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#5 新たな幕開け




 ──拝啓、父様、母様、お元気でしょうか。

 四年もの間社会と断絶し引きこもり続けた娘は、今日から自身の二本足のみでこの大地を踏みしめようと思います。


 と、ナナは固く決意した。

 要するに独り立ちをすることに決めたのだ。

 というのも数日前、ナナの心に大きな傷をつけるような大事件が起きた。ナナは失恋の上に虚言という恥を上塗りし、耐え難い虚無感に苛まれたのだった。


 しかしそれもこれも、全ての元凶はナナが怠惰に溺れていたことである。反射的に見栄を張ってしまうというのは、つまりそういうことだ。

 明るく充実した人生を送る成功者を「面倒事に囲まれて大変ですなぁ」と冷笑していたが、きっと心のどこかでは憧れていた。自分の現状に対して胸を張れなかったからこそ、嘘をついてまで自分を盛り立てようとした。


 ナナは悟った。

 このまま何もせず、楽な現状を維持し続け、面倒事から逃げ続けていては、救いようのない駄目人間のまま生涯を終えてしまうと。

 別に逃げることは悪じゃない。けれど、人間は困難を通過して初めて成長する。辛い事、苦しい事から逃げれば、その分自分だけがいつまでも幼稚なまま取り残されてしまう。自分を置いて大人になってしまった人をいつまでも羨ましがり続けて、コンプレックスに苛まれることになる。


 変わるチャンスがあるとすれば、それはきっと今しかない。現状打破の糸が、やっとナナの人生にも降りてきたのだった。


「私は、変わる!」


 そのために王都にやってきたのだ。

 両親にも既に「仕送りはもうしなくても平気だ」と手紙を書いて送ってある。後ろ盾を自ら切って退路を封じた。これからは自分一人の力で稼がなくては生きていけない。

 森の屋敷には自動で動くゴーレムを残してきてある。これで空き家になったとは言え、思い入れのある屋敷も綺麗に保たれるだろう。


 引きこもり生活から脱し、これからは自らのみの力で生きていく。

 そうしていつか、嘘を真にしようと思う。この王都に力強く根を張って、あの時口を突いて出た見栄を真実のものとする。素敵な恋人を見つけ、今度こそユウトの前でも胸を張って誇れる自分になる。

 普通の人間にとっては些細なものかもしれない。けれどナナにとっては、これこそが運命を変える偉大なる第一歩なのだ。


「んにッ」


 そしてナナは、盛大にローブの裾を踏みつけた。

 爪先が服の端に引っかかって、細い身体が前のめりになる。


「あっ」


 その衝撃で、握りしめていた杖が手のひらからスコンと抜ける。そしてクルクルと円を描きながら、華麗に宙を舞い。


「……あっ」


 それはもう見事に、丁度街路を走っていた馬車にぶつかった。

 ナナの杖が馬の横顔を張り倒し、馬は突然の殴打に驚き戦慄いた。


「なっ、なんだ!?」


 御者が仰天し、馬を落ち着かせようと試みる。しかし馬は跳ねるように暴れ、荷台に積まれていた荷物が地面にぶつかって弾けた。


「あっ。あー……」


 目の前には無残に崩れた荷物と、どう見ても高価な商品の残骸がある。ただでさえ白いナナの顔から更に血の気が引いていく。


 運命を変える偉大なる一歩目は、気絶したくなるほど悲惨なものだった。







「一体どう責任を取るつもりだ!!」


 全く返す言葉もない。

 馬車から降りてきた商人に怒鳴られ、ナナは猫背になってフードで顔を隠すことしか出来なかった。

 商人の顔には青筋と脂汗が浮かんでいて、壊れた商品が随分と貴重なものであったと伺える。荷台に積まれていた品物は脆い魔晶石で出来ていて、ナナのやらかしのせいで粉微塵になっていた。


 他人に怒られた経験に乏しいナナは萎縮し、辺りを頼りなく見回した。

 周囲は怒鳴られるナナを遠巻きに眺めている。ナナは服の端を握りしめ、そして激怒中の商人を見上げて言う。


「あ、あのぉ……。壊したものと、同じ品を見せてもらえれば、たぶん、直せると思い、ますが……」

「そんなものあるわけないだろ!」


 魔法の根幹にあるのは想像力だ。イメージこそが要であり、要するに構造さえ理解していれば何でも自由に創造できる。

 だから壊した品物の修復を提案したのだが、しかしそれでも商人の怒りは収まらなかった。


「この首飾りも指輪もな! とある御方から頼まれていた特注品なんだよ! 世界に一つしか存在しない物なんだ!」

「ゔ……」

「それを、お前は……! 一体どう落とし前をつけてくれるんだ!」


 商人の怒りはもっともだ。他に模造品のない唯一無二の品ともなれば、きっと作り直すにも時間と手間がかかるだろう。どれほどの費用がかかるかも分からず、どう弁償すれば良いかも検討がつかない。実家からの援助もつい最近断ったばかりで頼りにくい。

