#4 魔王に勝てども恋には勝てず
「ズビッ、グスッ、ゔっ。しっ、失敗した……!」
「まあそう落ち込むなって。オヤッさーん! コイツに酒をもう一杯!」
「あいよ! ……ん?」
「んん? どうした?」
「いや……そっちで泣いてる兄ちゃん、どっかで見た気が……」
「あー……そうか?」
「ズビッ、ゔっ、ゔうう……!」
「よく見りゃ、この国の勇者様にそっくりな……いや、そんなわけねえか。勇者様がこんな場末の酒場で泣き腫らしてるわけねえもんなァ! ガッハッハ!」
「アッハッハ……」
王都の端に密かに佇む酒場にて、二人の男が酒を飲み明かしていた。
一人は赤毛の長髪を一つに結んだ色男だ。少し掠れた低い声が随分と魅力的で、しかし面倒見の良さが色気の裏に隠し切れていない、頼りがいのある男だった。
そしてもう一人は大層美しい青色の髪を携え、非常に鍛えられた身体を持つハンサムである。
だがしかし、この美青年は美しい水色の瞳から大量の涙を流し、瞼と鼻を真っ赤に腫らして啜り泣いていた。
いくらハンサムとは言えこれほど激しく男泣きしていれば声を掛けられることもない。時折彼に視線を送る女性も居たが、大号泣する彼と目が合っては気まずそうに顔を背けていた。
この男の名はユウト・マーロウ。
このパルギリア王国における伝説の勇者その人であり、魔王軍を打ち破った紛れもない英雄だ。
酒の入ったグラスを抱きしめて泣いている姿からは想像も出来ないだろうが、本当に凄まじい力を持つ勇者であり、名の知れた英傑である。
そんなユウトの肩を叩いて励ます色男は、名をカスパルという。一時はユウトのパーティに助っ人として加入し共に旅をした仲間であり、ユウトにとって腹を割って悩みを話せる親友でもある。
「ンなに泣いてちゃ勇者の面目が丸潰れだぞ? いい加減立ち直ったらどうだ」
カスパルは頬杖をついて、呆れた調子で言った。
「女にフラれるなんざ、男にゃよくあることだろうがよ」
「お、オレにとっては! は、初恋、だったんだ……!」
ユウトはとめどなく溢れる涙を拭い、グラスを傾け一気に酒を煽った。そして机に叩きつけるようにグラスを置き、再度水っぽい音を立てて鼻を啜る。
「お、オレは、舞い上がってたんだ……。魔王を倒してっ、じ、自分が! 何でも、出来る気になっていた……!」
「まあ、魔王を倒せる男なら大抵のことは出来るだろうよ」
「だ、だからオレは。ナナに、ぷ、プロポーズ、しようと、思って!」
ずっと前から決めていたことだった。
魔王を倒し、真なる勇者と認められた暁には、幼馴染であるナナに婚約を申し込もうと思っていた。
彼女のことがずっと好きだった。
彼女のことだけをずっと一途に想い続けていた。彼女に恋をしていて、いつかその恋を叶えたいと思っていた。
「勇者を目指したのだって、ナナにカッコいいと思われたいからだった……!」
「そうなん……えっそうなの!?」
「ナナが、『いやあ、やっぱり強い男の子って良いよねえ』って言うから……! 俺はっ、この世界で、一番強い男になろうと思って! それなら、勇者になるしかないって! 思って!」
「えっ? お前の旅の動機ってそんなんだったの?」
「オレっ、頑張ったんだ! 本当に、大変な旅路だった……!」
「えっ? お前、そのためだけに勇者になったの? 好きな娘にカッコつけたかったからってだけで? マジで?」
「でも、久しぶりに会ったら! ナナにはっ、もう、もう……!」
「え? お前マジで?」
「オレ、魔王も倒したのにぃ……!」
「いやそれは本当に凄いよ、お前凄い奴だよ。世界一浅い理由で英雄になった男だよお前は」
しかし現実は無情、魔王討伐が恋愛の内申点に加算されることはなかった。
プロポーズにすら辿り着けなかったのだ。フラれることすらできなかった。始まる前に終わっていた。
久々に会った幼馴染には、もう既に輝かしい恋人の姿があった。
直接この目で確かめたわけではないが、彼女の話によるとそうらしい。
