#8 メイリーン・ドネリー
「勝負……?」
ナナは眉根を寄せて聞き返した。
メイリーンは形の良い顎を引き、その山々のように豊満な胸に手を当てて答える。
「はい。勝った方がユウト様の正式な専属メイドになる、ということです!」
「おい。そんな勝手に……」
熱く意気込むメイリーンとは正反対に、ユウトは困惑に溢れた表情を浮かべていた。どうやら彼女の熱意についていけていない様子である。
しかしメイリーンはその宝石のような紫の瞳に闘志を燃やし、呆気に取られて立ちすくむナナを指さした。
「ぽっと出のメイドなんかに、ユウト様は任せられませんっ!」
「ぽっと出だと……!?」
ナナは唇を噛んだ。
こちらは年季の入った幼馴染だ。それなのによりにもよって〝ぽっと出〟呼ばわりされるとは。これは幼馴染としての沽券に関わる由々しき事態である。
ナナは袖を捲り、腕をぐるぐると回してみせた。
「言うに事欠いてこの私を〝ぽっと出〟とは……! 笑止千万!」
「それではこの勝負、受けて頂けるんですね?」
「馬鹿にされたまま黙っておけるほど、私の負けん気は弱くないわ!」
実はそうなのである。
前髪は長く、目つきは陰気で、いつも背筋を曲げて歩いている。そんなふうなので一見すると〝気弱〟だと誤解されがちだが、しかしナナは全くもって気弱ではない。
むしろ気も我も強く、プライドも高い。その本質は絵に描いたような我儘お嬢様そのものなのだ。
だからこそメイリーンに勝負を挑まれ、黙って無視することができなかったわけだ。売られた喧嘩は後先考えずにとりあえず買い、そして後で痛い目を見るのがナナという女であった。
簡単に口車に乗ったナナを見てユウトは額を押さえ、メイリーンは計画通りとでも言うように笑みを深める。
「それで? 勝負の内容は? 魔法の打ち合い? 決闘? タイマン?」
「お料理対決です」
「っゥァ……!?」
ナナは口を押さえて背を仰け反らせた。
「なっ、なにゆえ料理対決を……!?」
「メイドだからですぅ!」
「勝負と言えば決闘とかではないのか……!?」
「な、なんでそんなに好戦的なんですかぁ……?」
てっきり血で血を洗う戦いを繰り広げるつもりなのかと思っていたが、どうやら違うようだ。
彼女が申し込んできたのは、単純なメイドとしての技量を競うものらしい。それに気づいたナナは途端に顔色を悪くしつつも、腕を組んで思案する。
「いや、まあ……私のゴーレムに作ってもらえばなんとか……」
「ゴーレムの使用は禁止ですぅ!」
「なっ、何故!?」
「当たり前じゃないですかぁ! 自らの手で奉仕してこそ一流の使用人! メイドとしての当然の心得です!」
憤慨したようにそう言われ、ナナは窮地に立たされた。
ゴーレムを取り上げられてしまっては、最も頼れる武器を喪失してしまったようなものだ。何故ならナナはこれまで自分一人の力でまともに料理をしたことがないからだ。美味しい食事の作り方など知らない。面倒事には徹底的に匙を投げてきたことが裏目に出た。
ナナは慌てて右手を上げながら叫ぶ。
「分が悪すぎる! 棄権したい!」
「一度引き受けた勝負から降りるんですか? 言葉の割に根性がないんですねぇ。そんなだからおうちでのお仕事も自分じゃまともにやらないんですかぁ?」
「グッ……この娘! 言われて嫌なことを的確に言ってくる!」
可愛くあどけない顔つきに反して、彼女は抉るような正論を打ち込んできた。
悪気があるというわけではなく、思ったことをそのまま口に出しているという様子なのがより憎らしい。無垢は時に悪意よりも人を傷つけるものなのだ。
彼女は爪先を綺麗に揃え、手のひらの先をユウトに向けた。そして染み一つない頬を桜色に染め、大輪の花のように瑞々しい声で言う。
「ユウト様ぁっ。審判はユウト様にお願いしてもよろしいですかっ?」
「え? ああ……」
「お互いに料理を作って、それをユウト様に味わってもらって、ユウト様に選ばれた方を勝利としましょう!」
