#14 フィオナ・スカレット
ガシャン、と荒い音が路地裏に響く。
猫耳の少女は長い足で、地面に転がっていたゴミを蹴り飛ばした。焦げ茶色の猫耳を後ろに倒し、歯を食いしばって壁に爪を立てる。
「クソッ……!」
顔を顰めて唸る少女の名は、フィオナ・スカレット。
艶のある暗褐色の髪と、鮮血のように赤い吊り目が特徴的な、小悪魔じみた可憐な猫娘である。
フィオナは勇者ユウトのパーティメンバーの一人であり、初めてユウトの仲間になった少女でもあった。
そんなフィオナはその夜路地裏で一人、親指の爪に歯を立てていた。
何故このようにフィオナが顔を歪ませているのかと言えば、順調だったはずの計画が破綻したからに他ならない。
勇者ユウトの幼馴染、ナナ。
それは青天の霹靂のごとく突如として現れた、ユウトの心を奪い取らんとする悪魔のような女である。
フィオナは自身の持つ情報網を駆使し、ナナという女について調べた。その結果分かったのは、彼女は近頃王都にやってきたばかりで、数年前までは遠い地方の森奥に引きこもっていたこと。ユウトとは幼い頃からの付き合いであること。そして現在はユウトの家に押しかけ、ユウトの甘さに漬け込んで居座り続けているということだ。
フィオナには彼女が許せなかった。
わざわざ魔王退治の旅が終わってから顔を出すなんて、ユウトの地位や名誉に目が眩んだに違いない。お人好しで優しいユウトはきっと、押しかけてきた彼女を追い出すことが出来なかったのだろう。そうして彼の善性を食い物にして、彼の隣を不当に独占しようというのだ。
だからどんな手を使ってでも、彼女をユウトから引き剝がそうと思った。そのために使えるものは何でも利用して、綿密な計画を立てた。
それなのに、だ。
「ほんっと、あのクソ男……! 全ッ然使えねえじゃねえか……!」
フィオナはシモンという詐欺師を利用して、彼女の心をユウトから切り離そうと企んでいた。「あの女を落とせたらこれだけの額をやる」と言って、シモンを手駒として動かしていたのだ。
『……すまないが、依頼の件はなかったことにさせてくれ』
だがしかし、シモンは途中で仕事を放棄して、そんな簡素な手紙をフィオナに送り付けてきた。それに目を通した瞬間、フィオナは『は?』とひっくり返った声を上げたものだ。
何があったのか詳細は知らないが、どうやら彼はナナに懐柔されたらしい。すっかり彼女の側についてしまったようで、フィオナの依頼を冷たく突き飛ばしてきたのだった。
フィオナは頭の血管が千切れそうなほどの怒りを覚えた。あれほど大口を叩いていたにも関わらず、ロクな結果も出さずに仕事を投げ出すとはどういうつもりなのか。
しかし彼に対する憤怒を募らせた所で、それをぶつける先が見当たらない。彼が今現在どこで何をしているのかなんて分からないし、追いかけても意味がない。
それよりも今は、あのナナという女に対する他の対策を講じるべきだ。
爪が割れてしまいそうなくらいに強く親指を噛みながら、フィオナは壁に背を預け、じっと俯いて考え込んだ。
自分はユウトの一番初めの仲間だ。最古参と言ってもいい。パーティの中で一番彼と長い付き合いなのも自分だし、その分彼のことを最も理解している……と、思っている。
しかしそれでも、他のパーティメンバーに対して優位に立てているわけではない。
ユウトは呆れるほどに公平な男だ。仲間の全員を公平に扱い、誰かに肩入れするということをしない。一番初めに仲間になったからと言って、きっと自分は彼の特別ではない。自分にとっては、彼は唯一無二の特別だけど。
メイリーン。クラリス。ミレイユ。ナナだけではない、彼女たち全員がフィオナの敵だ。
幼馴染という未知数の存在が現れてからというもの、彼女たちも恐らく各々が自由に動いていることだろう。それぞれの方法でユウトの心を手に入れようと画策しているはずだ。
彼女たちにはそれぞれ強みがあって、後ろ盾がある。
対して、自分には。
「あたしには……何もない」
特別な能力も、身分も、家柄も、何もない。
