#15 魔女VS猫娘
──あんたにはここで、大人しくくたばってもらう。
突如として現れた猫耳少女は、ナナの首に鋭い刃を押し当てながらそう言った。
「だっ、誰ェ……!?」
「あたしはフィオナ・スカレット。〝緋色〟のフィオナ、と言えば分かるだろ」
「分からん! 誰!?」
「勇者ユウトのパーティメンバーだよ!」
「ユウトの!?」
そう言われてみれば確かに、彼のパーティには猫耳の少女が居た。ナナは「ああ!」と言って手を叩いた。
「そう言えばそうだった……というか何でアイツの仲間は皆玄関から入ってこないんだ!」
「誰の何の話してんだよ! 殺すぞ!」
メイリーンもそうだが、彼女たちには真正面から家に入れない習性でもあるのだろうか。アポすら取らないのならせめてインターホンを鳴らしてほしいものだ。
それにしても、やけに物騒な少女である。
まさか開口一番に刃物を突き付けられるとは思わなかった。彼女に恨まれるような心当たりもないし、何故こんな危機的状況に陥っているのか分からない。
「大体、こんなことしてただで済むと思ってるの? ユウくんが怒るぞ……!?」
「ユウトが? アハッ。怒るわけないじゃん」
「な……?」
「ユウトはもうすぐあたしのものになる。あたしのことだけ考えて、あたしを一番に優先してくれるようになる。あたしの全てを受け入れてくれる……」
恍惚とした様子で彼女が顔を桃色に染める。それはまるで穏やかな夢の中に浸かり切っているような表情だった。
彼女が何を言っているのか、ナナには理解することが出来ない。
「ユウトはあたしのことを好きになる。あたしが何をしたって許してくれる」
「──」
「あんたに何をしようが関係ない。だからあたしは、ここであんたを痛めつける。──二度と、ユウトに近づく気なんて起きないくらいにね」
ナナは呆然と目を見開いた。
それは彼女の宣戦布告に怯えたから……ではない。
勝ち誇った顔の彼女が、一体何を画策しているのか。それも気にはなるが、それよりも先に喉に引っかかったことがあった。
「……恋人じゃない?」
「は? 何?」
「君ってユウくんの恋人じゃないの?」
「……そうなる予定だって言ってんだろ」
「つまり今は違うってこと? 今は付き合っても婚約してもないと?」
「何回言うんだよ! あたしを怒らせたいのかテメェ!」
どうやら彼女はユウトの恋人ではないらしい。
メイリーンも違ったようだし、それならハーレム四人娘の内、残る二人のどちらか、あるいはその両方が彼の恋人なのだろうか。
「は? あいつらがユウトの恋人とか。なワケないじゃん。頭沸いてんのか、あんた」
「……違う?」
「ユウトに選ばれるのはこのあたし。メイリーンにも、クラリスにもミレイユにも、誰にも渡さない」
「……えっ?」
予想外の返答が、ナナの頭の中を重たく縛り付ける。
ユウトは、ハーレムパーティを築き上げていたのではなかったのか。美少女四人を侍らせ、酒池肉林を楽しんでいたのではなかったのか。しばらく見ない間に、とんでもなく色を好む英雄に成り果てていたのではなかったのか。
それがまさか、あのハーレム四人娘の内、誰とも付き合っていないと言うのか。
だとするならば、もしかして。
「……私の、勘違い?」
全てが誤解だったとでも言うのだろうか。
本当の彼は欲望剥き出しハーレム野郎でも何でもなくて、自分はただ見当違いの見栄を張っただけなのか。
今まで考えもしなかった可能性が頭を過る。
もしもそれが真実なのだとしたら、自分は今までどれほど愚かな行いを積み重ねてきたのか。
「……何ブツブツ言ってんだよ」
頭を抱えて呪文のように独り言を唱えるナナを、フィオナは舌打ちと共に冷たく睨みつける。その陰気な態度が癪に障り、彼女は首に押し当てていたナイフの角度を変えた。
すると、その瞬間。
「──ぉ、ッ」
フィオナの身体は何かに突き飛ばされた。
まるで間近で爆風を食らったような感覚があった。身体が持ち上がり、天地がひっくり返る。吹き飛んだナイフが宙を舞う。
フィオナは空中で身体を捻り、何とかしなやかに着地する。舞い落ちてきたナイフを掴み、床に手をついて背を屈めた。
額に冷や汗が伝う。
顔を上げる。
目の前には、金色の瞳を輝かせ、長い黒髪を逆立てたナナが立っている。
「……ユウトに、確認しないといけないことが出来た」
ナナは平坦な声で呟いた。
体内の魔力を指先に移動させ、凝縮し、親指と人差し指だけを立てて、まるでフィオナを射抜くように腕を伸ばす。
