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#12 棘のある花




「ユウくん。ユウトユウトユウト」

「ん? どうした」


 勇者の仕事に関する書類整理に勤しむユウトの背中を、ナナは細い指で何度もつついた。

 ユウトは顔を上げ、目を擦りながら振り向く。

 ナナは自分の身体に、クローゼットから取り出した二着の服を押し当てた。


「そ、その……私にはどっちが、似合うと思う?」


 顔を赤らめてナナが言う。

 まるで恋する乙女のように。

 ユウトは脳天に雷を落とされたような衝撃を受けた。手を空中で彷徨わせ、何度もしつこく息を吐く。そして生まれたての子鹿のように震えた声で言った。


「……そ、それは、どういう、意味の、質問だ?」

「えっ。いや、言葉の通りだけど」

「それは、つまり、お前にはどちらが似合うと思うかということか?」

「だからそう言ってんじゃん」

「オレにお前にはどちらの服が似合うと思うか聞いているということか?」

「だからそう言ってんじゃんって」


 ナナは眉間に皺を寄せ、頭の上に疑問符を浮かべた。

 どうして彼がそんなに動揺しているのか分からなかったからだ。そんなにも意図の通じない質問を投げかけてしまっただろうか。聞いていることは単純だと思うのだが。

 ナナは代わる代わる二着の服を持ち上げて、目を軽く閉じつつため息をついた。


「服屋で店員さんに勧められたものを買ってみたんだけど、家に帰って見てみると本当にこれが似合ってるのか分からなくてさぁ」

「ふ……服屋に? 行ったのか? 一人で?」

「? なんか駄目なことがあったか?」

「お、オレを誘ってくれれば良かったのに……」

「え、でも仕事で忙しそうだったし」

「全然忙しくないが?」

「絶対嘘じゃん」

「こんな仕事三分で片付けてやる。いや三秒だ」

「ええ……無理するなって。それに私だって一人で服屋くらい行けるんだよ」


 舐めるなよ! という意味合いも込めて、ナナは盛大に胸を張ってみせた。確かに多少緊張はしたが、やってみれば意外に簡単なものだ。


「で。どっちがいいと思う?」

「……、み、右……」

「ふぅん。お前って結構フリフリが好きなんだ」

「ぐっ……」


 何故か辱めを受けたような気持ちになって下唇を噛むことしかできなくなった彼を他所に、ナナは鼻歌を歌いながらその場で踊るように回った。

 選ばれなかった方の服を片付けて、選ばれた方の服を持って自室へ向かう。丈の長い白のワンピースに腕を通し、ゴーレムに髪を編み込ませた。


 鏡を見て、その場で一回転。

 目つきの悪さはどうにもならないが、それでもそれなりに様になっていることを確認し、頷く。肩に茶色の革で出来たバッグの紐をかけて、部屋を出た。

 ユウトは目を丸くし、不自然に歪んだ声で尋ねる。


「どっ……どこかへ、出かけるのか?」

「へへ。うん。ちょっとした用事があって」


 ナナは頬を掻きながら答えた。

 ちょっとした、と濁してみたが、当然些細な用事ではない。

 ナナは今日、シモンと例の花屋で待ち合わせをしているのだ。またお茶でも飲みに来ないかと誘われて、それで彼に会うための準備をしているのだった。新しく買ったばかりの服に袖を通して、髪型まで変えるほどの気合の入れようだ。


 しかしユウトは当然気が気ではない。

 これほどナナが真剣に見た目に気を使っている所なんて初めて見たし、一目で分かるほど上機嫌だったからだ。一体これからどこに行くのか気になって仕方がなかった。


「夜までには帰ってくるから!」

「あ……」

「じゃあ行ってきまーす!」


 ナナは軽快に手を振って、ユウトの家を後にした。

 ユウトは「ああ。いってらっしゃい……」と呟き、中途半端に手を上げた姿勢のまま固まる。


「……まあ、ナナにも色々と事情があるんだろうしな」


 そして誰に宛てるでもない独り言を零した。

 人と関わることを〝時間の無駄〟と断言し、全てを突き放していた昔の彼女とは違う。彼女にも彼女の人生があって、それはユウトには関係のない場所で進んでいる。その事実を拒絶することはできない。