だからこそ、手段を選んでいられない。綺麗な方法にこだわっていては、自分が彼の特別席に座れる日など永遠にやってこない。
「誰にも……。誰にも、ユウトを取られたくない」
フィオナは自分の細い肩を抱いて、薄暗い路地裏の地面へと宛先のない独り言を零した。
ユウトの一番になりたかった。
誰にも彼の〝特別〟を取られたくなかった。
✱
フィオナと彼との出会いは、それはもう散々なものだった。
『へへっ。いただきっ!』
『あっ!』
『悪いな兄ちゃん!』
恨むなら間抜けな自分を恨んでくれよ。
すれ違いざまに彼の懐から財布を抜き取って、フィオナは蓮っ葉にそう吐き捨てた。
フィオナはその頃下町を転々としていて、そこでスリを行って生計を立てていた。世間知らず丸出しの出で立ちで立ち尽くしていたユウトは、フィオナにとって格好の餌だった。
『おい待てこら何するんだ』
『えっ、ちょっ、早っ』
『捕まえたぞ』
『ギャァーーーーッ!?』
しかしフィオナは呆気なく彼に捕まった。
人間とは思えない速さでユウトが追い詰めてきたのだ。意気揚々と鼻歌を歌いながら屋根上を駆けていたフィオナは、突然首根っこを掴まれて悲鳴を上げた。
『おっ、女に手を上げるつもりか!?』
『女子供だろうと盗みはいけない』
『クソッ、平等野郎ーッ!」
彼はフィオナ相手にも全く容赦がなかった。一切躊躇なくフィオナの頭に手刀を落とし、泣くまでボコボコに打ちのめしたのだった。
『ちっ、チキショウ……! あたしはなにも悪くないのに……!』
『馬鹿なこと言ってないで行くぞ』
『ど、どこへ? まさかあたしを路地裏に連れ込んで……?』
『衛兵詰所に決まってるだろう。ほれ、ちゃんと盗みを働いたことをごめんなさいしに行くぞ』
『ヤダーーーーッ!』
フィオナは手足を振り回して暴れた。けれどユウトは全く動じず、フィオナを俵担ぎしたまま微動だにしなかった。
『待って待って待って待って! お願い! 何でもするから! それだけはご勘弁を!』
『悪いことをしたらごめんなさいをすべきだろ』
『そんなことしたら捕まっちゃう! そしたら最悪死刑! あんた、あたしが今までどのくらい盗んだと思ってんの!?』
『むっ。開き直るな……』
とは言え彼も、フィオナをこのまま死罪にするのは後腐れがあると感じたらしい。詰所に突き出すのは止めて、彼はため息と共に肩を竦めた。
ユウトは〝勇者〟を名乗る愚か者だった。
魔王を打ち倒し、世界に平和をもたらすなどという大それた妄言を恥ずかしげもなく掲げていた。
フィオナは彼をただの馬鹿だと思った。確かに少し腕は立つようだが、それだけで世界が救えるわけがない。
だが彼はいやに真面目でしつこく、フィオナが悪事を働こうとするとどこからともなく現れて制止してくるので、仕方なく連れ立って日銭を稼ぐようになった。
『君は、どうして盗賊なんてやってるんだ』
とある日、ユウトにそう尋ねられた。
どうしてもこうもない。それしか生きる方法を知らなかったから、そうしているだけの話だ。
『……あたしは、猫の獣人だ』
今の時代、獣人の存在は特段珍しいものではない。
けれど獣人に対する差別的な偏見は今もなお根強く残っていて、その人権が軽んじられることも少なくない。
『あたしは、ガキの頃に人攫いにあったんだよ』
『今も子供だと思うが……』
『うるせえな一々! もっとガキの頃にだよ!』
ユウトと出会った頃、フィオナは12歳。ユウトは14歳になったばかりだった。
フィオナは頭に爪を立てて乱暴に引っ掻きながら、胡坐を掻いてぶっきらぼうに言った。
『あたしは奴隷として王都まで連れて来られた。獣人は普通の人間よりも高く売れる。だから狙われやすいんだ』
『……』
『あたしは貴族のキモいオッサンに売られる寸前で、何とか命辛々逃げ出せた』
もしもあの時奴隷として売られていたらと思うと、考えただけで身体中に悪寒が走る。
だから今の自分に不満などない。奴隷として畜生以下の扱いを受けながら生きるくらいなら、盗賊としてでも自由に生きていける今の方が余程マシだ。
『それ以外の生き方なんて、知らない』
だって誰も教えてくれなかった。