「ナナ……」
額を机に押し付けて呟く。
「かわいかったな……」
久しぶりに会ったけれど、昔と変わらず、いや昔よりも更に素敵な女性になっていた。
色白で、華奢で、表情豊かで、まるで雪の精霊のようだった。ひと時も目が離せないほど愛らしく、笑った顔がこの世に咲くどんなに珍しい花より美しかった。
ちなみにこの評価はユウトの主観のみで構成されている。要するにあばたもえくぼということだ。
「凱旋にも……来てくれて、嬉しかった」
あの日目が合ったのは一瞬だけだったが、面倒事を嫌う彼女が自ら足を運んでくれたというだけで十分だった。あの時去って行く彼女の背中を延々と見つめすぎて、気づいた時には凱旋が終わって日が暮れていたほどだ。
「そうだよな。あんなに可愛いんだから、恋人の一人くらい、出来て当然だよな……」
早く彼女に釣り合うような男になりたいと、そればかりを考えていた。
そのせいで大事なことを見落としていたのだ。あれだけ素敵な女の子を、周りが放っておくわけなどないということを。
するとカスパルはため息をつき、肩を竦めて手を上げた。
「お前なあ……そんなに落ち込むんなら何で連絡の一つも寄こさなかったんだよ」
「それは、折角なら勇者として名を挙げてから、彼女を驚かせたいと……」
「バーカ! お前マジで馬鹿!」
カスパルに指を差されて面罵される。ユウトは「ぐっ」と呻いて胸を押さえた。
「あんなァ! 仮にそのナナさん? とお前がどんだけ良い雰囲気だったとしてもよ! そりゃ四年も音信不通で放っておかれたら愛想尽かすっつうの!」
「ガッ」
「お前がどんだけ良いカッコつけたかったとしても、そんな事情ナナさんには全く関係ねえんだよ!」
「ゴッ」
「不安になるし百年の恋も冷めるわ! その上お前ただの幼馴染なんだろ? 別に元々付き合ってたわけでもねえんだろ? じゃあお前〝四年ぶりに現れたかと思いきや急に妙なことを口走り始めた何考えてるか分からないただの他人〟と思われてる可能性だってあるからな!」
「グッ、ゲフッ! ごぼっ」
切れ味鋭い正論を叩きつけられ、ユウトは精神に致命傷を負った。そして口を両手で押さえ、固まって動かなくなる。
カスパルは眉間に皺を寄せ、それから何気なくユウトの持っていたグラスを見る。
「う、おおおあッ!?」
そして叫んだ。
酒の表面に舌の先端が浮かんでいたからだ。
ユウトをよく見てみれば、指の隙間から赤い血が滴り落ちている。どうやらショックのあまり思わず舌を噛み切ってしまったらしい。
カスパルは大いに焦り、ユウトの背を叩いた。
「おい!? 大丈夫なのかそれ!?」
「らいひょ……んん。大丈夫だ。既に再生した」
「こんなこと友達に言うのもなんだけどお前ビックリ人間すぎるだろ。ちょっとはこっちの心臓にも慮れよ。止まるぞ」
「オレはこれしきのことじゃ死なない。それに、痛みで少し落ち着きを取り戻せた……」
ユウトは胸を押さえて深く息を吐いた。
そして改めて、カスパルの指摘が正しいことを認識する。四年間、自分は彼女の隣に並び立っても恥ずかしくない人間となるために必死だった。けれどそれは彼女を蔑ろにしていい理由にはならない。
この四年間は実りのあるものだったと思う。この旅での経験は自分を大いに成長させてくれた。成長した自分を彼女に見せたかった。
そうやって自分は変化を望んだのに、彼女には変わらないままでいてほしいと思うなんて、それは何と傲慢な行いなのだろう。その傲慢さのツケが回ってきた。それだけのことなのだ。
「オレは……ゴミクズボケ勇者だ!」
「そこまで言うか!? いやまあお前は、色恋の方面を置いとけば、人間的によく出来たヤツだと思うよ……?」
カスパルは頭の後ろで腕を組み、「それより俺はお前のパーティ関連の方が心配だけどなぁ」と呟いた。
「? オレのパーティがどうかしたか?」
「いやあ。ナナさん、この間の凱旋に来てくれてたんだろ?」
「ああ。そうだ」