「……」
「そういうことで、ナナさん。わたし、絶対に負けませんから!」
ナナの薄い背中を冷や汗が伝った。
自身の技量のみでの料理対決。そんなの、絶対に負けるに決まっているからだ。
「……一体何なんだ、これは……」
主要人物であるにも関わらず蚊帳の外に置かれて話を進められたユウトは、自分の居場所を見失ったような声色でそう呟くことしかできなかった。
✱
メイリーン・ドネリーは世にも珍しき〝闘人族〟の少女である。
闘人族。
それはかつてこの世に存在した、所謂改造人間の一族を指す言葉だ。
そもそもこの世界の大気には、〝魔力〟と呼ばれる物質が漂っている。
この魔力は要するに、何にでも変質できる万能のエネルギーだと思えば良い。人間はこの魔力を呼吸と共に体内に取り込み、それを魔法に使用する。
身体の中には器のようなものがあって、そこに取り込んだ魔力を溜めこんでおける。その上限は人によって異なるが、当然保持できる魔力の総量が多ければ多いほどその個体の能力値は高くなる。
闘人族というのは、この〝器〟を拡張する、という人体改造を行った種族のことだ。
つまりは取り込んだ魔力を他人より多く溜めておけるわけである。
しかしこの改造には致命的な欠点があった。
魔力を溜める器を拡張する。それは要するに身体に備え付けられているリミッターを外すことと同義であり、戦闘時には暴走状態に陥ってしまうのだ。
溜めた魔力を体外へ放出する際、理性の箍が外れてしまうのであった。
そのため闘人族は万が一にも他者に危害を加えないように人里離れた地に集落を作り、その村で細々と暮らしていた。自らの存在を隠し、密やかながらも穏やかに過ごしていたのだ。
けれど、そんな日々も長くは続かなかった。
『魔族だ! 魔族が村を襲いにやってきた!』
闘人族の村はオルペンシア──魔族が第一に侵略を始めた国に位置していた。
ある日突然、メイリーンの故郷は魔族に襲われたのだ。人間とよく似た見目をした、しかし人間とは異なる生き物、魔族。彼らは人間の肉を食らう怪物であった。
闘人族は凄まじい強さを誇る。しかし多勢に無勢、魔族の数の多さには抗えない。
一人、また一人と彼らは魔族に食われ、その数を減らしていった。
滅びを迎えるのは時間の問題だった。
『そ、んな……いや、いや……』
その時分、まだ幼い子供だったメイリーンは、母親に手を引かれて村から逃げようとしていた。
燃え盛る村に背を向けて走っていた。
大好きだった何もかもが燃えていく。あの炎の中ではきっと今も父親が必死に魔族に抗っているのに。まだ家族も、友達も、愛していたもの全てがこの村に残っているのに。
『……だめ……!』
このまま逃げるなんて出来ない。
確かに幼子とは言え、メイリーンも誇り高き闘人族の一人である。村のみんなほど強くなくとも、少しくらいは力になれるはずだ。
『わ、たし、だって……!』
皆を助けたかった。
この村を守りたかった。
誰かの力になりたかった。少しでも役に立ちたかったのだ。
だから逃げるのを止めた。踵を返した。制止する母を振り切って、魔族と闘う村の皆に加勢した。
『────あれ?』
次にメイリーンが目を覚ました時、そこには静寂が広がっていた。
バラバラになった魔族の死体が辺り一面に転がっていて、立っている者はメイリーン以外にいなかった。
メイリーン以外に、いなかったのだ。
『……みんな?』
メイリーンは辺りを見回した。みんな、どこに行ったんだろう。なんで、わたし一人しか居ないんだろう。そう不思議に思って、魔族の死体を避けながら、必死に周囲を見渡したのだ。
その時になって、やっと気が付いた。
魔族の死体の山の中に、見慣れた村のみんなの姿があることを。
『……あ』
ふと、手を開く。自分が何かを握っていることが分かったからだ。
嫌な予感がした。見るな、と頭のどこかから声が聞こえた。けれど見ないわけにはいかなかった。震える手を開き、そこにあったのは。