今更正しい生き方なんて分からない。別に知ろうとも思わない。自分はただ、毎日死なない程度に生きていけるならそれでいい。手を汚すことだって厭わないし、自分以外の誰かがちょっと不幸になるくらい構わないだろうとも思う。
だって皆、きっとそうして生きている。
自分以外をほんの少し不幸にしてでも良いから、温かくて美味しい物を食べたい。
するとユウトは身体の底から息を吐き出して、フィオナの頭を少しだけ撫でた。それは親がうんと小さな子供にしてやるような、優しく乾いた手つきだった。
フィオナは自分の頭に手を置いた。
何故だか、彼の手のひらの温度が染み付いて離れなかった。
『オレは、この辺りでもう少しだけ働いて金を溜めたら、本格的に魔王を倒すための旅に出ようと思う』
『……そうかよ』
『君もついてくるといい』
『はっ?』
『オレはこの世界中を回ることになる。君の生まれ故郷も、その道中で見つかるかもしれない』
『……な、な』
『嫌なら別にいいが』
『いっ、嫌とは言ってねえし!』
こうしてフィオナは彼の旅について回ることになった。
ユウトにはカリスマがあって、人望があった。正義感が強くてお人好しで、腕っぷしも強くて、それに男前だった。
彼に救われた人間は星の数ほどいて、彼に想いを寄せる女だって何人も居た。
冒険を続けている内に次々とパーティメンバーが加入して、その上その全員がユウトに心の底から惚れていた。
『──ここが競売会場か』
『なんだ、アンタら!?』
『オレたちは勇者をやっているものだ』
『なっ、な……!』
『違法な人身売買に闇取引。到底見過ごせるものではありませんわね』
『ユウト様ぁっ。捕まっている人たちの首輪のカギ、取ってきましたぁ~!』
旅の道中、違法な奴隷の売買を行っていた店に乗り込んだ。
それはかつて、フィオナが奴隷として売られかけた場所だった。会場の中には奴隷商人たちと、奴隷を買うために集まった悪趣味な貴族たちがひしめいていた。
巨人族の用心棒とユウトとの死闘。捕らえられていた奴隷たちの解放。そして反逆。
一夜にしてその奴隷屋は壊滅し。
『死ねえええええっ! この、デブ貴族がぁぁぁぁッ!!』
『ふゲブッ!!』
フィオナはかつて自らを愛玩用の奴隷として購入しようとした貴族へ、顎が割れるほどの強烈な蹴りを食らわせたのだった。
こうしてフィオナは自身の禍根を断ち切り、恨みの清算をきっちりと果たした。
生まれ育った故郷を見つけた頃には、フィオナもまたユウトへとすっかり惚れ込んでいた。
もう二度と会えないと思っていた家族に再会できたことは、心の底から嬉しかった。だがその一方で、家族への情を上回るほどの感情を、自分をここまで送り届けてくれたユウトへ抱いていた。
『フィオナさ~~ん? 良かったですねぇ、家族の皆さんに会えて!』
『そうね。フィオナの心残りもこれでなくなりましたわね』
『良かったじゃない。これからは故郷で穏やかに暮らすといいわ』
『は? あたしはユウトについていくけど? つか何あんたらあたしを厄介払いできて良かったみたいな顔してんのよぶっ殺すぞ』
『きゃ~っ! 怖いですぅ! フィオナさんが怒ったぁ!』
『ユウト。やっぱり駄目よ、あんな野蛮な女が居たらパーティ全体の品性が損なわれるわ』
『よく分からんが、オレはフィオナの好きなようにすればいいと思う』
フィオナは根からの利己主義者だ。
だってそうでなければ欲しいものなんて一つも手に入れられない。遠慮なんてするだけ損をする。たとえ汚いものに塗れたとしても、願いが叶うならそれでいい。
──ユウトのことを誰より知っているのは、あたしだ。
フィオナにはその自負があった。メイドよりも、聖女よりも、この国の姫なんかよりも、誰よりも長く彼のことを見てきた。
そのことを誇りに思っていたし、自分の強みだとも思っていた。
誰よりも強い絆があるのだと信じていた。
だからこそ尚のこと、ナナの存在が許せなかった。
自分の価値を突然横から奪われたように思った。ただ昔偶然運よく知り合ったというだけで、〝幼馴染〟という特別な形を享受しているであろう女のことが、何よりも憎かった。
