#6 適応力SSS
とこのように、好待遇に釣られて丸腰で彼の家までやってきてしまったナナだったが。
座り心地の良いソファに腰かけ、気分をゆっくりと落ち着けた所で、やっと疑念が胸へと舞い戻ってきたのだった。
つまり、「一体自分は何のために連れてこられたのか」と。
ただ単純にナナの家事能力に期待している……ということは有り得ないだろう。彼はナナの自堕落具合を知り尽くしているし、極度のズボラ体質であるということを把握しているからだ。まともな神経を持った人間ならば、ナナのように怠惰な人間を使用人として雇おうとはまず思わない。
大体、彼のハーレムパーティには確かメイドが居たはずだ。心を許せる人物に家の手入れを頼みたかったのだとしても、それなら彼女に金を払って雇えば良い話だろう。
ナナは唇の下に皺を寄せ、激しく頭を悩ませた。彼がわざわざ基準以上の報酬を払ってまで、こちらを雇おうとする理由が分からない。
そんなふうに首を捻っていた時、ナナは一つの可能性に思い当たった。
「まさか……!」
「?」
口を両手で覆いつつ、対面に座った彼を見る。
ナナは思った。
まさかこの男、気分転換に地味幼馴染も攻略するつもりなのか、と。
きっとそうに違いない。正統派美少女に飽食した彼は、味変感覚で変わり種に手を出そうというのだ。
ハーレムパーティでは飽き足らず、これまでとは違うイロモノ枠にも食指を伸ばそうというわけだ。
何という向上心の塊だろう。彼が小指の先ほど小さかった幼少期の頃からの長い付き合いだが、まさかこんなにも性的に野心溢れる男だとは思わなかった。
とんでもないスケベ野郎である。正に〝英雄色を好む〟という言葉に違わぬ生き様だ。呆れを通り越して一種の感嘆すら覚える。
「凄い男だな、お前は……」
「な、何の話だ……?」
驚嘆の念がこもった視線を送ると、ユウトは困惑した様子で首を傾げた。
それから彼は一拍間を置いて、突然前触れなく立ち上がる。ナナは彼の端正な顔を見上げた。
「どこかに行くの?」
「ああ。街へ買い出しに行ってくる。今家に二人分の食材がないからな」
「私もついていった方がいい?」
「いや、オレだけで大丈夫だ。お前は家でゆっくりくつろいでいてくれ」
普通こういう雑務をこそ使用人に任せるのではないか。そう思うが、しかし彼はナナを置いて家から出て行ってしまった。
ナナは周囲を見回してみた。
国王からの褒美にしては小規模な屋敷だが、それでも一人で暮らすには確かに余分なほど広すぎる。まだ暮らし始めて間もないのか、部屋にはあまり生活感がなかった。必要最低限の家具は拵えられているが、使い込んでいる様子はない。
彼は勇者として忙しいから、もしかするとあまり家で過ごす機会がないのかもしれない。その間の整備を任せるためにも使用人を雇う必要があったのかもしれなかった。
さて雇われたからには、流石に何か事を起こさねばならないだろう。
何もせず甘えているだけでは、森の奥で暮らしていた時と何ら変わらない。ナナは決めたのだ。自堕落な自分とは決別し、自らの手で生きるための資源を手に入れ、立派な大人として自立すると。
そう考えたナナは、まず手始めに家の掃除をしようと決意した。掃除用具の置いてある場所が分からないので、手元に雑巾とバケツ、それから水を魔法で生み出す。
「ん、しょっ……」
雑巾を水につけて絞り、床を丁寧に磨く。手を三往復させて、それから「ふう……」と息を吐きつつ額を拭う。
「広いわ!」
そしてナナは雑巾を床に叩きつけた。
あまりにも部屋が広い。ナナ一人の手には余り過ぎる。こんな部屋がいくつも、しかも二階まであると考えると、想像しただけで悪寒が走った。
「こんなんまともにボチボチやってたら気が狂うわ……」