血に塗れた髪の束だった。
大好きな母親の、紫色の髪の毛だった。
『あ、ぁ』
──メイリーンは、天才だった。
メイリーンのもつ魔力の受け皿は、ほぼ無限と言っても良いものだった。彼女は無制限に魔力を溜め込むことができた。それは体内に無限のエネルギーを内包しているのと同じことだった。
それは正しく〝神童〟。
神にも届かんばかりの力を持つメイリーンにとっては、魔族ですらも敵ではない。
だが、闘人族は自らの力を制御できない。
一度魔力を解放してしまえば、誰かに気を失うまで叩きのめされるか、もしくは溜め込んでいた魔力が底を尽きるまで、自分の意志では止まることができない。
悲しいことに、ここにメイリーンを止められる者など居なかった。
メイリーンは自らの魔力が尽きるまで、本能のままに殺戮を続けた。
敵味方関係なく。親も友人も魔族も平等に。分け隔てなく、公平に。全てが肉塊へ成り果てるまで。
『あ、ああ、あああああ……!』
理解した。理解してしまった。
村のみんなを殺したのが誰なのか。村を滅ぼしたのが誰なのか。この惨劇が、誰の手によって引き起こされたものなのか。
もしかすると母はこうなることが分かっていて、メイリーンのことを戦火から遠ざけようとしてくれていたのかもしれない。
それなのに、そんな願いを踏みつけてしまった。大切な人を手にかけてしまった。みんなを殺してしまった。取り返しのつかないことをした。
一人になってしまった。
自分自身の行いのせいで。
『まって、まって……!』
置いていかないでほしかった。謝るから、反省するから、もう二度としないから、罰を受けるから、一人にしないでほしかった。
誰か一人でも、生きている人はいないかと。殺しておいて、そんなことを祈った。
『……、ぁ』
その時、微かに声が聞こえた。
掠れた吐息のような、今にも消えそうな声が。
『っ、あ、お母さ、……、ん……』
それは母親──だろうか。
いや、母親だ。確かに母なのだ。声で分かる。気配で分かる。娘だから分かる。……それがなければ、分からない。
一見すると誰だか判別がつかないほど、彼女の身体は酷く損壊していた。辛うじて呼吸しているが、それもあとどれだけ持つか分からない。
『……めい、りー、ん?』
彼女の唇が動く。彼女が手を伸ばす。手が宙を彷徨う。恐らくもう、目が見えていないのだ。だからメイリーンがどこに居るのか分かっていない。
メイリーンは母の手を、震えながら握りしめた。母はそれにどこか安堵したように、少しだけ笑った、ような気がした。
『お、かあ、さん。おかあさん。ごめんなさい。ごめんなさい。わたし、わたじの、せいで、みんな……!』
きっと恨んでいることだろう。憎まれたことだろう。そう思った。だから恨み言を聞き届けるつもりだった。
幼いメイリーンにも、母の命の灯が、あと僅かで消えてしまうと分かっていたから。
けれど、母は。
『めい、りーん』
涙に濡れるメイリーンの頬を、そっと指で拭って。
『……ふつうの、女の子として、生きなさい』
『……え』
『普通の、女の子として。幸せに、生きるのよ……』
そう言った。
それ以上は、何も言わなかった。それが母の最期の言葉だった。
それからメイリーンは何もなくなった村を置き去りにして、隣国であるパルギリア王国へと逃げ込んだ。
本当は、あの村で死んでしまいたかった。みんなの傍に居たかった。けれど母の最期の望みを叶えないわけにはいかなかった。
〝普通の女の子として生きること〟。
それだけがメイリーンの生きる目的であり、死ねない理由だった。
普通の人間を見て、〝普通の女の子〟は戦わないのだと知った。大多数がそうだから、自分もそうするべきだと思った。皆の思う〝普通の女の子〟を模倣して、荒事からは距離を取った。料理や裁縫などを学び、普通の女の子らしく振る舞った。そうしているうちに身に着けた技能を認められ、とある屋敷で使用人として雇ってもらえることになった。