ユウトの一番の理解者は自分だ。
その立場を、誰にも奪わせない。奪われたくない。
そのためには何だってやる。
どんな手を使ってでも、あんな女にユウトの特別をくれてやるもんか。
「……あたしは、諦めない」
計画は失敗した。
けれど、それだけで心を折られたりしない。
フィオナは誰よりも諦めが悪い。聖女や王族のように立派な身分などはないが、根性と意地汚さだけは誰にも負けない。
馴染みの道具商の暖簾をくぐる。
ここは王都の一角にある、武器や魔道具などを取り扱っている古い店だ。店主の目利きは一流で、しかも表では売れないような掘り出し物や禁制品を扱っている。
フィオナは注文していた武器を受け取って、それから店主にあるものを渡された。
「頼まれていた魔道具。古い伝手から手に入ったよ」
「!」
「〝支配の呪輪〟。これを首に嵌めると、どんな凶暴な獣でもたちまちに術者の思いのままだ」
それは所謂、思考誘導型の催眠術式が組み込まれた魔道具だった。
この首輪を嵌められると、どんな相手でも持ち主の意のままに操れる。呪物として流通が禁止されている、違法な魔道具だ。
勿論その分値は張るが、フィオナは迷わずこれを購入した。幸い魔王退治の報酬のおかげで、金ならば余るほど持っている。
これをユウトの首に嵌めれば、彼の心はフィオナのものになる。
卑劣な手段だ。でもそれの何が悪い。
卑怯であれど、最後に笑える者だけが勝者だ。
それ以外に価値なんてない。
「そのためには……」
やはりあの女の存在が邪魔だ。
彼の幼馴染、ナナ。彼女は現在ユウトと共に暮らしている。ユウトの心を我が物とするにあたって、彼女の行動は制限しておきたい。いつ彼女の邪魔が入るか分からないからだ。ナナの力量は未だ未知数であり、フィオナの計画にいつ勘づくかも分からない。
今度こそユウトの心を完璧に手に入れるためにも、彼女の動向を押さえておく必要がある。
「──〝分身体〟」
目を閉じ、体内の魔力を操作する。
手の甲に刻まれた術式に魔力を巡らせ、自分自身を強くイメージした。特殊な術式の補助を受けて、凝縮した魔力が〝フィオナ自身〟へと変化する。
これがフィオナの十八番である魔法だ。
「分かってるね?」
「ああ。あたしたちが、あのナナって女を押さえておく」
「その間にあたしが、この首輪をユウトの首に嵌める。──そうすれば、ユウトの心はあたしのものだ」
フィオナたちは互いに頷き合った。
たとえ、それが偽りの感情だったとしても構わない。たとえどんな形であったとしても、彼の心を独り占めできるならばそれで良い。
作り物の愛情だったとしても、それが他の誰かに向けられるよりはずっとマシだ。
だからフィオナは手段を選ばない。
どんな手を使ってでも、ユウトの心を手に入れるのだ。
✱
「少し出かけてくる」
そう言ってユウトは玄関の扉に手をかけた。
その時ナナはちょうど、ゴーレムに新しく買った料理本を読み聞かせている最中だった。ナナは本を閉じ、彼に「買い出しか? 仕事か?」と尋ねる。
「いや。昔のパーティメンバーに呼び出されてな。何か用事があるとかで」
「……ふぅん。パーティメンバー。お仲間ですか」
「? どうした?」
「いいえ? 仲がよろしいことで何よりですとも」
「ナナ? 何だか口調に棘があるように思うんだが……」
「お前の気のせいじゃないか?」
気のせいではない。
棘だらけである。
しかしそれも当然のことだ。パーティメンバーということは、それはつまりあのハーレム四人娘の内の誰かということだろう。
つまりユウトは今から、あの美しいハーレム娘とデートに出かけるというわけだ。
彼が頭を掻きながら、「全く何のことか分からないのだが……?」という白々しい顔をしているのが余計に腹立たしい。逢引の約束があるなら、わざわざナナに宣言せずに密かに行けばよいものを。
「ケッ。お熱いことで……」
「あの、オレ、何かお前を怒らせるようなこと、したか……?」
「してないよ! ただの私の僻みだよ!」
「ひがみ……?」
「ああもう早く行け! いってらっしゃい!」
