#24 もう二度と
放たれた光線から間一髪、ユウトはその場に居た仲間を抱えて竜の咆哮を躱した。
「──伏せてッ!」
ナナは叫びながら、自身の前方に巨大な光の輪を生み出す。
その輪には複雑な回路が刻まれていて、輪の中央に光が集まり、円柱型の太く白い光が放たれた。
光は竜の頭部に直撃し、その頭は無残に弾け飛ぶ。
普通の魔物ならば、これで死んでいるはずだ。
けれど、辺りを漂う煙が晴れ、そこで露になったのは、欠けた頭部が時間を巻き戻したように埋まっていく光景だった。
「再生……っ?」
「ッやべぇっ! アイツっ、普通のドラゴンじゃねえッ!」
ブレインが必死の形相で叫ぶ。
通常ダンジョンに現れるドラゴンは、トカゲが魔力によって変異・巨大化した個体だ。魔力をエネルギーに変え、火を噴いたり光線を放ったりする。
だが再生能力を持ったドラゴンの話など聞いたこともない。それに図鑑で見たものより、あの竜は何回りも巨大だ。
ユウトが腰に据えた剣の塚に手を当てる。そうして彼が聖剣を引き抜く。
「周囲に被害が及ぶから、あまり、使いたくはないんだがッ……!」
彼が剣を振るう。
すると竜の巨体に光の筋が走り、次の瞬間にはブロック状に切断されていた。ダンジョンの壁にも亀裂が入り、一部分が大きく崩れる。
しかし竜の身体は、斬られた瞬間、全ての肉塊が自分の意志を持っているかのように蠢き、凄まじい速度で互いに接着、再生した。
そしてその巨大な爪がユウトの身体を切り裂こうと振り下ろされる。彼は身を捩ってその爪を回避する。空振った爪が地面を抉り、衝撃がこちらの足まで伝わってくる。
竜の爪は当たっていない。
にも関わらず、空中を伝う衝撃波のみで、ユウトの仮面にヒビが入る。
彼が顔を押さえると、ボロリと仮面が崩れた。
彼の鋭い目つきが空気に触れる。
『──おや?』
その瞬間、どこからか声が響いた。
男のものとも女のものとも、若いとも老齢だとも判別がつかないような声だった。聞いているだけで耳の中が粟立つような、無機質で不気味な声色だ。
巨大なその声は、まるで拡声器を通したかのように空間全体に響き渡っている。
「……ユウくん」
「ああ」
「喋る竜なんているの?」
「いや」
ユウトは目を細めた。
「竜じゃない」
巨大な〝何か〟の目がギョロリと動き、ユウトの顔を捉える。
『おや。おやおやおや。その顔。見覚えがある……』
その声は確かに、その〝何か〟の喉奥から発せられていた。
喋る魔物など居ない。それどころか、まず魔物は人間の言葉を理解し得ない。魔物はどこまでいっても一般的な生物の延長線上にある。
けれど、これは違う。
そもそもこの生き物は魔物じゃない。
根本的に、何かが違う。
『お前──勇者だな』
何かが笑いながら言う。
『ああ。勇者だ。〝父様〟の仇だ!』
「……お前の父親は首を刎ねれば死んだが」
再びユウトが剣を構える。
そして一閃。瞬きよりも速く首を刎ねる。
「お前はあと何度刎ねれば死ぬ?」
斬り捨てた竜の頭部が転がっていく。
するとその頭は。
「ッ!」
転がっていくうちに一匹の狼になって、ジャックの腹へと突き飛ばすように噛みついた。
「ジャック!」
モエギが悲鳴を上げる。
ジャックは瞬時にナイフを引き抜き、噛みついてきた狼へと突き刺す。
すると狼は一瞬で真っ黒になって、そして無数の蝙蝠になって飛び立った。
血を吐く彼の身体を、ナナは急いで壁際まで引きずる。
「……変化の魔族か!」
ユウトが叫ぶ。
──魔族。
それは一なる魔王から生まれた、悪夢のような存在の名だ。
魔族は大気から魔力を取り込むことが出来ず、代わりに人間を食らって魔力を補う。
特殊な頭脳構造を持っているために、人間の使う魔法とは一線を期す、まさに〝奇跡〟としか言い様のない魔法を扱うことが出来る。
