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4)邂逅

本日、2話、同時に投稿いたしました。こちらは1話目です。




 侯爵令嬢のオリハにはいつも護衛にジルとセイラが付いている。今日も一緒だ。二人とも戦闘能力が高い。護衛も兼ねた侍従と侍女として二人は選ばれていた。

 学院で行われる目立つ催事といえば部活発表会だ。年に二回行われる。年度初めの発表会は新入生に向けてのもので、勧誘を目的とする。

 昨年の秋に行われた発表会で、オリハは舞台で竪琴を披露した。舞台の演目が少なすぎるからと運営係をしていた親類の青年に頼まれた。緊張して大変だった。父たちが観に来てくれて褒められ、良い思い出にはなった。今年は彼は卒業していなかったし、オリハはなにも頼まれなかったので単なる見学者としてここにいる。

 メインの会場は講堂だが今の時間はまだ舞台が始まっていない。正門から入ってすぐの前庭では部活の部員たちが自分の作品を展示したり即売している。広い前庭中に出店がある。

 昨年も見学するだけでも面白かったが、今年も楽しい。展示を巡っているだけで飽きない。おかげで見張り作業は退屈せずに行えている。

 昼前に学院のざわめきがにわかに高まった。

 皇太子の魔導車がゆっくりと現れ、正門を抜けて到着した。

 今日は本来なら正門は車両通行止めだが、皇太子の安全のため特別な計らいがされていた。

 いよいよだ。

 オリハは胸の鼓動がうるさいほどだ。

 魔導車から皇太子が降り立った。見守る外野からざわめきが小波のように広がる。

 遠目なので小さくしか見えないが皇太子は艶めく黒髪に濃い藍色の瞳の美丈夫だった。凜とした立ち姿。外交用の笑みは柔らかく人を魅了した。完璧な皇太子だ。彼は二十四歳と聞いている。十九歳になるオリハの五歳年上だ。

 オリハは目を見開いて彼を観察する。

 愚かな男には見えなかった。けれど、クルトも外行きの顔は愚者ではなかった。

 性悪女に溺れて妃とし、その妃に浮気され隣国に戦争を仕掛けた皇太子。そうは見えなくても本質はわからない。オリハはクルトに惚れたくらい人を見る目がない。

 皇太子が動くのを注意して見守っていると、傍らに見慣れた姿があった。

 クルトだ。

「ということは、まさか」

 そのまさかだった。クルトの隣には女がいた。

 オリハはドミニクなど見たことはなかった。だが、裁判の報道は見た。自分も関わるものだからだ。オリハの写真は載っていなかった。被害者の姿を載せるなど、父は断じて許可しなかった。

 犯人の女の画像はゴシップ誌にも載った。巨額の賠償金を払うことになった女の記事は王都の民の関心を呼んだ。

 ドミニクの母親が「玉の輿に乗った自分の妹に嫉妬していた」という裏話までゴシップ誌には載っていた。だからドミニクは、悪質なデマをしつこく何度も広めようとした。病的なほどの執念を持って、ドミニクが「虐められた」という見え透いた嘘をばら撒こうとしたことも笑い話のように暴露されていた。なにしろ、箱入り令嬢は学園に初日しか通っていなかったのだから「どうやって虐めるのだ?」という笑い話だ。