 ナナは頭を抱えて目を回した。一体自分はどうすれば良いのだろう、と。


「──問題ない」


 けれどその時、空気を切り裂くような凛とした声が響き渡った。

 個人的な衝突に突然割り込んできた第三者に、商人の男は「ああ?」と怪訝そうに荒れた声を上げる。しかしその第三者の顔を見た瞬間に、血相を変えて口を開けた。


「アンタ、いや、あなた様は……!」


 釣られてナナも視線を上げて、そして「ギョワっ!」と蛙が潰れたような悲鳴を漏らした。

 そこに立っていたのが青髪の美青年、幼馴染である勇者ユウトその人であったからだ。

 彼は地面に散らばった魔晶石の欠片を摘まみ上げながら、商人へとその凛々しい顔を向けて言う。


「これは確か、オレが貴方に頼んでいた品だろう?」

「え、ええ。はい。しかし、この通り……」

「壊れてしまった、と。だが、構わない」

「!」


 どうやら商品を特注していたのはユウトだったらしい。ナナは殊更に居たたまれない気持ちになって、フードを深く下げて顔を隠した。

 ユウトはナナの正体に気づかないまま、落ち着いた調子で商人に語り掛けている。


「壊れた商品はそのまま受け取ろう。代金も約束通りの金額を支払う」

「よ、よろしいの、ですか?」

「ああ。……どうせ、使い道を失ったものだ。もしかするとこれは、〝諦めろ〟という神からのお告げだったのかもな……」


 彼は光のない目で笑って言った。

 客である彼本人が言うのならば、商人に文句を述べる理由などない。商人は「は、はあ」と要領を得ない様子で頷いて、「それならば、良いのですが……」とナナを横目でチラチラと確認しながら呟いた。

 トントン拍子に話が進んだせいで、展開についていけていない。けれど、どうやら自分が九死に一生を得たらしいということは分かる。ユウトの慈悲深さによって窮地を脱したようだった。


 ナナは胸を押さえ、深く息を吐いた。

 そして振り向いたユウトに声をかけられ、思わず身体を震わせる。


「大丈夫か? 怪我はなかったか?」

「あ、う、はい……」


 失態を間近で目撃された上に、それを華麗に庇われた。

 感謝の気持ちは当然あるが、それ以上に恥ずかしくて居たたまれない。ナナは唇を噛みしめた。正体がバレない内にとっととこの場を立ち去ってしまいたい、と思いながら。


「あ、ありあり、ありがとう、ごじゃりました……!」


 頭を深く下げたまま後ろに下がる。ユウトから距離を取る。礼はしたい、がそれはそうとして顔を見られたくない。

 けれどそんな願いも空しく、彼は何かに気づいたように瞼を上げた。そして彼は一歩踏み込み、ナナの手首を握りしめる。


「君……いや、お前、は」


 彼が空色の目を大きく見開く。

 フードの端を掴まれ、脱がされる。日差しが顔に当たって眩しい。ナナは思わず目を細めた。


「なッ……ナナ!?」


 目元を両手で覆ったが、時すでに遅し。

 ユウトは小柄な黒衣の女の正体に気づき、ナナは顔色を更に悪くしたのだった。

 まずい。彼に正体がバレてしまった。このまま隠し通して逃げおおせようと思っていたのに。

 すると彼は口を魚のように開閉させ、震える指先をナナへと向ける。


「な、何でナナがここに……?」

「それは……」


 ナナは気まずく思いながら両手の指を突き合わせた。

 先日の一件もあり、今一番彼とは顔を合わせたくなかったと言うのに。しかも王都にやってきて早々の失敗を見られてしまい、後ろめたいことこの上ない。

 ナナはフードで顔の半分を隠しながら、息を詰まらせつつ曇った声で答えた。


「その、たまには家から出てみようと思って」

「……旅行か?」

「いや。その。というより、森を出てこっちに移住するのも良いかなぁ、なんて」

「王都に移り住むのか!?」


 ユウトはあんぐりと口を開けた。

 まさか「恋人を探すためです」などという真実は到底打ち明けられそうにない。彼から向けられる視線がいやに痛く、肩身の狭さを痛烈に感じる。


「まあ、そういうわけだから……。壊した商品の件は、ホントゴメン! ユウくんが許してくれて助かった! そうじゃなきゃ王都に来て早々借金漬けになって、馬車馬のように働かされる所だったよ……」


 息を吸って気分を切り替え、再度さっくりと彼に謝罪をする。両手を合わせて、大袈裟なまでに頭を下げた。

 近頃は色々あったが、とにかく彼は本当に心根の優しい男なのだ。やたらとモテるのも納得できるほどに、彼は善良で気立てが良く、滅多なことでは怒らない。


 すると彼はスッと音を立てて息を吸い込み、長い青色の睫毛を伏せた。そしてナナの肩に手を置き、彼の周りに光の粒が舞っているのかと錯覚するほど眩しい笑顔を浮かべて言う。