罪の意識に苛まれながら、必死に〝普通〟のふりをした。
心を殺して〝普通の女の子〟を演じていた。
そんな中、とある一人の少年と出会った。
それは無謀にも〝勇者〟を自称する、身の程知らずの馬鹿な男だった。
綺麗な少女たちを引き連れたその少年は、魔王を倒して世界に平和をもたらすなどという大それた妄言を掲げていた。
初めメイリーンは、その少年のことを嫌っていた。
馬鹿にしていたし、見下していた。
ただの人間風情が〝勇者〟になんてなれるわけないと思ったから。
でもそんなのは建前で、本当は、心の底から彼が羨ましかったのだ。
彼は困っている人が居ればどこへだって助けに行く。堂々と誰かに救いの手を差し伸べて、胸を張って人の役に立つ。自分が誰かを傷つけるかもしれないと、そう怯えることも、臆することもない。
それが本当に羨ましくて、妬ましかった。
自分だって、本当はそうなりたかった。
でも駄目だ。だって自分は、〝普通の女の子〟にならなければ。
『──〝普通〟なんてさ。多分、その人によって違うんじゃないか』
けれど、彼は言った。
『無理をして、自分に合わない〝普通〟に合わせる必要なんてないだろう』
何も知らない癖に彼が言う。
『大丈夫だ、メイリーン。君のことは、必ずオレが止める』
いつもそうだ。
彼は出来もしないことを平然と宣う。
ただの人間ごときに、そんなことができるはずないだろう。
思い出したくもないあの一夜から、メイリーンは一度も魔力を解放していない。その間取り込み続けた魔力が、身体の中に蓄積されているのだ。
幼子の時でさえあれだけの被害を及ぼしてしまったのに、成長した今魔力を解放すれば、一体どうなることか分からない。
『メイリーン! オレを信じろ!』
出来もしない癖に。
きっと簡単に殺されてしまう癖に。
弱い人間の癖に。置いていく癖に。
──でも。
もしもこの人が、本当に、勇者になってしまうのならば……。
『……な。言っただろう』
彼は、ユウトは微笑んだ。
『必ずオレが止める、って』
『……本当に、そんなこと。でき、ちゃうん、ですねぇ』
『当たり前だろう。いずれ魔王を打ち倒す勇者が、普通の女の子一人止められなくてどうする』
メイリーンの全てを見た上で、彼は〝普通の女の子〟だと言い切ってくれたのだ。
心の中に深く沈んでいたものが、静かに柔らかく溶けていく。自分を偽り続けてきた苦しみが消えていく。存在することすら許されないはずだった、自分の中の〝普通じゃない部分〟を、やっと受け入れることができた。
『……ユウト様』
ユウト・マーロウ。
未来の勇者。世界で一番強い人。
わたしを救ってくれた王子様。
わたしを唯一〝普通の女の子〟と言ってくれた人。
『ユウト様ぁ~っ!』
それからというもの、メイリーンは彼にずっと恋をし続けている。
彼のパーティに半ば押し掛ける形で加入し、彼専属のメイドとしてパーティを支え、時にはバーサーカーとして魔族を屠ってきた。
パーティにはメイリーンの他にもユウトに恋する少女たちが居た。皆事情は違えどユウトを心から愛し、我こそが彼の妻の座を射止めんと画策していた。
互いを牽制し合い、睨み合い、抜け駆けをするものが居れば叩きのめし、自分だけは周りを出し抜こうと切磋琢磨し競っていた。
同じ男を好いた者同士、当然折り合いは悪かった。けれど熾烈な正妻争いを繰り広げるうちに、奇妙な連帯感も生まれていたのだ。
つまり、「彼の正妻として選ばれるのは、このパーティメンバー四人のうちの誰か」であると。
✱
だというのに、突如として伏兵が現れた。
その少女の名前はナナ。彼女はユウトの幼馴染であり、現在はユウトの家でメイドとして働いているらしい。
メイリーンは衝撃を受けた。
ユウトに幼馴染が居るなど全く知らなかったからだ。
ユウトは自らのことをあまり語らない。自分の過去を喋らない。ただ黙って自分のやるべきことをやる。寡黙で硬派な、鋼のような人なのだ。そういう所もクールでかっこいいと思っていた。