ナナは目を細めて、受け身の姿勢を取ったままの彼女を見下ろした。
「だから悪いけど、君にはもう構ってられないから……潔く倒されてくれる?」
「──ッ。舐めやがって、このアマァッ!!」
フィオナは激昂し、牙を剥き出しにしてナナへと飛び掛かる。
対する魔女は両手を掲げ、美しい肉食獣を迎え撃った。
✱
「久しぶり、ユウト」
一方その頃、ユウトはと言うと、自分を呼び出した張本人であるフィオナに肩を叩かれていた。
友好的な笑みを浮かべる彼女は、旅の最後に別れた時と何一つ変わらない。元気そうで何よりだ。そう思って、ユウトは穏やかに頬を緩めた。
「ユウトこそ。元気にやってんの?」
「ああ。毎日楽しくやってるよ」
「へぇ……」
頭の後ろで腕を組んで、フィオナは絵に描いたような卵型に尖った顎を持ち上げた。
「……ね」
「うん?」
「おなか空かない? ご飯食べいこうよ」
「そう、だな。今度改めて日取りを決めないか?」
「今度?」
「今日はなんだか、妙な胸騒ぎが……。それに、他の仲間も呼んだ方が楽しいだろう? カスパルも……アイツはどうせ呼べばすぐ来るだろうし」
「……が、いい」
「……フィオナ?」
「二人がいい」
人数は多ければ多いほど良いだろうと思った。彼女もその方が喜ぶだろうと思っていた。
けれどフィオナは首を横に振って、ユウトの服の裾を震える手で掴んだ。
「二人きりがいいの」
俯いた彼女が、どんな表情を浮かべているのかは分からない。
しかしその声は、普段の気丈な彼女とは違って、寄る辺をなくした子供のように揺れていた。
「だってユウトのことが好きだから」
彼女の手の甲は雪のように真っ白だった。
きっと勇気を振り絞ったのだろう。ユウトにも分かる。真剣な告白には、高い所から飛び降りる時よりもずっと激しい胸の苦しみが付きまとう。
けれど、ユウトは。
「……ごめん」
ユウトは首を横に振った。
「君の気持ちには、応えられない」
「……」
「オレには、好きな人が居るから」
馬鹿正直にそう伝える。
自分は彼女を、そういう目で見ることは出来ない。
彼女のことは仲間として大事に思っている。けれどそれは、妹に接する時のような心緒だ。
すると彼女は、ユウトの服から手を離す。
身体を動かしていた糸を切られたように、彼女はぶらりと両手を下ろした。
彼女が頭を傾ける。
前髪が彼女の目を隠す。
「……そっか」と、彼女が呟く。
「そう……」
「?」
「それって、あのナナって幼馴染?」
「!」
空気の塊が喉に詰まる。思わずユウトは咳き込んだ。
「どっ、どうして君がそれを……」
「……やっぱり、そうなんだ」
フィオナは腕を身体の後ろに回し、腰を曲げて視線を低くする。彼女は音も立てずにユウトに一歩近づいて、上目遣いでユウトを見上げた。
「知ってるよ。だってあたし、ユウトのことが好きだもん」
確かに、好きな人のことを知りたいと思うのは当然のことだ。
彼女はきっと真摯な思いを向けてくれている。
けれど、どうしてもそれに応えることはできない。
何故ならずっと前からユウトの心には、たった一人の少女が住んでいるから。
気まずい空気を吸い込んで、頬を掻く。
するとフィオナは一転、まるで人格が切り替わったかのように快活な笑みを浮かべた。悪戯好きな子供のような顔をして、彼女が両手で何かを差し出してくる。
「振り向いてくれないなら、せめてこれだけでも受け取って」
「……これは?」
「あたしがユウトのために用意したもの。ユウトのことだけを考えて選んだもの」
「これを、俺に?」
「ユウトに何かを残したっていう証明が欲しいの。だからつけてほしい」
「……」
「お願い。一度だけでもいいから」
そう言われれば、ユウトには彼女の願いを断ることなど出来ない。
彼女の思いに応えられない罪悪感が心を占めている今、彼女の思いに応える以外のことなら何だってしてやりたかった。
彼女のことを妹のように思っている。
だから少しくらいの我儘は、何も言わずに聞いてあげたかった。
背を曲げて、頭を下げる。
彼女の細い腕が伸びてきて、カチャン、と軽はずみな音が鳴る。
その瞬間ユウトの水色の瞳は、燃えるような赤に染まった。
「ユウト……」
恍惚とした声でフィオナが呟く。
彼女はユウトの顔を両手で挟み、親指でその肌を艶やかに撫でた。
唇を彼の顔に寄せ、蠟燭の炎に息を吹きかけるような声で言う。
「──あたしのこと、好きになって」
と、まるで細い糸にでも縋るように。