ナナは世の中の使用人たちを心から尊敬した。仕事なのだから当然だろうが、よく毎日こんな苦行を繰り返し完璧に行えるものだ。
ナナの神経はこの気配りと忍耐の求められる作業に耐え得る造りをしておらず、そのため開始五分で根を上げる結果に終わったのだった。
「……仕方ない。床磨きはゴーレムに任せよう」
ナナは潔く見切りをつけて、数体のゴーレムを魔法で作り出した。特殊な素材に術式を組み込み、床を掃除するように命令する。
その間ナナは他の仕事に当たるという作戦だ。これならただ作業を効率化しているだけだし、サボっているという判定にはならないだろう。
「じゃあ私はお風呂掃除を……」
腕捲りをして意気込む。
けれどこれもよく考えてみれば、それなりに体力を使う作業だ。非力なナナでは細部まで綺麗に出来ないかもしれない。となるとここもゴーレムに任せた方が合理的だ。
「なら庭の草抜きでも……」
却下。日に当たるなど言語道断だ。暑いのは嫌いだし疲れるのは嫌だ。今後も外での作業は全てゴーレムに任せることにする。
「じゃあ、えっと、二階の掃き掃除を……?」
却下だ。階段を上るのがキツい。
ゴーレムに任せる。
「……。……。……うん! ゴーレムに任せた方が早い!」
ナナは軽快に手を叩いた。
楽な道があれば即座にその道を選択する。茨が見えたらすぐに撤退する。それがナナという人間だった。
どれほど固く決意した所で、人間性とはそう簡単に変わるものではないのである。
✱
一方その頃、ユウトはと言えば。
「好きな子を金で買うなんて、最低だぁーッ!!」
酷い自己嫌悪に駆られ、周りの景色を置き去りにするような速度で街を走っていた。
その場の空気に耐え切れず、「買い出しに行く」という建前を広げて逃げ出してしまったことも含めて、自分の不甲斐なさに反吐が出る。凄まじい速さで通り抜けていく影に周囲はギョッとした素振りを見せるが、そんな反応すらも視界に入らない。
自分はなんと最低な男なのだろう。
彼女の弱味に付け込んで、絶対に断れない状況で彼女に同居を押し迫ったのだ。
彼女が断れないと分かっていて、「使用人として雇う」などという腐った提案を押し付けた。金で彼女を買って、その上で自分の支配下に置こうとした。
「人として横恋慕は良くない」などと綺麗事をのたまった癖に、結局これだ。
勇者失格、最低最悪、魔王より魔王、そんな言葉が頭に浮かぶ。頼むから今すぐ誰か殺してほしい。
何よりも。
何よりも許せないのは。
「こんな……、こんなことをしておいて……!」
こんな形でも、彼女の傍に居られることを喜んでしまう身勝手さが、何よりも許せなかった。
ナナはきっと、耐え難い苦痛に苛まれていることだろう。他に恋人が居るにもかかわらず、弱味を握られたために好きでもない男の家で暮らすことになった。幼馴染だと思っていた相手に金で買われ、彼女の自尊心はいたく傷ついたことだろう。
やりたくもないことをやらされ、居たくもない場所に縛り付けられる。それはどれほどの重苦だろうか。
彼女のためを思うならば、今すぐにも家に帰って彼女に土下座して、彼女を解放するべきだ。弁償などどうでも良いからと言って、魔が差したことを真摯に詫びるべきだ。
そもそもあの壊れた商品だって、元はと言えばナナに贈る予定だった物なのだ。告白に成功したら渡そうと思っていた物だ。だからそれが破損した所で、ナナには何の責任もない。
なのに、どうしても身体が自由に動かない。
頭の中でもう一人の自分が、「これは良い機会じゃないか」と甘言を囁いてくる。