「ならお前のパーティもガッツリ見たっつうことだろ?」
「? ああ」
「普通どんだけ仲良い幼馴染だったとしても、あんなん見たらビビるからな」
「あんなん……?」
「あの色々と圧の強いパーティメンバーだよ! そろそろお前は自覚した方が良いって!」
ユウトは眉間に皺を寄せた。
メイリーンにフィオナ、クラリスにミレイユ。皆頼れる仲間たちだ。だが今この恋愛相談と彼女たちの間に何の関係があると言うのだろう。
しかしカスパルは、まるで重大な機密事項を話すように声を窄めて尋ねてくる。
「ぶっちゃけここだけの話……お前はあの四人娘のことをどう思ってんの?」
「? 仲間……」
「他には?」
「他? え、いや。仲間以外にあるか?」
「……ナナさんのことは?」
「初恋の人。幼馴染。大好き。超好き。結婚してほしい」
「お前、一途なのはいいけどさぁ。それ以外にとことん鈍くなるの、悪い癖だと思うぜ。いやまあ、アレはあの四人娘がお互い牽制し合って膠着してたのも良くねえけどよお……」
彼は額を押さえて項垂れた。彼の話は時折こうして要領を得なくなる。その度に深く話を聞こうとするのだが、何となくはぐらかされてしまうのだった。
「……まあ、真剣にこれからを考えればさ」
酒の注がれたグラスを揺らしながら、カスパルが折り目正しくゆとりのない声で言う。
「お前にはもう、諦めて次に進むか。それともどうしても諦められないかの二択しかないわけだよ」
「……諦めきれない……」
「まあそうだろうなぁ」
「オレは……オレはやっぱり、ナナのことが好きだ……」
するとカスパルは視線を上に向け、「んー」と鼻にかかった声で呟いてから。
「じゃあもう寝取っちまえば?」
「ブホッ」
とんでもないことを言った。
気道に酒と空気が詰まり、思わずユウトは激しく咳き込んだ。巨大な身体を大きく震わせ、信じられないものを見る時の眼差しを彼に向ける。
「ねッ、ねと……なんて?」
「まあ、俺は別にそういうのもアリだと思うよ。言い方は悪いけど、要はお前の方を好きになってもらえばいいわけじゃん」
「ゆ、勇者として不適格すぎる……!」
「そうかあ? そんなもんだろ。この世は遠慮した方が馬鹿を見るように出来てんだからさ」
「……達観してるな……」
「馬鹿を見過ぎてきただけだよ」
ユウトは頭を抱えた。それはこれまでユウトの人生の選択肢に浮上してきたこともないような意見だった。欲しいものがあればどんな手段を使ってでも手に入れる。そんな信念を持つカスパルらしい。
ため息をつきながら、切れ長の目を細めた彼が「それとも」と言う。
「そのー……ナナさん? は、そう簡単に心変わりなんてしねえっての? お前の好きな女はそんな人じゃないってのか?」
「いやナナはチョロくて現金で流されやすいから普通に全然心変わりするタイプだが……」
「お前本当に彼女のこと好きなのか?」
カスパルが唖然とした眼差しを向けてくる。
ユウトは目を回しながら考えに考えた。自分のやっていることは完全に横恋慕だ。それは法で裁かれるような悪事でこそないが、しかし倫理的にはかなり黒色に近い。
本当ならば、彼女に恋人が居ることを知った時点で迷いなく身を引くべきだ。けれど長い間拗らせてきた恋心が手足を縛ってくる。頭ではそうした方が良いと分かっているのに、雁字搦めになって動けない。
「いや……うん、でもやっぱり駄目だ!」
逡巡の結果、やはりユウトは首を横に振った。
実の所非常に心の天秤が揺れ動いているが、しかし勇者としても、人間としても、やはり略奪は良くない。そう答えると、カスパルは額を押さえてため息をついた。
「ハー。面倒なヤツだよ、お前は」
「ゔ」
「……ま、何はともあれ、俺は全面的にお前の味方だからさ。お前が良いヤツだって知ってるし。何があっても、お前には報われてほしいと思うよ」
「お前……本当にいい友達だな」
「そう思うなら今日の酒代は奢りな」
「それとこれとは別の話だろ」
「へっ。ケチ臭ぇ勇者!」