だから、まさか幼馴染が居るだなんて思わなかった。しかも見る限り、かなり親しげな様子である。
けれど話を聞く所、二人はあくまで〝ただの幼馴染〟らしい。
その確認を取った際に、やけにユウトが暗い顔をしていた点は気にかかるが……とにかく二人が付き合っているだとか、婚約しているだとか、そういうわけでは全くないらしかった。
それはつまり、メイリーンにも彼の心を射止めるチャンスは残っているということだ。
……大体、幼馴染がなんだというのだ。こちらは彼の旅に付き添っていたのだ。そこにはただの幼馴染には越えられない絆がある。積み上げてきた時間の質が違う。
ただ少し出会うのが早かっただけの人なんかに、絶対に負けたくない。負けられない。
「……??」
ナナと名乗った黒髪の女は、調理器具を顔の前に掲げつつしきりに首を傾げている。恐らく使い方が分からないのだろう。メイリーンは密かに勝利を確信した。
旅の道中、メイリーンはパーティの食事事情を一手に支えていた。料理の腕には自信がある。あの高飛車で傲慢なミレイユですらも『まあ、あなたの作る料理だけは悪くないわね』と高く評価していたほどだ。
何よりユウトも、何度もメイリーンの作った料理を『美味しい』と言って褒めてくれた。
あんなどこの馬の骨とも知れない女の手料理よりも、絶対に美味しいものが作れるという自信がある。
彼のメイドにも、お嫁さんにも、相応しいのはわたしの方だ。
わたしの方が彼の役に立てる。わたしの方が彼を愛している。ただの幼馴染なんて蹴散らしてやる。
メイリーンはそう意気込みながら、これまで培ってきた技術の全てを惜しみなく注ぎ、渾身の料理をこしらえた。
「できました、ユウト様ぁ!」
今だモタモタと調理を続けるナナを歯牙にもかけず、メイリーンは彼の前に作り立ての料理を次々と並べていく。
「黒牛のシチューに、木の実のサラダ、それから果実を使ったスープと、ちょっとしたデザートも用意してますぅ!」
豊かな香りが湯気と共に広がる。
もう少し時間があればパンも焼いた所だが、仕方がない。むしろこの短時間で拵えたにしては中々の品数と言えるだろう。
横目でナナの状況を確認する。彼女は今だ悪戦苦闘している様子で、とても素晴らしい料理が用意できているようには見えない。
「はぁい、ユウト様。召し上がってくださぁい!」
「……ああ。それじゃあ、頂こう」
そう言って、彼が木の匙でシチューを掬う。形の整った口へと運ぶ。メイリーンは胸を弾ませながらその様子を見守った。
「……うん」
彼は頷いて、地に足のついた声色で言う。
「相変わらず、とても美味しいな」
「! そっ、そうですかぁっ!」
メイリーンは彼に見えない所で両手の拳を握りしめた。
彼の評価も当然だろう。これはメイリーンが持ちうる限りの愛情を込めた料理だ。ただの食事とは訳が違う。彼のためを思い、彼のためだけに作ったものだ。
彼の言葉を受け、メイリーンは夢想した。
職を失うのは少し可哀想だが、恋する乙女の仁義なき戦いに情け容赦は必要ない。彼女を蹴落としてでも、自分は彼のメイドの座に収まるのだ。
旅の道中とは違い、ここでは彼と二人きり。彼との時間を邪魔する者はない。それは何と幸せな未来なのだろう。少し鈍感なところのある彼も、きっと一つ屋根の下で二人きりの蜜月を過ごせば、こちらの気持ちに気づいてくれるだろう。
と、そんな甘い夢を見ていた時のことだった。
「……で、できた、ぞぉ……」
ナナが片手を上げて言った。
けれどその声は自信なさげに頼りなく震えている。何とも覇気のない、聞いているだけで気の抜けるような声色だった。
すると彼女は両手で小鉢を持って、それをユウトの前に置いた。その小鉢には、すりおろされて原型をとどめていない薄黄色の何かが盛られている。
「……なんですかぁ、それ?」
思わずメイリーンは尋ねてしまった。