 そう思ったユウトは気分を切り替えて、止まっていた書類整理を再開する。


「あ」


 しかし握っていたペンが真っ二つに折れた。

 ユウトはフッ……と笑って、替えのペンを取ろうと思って立ち上がる。けれど机に手をついた瞬間、バキッ! と嫌な音が鳴り響いた。

 見ると、机の脚が折れてひしゃげてしまっている。

 ユウトは動揺のあまり、普通の人間程度に力を押さえることが出来なくなってしまったのだった。力加減の方法を忘れてしまって、触れるもの全てを破壊してしまう悲しき怪物と化してしまった。


「……ふー……」


 腕を組んで部屋の中を八の字に歩き回ったあと、やがてユウトは長い長いため息をついた。

 どうやら気分を切り替えることは不可能らしい。どうしたってナナのことが頭から離れない。彼女が今何をしているのか気にかかって仕方がない。


 ──まさか、例の〝恋人〟に会いに行くのか?

 その可能性が脳裏を過って、余計に心がささくれだった。それで、あんなにも気合を入れてめかし込んでいたのだろうか。普段より機嫌が良かったのはそのためだとでも言うのか。


 だとするならば、確かめずにはいられない。

 本当にその〝恋人〟が、彼女に相応しい男なのかどうか。

 チョロくて面食いのナナが、悪い男に騙されていないとも限らない。その場合、ユウトは幼馴染としてその奸計を全力で阻止する必要がある。

 ……決して、彼女に恋人が居ることが許せないわけではない。そんなことはない。醜い嫉妬ではないのだ。そのつもりだ。


 ユウトは自分の嫉心に綺麗な建前を貼り付け、彼女のあとを追って家を出た。

 彼女の気配を辿り、勇者として培った技術の全てを惜しみなく使って音を消して走る。魔王の幹部ですら『ば、馬鹿な……この俺様が背後にピッタリと近づかれて首に剣先を当てられるまで勇者が来ていたことに気が付かない……だと……?』と言っていたので、恐らく後をつけていることは誰にもバレないだろう。


 そして無事ナナに悟られることなく、彼女の待ち合わせ場所である王都の花屋へと辿り着いたユウトは。


「ばっ、馬鹿な……!」


 実に楽しそうな様子で茶を飲みながら談笑する彼女と好青年の姿を目の当たりにして、魔王との戦いですら一度もつかなかった膝を呆気なく地面につけた。

 そして魔王との戦いですら一度も弱音を吐かなかったのに、呆気なく「もう駄目だーっ!」と叫んでしまった。


 あれが例の〝恋人〟だとするならば、自分には勝ち目がないかもしれない。そう思ってしまうほどに感じの良い青年だった。

 日の当たり方によっては金色に見える眩しい白髪は、柔らかく波打ってきらきらと輝いていた。それがまるで夕焼けを映した海のように見えて、思わず絶景を眺めているような気分になってしまう。人ではなく景色を見ているような気持ちになってしまった。

 目鼻立ちも随分と整っていて、線が細いのに凛々しい印象を受ける。あまりにも綺麗な顔をしているので黙っていれば冷徹に見えるのだが、しかし冷たく見える隙がないほど常に柔らかい微笑を浮かべているので、人間によく懐いた犬のような親しみさえ感じられるような、そんなハンサムな青年だった。


 そのような男が涼しげにナナと話しているもので、心に強烈なヒビが入ってしまった。目から血が流れそうなほどにショックを受けて、下唇を噛むことしか出来ない。

 悔しかった。でも遠くから見ても分かるほどナナの顔が楽しそうで、だから何を言うことも出来なかった。

 あの青年がナナの恋人だというのならば、きっと自分にはどうしようもない。だって彼は誰もが目を輝かせて思い描くような、完璧で、素敵な青年だったからだ。

 諦めて身を引くしかない。


「……?」


 けれどその時、ユウトの心に何かが引っかかった。

 正体不明の違和感が胸を過る。一見すると何の問題もない微笑ましい光景を見て、何故か頭の中で警告音が鳴った。

 こういう時のユウトの勘は無性に当たる。ユウトは首を傾げて、じっと青年を凝視した。

 そして、気が付く。


「あ」


 彼の顔に、何故だか見覚えがあるということに。







「へえ。ナナさんって魔法使いなんだ!」


 シモンが驚いた様子で言う。輝く視線を向けられたナナは、少々照れながらも首を縦に振った。


「魔法使いって、色んな奇跡を起こせる凄い人だよね。何でもできる、神様みたいな……」

「な、何でもは出来ないよ。魔法で出来るのは、魔法がなくても出来ることだけっていうか……」

「? ええと……」

「ま、魔法っていうのは、どんな物質にでも変わることが出来るっていう特殊な性質を持った魔力を使って行う術のことで。でも魔力を変形させるためには、変形させたい対象がどんなものなのかを理解しておかなくちゃいけないんだよ。だから時を巻き戻したりだとか、死んだ人を生き返らせたりだとか、そういうイメージできないことは魔法じゃ起こせないっていうか……」