これは正当な権利で、何ら問題のない行いなのだと嘯く。共に過ごす時間が長いほど、きっと彼女は絆されてくれる。今いる恋人よりも、オレの方を好きになってくれるかもしれない。オレの方を好きになってほしい。ていうか恋人って誰。オレの知ってるヤツ? オレよりカッコいい? オレより強い? オレじゃ駄目? オレだってほら……あの……魔王とか倒せるし。世界を平和に出来るし、あとお前の好きな物なら何だって買って帰るし、絶対に記念日を忘れないし、毎日百回好きって言うのに。
「……はあ……」
結局彼女との暮らしを手放す決意が固まらず、ユウトは自身への軽蔑に苛まれながら、市場で数日分の食料を買い込んだ。
家へと向かう。けれどその足取りは重い。帰って彼女の顔が見たい。でももし帰って扉を開けた時に、彼女に干からびた蚯蚓を見るような視線を向けられたらどうしよう。
そんな相反する感情に苦しめられながら、玄関の扉を開け、リビングへ繋がる扉を開ける。
「んー。ゴーレム、水取って」
するとそこには、ソファにだらしなく寝転がって魔導書を読むナナの姿があった。
彼女は足を揺らしながら、ゴーレムに自らの世話を焼かせている。それだけではなく、よく見渡せば部屋中で小さなゴーレムが働き回っていた。
「……んん? ああ、ユウくん。おかえりぃ」
ナナは魔導書を持ち上げ、ちらりとこちらを見て、そして呆気なくそう挨拶をした。そのくつろぎようは、まるで数十年間慣れ親しんだ実家の居間で昼寝をしているような有様である。
それから数秒経ってユウトの帰宅を真に理解した彼女は、本を顔の上に落とし、悲鳴を上げて起き上がる。
「ユッ、ユウト!? かっ、帰ってきてたの!?」
「……ああ」
「あっ。えっと、これは、その、違うんだよ? 別にサボってたわけじゃなくてだね。こうした方がより効率が良いからであって、決して動くのが面倒になったとか、そういうわけじゃ……」
両手を彷徨わせながら、彼女が必死に弁明する。
その姿を見て、ユウトは身体から力が抜けていくのを感じた。
思い悩んでいたのが馬鹿らしくなるほど、彼女は既にこの生活に適応している。その姿に苦痛を感じている様子はなく、むしろこれ以上ないほどだらけ切っていた。
「……はあ……」
あまりの図太さとふてぶてしさに、思わず魂が抜けていくかと思うほどに重いため息が出る。
それに対しナナは毛を逆立てて、「何だ? 何のため息だ? 失望か? 解雇なのか?」と慌てたように呟くのだった。
✱
「それじゃあその……改めて」
咳払いをしつつ、ユウトが表情を引き締めてそう切り出す。ナナは机を挟んで彼の真正面に座り、首を小さく縦に振った。
「お前に頼みたいのは、主に掃除と洗濯だ」
「そりゃもう任せてよ! 私のゴーレムに!」
「ゴーレムになのか……」
ユウトが遠い目をして呟く。
しかし仕方がないだろう。ぶっちゃけて言うと、ゴーレムの方がナナよりも優秀なのだから。このゴーレムは一度作ってしまえば大気から魔力を吸収して半永久的に動く。ナナの研究の中でも群を抜いて利便性の高い発明品なのだ。
するとユウトは少し眉間に皺を寄せて、手元のゴーレムを撫でながらこう尋ねた。
「……質問なんだが、お前は料理が得意か?」
「……まあ、それなりに?」
「そうか。で、本当は?」
「……生きるのに最低限の食事しか取っておりませんでした……」
「四年間?」
「四年間……」
「……改善する」
「へ?」
「オレの家では必ず一日三食食べさせる」
「えええ。そんな面倒な……」
「お前に拒否権はない。いいか、絶対に食べさせるからな」
「わっ、分かったよ……」
彼の顔の近さにドキドキしつつ、ナナは小刻みに頷いた。仕方がない。ナナは彼に逆らう術など持ち合わせていないのだ。
ユウトは疲れたように眉間を押さえ、それからよく鍛えられた腕を組む。
