あっ! 見つけた!」
リリィが指さす先に、小さな傘を広げたキノコが群生していた。彼女は慎重に近づき、一つ一つを観察する。
「うーん、これは……シメジかな? 食べられるやつだよ」
テラがリリィの判断を確認し、うなずいた。
「そうだね。よく見分けられたぞ、リリィ」
リリィの胸が誇らしさで膨らむ。自分の知識が役立った喜びが、全身に広がる。
森の奥へと進むにつれ、様々な種類のキノコに出会った。エマとジャックも、リリィから教わりながら、少しずつキノコを見分けられるようになっていく。
しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつけば日が傾き始めていた。
「そろそろ帰り時かな」
テラが空を見上げながら言う。その時、リリィの目に見慣れない色鮮やかなキノコが飛び込んできた。
「あれ、なんだろう? もう少し見てみたい!」
リリィは思わずその方向に駆け出してしまった。
「リリィ、待って!」
フローラの声が後ろから聞こえたが、リリィの好奇心は抑えられなかった。エマとジャックも、リリィを追いかける。
気がつくと、三人は見知らぬ場所に立っていた。周りの景色が、どこか違って見える。
「あれ? どこに来ちゃったんだろう……」
リリィの声に、不安が滲む。エマとジャックも、おろおろとした表情を浮かべている。
「どうしよう、迷子になっちゃった……」
ジャックが震える声で言った。エマの目には、涙が浮かんでいる。
リリィは、一瞬パニックになりそうになった。でも、すぐに深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
(大丈夫。冷静に考えれば、きっと道は見つかるはず)
リリィは、これまでの経験と学んだことを思い出そうとした。キノコを探すときのように、周りをよく観察する。木々の向き、苔の生え方、地面の傾斜……全てが手がかりになるはずだ。
「ねえ、みんな。慌てないで。一緒に考えよう」
リリィの落ち着いた声に、エマとジャックも少し安心したようだ。
「そうだね。リリィが言うとおりだよ」
エマが涙をぬぐいながら言った。
三人は力を合わせて、周囲の状況を確認し始めた。リリィは、キノコ狩りで培った観察力を活かし、森の細かな変化に注目する。
「あっ、ここの木に苔が生えてる方向、さっきと同じだよ。こっちが北かもしれない」
リリィの発見に、エマとジャックも目を輝かせた。
「そうか! じゃあ、村は……」
ジャックが、空の明るい方向を指さす。
「そうだね。太陽の位置から考えると、村はあっちのはずだよ」
リリィが頷く。三人は手を取り合い、ゆっくりと歩き始めた。
道中、リリィは友達を励ましながら、前を向いて歩き続けた。時折、不安が襲ってくる。でも、そのたびに深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
(大丈夫。みんなで協力すれば、きっと帰れる)
そう自分に言い聞かせながら、リリィは歩みを進める。
やがて、遠くから声が聞こえてきた。
「リリィ! エマ! ジャック!」
テラとフローラの声だ。三人は、喜びで顔を見合わせた。
「パパ! ママ! こっちだよ!」
リリィたちは大声で応える。すぐに、テラとフローラの姿が見えてきた。
「よかった……本当によかった」
フローラが涙ながらに三人を抱きしめる。テラも、安堵の表情を浮かべている。
「すまなかった。僕がもっとしっかりリリィたちを見ているべきだった」
テラが申し訳なさそうに言う。しかし、リリィは首を振った。
「ううん、私たちが勝手に走っていっちゃったから……。ごめんなさい」
リリィの率直な謝罪に、両親は優しく微笑んだ。
家に帰る道すがら、リリィは今回の冒険を振り返っていた。危険な目に遭ったけれど、同時に大切なことも学んだ。自然を敬う心、冷静に状況を判断する力、そして何より、友達と協力することの大切さ。
その夜、ベッドに横たわりながら、リリィは窓の外の森を見つめた。月明かりに照らされた木々が、静かにそよいでいる。
(森は本当に不思議なところ。怖いこともあるけど、たくさんの贈り物をくれる)
リリィは、今日集めたキノコたちのことを思い出した。明日は、みんなでキノコ料理を作ることになっている。その楽しみを胸に、リリィは幸せな気持ちで目を閉じた。
森の中で感じた不安と、無事に帰れた安堵感。そして、新しい発見の喜び。全てが、リリィの心の中で大切な思い出として刻まれていく。窓の外では、夜風が優しく葉を揺らし、まるで子守唄のような音を奏でていた。