ナナはしどろもどろになってもたつく彼の背中を突き飛ばすように押して、乱暴に扉を閉めた。
別に彼が何か悪事を働いたわけではない。
ナナには彼を糾弾する資格などない。何故ならナナは彼にとってただの幼馴染であり、家族でも恋人でも何でもないからだ。彼の自由恋愛を制止する権利など保持しておらず、よってこれは単なる嫉妬である。
だがそれはそうと腹が立つものは腹が立つ。
「……ぐっ」
ナナは歯を食いしばり、苦い物を噛み潰したように顔を歪めた。
送り出したは良いものの、彼の動向が気になって仕方がない。そんな権利はどこにもないのに、彼のデートを監視したくてしょうがない。
一体相手は誰なのか。あの四人娘の内のどれなのか。用事とは何なのか。一体何をするつもりなのか。
いっそのこと、彼の後をつけてやろうか。
魔法で気配を消して、彼のデートをこっそりと見張ってやろうか。
「いや、それじゃただのストーカーだ……」
ナナは扉に額を打ち付けて項垂れた。
後をつけるなんて、そんなのただの幼馴染の範疇を超えている(※ユウトはやりました)。
勝手にプライベートを侵害していいわけがないし(※ユウトはやりました)、もしもバレたら彼に心底侮蔑されるに違いない(※ユウトはやりました)。
どれほど彼の恋路が気になったとしても、許される行為ではないだろう(※ユウトはやりました)。
ナナは腕を組み、扉に背を向けて「うん。ないな。ないない」と独り言つ。
きっと後をつけたってロクな事にならない。ここは大人しく、家で優雅に留守番を楽しむべきだ。ナナはそうやって自分を納得させた。
「……やっぱりちょっとだけ見に行こうかな」
納得させられなかった。
野次馬根性が理性を打ちのめしたのである。
やはりどうしても気になる。少し覗きに行くくらいならばきっと神も許してくれるだろう。
「よし。邪魔しに行っちゃお!」
切り替えの早い女である。
ナナは迷いの一切を捨て、意気揚々と扉の取っ手に手をかけた。冷たい金属に指が触れる。
その時だった。
「──」
首に、堅い何かが触れた。
ナナはその場で動きを止める。視線を下に向ける。するとそこには、首筋に当てられたナイフと、そのナイフを握る細い腕があった。
「──あんた、あたしの邪魔をするつもりなんだな」
「へっ?」
「やっぱりこうして正解だった」
瑞々しい少女の声が背後から聞こえてくる。
それは幼さを残しつつも悪魔のような色香を纏った、聞く者の心を柔らかい毛でくすぐるような甘い声だった。
ナナは僅かに顔を上げ、目を後ろへ向けた。
視界の端に映ったのは、血のような深紅の瞳である。
「あんたにはユウトを追わせない。──ここで、大人しくくたばってもらう」
頭から二つの猫耳を生やした少女は、猛獣のように鋭く尖った歯を見せて笑った。
それは今から獲物を切り裂かんとする、嵐のように獰猛な笑みだった。
「──ナナ?」
ユウトは不意に足を止め、後ろへ振り返った。
何か不穏な予感を感じたからだ。黒い稲妻のような直感が胸を貫いて、頭に血が集まるような感覚があった。
こういう時のユウトの勘はよく当たる。
今すぐ引き返すべきだろうか。だが、仲間からの呼び出しを無下にするわけにもいかない。
「!」
その時、ユウトは何かに肩を叩かれた。
ユウトは思わず、敵を振り払うような俊敏さで背後へ顔を向ける。
しかしそこに立っていた少女を見て、ユウトは握りしめていた拳をほどいた。頑丈に張り詰めていた警戒を解いて、胸を撫で下ろす。
「久しぶり、ユウト」
「なんだ。君か」
ユウトは額に浮いていた汗を拭い、肩から余計な力を抜いた。
そこに居たのは元パーティメンバー、獣人の少女であるフィオナだった。
どうやら気を張りすぎていたらしい。仲間に対して敵に応対するような猜疑心を抱いてしまうとは。
ユウトは胸を押さえて、それからやはり、ふと首を傾げた。
「どうしたんだ?」
「……ああ。いや」
ただの勘違いだろう、とユウトは思った。
まさか、そんなわけはないはずだ。
彼女の瞳に黒い光が見えたような気がする、だなんて。