例えば、時間を停止する魔法。
例えば、死者を操る魔法。
例えば、どんな生き物にでも変化する魔法。
人を食わねば生きられない代わりに、そのような常識の範囲外にある魔法を使うことが出来る。
それが魔族という生き物だ。
通常は人間とよく似た姿をしているが、その思考回路も、精神構造も、人間とは全く異なる。
かつてオルペンシアという国の一角で突如生まれ、世界を滅ぼしかけた悪夢だ。
恐らくこの魔族は変化の魔法を扱うのだろう。
頭を吹き飛ばされても元通りになったのは、再生能力を持っていたからではない。
〝無傷の状態〟に変化していただけなのだ。
再生はあくまで変身の副産物なのだろう。
成程、ユウトとは相性が悪いはずだ。
戦闘に参戦したいが、ナナはジャックの治療を行うために身動きを取ることが出来ない。治療の魔法は特に精密な魔力操作とイメージを要求されるので、どうしてもかかり切りになってしまう。
「っ、ぁ、……ま、ぞく」
呆然とした表情でモエギが呟く。
今この世界において、魔族がどのような生き物なのか知らぬ者は居ない。
魔族とは人を食うものだ。
それが常識であり、要するに、フレンは。
「嫌……ちがう、そん、なの」
彼女が首を横に振る。
どうしても認められないのだろう。頭では分かっていても、心が拒絶反応を起こしている。
固まったまま震える彼女へと、変化の魔族の視線が向けられる。
「ッモエギ!」
「っ、ぁ」
ブレインが彼女を抱き上げ、変化の魔族の咆哮を躱す。
二人の身体が地面を転がる。ブレインは彼女の肩を掴み、腹の底から声を張り上げた。
「しっかりしやがれ!」
「ぁ」
「お前はウチのリーダーだろうがッ!」
モエギがハッとした様子で顔を上げる。
ユウトは尚も変化の魔族に攻撃を続けているが、決定的なダメージが与えられている様子はない。身体のどこかに弱点がある、というわけでもないようだ。
変化の魔族は様々な生物への変身を繰り返し、四方八方から牙を剥く。ユウトはナナたちを庇うように、その全ての攻撃を剣で切り落とし続けている。
「モエギ!」
「っ、はい!」
「オレでは少々相性が悪い!」
「っ!」
「行けるかっ?」
彼女は拳を握りしめ、立ち上がる。
「ハイ!」
「──救急処置、終わり!」
ナナは片手を上げて叫んだ。
ジャックの腹の傷は何とか塞げた。と言ってもあくまで即時的な応急手当なので、しばらく安静にしておく必要はあるだろう。
しかしともかく、これで手が空いた。
ナナはモエギに向けて、「浄化は私がやる!」と叫ぶ。
「っ、えっ、でもっ」
「だから遠慮なくぶっ放しちゃえ!」
「わっ、わかっ……あっ! つ、杖っ! 杖がっ!」
モエギは目を見開き、汗ばんだ声で言った。
彼女の杖は吹き飛ばされて、手の届かない所で折れている。
だから杖の補助がなくとも魔法を使えるようになっておけと言ったのに。しかし今その話をしていても仕方がない。
偶然近くに落ちてあった、もう一本の杖を彼女に向けて放り投げる。
「これで大丈夫!?」
「──、──、ッ、ハイっ!」
フレンの杖を握りしめて、モエギは目を光らせる。
その胸の内に、炎のように鮮烈な、懐かしい記憶を宿して。
✱
『何のために魔女になりたいのかって?』
そう言って首を傾げたフレンの顔を覚えている。
美しい顔に伝った深紅の前髪を、きっと一生涯忘れることはない。モエギは今でもそう思う。
フレンという少女は、美しく、鮮烈で、眩しく、そして何より強い人だった。
『決まってるじゃない。それはね、私が選ばれた者だからよ!』
フレンとは爆炎の魔女の元で出会った。
師匠である爆炎の魔女。彼女は炎の美しさを伝えるために、世界中から魔法使いの素質を持つ者を集め、育て、旅をしている少し変わった人だった。