彼女が差し出してきたそれが、とても料理とは呼べないような代物だったからだ。
辺りを見回したが、他の料理を用意している様子もない。彼女は本当に、この時間でこれだけの物しか作れなかったようだ。
「……き、黄林檎を、すりおろしたやつ……」
「……すりおろしただけ、ですかぁ?」
どうやら、本当にそうらしい。
メイリーンは呆気に取られた。これでは全く勝負にならないではないか。勝利を噛みしめるよりも先に、呆れの感情が前へと飛び出てしまう。そんな手抜きの料理とも呼べないものを彼の前へと並べるなんて、どういうつもりなのだろう。
メイリーンは深いため息をついて、それからユウトへ視線を向けた。
きっと彼も、何とも言えない表情で苦笑していることだろうと思ったのだ。
だと言うのに。
「……へ?」
ユウトは真剣に彼女の作った料理に向き合って、それを噛みしめるような表情を浮かべて味わっていた。
ただ果実をすりおろしただけだ。何の工夫もない料理、のはずだ。
なのに彼は、それを世界で一番美味しいものに出会ったかのような顔をして食していた。
不安が胸を過る。
絶対にそんなはずはない。誰が食べたって、きっとメイリーンの作った料理の方が美味しいと思うはずだ。
なのに、彼の顔を見ていると心が騒めく。
だって、あれはまるで。
「……ええと。二人とも、作ってくれてありがとう」
二人の料理を綺麗に食べ終えて、ユウトは頭を軽く下げつつ言った。そして頬を掻きながら、少し太めの青い眉を下げる。
「その、勝負? についてなんだが。どちらかの料理を選べばいいんだよな? 選ぶ基準はあるのか?」
「そっ、それはもう、ユウト様がより良いと思ったものを……」
「そうか。遠慮なく、言っていいんだな?」
「はっ、はいっ! 勝負は勝負! 恨みっこなしですから!」
「なら……」
「……えっ?」
「オレは、こっちだな」
そう呟くと彼は、迷いなく手に取った。
手の込んだ豪勢な料理──ではなく、簡素で味気ないナナの料理を。
「うん。すまないが、オレはこっちが好きだ」
「…………えっ?」
自分が選ばれると思っていた。
なのに彼が選んだのは、メイリーンの作ったものではなかった。頭が真っ白になって、足元が暗くなる。
「なっ……なんでですかぁっ!?」
気づけば疑念が口から溢れ出ていた。
勝負は勝負。恨みっこなし。そう宣言したのは自分なのに、いざ自分が選ばれなかったとなると、手のひらを返したように問い質してしまう。
「どっ、どうしてですか!? だってユウト様、美味しいって、言ってくれて! それに、わたしの作ったものの方が、絶対に──!」
「それはだな……」
「──フフン。君は知らなかったようだが、ユウくんの好物はこの黄林檎のすりおろしなんだ」
メイリーンは顔を上げた。
そこには自慢げに腕を組んで胸を反らすナナの姿があった。つい先程までは自信なさげに俯いていたのに、今は我が世の春とばかりに顔を輝かせている。明らかに調子に乗っていて、腹立たしい。
しかしそれはともかく、好物とは一体どういうことなのか。それは本当なのか。目を見開いてユウトを見つめると、彼は首を縦に振った。
「そうだな。好物が何かと聞かれたら、その通りだな」
「そっ、そんな……! 卑怯ですっ! ずるいですぅっ!」
メイリーンは目尻に涙を浮かべ、首を横に激しく振った。
そんな大事な情報を黙っているだなんて卑怯ではないか。メイリーンだってそれを知っていれば、きっと同じものを作っていた。
けれどナナは悪びれもせず、唇を尖らせて堂々と言う。
「卑怯って言われても……。そもそもそっちだって自分の得意分野で挑んできたじゃん……」
「うっ。そ、それは……」
そう指摘され、言葉に詰まる。
彼女の言葉は正しかった。自分なら必ず勝てる、という確信を持っていた。その上で彼女へ勝負を仕掛けたのだから、彼女を狡いと糾弾するのはお門違いにも程がある。
「で、でもぉ……」