「とは言え、オレもそれほど料理が得意なわけじゃないしな……」
「冒険中はどうしてたの?」
「食事面は仲間が担ってくれていた。オレは主に狩りや野営のための設営を担当していたな」
「へえ……さいですか……」
「? なんで不機嫌になるんだ」
ナナは彼から顔を背けた。つまり彼は冒険中、あの美人四人組に甲斐甲斐しく世話を焼かれていたわけだ。何という良いご身分だろうか。
ユウトは首を傾げつつ、形の良い顎を引いて言った。
「オレもこの機会に料理を覚えようと思う」
「……私も。ゴーレムに料理本を読み込ませておくよ」
「やっぱりゴーレムなのか……」
たんまりと給料を貰っておいて、食事を雇い主に用意させるのはいかがなものだろうか。流石のナナもそう思ったので、料理担当のゴーレムも作っておくことにした。
「他に何か気になることはあるか?」
そう尋ねられ、ナナは視線を上に向けた。
そして両手を合わせ、「そういえば」と思い出したように言う。
「制服的なものはある?」
「制服?」
「こういうのって、一目見て使用人だって分かるような服を着るもんじゃないの? ほら、メイド服とか」
ナナが指を立てて言う。
その瞬間に頬杖をついていたユウトは、ガクン! と顎を滑らせて額を机に打ち付けた。
額から血を流す彼を見て、ナナは両手の指を合わせて「そ、そうだよね……」と呟く。
「に、似合わないよね。ああいうの、私には……」
「そんなことはない」
「うえっ?」
「似合う。絶対に似合う」
「そっ、そう……?」
「ああ。世界で一番似合うだろう」
「言い過ぎでは……」
「何なら今着てくれたっていい」
「今!?」
「実はもう用意してある……」
「おお……準備が万端過ぎて怖いな」
ナナはじっとりと湿度のこもった眼差しを彼に向けた。
やはりこの男、並々ならぬスケベであると見て間違いない。しかもその上メイドが性癖なのだろう。分かりやすいことこの上ない。鶏がらのごとく痩せこけた幼馴染にすらメイド服を着せて楽しもうというのだから、筋金入りである。
「……ね、ねえ。これ、ちょっと丈が短くない? スースーして落ち着かないんだけど……」
「──」
「ユウくん? ユウト? ねえ、聞いてる?」
「……っ!」
「な、泣いてる……!? なんで!?」
「……オレが使い物にならなくなるからもう少し丈の長い物にしよう……」
「……? おお……?」
結局足がほとんど隠れるくらいに丈の長い制服を着ることになった。裾を踏んで転ばないように気を配らなくてはならないが、足を剥き出しにするよりも安心感がある。
「……ええと」
ナナは居住まいを正し、頭の上にのせたヘッドドレスの位置を微調整してから、いまだどこかぎこちない態度のユウトへと向き直った。
「それじゃあ、借金を返すまでの間にはなるけど……やるからには私も真面目に働かせる。ゴーレムを」
「あ、ああ」
「それまで、よろしくね。ユウくん」
ナナは彼へと右手を差し出した。
彼は何度も首を縦に振って、ナナの右手を握りしめた。こうして契約は正式に成立し、ナナは本格的に彼の家に住み込むこととなる。
先行きは不透明だ。
けれど話を聞いてみれば、これほど割の良い仕事もない。
彼の真意は今だ不明のままだが、こんなにも綺麗な家で暮らしつつ、制服も支給され、給料も破格で、待遇も良いとなれば、断る理由が見つからない。
ナナは「なんだ。とんだハーレム野郎だと思ってたが、やっぱり良い所もあるじゃないか……」と思いながら、彼の手を固く握る。
「……なんかベタベタしてない?」
「……気のせいだ」
その彼の手のひらが絞る前の雑巾のように手汗で濡れていた理由は、よく分からないままだったが。
オチが味気ないなと感じたので、修正しました。