モエギもまた彼女に魔法の資質を見出された者の一人であり、確かにモエギは人より魔法の才に恵まれていた。
だがしかし、魔法以外のことが致命的に鈍かった。
何をやったって人並み以下で、いつも周りから置いて行かれる。鈍臭いからすぐに転んで、気づけば皆の背中が見えなくなっている。
情けない。恥ずかしい。周りの人の普通が、自分にとっては手の届かない特別で、毎日毎日自分がどうしようもなく嫌いになっていく。
けれどフレンだけは、どれだけモエギが転ぼうとも、決してモエギを置いてはいかなかった。
『全くもう。膝が汚れてるわ』
『ぁ』
『かわいい顔も』
そう言って彼女は、顔についていた汚れを手のひらで拭ってくれた。
同じ年だけれど、自分よりもずっと大人っぽくて綺麗な、まさに美しい炎のような女の子だった。太陽が人の形をしているみたいな少女だった。
憧れだった。
大好きだった。
本当に。
『いい? 選ばれた者にはね、困っている人を助ける義務があるの』
『困っている人を……』
『選ばれたんだから当然でしょう。私は困っている人のためにこの力を使う。そのために修行してるの。だから魔女になるの。知ってる? 〝魔女〟って言うのはね。選ばれた魔法使いにしか与えられない称号なのよ』
『そうなの?』
『だから私は魔女になるの。それもただの魔女じゃないわ。世界一の魔女になるの! ……これはその意気込みね』
彼女は自分の杖の柄に、消えない決意表明を書き込んだ。
『ふふん。これでこの杖は、世界一の魔女にこそ相応しいものになったわ』
『……フレンなら、絶対、なれる』
『そうでしょうそうでしょう。……ていうか、あなた、何を他人事みたいな顔してるの』
『え?』
『選ばれた者は困っている人を助けるものよ。だからあなたも……そうね』
フレンは笑って言った。
『私が困った時、私を助けられるくらいに強くなりなさい』
それが人生の指針だった。
それだけを人生の指針にして生きてきた。
出来る限り他人に優しくするようになった。そのうち〝お人好し〟と呼ばれることが増えて、素晴らしい善人のような扱いを受けるようになった。
でも違う。
本当は、どうだっていい。
誰かに優しくするのは、「彼女がそうだったから」だ。
彼女がそう言っていたから、そうするようになった。本当に、それだけのことだった。
彼女が持っていた、炎のような善性に心を焼かれていたから、どうしようもなく焦がれていたから、彼女の真似をするようになった。
彼女の役に立ちたかった。
だから必死に浄化の魔法について学んで、いつどんな時に何があっても彼女を支えられるようになろうと努力した。
『──私にあなたは必要ない』
でもある日突然、彼女にそう言われた。
頭の中が白く弾けた。心の中に「どうして」と「そんなこと言わないで」という言葉ばかりが浮かんで、でも何も言えなかった。
だって、知っていたからだ。
大した才もない、どうしようもなく鈍間な自分が居た所で、彼女の人生は少しも明るくならない。
彼女は一人でも輝ける。
自分は要らない荷物だ。分かっていた。その現実を見ないようにしていただけで。
邪魔になってしまったのだろう。
だから置いて行かれた。
私の初恋は、あの日に砕けて消えていった。
でも、それでも良かった。
二度と私の方を向いてくれなくたっていい。手の届かない遠くから、彼女が美しく燃える様をずっと見ていられればそれで良かった。
新聞や、本や、噂話を通しても尚、彼女の輝きは少しも薄れない。
あなたの話を聞く度に、私はあなたに新しく恋をしていた。
……なのに、どうして。
どうしてもう二度と会えないくらいに、私の前から居なくなってしまったの。