それでも諦めきれなかった。自分が愛情込めて作ったものが、あんな簡素で手を抜いた一匙に負けるだなんて、納得ができない。
するとその時、ユウトが軽く片手を上げた。
彼はナナの肩を小さく叩き、困ったような声色で言う。
「ナナ。ナナ」
「ん? なんだ。私を褒め称えるか?」
「お前は勘違いしてるかもしれないが、別にこれを特別に美味しく感じているというわけじゃないからな」
「アエーーーーッ!?」
ユウトは黄林檎のすりおろしを指さしながら言った。ナナはその言葉に驚愕して仰け反る。
メイリーンもまた「えっ!?」と叫んだ。それは一体どういうことだろうか。
ユウトは気まずそうに頭を掻いて、そして腕を組んで唸るように言う。
「味だけで言えば、そりゃ断然メイリーンの作った料理の方が美味い。手の込み方が違うしな」
「そっ、そうですよね……?」
「……でもオレにとっては、ナナの作ってくれたコレが、一番美味しい料理なんだ」
彼が言う。大切な古い記憶の箱を、そっと静かに開くように。
「実は昔、オレはものすごく身体が弱かったんだ」
「えっ? ユウト様が?」
「ああ。とある病気を患っていてな。オレは地獄みたいな毎日を送ってた」
そんなこと、知らなかった。
四年も共に旅をしていたのに、何一つ。
彼は自分のことを語らない。いつも仲間のことを気遣っていて、仲間のことを一番に考えている。
特定の特別は作らない。皆を平等に大切にしていて、皆へ公平に振り向かない。そんな人だとばかり思っていた。
だというのに、ここに来てからその常識が、いとも簡単にひっくり返される。彼への印象が音を立てて変わっていく。
ずっと、彼が知らない顔ばかり見せるのだ。
そんな顔をしないで。
わたしのことを特別にしてくれないなら、誰のことも特別にしないままでいて。
「そんな時に、ナナが初めてコレを作ってくれたんだ。『死にたくないなら食べて体力をつけることね。ありがたく思いなさい』なんて言いながら」
「わっ、私ってそんなに高圧的だった……!?」
「言っておくけど、昔のナナは本当に感じが悪かったからな」
「そっ、そんなに言うほどじゃないでしょ! そりゃ確かに、ちょ~っと人当たりが悪かった感は否めないけど……」
「そんなお前が、こんなに人間味溢れる感じになってなあ……」
「おいしみじみするな。恥ずかしいでしょうが」
「……まあとにかく。そういうわけで、オレにとってはコレが思い出の味なんだ。多分これからも一生、これ以上に好きなものには出会えないと思う」
ガラガラと音を立てて、心の中の何かが崩れていく。
だって、こんなの。
こんなの、どうやったって。
「……そう、ですか」
唇を噛む。ここで涙を零しては、余計に惨めになるだけだ。だから腹の底に力を込めて、何とか涙を食い止める。
メイリーンは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。そして目をぱっちりと開き、両手の拳を握りしめる。
「そう、だったとしても! わたしは、絶対絶対諦めませんっ!」
メイリーンは力強く宣言した。
彼への恋をそう簡単に諦められるわけがない。たとえ彼の心がどこを向いていたとしても、絶対に折れない。
「ナナさん!」
「あっ、うぇッ?」
「今日の所は負けを認めますが、次は絶対にわたしが勝ちますぅ! そして、ユウト様の心を必ずあなたから奪いますッ!」
今日は彼女に勝ちを譲る。だが次は必ず彼を振り向かせてみせる。
メイリーンはそう意気込んで、彼への恋心を更に強固なものへと昇華させた。ナナを真の恋敵と認め、必ずや彼女を打ち倒すと誓う。
「その時まで、待っててくださいねっ。ユウト様ぁ!」
メイリーンはそう言い残し、蝶が舞うような軽やかさで彼の家を後にした。
一方的に果たし状を押し付けられたナナはと言うと。
「……なっ、なんて押しの強い子だったんだ……!」
と彼女の積極性に慄き、肩を抱いて身を震わせるのだった。