 オリハは苦笑も出なかったが。その記事に載っていた女がクルトの隣にいる。予知夢の通りだ。

 運命とは、そんなに強いものなのか。

 自分が無事に離婚できてここにいるのは奇跡かもしれない。

 オリハは自殺なんかしない。愛する家族を守る。

 三人の動向を見守りながら、そっと近付く。

「オリハ様?」

 セイラが小声で名を呼ぶ。

 皇太子に気を取られてつい存在を忘れていたが、オリハの両脇には守るようにセイラとジルがいる。

「皇太子殿下を見学したい。せっかくだから」

 オリハが答えると二人が苦笑した。見たいと言っても簡単ではないことを二人もわかっているだろう。

 人が多すぎる上に殿下には護衛が付いている。小柄で力もないオリハが近づける状況ではないが、それでも一歩一歩近付く。

 背の高い人々が生け垣のようになって先が見えにくい。

 声が聞こえてくる。

 周りは人垣がすごいのにほとんど声を出す人がいないのだ。皇太子の声を聞こうと誰もが耳を澄ませているおかげだろう。

「あなたはどちらのご令嬢か」

 凜とした声が尋ねている。

 ああ、予知夢の通り、とオリハは絶望的に思った。

「カイム様」と媚びたように名を呼ぶ女の声。粘り着くような声だ。

 オリハは思わず耳を塞ぎたくなった。

 ざわめきが大きくなる。「離れてください」という誰かの声。

 これも夢と同じだ。殿下の側仕えがドミニクを引き離すのだ。

「名前を教えてくれ」

 静まり返った前庭に凜とした声が響く。

「ドミニクは私の恋人です。皇太子殿下ともあろうお方が、人の恋人にそのように近付かないでいただきたい」

 クルトの声だ。

「行かなきゃ」

 オリハは焦った。焦っても人垣が行く手を遮る。押し退けるなど非力なオリハにはできず身動きできない。このまま運命はどう転ぶのか。

 ドミニクはロウガス男爵の愛人だが妻ではない。ロウガス男爵は皇太子が金を積めばすぐにも彼女を手放すだろう。

 皇太子の恋に障害はあるのだろうか。借金を背負った悪評高い女が皇妃になることが認められるのであれば、ドミニクは妃になれるだろう。

 予知夢ではクルトしか障害はなかったわけだが。夢の中のドミニクはクルトから皇太子に乗り換えていた。

 現在のクルトは独身で平民だが、ただの愛人の恋人だ。

 今は、ドミニクは金で売られた愛人なのにクルトとデートしている。浮気ではないのか。状況がわからない。調べておけば良かった。

 不安や疑問でぐちゃぐちゃになりそうだ。

 いざとなれば皇太子を振り向かせなければならないと思ってはいた。予知夢では彼はオリハにも惹かれていた。

「悪いが避けてくれ」

 胸に響く渋めの声。

 人垣が割れたその狭間から、漆黒の髪の精悍な貴人が姿を現す。まるで男神のように。この男神の瞳は深海のような深い藍色をしていた。

『ああ、こんなところに愛らしい私の番がいたのか』

 笑顔の皇太子の唇から帝国の言葉が紡がれる。

 難解な「帝国語」を理解できたものはどれくらいいるだろう。優秀な学院の学生ならそれなりにいるとしても。帝国では「標準語」と呼ばれる帝国語を簡略化させた言語がよく話されている。

 帝国は広大で小国の寄せ集めのような地域もあり、簡易な標準語が必要だった。二つの言葉はそういう歴史的な背景を持つ。標準語は外交でも使われている。ゆえにわざわざ帝国語を学ぶものは少ない。

 皇太子は明らかにオリハに話し掛けていた。目の前に立ち覗き込まれているのだから間違いようもない。

『お初にお目にかかります。ノアーク侯爵家長女オリハ・ノアークと申します』

 オリハは反射的に躾けられた所作で礼をし挨拶を述べていた。帝国語を流暢に話すのは高位貴族のたしなみだ。

 オリハが動揺しながらも完璧な挨拶をやってのけると、皇太子の側近らは目を見開いたり相好を僅かに崩したりと忙しい。

『カイム・トルスティと言う。以後、末永くよろしく頼む』

 カイムは蕩けるような笑みをその秀麗な顔に浮かべる。

『もったいないお言葉です』

 オリハは震えそうな声を必死に宥めて答えた。

 ふいに静まったざわめきが再び動き出す。

「皇太子様!」

 不躾な声にカイムの眉根が一瞬、歪められた。

 人をかき分けて歩み寄ってきたのはドミニクと彼女を追うクルトだった。

「なぜ急に行ってしまわれるのですか!」

 ドミニクが叫ぶ。

 見苦しい。

 彼女のことを嫌悪しているために余計にそう思ってしまう。そんな女に縋るように後を追う元夫。

 ああ、嫌だ、寒気がする。

 耐えられそうにない。

 オリハは退くために足を動かす。邪魔をせずそっと退避しよう。

 オリハの計画では、とにかく皇太子にオリハの存在を知らしめればよかった。なりふり構わず何かをするつもりはない。できるはずもない。大国の皇太子になど触れるのも憚られる。オリハは運命への布石のためだけにここにいた。

 皇太子がドミニクを求めるのなら、阻止はできない。

 皇太子がオリハを求めるのなら、拒否はしない。

 その布石を打つことはできた。

 皇太子は予知夢の中とはいえ、父と兄の仇だ。おまけに、クルトと同類の男。そんなものに媚びなど売れない。

 皇太子がドミニクとともに帝国へ帰国し「おしどり夫婦」となるのならそうすればいい。

 けれど、クルトが帝国までドミニクを追っていくのは阻止したい。彼とドミニクの浮気が戦火の引き金なのだから。裏組織の玄人に金をやってクルトの足の腱でも切ってやろうかと思う。

 戦が始まったら父と兄、弟たちに身を守る魔導具を装備してもらおう。ジルやセイラたちにも要るだろう。終戦の年はおおよそわかる。それまで生き延びられれば良い。

「帰る」

 オリハが小声で声をかけるとジルとセイラが頷いた。



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― 新着の感想 ―
元婚約者…?元夫じゃないの…??
なんで廃嫡され、家を出されてるのに何故学園にクルトがいるの? 男爵に売られ人妻になったドミニクが学園にいるの? 旦那は愛人(クルト)容認してるの? 普通なら人妻捕まえて恋人ですなんて説明するのおかしい…
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