「つまりは〝魔法がなくても出来る〟っていう想像が固まってないと、その魔法はそもそも使えない? みたいなことかな」

「……! そう!」


 彼の飲み込みは早く、ナナの説明を滞りなく理解してくれた。好きな分野の話がすんなりと出来たことで、ナナはより一段と顔を明るくする。


「シモンくん、頭の回転が早いし……魔法使いに向いてるんじゃないかな」

「あはは、ありがとう。でも僕には無理だよ」

「? どうして?」

「つまりは魔法使いになるためには、より多くの知識を身に着ける必要がある、ってことだろう? そのためには学校に通わないといけないし……僕にはそんなお金がないからさ」

「あ……そ、そっか。軽々しく言って、ごめん」

「ううん、気にしないで。それに僕には、今の仕事が性に合ってるからね」


 ナナは彼の顔を見上げた。

 確かに、花屋で働く彼の姿は様になっている。きっとさぞかし女の子からもモテることだろう。そう、幼馴染のユウトのように……。

 そこまで考えて、ナナは慌てて首を横に振った。折角彼と仲を深める良いチャンスなのに、幼馴染の顔を思い浮かべてどうする。ユウトにはもう既に四人も……少なくともきっと、あの中に一人くらいは恋人が居るはずなのだから、自分がそこに割って入ることなど出来ないというのに。