「いや全然普通に許してないが?」

「エェーーーーッ!?」


 訂正だ。

 滅茶苦茶怒っていた。


「でっ、でもさっき〝別に構わない〟って……」

「気が変わった」

「気が変わった!?」

「すごく高くて貴重なものだったのでとても悲しい」

「ぐっ、ぐうの音も出ませんで……」


 彼の好意に甘えようとしたが、その考え自体が甘かった。彼の優しさに漬け込んで失態を有耶無耶にしようとしていたが、そんな浅はかな思考が許されるはずもなかった。

 どうやら彼はナナが思っていた以上に怒り心頭だったらしい。幼馴染の謝罪も通用しないほどに、彼の腹の内では憤怒の炎が暴れ狂っているようだ。


「ち、ちなみにその、弁償額はおいくらで……?」

「ざっと金貨五十枚だが」

「きっ、金貨五十……!?」


 ナナは顔を青くした。

 この世界には金貨、銀貨、銅貨があって、庶民の一日の稼ぎが大体銀貨一枚=一リーブほどである。

 金貨はその二十倍の価値、銀貨二十枚に該当する。要するに金貨五十枚というのは、庶民の数年分の稼ぎに相当するというわけだ。


 ナナは彼にへりくだり、祈るように両手を合わせて「どうか! どうか幼馴染特権でまけて下さいぃっ!」と恥も外聞もなく叫んだ。プライドをその辺りの茂みなどに捨て、頭を地面に擦りつける。プライドなんてあっても損をするだけなのだ。


「私っ、家も働き口もこれから探す所でっ! 事情があって実家も頼れないんだよぉ!」

「そうかそうか」

「決して悪気はなかったんだぁ! 滅茶苦茶反省する! これから日頃の言動も改める! 日に三度はお前に頭を下げる! だから、だからぁっ!」

「なら、オレがお前を雇おう」

「何でもするから許し……えっ?」


 今、彼は何と言ったのだろう。何だか予想だにしなかった言葉が降り落ちてきた気がする。


「な、なんて?」

「オレがお前を雇うと言った」

「や……やとう?」

「住処を探してるんなら丁度いいだろう」


 話の行き先が全く見えず、ナナは困惑しつつ彼を見上げる。子どもに語り聞かせるような声で、ユウトは一つ一つ詳細を丁寧に語った。


「魔王を倒した報酬で、王都にある屋敷を貰ったんだ。だがこれが一人で暮らすには少し広くてな。掃除も大変なんだ」

「そ、うなんだ……?」

「そこでお前には、オレの家の使用人として働いてもらいたい」


 ナナは呆気に取られた。

 冗談かと思った。けれど彼の顔に戯れの色は見えなかった。


「しっ、使用人? 私を?」

「ああ」

「わっ、私を? よりにもよって?」

「何か問題があるか?」

「問題、というか……」


 適材適所、という言葉を知らないのか、としか言いようがない。ナナなんてどう見てもこの世で最も使用人に向いていない種類の人間だろう。彼ほどの人間なら、もっと他に素晴らしい資質を持つ使用人を雇えるはずだ。だというのに、わざわざナナに声を掛けてくるとはどういうつもりなのか。

 明らかに人選を誤った発言に疑問を持ち、ナナは頬を掻きながら曖昧に笑った。


「どう考えても私、そういうの向いてないと思うんだけど……」

「……そうか。雇用待遇に不安があるか」

「いや、待遇がどうとかじゃなくて」

「なら、一日の報酬としてこれだけ出そう」


 そう言うとユウトは、ナナの手の上に小袋から取り出した何かを置いた。

 視線を下げる。そこにあったのは、美しく輝く銀貨十枚。


「なッ……銀貨十枚だとぉ!?」


 使用人の給料としては破格である。

 普通に職を探していては得られない報酬だ。しかも使用人ということは、自動的に居住地までもが与えられるということ。

 これからの独り立ちへの不安が纏めて解消される、何とも魅力的な提案だった。


 けれど、こんなにも都合のいい話は有り得ない。上手い話には必ず何か裏があるはずだ。

 普通の人間ならばそう疑うが、しかしナナは目の前にぶら下がる餌へ即座に食い付く性質の女だった。何故ならナナはチョロく、流されやすく、後先を考えない性格だからだ。


「やっ……やる! やらせていただきますっ!」


 ナナは目を輝かせ、銀貨十枚を握りしめた。


 こうしてナナの脱引きこもり生活は、幼馴染と奇妙な同居というまさかの始まりを迎えることとなったのだった。





評価、リアクションありがとうございます……!

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