「それなら、本を読むのも好きなのかな?」

「! うん、大好き……」

「なら、もう見飽きてるかもしれないな……」

「?」


 彼が腕を組んで、悩ましそうに首を捻る。ナナは目を瞬かせ、彼の顔をじっと見た。

 すると彼は穏やかな笑みを浮かべて、服の内側から二枚の紙を取り出した。


「最近、王都の劇場で舞台をやってるんだ」

「えっ」

「そのチケットが偶然二枚も取れたから、ナナさんを誘おうと思って……。でも古い御伽噺の舞台だし、ナナさんには退屈に感じてしまうかも」

「う、ううん! そんなことない! 行きたい!」

「本当?」

「うん! え、演劇とか。見たことないし。見てみたい……」

「……わーっ!」

「っ?」

「あ、ごめん。緊張が抜けて、咄嗟に大きな声を出してしまった……」

「ふ、あは」

「断られたらどうしようと思って、実は凄く緊張してたんだ。そのせいで朝から何も食べてなくて……」

「ふふ、あはは」

「ずっと息も止めてたんだ。だから断られなくて良かった。何とか生き延びたよ」

「あはは、大変……」

「一命を取り留めた暁に。今度の日曜日に、劇場前で待ち合わせってことでどうかな?」

「うん。分かった」


 ナナが頷くと、シモンは「うれしい。楽しみにしてる」と言って、頬杖をついて笑った。







 ナナを見送ってから、シモンは部屋を丁寧に清掃した。制服を脱いで、店長に挨拶をしてから花屋を後にする。

 しばらく王都の表通りを歩いて、細い路地に入る。薄暗い道には煙草の吸殻や生ゴミなどが落ちていて、小さなネズミが数匹走り抜けていった。



「──あなた、シモンでしょう」



 女の声だった。

 所々掠れた女の声が背後から聞こえてくる。

 シモンは足を止め、後ろへ振り返った。

 そこには装飾のない簡素な服を身に纏った女が立っている。女の目は赤く充血していて、唇は荒れて皮が捲れている。


「……誰?」


 シモンは何の感情もない声で言った。

 その端正な顔には全く色がない。全くの赤の他人に因縁をつけられたような表情を浮かべて、シモンは他人事のように頭を掻いた。

 そんなシモンの態度を見て、女は更に目を血走らせる。彼女は大股でシモンに近づいて、彼の胸倉を掴んで叫んだ。


「おっ、覚えてないとでも、言うつもり!? わたしは、あなたの、アンタのせいで!」

「……?」

「わたしが、アンタにどれだけ貢いだと思ってるの!? アンタがわたしと結婚してくれるって言うから……! わたしは、それを信じて! アンタのために!」

「ああ。はあ」

「覚えてるでしょう!? アンタが捨てた女よ! ミザリーよ! ねえ!」


 胸を掴まれて揺さぶられていることも気に留めず、シモンは彼女に全く興味を向けずに自分の爪を見つめた。そして深く息を吐き、最低限の動作で彼女に視線を向ける。


「──捨てた女の、どれ?」


 そう言って、シモンは彼女の身体を軽く押しのけた。

 シモンの言葉に殴られた彼女は、まるで糸の切れた人形のようにその場に倒れ込む。シモンは腰を曲げて、一応彼女の顔をじっと見つめて、しかしすぐに姿勢を正した。

 やはり彼女が誰だか思い出せなかったからだ。同時に何人もの女と似たような付き合いをしていたため、誰が誰だか判別がつかなかったのだ。


「悪いけど。金にならない女に興味はないんだ」

「……わ、わたしのこと、好きだって。愛してる、って……」

「金になる女は好きだから」

「っ。う、そ、だった、の。あんなに、わたしを……」

「恨むなら、騙された自分を恨んでほしいな。馬鹿だから騙されるんだよ。残念だったね」


 シモンは彼女に背を向けて、手を振りながら「じゃあね」と言った。背後から彼女の金切り声が聞こえてきたが、最早耳にも入らない。

 彼女のことなどさっさと忘れ、迷いなく複雑な路地裏を歩く。


 その時、視界に黒い何かが舞った。

 シモンは足を止め、「一体次はなんだ」とでも言いたげな、面倒そうな顔をする。

 しかし猫のように華麗に舞い降りてきたそれを見て、形の良い眉を吊り上げた。


「──あーあ。可哀想に」


 半笑いで呟いたのは、焦茶色の猫耳が生えた、ショートカットの美しい獣人だった。腹が広く見えるような露出度の高い衣服を身に纏っていて、健康的な肌色が露になっている。

 けれどそんな魅力的な素肌には目もくれず、シモンは無表情のまま彼女へ応対する。


「……見ていたのか? 悪趣味だな」

「あんたには言われたくないな。一体今まであんたは何人女を泣かせてきた?」

「興味がないから数えてない」

「最低。でも何だっていい。あたしの言う通り、きちんと働いてくれるなら」


 猫耳娘は腰に手を当てて、シモンへと顔を近づける。


「調子はどう? あの女は落とせる?」

「順調だ」

「ふぅん。それ嘘だったら、報酬はゼロだからね」

「分かってる」


 猫耳娘は上機嫌に尾を揺らした。

 シモンは彼女から依頼を受けていた。その内容は、ナナという女をどんな手を使ってでも落とせというものだ。

 彼女に恋をさせるだけで、莫大な金額の報酬が貰えるという。こんな簡単な仕事を蹴る理由などない。怪しいとは思ったが、猫耳娘が嘘をついている様子はなかった。


 詳しい事情は聞かなかった。興味もないし、知る必要もないからだ。

 依頼人の事情に深く立ち入る利点などないし、シモンは約束通り金が貰えるならばそれでいい。


「金さえ貰えるのなら、仕事はちゃんとやるさ」


 たとえそれで誰から恨まれようとも、別に良い。

 だって騙される方が悪い。

 騙される方がどうしようもない馬鹿で、馬鹿は罪というだけのことだ。







「んっひひひひ」


 ナナは枕に顔を押し付けて、邪悪な魔女のように不気味な笑い声を上げていた。

 シモンからデートの誘いを受けたからだ。

 二人きりで劇場へと誘われたのだから、これはもうデートと呼んで差し支えないだろう。気のない異性に普通そんな思わせぶりなことはしないはずだから、きっとこれは脈があると見ていい。


「んふ……ふふふっ」


 今度の日曜日が待ち遠しい。

 一体どんな服を着ていこうか。何を持っていけばいいだろう。どんな話をしようか。

 そんなことを考えていた時。


「!」


 寝室の扉がノックされた。

 ナナは慌てて枕から顔を離し、足を揃えてベッドの端に座り直す。


「入っても大丈夫か?」

「! ああ、どうぞ!」


 丁寧に伺いを立ててから、ユウトが扉を開けて入ってくる。

 ナナは足を揺らしながら彼の顔を見て、そして首を傾げた。

 それは彼の凛々しい顔が、普段よりも薄暗く陰っていたからだ。軽い要件ではなさそうだと思い、ナナは思わず居住まいを正す。


「それで……どうしたんだ?」


 彼に尋ねる。

 すると彼は、苦いものを奥歯で嚙み潰したような声で。


「……。実は」


 と、重苦しく切り出したのだった。





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